第二十二席 談志伝説

 

<FONT color="blue">【登場人物】
●立川談志……落語立川流家元、志らくの師匠
●高田文夫……放送作家。落語立川流Bコース(有名人コース)の真打ちで、立川藤志楼(たてかわとうしろう)として高座にも上がる。志らくを談志に紹介してくれた恩人でもある。
●立川談春(前座名・談春)……落語立川流真打ち、志らくの兄弟子
●立川志らく(前座名・志らく)……落語立川流真打ち、私</FONT>
師匠談志とのエピソードは山ほどあるが、よく私が高座でしゃべるのは、かなり脚色してあって、中にはまったくの創作もあり、今となっては何が事実で何が本当なのかもわからなくなってしまった。
<FONT color="blue">~骨壷と女~</FONT>
例えば骨壺(こつつぼ)事件。談春兄さんもこの話を方々でするが、私の記憶だと私しかその場所にいなかった気がする。談春兄さんはかたくなに「俺もいたぞ」と言うし、驚いたのは談幸兄さんまでもが「それは俺が体験したことだ」とおっしゃっている。私も記憶が曖昧(あいまい)で、談幸兄さんのエピソードど自分のエピソードを混ぜ合わせてひとつの話を作り上げたのか? いや、確かにあの女は来た。
覚えている限り事実を申し上げると、私がまだ前座のころ。夜、師匠宅に幸薄そうな女性が訪ねてきた。百万円払うから談志の『鼠穴(ねずみあな)』をさしで聴きたいとのこと。
師匠は「いい了見(りょうけん)だ」と了解して着物に着替えた。しかし落語をやる段になって女の様子がおかしい。大事そうに風呂敷(うろしき)包みを抱えている。談志が「それはなんだい」と尋ねると、母親の遺骨だと言う。「母は生前、談志の『鼠穴』が大好きだった」そうで、冥土(めいど)の土産に聞かせてあげたいとのこと。
談志はしばし考え、おもむろに口を開いた。
「あんた、噺(はなし)を聞いたら死のうと思っているんじゃないか?」
女は黙りこんでしまった。師匠は、
「そういうつもりならば落語をやるわけにはいかないよ」
そう言ってお金を返した。女は骨壺を抱えたまま消えていった。
とまあ、こんな話である。ただし、師匠と女の会話は聞いていない。たぶん、師匠から聞いたのか、あるいはこちらの想像か。「骨壺をもってやがったぞ」という言葉は間違いなく師匠から聞いたから、まあ、二人の会話も師匠から聞いたのだろう。
これ以外のことはすべて創作だ。たとえば、その後石神井警察署から「骨壺女を保護してます」という電話があったという。なぜ、師匠のところに電話がかかってきたかというと、骨壺に談志のサインがしてあった云々(うんぬん)。そんなわけがない。
<FONT color="blue">~麻薬犬~</FONT>
師匠を成田空港まで迎えに行った際、税関から出てきた談志がポケットからラップにくるんだくさやの干物を取り出した。「飛行機の中でこれで一杯やっていたんだ」と談志。たまたまその横を麻薬犬が通りすぎた。ただそれだけのこと。でも、「もしこの麻薬犬が師匠をかんだら面白いな」と想像した。 怪しい匂いがするからと麻薬犬が談志をかむ。麻薬捜査官が調べると、ポケットからくさやの干物が出てきた……。
この話を高田文夫先生にするとバカウケ。「志らくの談志師匠の話は本当に面白いな」と褒められた。先生がプロデュースした深夜のバラェティ番組「たまにはキンゴロー」に私が出演したときは、私の肩書きが「談志王」であったくらいだ。
後日、とある深夜番組を見て驚いた。その麻薬犬の話を高田先生がビートたけしさんにしゃべっているではないか。驚きはこれで終わらない。
とある週刊誌を読んでいたら、「噂」というコーナーで、「談志が成田空港で麻薬犬にかまれたらしい。しかし出てきたのはくさやだった」と書かれていた。
<FONT color="blue">~ロリコン~</FONT>
師匠談志は、芸能人の名前をいい加減に覚えていることがあり、例えば松村邦洋を「村松」。何べん言っても彼を「村松」と呼んでいる。以前、車だん吉を「タンク団吉」と言ったことがあって、こりゃ面白いと舞台でしゃべろうとしたら、今度は私が「タンク団吉」が出てこず、言うにことかいて、「爆発五郎」と言ってしまった。するとそれが受けて、以来、ずっと爆発五郎で通している。
なぎら健壱の名前も出てこなかったことがあるので、師匠ならばなんと間違えるか想像して、「兜三平」。めちゃくちゃだ。それを植木等さんの番組で師匠がゲストに呼ばれた際に、師匠の紹介の前フリということで、私と談春とでそのネタをやったらば、植木さんが驚いて、
「談志さん、弟子の今の話は本当なんですか」
と聞いた。師匠は冷静に、
「全部ウソです」
と答えた。そりゃそう言いますよね。師匠の前でやるやつもないもんだ。
「師匠はロリコンなんです」という話を談志の会の開口一番にやっていたら、師匠に雪駄(せった)を投げつけられたこともある。高座にいる私の後頭部を何かがこすった。「なんだろう」と舞台そでを見ると、ものを投げた直後の形をした師匠がそこにいたのでした。
師匠は立川流を設立した際、弟子から上納金をとるようになったが、その理由のひとつに、「弟子は俺の話題で飯を食ってやがる。金を払って当然だ」というのがあるのだが、しごくもっともな話でございます。
ただ他の弟子は、「談志はケチ」だとか、「怖い」とかばかりなので、私の方が数段、師匠孝行です……本当かね。

