日本語は難しい。こんなに難しい言語をしゃべる日本人が英語をしゃべることができないはずがない。にもかかわらず、英語をしゃべることができる日本人が少ないということは、いかに学校の英語教育がひどいかということだ。
私は落語家だから海外に行った時、実に苦労をする。言葉をつかさどる仕事をしている人間が言葉を取られてしまうからだ。
ロスの空港の税関で指紋をとられたことがあるのだが、空港職員が私になにを求めているのかがまったく分からなかった。以前ニューヨークに行った時は指紋をとるなんということはなかったので、かえってとまどってしまった。
職員は、手を出せ、指紋を押せ! と言っていたのだが、私はただただ笑みを浮かべて「Yes Yes」とだけ繰り返していた。痺(しび)れを切らした職員が私の手をつかむと、無理矢理指紋を押させたのであった。その姿はほとんど犯罪者である。
そのことがトラウマになった。ラスベガスでのフードコートでのこと。オニオンリングを注文したのだが、店員が私に携帯電話ほどの機械を目の前にさし出し、なにやら言っている。何と言っていたのかというと、オニオンリングができたらこの機械のランプが点滅するからここまで取りに来い、うんぬん。
私はそのシステムを知らなかったので慌てふためき、その機械に思わず指紋を押してしまったのだ。フードコートで指紋を押したのは私ぐらいのものだろう。
近ごろ、落語を英語でしゃべって外人に聞かせている落語家がいるが、恥ずかしい。ネイティブな英語をしゃべられないのに、落語の面白さを表現できるはずもない。
私もニューヨークで落語会を開催したことがあったが、英語でしゃべるのは無理なので、吹き替えにしようかどうしようかと真剣に悩んだ。でも、落語を吹き替えにしたら私の存在意義はない。ただ座布団に座って口をパクパクさせているだけでは、いくらなんでもみっともない。
そこでスクリーンをおろして字幕でやることにした。私の落語をあらかじめ英語に翻訳して、スクリーンに字幕を出すのだ。当然、これにはスイッチャーがいるわけで、私が上下(かみしも)を切るのを合図にスイッチングをする(「上下を切る」は、顔を右に向けたり左に向けたりすること。落語では複数の登場人物を演じるため、このような動作をする)。
しかし、私が本番で、アドリブで......と言ったって、「おう」とか「え?」程度のセリフをはさんだだけなのだが、上下を切ったがために、スイッチャーがわけがわからなくなり、結果、聴いている外人もパニックになってしまった。
そもそもアメリカ人には字幕を見るという習慣がない。そんな器用なことはできないのである。だからあちらで上映される外国映画は、基本は吹き替えである。
それに昔のハリウッド映画を観ると、フランス人だろうがロシア人だろうが、平然と英語でしゃべっている。ひどいのは戦争映画。敵国のドイツ兵が英語でしゃべっているのだ。「ニュールンベルグ裁判」なんという映画は、裁判の場面で最初のうちはドイツ人はドイツ語をしゃべっているが、途中から全員英語でしゃべりだすのだ。ならば、最初から英語にしとけ。
アメリカで日本映画が上映されるときの吹き替えで、笑ってしまうことが多々ある。任侠映画によく登場する「おひかえなすって」は吹き替えにすると「ハウドゥユードゥ」。これしか適当な言葉がないそうだ。
日本語は実に多彩。たとえ(比喩)を使った表現も多いが、その分、間違える日本人も多い。
仕事に遅く来た人に向かって、「今ごろ来たのかい? まるで重役出勤だね」なんと言うことがあるが、ある人がそれを言い間違えて「今ごろ来たのかい、まるで大名行列だね」と言ってしまったのを聞いたことがある。
「それじゃあ、まるで裸の王様だよ」というのを「まるで裸の王様の耳だよ」と言ったやつもいた。「裸の王様」と「王様の耳はロバの耳」とが混ざってしまったのだ。
「余は満足じゃ」という殿様のセリフを「余は五体満足じゃ」と、健康状態まで言及してしまった人もいる。
私の妻の友人がAV女優のスカウトマンをしていて、それを自慢げに吹聴しているというから、「注意してやれ」と私は妻にアドバイスした。
「AVのスカウトマンってぇのはね、昔で言うところの吉原(よしわら)の女衒(ぜげん)なんだからね」
妻はその友人に「私の亭主が言ってたわ。AVのスカウトマンって、昔でいうところのゲシュタポよ!」。
妻が高校生のころ、学校で狂言鑑賞会なるものが開催された。妻は狂言がなんであるかわからず、言葉から連想した。狂言......狂う言葉......なるほど、頭のおかしい人の芝居に違いない。
そして本番。狂言である。あの独特のしゃべり方を聞いて、本当に頭のおかしい人たちが懸命に芝居をしていると思い、心の中で「頑張れ!」と応援してしまったそうだ。
また妻は、ひょっとこを妖怪の一種だと思っていたし、福助を七福神のメンバーだと思っていた。
さらに妻は、白黒の写真やフイルムを見て、その時代の世の中に色はないと思い込んでいた。私がいつから色がついたんだよとたずねると、「昭和三十年代の後半から徐々に......」。
最後に、私の失敗談。バーでの出来事。ママに「志らくさんって左側から見るといい男ね」と言われ、「口がうまいんだから!」と言うべきところを「口ほどにもない!」......侍みたいな口調になってしまったのであった。