落語家になって25年。これまでさまざまな状況で落語をやってきた。今回は悲惨な落語会についてお話をしよう。
まずは客が少なかったエピソードから。
平成7年に真打ちに昇進をした。披露目(ひろめ)の会は有楽町マリオンの朝日ホール。800人の客に見守られながらの晴れやかな会だった。一方、同じその年に、広島で催された落語会。
1000人入る体育館が会場で、客が10人。
その10人が散らばって座っているものだから、居るのか居ないのかわからない。結局、パイプ椅子(いす)を片付けてゴザを一番前に敷き、客を横一列に座らせた。
もはや落語会という雰囲気はなかった。まるで時代劇のお白州(しらす)である。客は下手人(げしゅにん)であった。
私はそれでも懸命に落語を語っていたが、実は私は近眼。高座ではコンタクトを入れていない。落語を語っていて実に違和感があった。確かに客は10人。しかし目を細めて勘定してみると、1人は犬であった。人間に挟まれて犬が座っていたのだ。10人のうち人間は9人であとの1人は犬。犬は、落語の途中で吠(ほ)えながら出ていってしまった。
私は落語会が終了してから、会の責任者に苦情を言った。
「客が少ないのはいいのですが、犬は勘弁してください。落語の途中でワンワン吠えてうるさくてやりづらかったですよ!」
すると、責任者はこう返答した。
「あの犬はワンワン吠えていたのではありません。志らくさんの落語にウケていたのです」
......嘘つけ!
遊園地の野外ステージで落語をやったときのこと。その催し物は、さまざまな演芸が登場する内容だった。曲芸、マジック、ダンスショウなどなど。私の出番の前の出し物が、なんとポリネシアンショウ。裸の男女が何人も飛び出してきて、太鼓のリズムに合わせて松明(たいまつ)を振り回すのだ。会場は大盛り上がり。
これが済んで私の登場。落語だから地味である。ポリネシアンショウの後に、三味線の音にのって着物姿の男がちょこちょこ出てきて座布団(ざぶとん)に座って「えー」なんて話をしたって、だれも聴きません。
ましてや、その会場は、客席とステージの間に3メートルぐらいの池があり、私が落語をやっている最中にカップルを乗せたボートが横切りやがった。
デパートの売り場で落語をやってこともある。まだ駆け出しのころの話だ。商品ケースの上に座布団を置いて、その上に座って小噺(こばなし)をやりつつ商品の宣伝をするのだ。実に恥ずかしい。
それ以上に恥ずかしかったのが、登場のときだ。落語家だから出囃子(でばやし)が必要だということになり、まさか店内放送で出囃子を流すわけにもいかず、登場する私がラジカセを片手に出囃子を流しながら歩いてくるのである。買い物客は、危ない人物だと思い、皆私を避けながら通り過ぎたのであった。
結婚式で落語をやったことも何度かある。一番悲惨だったのが、新郎新婦が結婚の記念に、「志らくさんの落語を結婚パーティでどうしても聴きたい」と言ってきて、そこで落語をやらされたことだ。私は来賓(らいひん)に背中を向けて、高砂(たかさご)の席にいる二人に向かって落語を語ることになった。
当然、来賓は面白くもなんともない。勝手に飲み食いをしている。新郎新婦も騒ぐ来賓に気が気ではなく、結局彼らもちゃんと落語を聴かず、なんのために私は落語を語っているのか、不思議な気分になった。
「引き出物として志らくさんの落語を客に聞かせたい」という結婚式もあった。客はいい迷惑だ。夫婦茶碗(めおとぢゃわん)でももらえるのかと思いきや、落語だ。落語というものは引き出物すべき芸能ではありません。
焼肉屋の宴会で落語をやらされたときもひどかった。私が落語を始めたとたん、客がいっせいに肉を焼き始めた。ジュージュー、うるさくて落語どころではなかった。
これらの経験をふまえて、今日の私は、ちゃんとした状況でしか絶対に落語をしないことにしている。
ただ、ニューヨークで落語をやったときは困った。ちゃんとした状況での落語会ではあるが、客はアメリカ人だ。言葉が通じない。
吹き替えにしてもらおうかと思ったが、落語を吹き替えにしたら私の存在意義がなくなる。英語で落語を語る落語家もいるが、ナンセンスなことで、ネイティブな英語を喋られない落語家が英語で落語を語れるはずもない。そこで私はスクリーンを出して字幕で落語をやった。スイッチチャーが、私が上下を切るたびにスイッチングをするのである。
これには欠点があった。一切アドリブができないのである。少しでも上下を切る順番が変わったら、字幕がずれてしまうことになる。ただただ演じていて、くたびれただけの高座であった。
手話の通訳の人が横について落語をやったこともある。手話をやる人に「あらかじめ練習をした方がいいですよ」とアドバイスしたが、同時通訳と同じで、「ぶっつけ本番で大丈夫だ」とぬかしやがった。
私の落語はとにかく早い。ぶっつけ本番で同時通訳ができるはずがない。やれるものならやってみろと、私は一切手を抜かず、いつも通りに落語を語った。手話の人は、私の落語についてこれず、途中で断念しておりました。
最後に、近眼ゆえの私の悲劇を一つ。
自分の師匠が落語を舞台そでで聴いていると、最高に緊張するものである。談志が舞台そでにくるとそのオーラで高座にいる弟子は師匠の存在に気がつく。
あるとき、客席の一番前に談志が座っていたことがあった。私の緊張はピークに達した。師匠が客席に座って弟子の落語を聴く何てことはまずない。それも一番前だ。私はどきまぎしてしまい、生涯で最低の落語を演じてしまった。
高座をおりて、眼鏡をかけて客席をのぞいてみて腰がぬけた。そこにいたのは談志ではなく、ただのおばちゃんだった。
カチューシャのようなものを頭につけていたのだが、近眼の私には、それが、談志のトレードマークのバンダナに見え、べっ甲の眼鏡がサングラスに、袋菓子をつまんでいる姿が談志特有の、上下に手を動かす仕草に見えてしまったのだ。
ただのおばちゃんに緊張して、私の落語がメロメロになってしまったのでした。