【登場人物】
●立川談志......落語立川流家元、志らくの師匠
●朝寝坊のらく(前座名・談々)......故人。落語立川流落語家、志らくの兄弟子
●立川文都(前座名・関西)......故人。落語立川流真打ち、志らくの兄弟子
●立川談春(前座名・談春)......落語立川流真打ち、志らくの兄弟子
●立川志らく(前座名・志らく)......落語立川流真打ち、私
~ハブとマングース~
「談春師匠は怖い」
これが立川談春に対する若手落語家の共通の見解だ。
「志らく師匠は談春師匠のこと、怖くないんですか?」
と聞かれたこともある。私の答えは、
「全然怖くないよ。むしろ向こうが怖がっているんじゃないの? なにをしでかすかわからない野郎だとね。まあ、ハブとマングースの関係だよ」
~「おはよう」と言うのが恥ずかしい~
談春兄(あに)さんは本来は実に優しい人だ。そしてものすごく他人に気を使う。打ち上げで飲んでいるときなんか、談春兄さんは全員に気を使う。皆ちゃんと飲んでいるか、食べているか、退屈はしていないだろうか、終電に間に合うかどうか。そのことを普通に表現したら、立派な旅行ツアーの添乗員になれる。
でも彼は気を使っている自分に照れて、わざと乱暴に振舞う。
「もう帰ぇればいいじゃねぇか。終電がなくなるんだろ、おい、ぐずぐずするな!」
朝、会うと「おはよう」と言いながら私の膝(ひざ)を蹴(け)ってきたこともある。「おはよう」と言うのが恥ずかしいのである。
~呼ぶのが照れくさい~
初対面の人を含めたグループでカラオケに行ったとき、女性タレントが私にクレームを付けてきたことがあった。
「談春さんってどんな人なんですか!? 今日はじめて会ったばかりなのに、おい、そこの女! と言われました」
何々チャンと呼ぶのが照れくさい。だから「そこの女」になるのだ。
~天国の志らく、地獄の談春~
とある落語会に呼ばれた談春兄さんが、終演後、そこの主催者を楽屋に呼びつけて1時間にわたって小言(こごと)を言ったそうな。私が同じ落語会に呼ばれたとき、主催者が談春兄さんのことで愚痴をこぼしてきた。
「志らく師匠と談春師匠とでは、まさに天国と地獄ですよ。本当に談春師匠はおっかなかった」
私は「柳に風」のところがあって、どんな悲運な状況でもそれを笑い話としてうけとめ、まず文句を言うことはない。よほど腹が立ったときは、所属事務所のマネージャーや社長に言いつけて、クレームをつけさせるか、あとは高座で文句を言うか、ブログで文句を書くか。陰湿なのである。
以前、これは落語会ではないが、妻と温泉旅行に行ったときの話。ある旅行会社に海外旅行の際、お世話になったのだが、向こうの手違いで朝食がつかなかった。そこで旅行会社がお詫びのしるしにと、国内旅行をプレゼントしてくれたのだ。
だが、その旅行で使ったホテルが最悪。テレビのコマーシャルで有名なホテルなのだが、夕食のひどいこと。オーダーバイキングで、そのメニューをみて呆(あき)れた。寿司に天ぷらはいいとして、カレーライスにソース焼きそば。海の家じゃあるまいし。そのどれもがまずい。ケタ外れにまずい。
でもその場では文句を言わず、部屋に戻ってから所属事務所に電話してすぐにクレームをつけてくれと頼んだ。それだけでは飽き足らず、私が連載している「キネマ旬報」のコラムにホテルの名前がだれでもわかるようにして文句を連ねた。映画のコラムだというのに、無理矢理映画と結びつけてホテルを攻撃してやった。
何が言いたいかというと、談春兄さんだったらそんなことはしない。その場でレストランの店員に文句を言い、旅行会社に怒鳴り込んでいたであろう。そうなると、ホテルの人は「談春という落語家は怖い」、旅行会社も「あの人はヤクザではないか」とびびるであろう。
でも本当に親切なのはどちらか。志らくよりも談春なのである。
どちらが本当に怖いかというと、談春よりも志らくとなる。
実は志らくは魔太郎ではないかと自分で思っている。藤子不二雄のマンガのね。私の悪口を言うと、その人は病気になるというジンクスがあるぐらいだ。それに私が怒ると、その対象者が必ずと言っていいほど病気になるのだ。ひどいときには死んだりする。私の妻の昔の恋人が、妻にちょっかいをだしてきたことがある。私は怒り狂った。すると、数日後、男は病気になり、記憶喪失になってしまったのだ。さらに、妻をくどこうとした男は、私の怒りをかった数日後、交通事故で死んでしまった。
