第二十四席 談志の教え(2) 談志の価値観

 

<FONT color="blue">【登場人物】
●立川談志……落語立川流家元、志らくの師匠
●立川志らく(前座名・志らく)……落語立川流真打ち、私</FONT>
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<FONT color="blue">~「談志の価値観」でつまずく弟子~</FONT>
</DIV>
立川流には前座から二つ目、二つ目から真打ちにあがるのに、昇進基準というものがある。ほかの協会場合、基本は年功順。
立川流は、二つ目への昇進基準は、「落語五十席、歌舞音曲(かぶおんぎょく)、講談の修羅場(しゅらば)、寄席の太鼓」。真打ちへの昇進基準は、「落語百席、歌舞音曲、客を呼べるメディア、談志の認める価値観」。
明文化されているわけではないので、弟子によって解釈の違いはあるだろうが、私はこう受け止めている。多くの弟子は「談志の価値観」でつまずく。
私にも弟子がいるが、彼らにも同じ基準を課している。しかし、どこの世界でも同じだが、やらない奴(やつ)は本当に何もやらない。自分ではそこそこやっているつもりだろうが、例えば、当人のやっている量を200ccのコップだとすると、私の希望している量は50メートルのプールなのである。本当は琵琶湖(びわこ)ほどやっていただきたいのだが、常識の範囲でプールだと考えている。
しかし連中はコップなのだ。そのコップの八分目あたりまでやるともう満足してしまい、たまにコップからあふれると、俺もずいぶん努力したなぁと満足してしまう。プールを求める私を弟子は「師匠は天才だから」と歯牙(しが)にもかけない。
私は落語以外に時折、演劇をやる。そのときは、自ら脚本を書き、演出をし、主演をするので、テンションがあがりすぎて、狂ったような状態になる。弟子は演劇の時期が近づいてくると「おいおい、勘弁してほしいよ。また芝居だよ」と困り果てる。さらに、「師匠が芝居を始めると、落語の稽古(けいこ)をする時間がなくなっちゃうんだよね」とこぼす。普段200ccしか稽古をしないやつが、おそらく80ccしか稽古ができなくなるからそう嘆くのだろうが、お笑い種(ぐさ)だ。
200ccの落語の稽古より、演劇の稽古を勉強しているほうが自分のためになるはずだ。師匠が役者につける演出を聴き、師匠や役者がどう進化していくかを必死に見ていれば、それがかならずや自分の芸に生きてくるはずだ。
極端な話、演劇の台本を全部覚え、すべての役者の動きを頭にいれ、稽古でその役者が休んだときは、「あっしにおまかせを」と代役をやり、どの役者よりうまく演じ、本番、その役者が事故にあうことを祈るぐらいでないと駄目だ。
<DIV align="center">
<FONT color="blue">~師匠に興味がない弟子~</FONT>
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日本舞踊の稽古をお師匠さんに習っている弟子が、そのお師匠さんがあまりに厳しいからと愚痴をこぼしていた。それを他の弟子が「お前、踊りの名取になるわけじゃないんだろ? 二つ目になるためにやっているんだから、ほどほどでいいんだよ」とアドバイスしていた。
確かに二つ目になるためには、踊りをやらなくてはいけない。でも目的はなんであるのか。二つ目になるためではなく、良い芸人になるためではないのか。
談志は、
「落語家になったのだから、歌舞音曲が好きなはずだ。こういったものを好きになれないのならば、落語家には向いていないということだ」
と言った。
不思議だなぁ。私は談志の弟子になった時、師匠がほれている世界のものは全部体験してみたいと思ったのに。
師匠が好きな映画は、全部観たかった。
師匠がナツメロに狂喜していたの見て、自分も同じように楽しみたいと思った。私の弟子も含めて、大半の弟子は師匠の命令だから仕方なく踊りをやり、師匠が酔っ払うとすぐにナツメロを聴きたがるから、「おいおい、またナツメロだよ」と面倒臭そうにCDをかける。
師匠と一緒にナツメロを楽しもうなんて気持ちはまったくない。
談志に、弟子の志らくが言った最高の言葉がある。
「映画とナツメロに興味のない奴は談志の弟子である資格がありません」
私の弟子にも、まったくあてはまる言葉だ。
駄目な弟子は、つまりは師匠に興味がないのである。もともとはあったのだが、この空間に慣れてしまい、他に興味がいってしまったのだろう。
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<FONT color="blue">~「談志復活の日」に思ったこと~</FONT>
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2010年4月13日、半年以上休養中だった談志が復活した。場所は紀伊國屋ホール。『談志 最後の落語論』の出版記念の会であった。客は本を購入した者の中から抽選で選ばれた。客席は殺伐としていた。久しぶりの談志である。当然、客席も緊張するのであるが、客が全員抽選ということは、単独の客だけということだ。開演前に友達同士でおしゃべりということがない状況。そりゃあ、殺伐としますわね。
談修が前座をつとめ、私と談春が一席ずつ演じ、師匠をはさんでのトーク、最後に談志が一席、という構成だった。
志らくは『茶の湯』。狂ったギャグ連発の談志イリュージョン落語をひきつぐ落語である。
自分でよくもまあ、ひきつぐなんて言うね!
談春は『庖丁』。当代一のテクニック。若き日の談志を彷彿(ほうふつ)させる迫力。
ほめすぎです!
談志はイリュージョン落語の完成形ともいえる導入部から『首提灯(くびぢょうちん)』。声はほとんど出ず、往年の談志の姿はどこにもなかったが、客も弟子もこの瞬間に立ち会えたことに感動していた。
しかしだ。楽屋に弟子がほとんど来ていなかったのだ。若い弟子は駆け付けたが、古株の弟子が来ていない。当日、立川流の定席があったという影響もあるのだが、さびしい光景であった。それよりなにより、その日に談志が復活をしたことすら知らなかった弟子がいたのには驚いた。
談志が元気なころだったら、談志が高座にあがっているとき、楽屋にいる弟子はみな、舞台袖に張り付いて師匠の芸を勉強していると思うでしょ? それが違うのだ。もちろん、くらいついている弟子もいるが、中には楽屋に戻ってお菓子を食べたり、駄話に花を咲かせている者もいるのである。
「兄さん、師匠の落語を聞かないんですか?」
「どうせ、『二人旅』だろ? さんざん聴いたからもういいよ」
これが現実である。談志のその時の高座はその時だけなのに、「さんざん聴いたからもういいよ」と平然と答える愚かさ。
談志が高座にあがった途端、慌てて楽屋に戻って弁当を食べている前座がいた。芸人として向いていません。師匠の落語より弁当の方が大事だと思う感覚は、落語家として何かが麻痺(まひ)している。そんな連中が語ると落語が腐る。
私が落語をやっているときも、弟子の多くは駄話で盛り上がっていることであろう。私がにらんだところでは、前座のらく兵は、馬鹿の仲間になるまいと連中を無視しているはずである。
<FONT color="blue"><DIV align="center">
~「馬鹿になりたくない」~
</DIV></FONT>
落語界、それも立川流という閉じられた空間に入ったからには、それ相当の覚悟が必要だ。どこにでも馬鹿はいる。しかし、閉じられた特殊空間にいる馬鹿ほど怖いものはない。
馬鹿と群れた方が楽だ。でも自分がなんのためにその世界に来たのかを考えたら、楽な方を選ばず、初心を貫き通さないと、あっという間に、自分の目的も存在意義も見失うのである。
談志が落語協会から飛び出したのにはいろいろ理由はあったが、とどのつまりが「馬鹿になりたくない」であったと私はとらえている。