【登場人物】
●立川談志……落語立川流家元、志らくの師匠
●高田文夫……放送作家。落語立川流Bコース(有名人コース)の真打ちで、立川藤志楼(たてかわとうしろう)として高座にも上がる。志らくを談志に紹介してくれた恩人でもある。
●立川談春(前座名・談春)……落語立川流真打ち、志らくの兄弟子
●立川志らく(前座名・志らく)……落語立川流真打ち、私

師匠談志とのエピソードは山ほどあるが、よく私が高座でしゃべるのは、かなり脚色してあって、中にはまったくの創作もあり、今となっては何が事実で何が本当なのかもわからなくなってしまった。

~骨壷と女~

例えば骨壺(こつつぼ)事件。談春兄さんもこの話を方々でするが、私の記憶だと私しかその場所にいなかった気がする。談春兄さんはかたくなに「俺もいたぞ」と言うし、驚いたのは談幸兄さんまでもが「それは俺が体験したことだ」とおっしゃっている。私も記憶が曖昧(あいまい)で、談幸兄さんのエピソードど自分のエピソードを混ぜ合わせてひとつの話を作り上げたのか? いや、確かにあの女は来た。

覚えている限り事実を申し上げると、私がまだ前座のころ。夜、師匠宅に幸薄そうな女性が訪ねてきた。百万円払うから談志の『鼠穴(ねずみあな)』をさしで聴きたいとのこと。

師匠は「いい了見(りょうけん)だ」と了解して着物に着替えた。しかし落語をやる段になって女の様子がおかしい。大事そうに風呂敷(うろしき)包みを抱えている。談志が「それはなんだい」と尋ねると、母親の遺骨だと言う。「母は生前、談志の『鼠穴』が大好きだった」そうで、冥土(めいど)の土産に聞かせてあげたいとのこと。

談志はしばし考え、おもむろに口を開いた。

「あんた、噺(はなし)を聞いたら死のうと思っているんじゃないか?」

女は黙りこんでしまった。師匠は、

「そういうつもりならば落語をやるわけにはいかないよ」

そう言ってお金を返した。女は骨壺を抱えたまま消えていった。

とまあ、こんな話である。ただし、師匠と女の会話は聞いていない。たぶん、師匠から聞いたのか、あるいはこちらの想像か。「骨壺をもってやがったぞ」という言葉は間違いなく師匠から聞いたから、まあ、二人の会話も師匠から聞いたのだろう。

これ以外のことはすべて創作だ。たとえば、その後石神井警察署から「骨壺女を保護してます」という電話があったという。なぜ、師匠のところに電話がかかってきたかというと、骨壺に談志のサインがしてあった云々(うんぬん)。そんなわけがない。

~麻薬犬~

師匠を成田空港まで迎えに行った際、税関から出てきた談志がポケットからラップにくるんだくさやの干物を取り出した。「飛行機の中でこれで一杯やっていたんだ」と談志。たまたまその横を麻薬犬が通りすぎた。ただそれだけのこと。でも、「もしこの麻薬犬が師匠をかんだら面白いな」と想像した。 怪しい匂いがするからと麻薬犬が談志をかむ。麻薬捜査官が調べると、ポケットからくさやの干物が出てきた……。

この話を高田文夫先生にするとバカウケ。「志らくの談志師匠の話は本当に面白いな」と褒められた。先生がプロデュースした深夜のバラェティ番組「たまにはキンゴロー」に私が出演したときは、私の肩書きが「談志王」であったくらいだ。

後日、とある深夜番組を見て驚いた。その麻薬犬の話を高田先生がビートたけしさんにしゃべっているではないか。驚きはこれで終わらない。

とある週刊誌を読んでいたら、「噂」というコーナーで、「談志が成田空港で麻薬犬にかまれたらしい。しかし出てきたのはくさやだった」と書かれていた。

~ロリコン~

師匠談志は、芸能人の名前をいい加減に覚えていることがあり、例えば松村邦洋を「村松」。何べん言っても彼を「村松」と呼んでいる。以前、車だん吉を「タンク団吉」と言ったことがあって、こりゃ面白いと舞台でしゃべろうとしたら、今度は私が「タンク団吉」が出てこず、言うにことかいて、「爆発五郎」と言ってしまった。するとそれが受けて、以来、ずっと爆発五郎で通している。

なぎら健壱の名前も出てこなかったことがあるので、師匠ならばなんと間違えるか想像して、「兜三平」。めちゃくちゃだ。それを植木等さんの番組で師匠がゲストに呼ばれた際に、師匠の紹介の前フリということで、私と談春とでそのネタをやったらば、植木さんが驚いて、

「談志さん、弟子の今の話は本当なんですか」

と聞いた。師匠は冷静に、

「全部ウソです」

と答えた。そりゃそう言いますよね。師匠の前でやるやつもないもんだ。

「師匠はロリコンなんです」という話を談志の会の開口一番にやっていたら、師匠に雪駄(せった)を投げつけられたこともある。高座にいる私の後頭部を何かがこすった。「なんだろう」と舞台そでを見ると、ものを投げた直後の形をした師匠がそこにいたのでした。

師匠は立川流を設立した際、弟子から上納金をとるようになったが、その理由のひとつに、「弟子は俺の話題で飯を食ってやがる。金を払って当然だ」というのがあるのだが、しごくもっともな話でございます。

ただ他の弟子は、「談志はケチ」だとか、「怖い」とかばかりなので、私の方が数段、師匠孝行です……本当かね。

 

2010年5月 7日