「志らくの監督した映画は立川キウイの落語よりひどい」と言った快楽亭ブラックさんは、自身が脚本を書いた映画の撮影中、骨折をする事故に巻き込まれ、病院に搬送される際に「志らくの呪(のろ)いだ!」と叫んだらしい。ブラックさんは、その事故から数年の後、借金問題で立川流から除名になっている......。
志らくの話はいい。自分で書いていて恐ろしくなってきた。ついでにいうと、夫婦喧嘩をすると翌日、100パーセント、妻は高熱を出してしまう。歩道を歩いていて、あまりに自転車が危険な運転をしていたので、怒りを込めて小声ではあったが「自転車は車道を走れ!」と言ったとたん、5~6台の自転車が車道に飛び出していったことがある。一緒にいた妻がギャッと言った。だから私の話はいい。
~江戸っ子の照れ~
談春兄さんの性格は江戸っ子そのものである。乱暴は照れの裏返しなのだ。ただあまりに虚勢を張りすぎて、誤解をうけることもしばしば。自叙伝『赤めだか』の爆発的なヒット以降、落語界では談春ブームが巻き起こり、東京で一番チケットのとりづらい落語家になった。そこで謙虚にしていればいいのに、吠(ほ)えまくる。
「談春の野郎、ぶっ飛ばしてやる!」。
入院中の談志が私に会うなりそう言いはなった。体調を崩し大学病院に入院している師匠を私が見舞いに行った。するとおかゆを食べていた師匠がそう言って怒るのだ。
「あのな、談春のやつ、120万の仕事を断りやがったんだ。どんな理由があるか知らねぇが、腹が立ってな。俺が代わりに出てやる。それで、やつにどんな仕事があろうが、会場にこさせて俺の前座をやらせる。開口一番をやらせて、高座かえしをやらせる。ただでな」
実はこれは師匠の誤解だった。その仕事はギャラはいいが、落語をやるにはあまりいい状況ではなく、師匠のマネージャー(師匠の息子)が間に入って、断るつもりだったのが、先方が談春兄さんに電話をしてしまい、それで談春兄さんが断ったがために、それがストレートに師匠の耳に入り、とんでもねぇ野郎だ、となったのである。
売れてきて、ほうぼうで大きなことを言っていることが師匠の耳にも大かれ少なかれ入り、それで誤解を招いてしまったのだろう。
「談春は怖い」と思っているその大概が誤解であると私は思う。でも談春兄さんに言わせれば、怖かろうがなんだろうが、仕事が山のように入ってきて、ファンが押しかけてくるのだから文句はねぇだろうってことになる。
~気遣い~
二人でタクシーに乗ったときのこと。名古屋の松坂屋落語会に向かうため、新幹線を降りた談春と志らくはタクシーに乗った。会場の地図は志らくがもっていた。
「運転手さん、松坂屋に行ってください。デパートの正面入り口ではなく、従業員の入り口なんです。これが地図です」
するとタクシーの運転手は愛想の悪い人で、「え? 従業員の入り口って......」とつぶやいて黙ってしまった。志らくが差し出した地図を見ようともしない。私は仕方なく地図を運転手の横に置いた。
「......おい、どこに行くのかわかっているのか!」
談春がすごみながら言った。運転手は無言のまま。
「おい。地図を見なくても行き先がわかるのかよ」
「松坂屋でしょ」
「だから行き先はわかっているのかって聞いているんだよ。おい、地図を見るのか見ねぇのか。こいつ(志らく)が渡したんだぞ」
慌てて運転手、地図を見出す。
「......やっぱり見ないと行けねぇんじゃねぇか」
「いや、確認を」
「うるせえ! ぐずぐず言ってねえで、そこに行け!」
「兄さん、およしよ。松坂屋の従業員の入り口はわかりづらいところにあるんだから。あのう、運転手さん、正面の入り口のたぶん、真後ろあたりになると思いますから、よろしくお願いします」
一見、乱暴な人だが、談春兄さんは志らくに気を使ってくれていたのだ。志らくが地図を出したのに運転手は無視をした。これでは志らくがかわいそうだ、こういう態度の運転手はけしからん、これは叱(しか)るべきだ、とこうなったのだ。
(つづく)