【登場人物】
●立川談志……落語立川流家元、志らくの師匠
●立川志らく(前座名・志らく)……落語立川流真打ち、私

~「談志の価値観」でつまずく弟子~

立川流には前座から二つ目、二つ目から真打ちにあがるのに、昇進基準というものがある。ほかの協会場合、基本は年功順。
立川流は、二つ目への昇進基準は、「落語五十席、歌舞音曲(かぶおんぎょく)、講談の修羅場(しゅらば)、寄席の太鼓」。真打ちへの昇進基準は、「落語百席、歌舞音曲、客を呼べるメディア、談志の認める価値観」。
明文化されているわけではないので、弟子によって解釈の違いはあるだろうが、私はこう受け止めている。多くの弟子は「談志の価値観」でつまずく。

私にも弟子がいるが、彼らにも同じ基準を課している。しかし、どこの世界でも同じだが、やらない奴(やつ)は本当に何もやらない。自分ではそこそこやっているつもりだろうが、例えば、当人のやっている量を200ccのコップだとすると、私の希望している量は50メートルのプールなのである。本当は琵琶湖(びわこ)ほどやっていただきたいのだが、常識の範囲でプールだと考えている。
しかし連中はコップなのだ。そのコップの八分目あたりまでやるともう満足してしまい、たまにコップからあふれると、俺もずいぶん努力したなぁと満足してしまう。プールを求める私を弟子は「師匠は天才だから」と歯牙(しが)にもかけない。

私は落語以外に時折、演劇をやる。そのときは、自ら脚本を書き、演出をし、主演をするので、テンションがあがりすぎて、狂ったような状態になる。弟子は演劇の時期が近づいてくると「おいおい、勘弁してほしいよ。また芝居だよ」と困り果てる。さらに、「師匠が芝居を始めると、落語の稽古(けいこ)をする時間がなくなっちゃうんだよね」とこぼす。普段200ccしか稽古をしないやつが、おそらく80ccしか稽古ができなくなるからそう嘆くのだろうが、お笑い種(ぐさ)だ。
200ccの落語の稽古より、演劇の稽古を勉強しているほうが自分のためになるはずだ。師匠が役者につける演出を聴き、師匠や役者がどう進化していくかを必死に見ていれば、それがかならずや自分の芸に生きてくるはずだ。
極端な話、演劇の台本を全部覚え、すべての役者の動きを頭にいれ、稽古でその役者が休んだときは、「あっしにおまかせを」と代役をやり、どの役者よりうまく演じ、本番、その役者が事故にあうことを祈るぐらいでないと駄目だ。

~師匠に興味がない弟子~

日本舞踊の稽古をお師匠さんに習っている弟子が、そのお師匠さんがあまりに厳しいからと愚痴をこぼしていた。それを他の弟子が「お前、踊りの名取になるわけじゃないんだろ? 二つ目になるためにやっているんだから、ほどほどでいいんだよ」とアドバイスしていた。
確かに二つ目になるためには、踊りをやらなくてはいけない。でも目的はなんであるのか。二つ目になるためではなく、良い芸人になるためではないのか。
談志は、
「落語家になったのだから、歌舞音曲が好きなはずだ。こういったものを好きになれないのならば、落語家には向いていないということだ」
と言った。

不思議だなぁ。私は談志の弟子になった時、師匠がほれている世界のものは全部体験してみたいと思ったのに。
師匠が好きな映画は、全部観たかった。
師匠がナツメロに狂喜していたの見て、自分も同じように楽しみたいと思った。私の弟子も含めて、大半の弟子は師匠の命令だから仕方なく踊りをやり、師匠が酔っ払うとすぐにナツメロを聴きたがるから、「おいおい、またナツメロだよ」と面倒臭そうにCDをかける。
師匠と一緒にナツメロを楽しもうなんて気持ちはまったくない。

談志に、弟子の志らくが言った最高の言葉がある。
「映画とナツメロに興味のない奴は談志の弟子である資格がありません」
私の弟子にも、まったくあてはまる言葉だ。

駄目な弟子は、つまりは師匠に興味がないのである。もともとはあったのだが、この空間に慣れてしまい、他に興味がいってしまったのだろう。

~「談志復活の日」に思ったこと~

2010年4月13日、半年以上休養中だった談志が復活した。場所は紀伊國屋ホール。『談志 最後の落語論』の出版記念の会であった。客は本を購入した者の中から抽選で選ばれた。客席は殺伐としていた。久しぶりの談志である。当然、客席も緊張するのであるが、客が全員抽選ということは、単独の客だけということだ。開演前に友達同士でおしゃべりということがない状況。そりゃあ、殺伐としますわね。
談修が前座をつとめ、私と談春が一席ずつ演じ、師匠をはさんでのトーク、最後に談志が一席、という構成だった。
志らくは『茶の湯』。狂ったギャグ連発の談志イリュージョン落語をひきつぐ落語である。
自分でよくもまあ、ひきつぐなんて言うね!
談春は『庖丁』。当代一のテクニック。若き日の談志を彷彿(ほうふつ)させる迫力。
ほめすぎです!
談志はイリュージョン落語の完成形ともいえる導入部から『首提灯(くびぢょうちん)』。声はほとんど出ず、往年の談志の姿はどこにもなかったが、客も弟子もこの瞬間に立ち会えたことに感動していた。
しかしだ。楽屋に弟子がほとんど来ていなかったのだ。若い弟子は駆け付けたが、古株の弟子が来ていない。当日、立川流の定席があったという影響もあるのだが、さびしい光景であった。それよりなにより、その日に談志が復活をしたことすら知らなかった弟子がいたのには驚いた。

談志が元気なころだったら、談志が高座にあがっているとき、楽屋にいる弟子はみな、舞台袖に張り付いて師匠の芸を勉強していると思うでしょ? それが違うのだ。もちろん、くらいついている弟子もいるが、中には楽屋に戻ってお菓子を食べたり、駄話に花を咲かせている者もいるのである。
「兄さん、師匠の落語を聞かないんですか?」
「どうせ、『二人旅』だろ? さんざん聴いたからもういいよ」

これが現実である。談志のその時の高座はその時だけなのに、「さんざん聴いたからもういいよ」と平然と答える愚かさ。
談志が高座にあがった途端、慌てて楽屋に戻って弁当を食べている前座がいた。芸人として向いていません。師匠の落語より弁当の方が大事だと思う感覚は、落語家として何かが麻痺(まひ)している。そんな連中が語ると落語が腐る。
私が落語をやっているときも、弟子の多くは駄話で盛り上がっていることであろう。私がにらんだところでは、前座のらく兵は、馬鹿の仲間になるまいと連中を無視しているはずである。

~「馬鹿になりたくない」~

落語界、それも立川流という閉じられた空間に入ったからには、それ相当の覚悟が必要だ。どこにでも馬鹿はいる。しかし、閉じられた特殊空間にいる馬鹿ほど怖いものはない。
馬鹿と群れた方が楽だ。でも自分がなんのためにその世界に来たのかを考えたら、楽な方を選ばず、初心を貫き通さないと、あっという間に、自分の目的も存在意義も見失うのである。

談志が落語協会から飛び出したのにはいろいろ理由はあったが、とどのつまりが「馬鹿になりたくない」であったと私はとらえている。

 

2010年5月26日