第二十三席 談志の教え(1) ミュージカル

【登場人物】
●立川談志……落語立川流家元、志らくの師匠
●立川志らく(前座名・志らく)……落語立川流真打ち、私

~ミュージカル好きの談志~

師匠の影響でミュージカル映画を観るようになった。それまでは映画マニアではあったが、ミュージカルは苦手だった。何しろ最初に観たミュージカルが「サウンド・オブ・ミュージック」なんだもの。不自然な映画で、なんだこりゃと子供心に笑ったものだ。
歌嫌いなおやじが女中に惚(ほ)れてしまい、いきなり「エーデルワイス」を歌いながら口説く場面の間抜けさときたらない。なんだ、歌好きなんじゃないか! 
その後観たのが「ウェストサイド物語」。いずれもロバート・ワイズ監督の名作。今観るとなぜ名作なのかはわかるが、当時の私にはこれらの世界が滑稽(こっけい)に見えてならなかった。ジョージ・チャッキリスがチンピラのくせに、バレーダンサーみたいに足をあげて道端で踊ってやがる。変質者かと思った。
談志の弟子になって、師匠がミュージカル好きだと知り、それでようやく本物のミュージカルに出会えた。「雨に唄えば」「イースター・パレード」「ショウ・ボート」「巴里(パリ)のアメリカ人」、みな談志に教わったミュージカル映画だ。まさに夢の世界。街中でいきなり歌ったり踊ったり、が不自然な感じがない。
「サウンド・オブ・ミュージック」との違いは、粋(いき)さである。「サウンド・オブ・ミュージック」も楽しい世界ではあるが野暮(やぼ)なのだ。落語も同じで、客には人気があり大いに面白いが、まったくこちら側からすると評価の対象にすらならないという落語家がいる。野暮だから嫌なのだ。
誰? 言わないよ。喧嘩(けんか)になるから。
以前、『全身落語家読本』という自著で、落語家を乗り物にたとえた。談志が新幹線で志ん朝師匠がブルートレイン。時代遅れの落語家を駕籠屋(かごや)。小さん師匠のことを愛情を込めてSL。すると、ある先輩落語家が激怒して、談志に向かって、
「志らくが小さん師匠の悪口を言いやがった。殴っていいですか」
と言った。すると談志は、
「好きにしなよ」
あららら。以来、その落語家との遭遇を避けているが、あるとき、とうとう同じ落語会に出演する事態に陥った。私がトリでその人が中トリ。年季から言えば私が中トリのはずなのだが、私の都合でそのような順番になってしまった。ただでさえ「殴ってやる」と息巻いているところに、志らくにトリのポジションまで奪われたら、これは何をされるかわかったもんじゃないと、私は恐怖におののいた。
で、どうしたかというと、その先輩が高座にあがっているときに会場入りをして、その様子をモニターで見て、彼が落語を終え、帰ったところを見計らって、ゆうゆう楽屋入りをしたのでした。だらしがないね。
なんの話だ? ミュージカルだった。

~談志が号泣した夜~

粋なミュージカルは、雨の中で踊ろうが、恋の告白のときに歌おうがまったく変じゃない。感情のデフォルメである。そして優れたミュージカルはとにかく楽しい。
ロバート・ワイズは確かに映画史に残る傑作ミュージカルをこしらえたが、ミュージカルに悲劇や思想を入れてしまった。「ウェストサイド物語」は「ロミオとジュリエット」がベースであり、「サウンド・オブ・ミュージック」は戦争批判である。よって、これ以降のミュージカル映画はみなその形が主流になり、夢の世界のミュージカルは崩壊したのである。
もうひとつ付け加えると、ミュージカル映画の主役は、人間ワザと思えないくらいの素敵なダンスを見せてくれる。
ミュージカル舞台のヒット作品「マンマ・ミーア!」が映画化されたが、昔ながらの楽しいミュージカルではあったが、いただけないのがメリル・ストリープのダンスだ。彼女にしたら頑張っている方だよ、と人はいうが、「頑張っている」ダンスなんて見せられたらたまらない。
藤原紀香がミュージカルに挑戦! なんてことが話題になったことがあるが、挑戦なんてしないでいただきたい。踊れないやつはミュージカルをやるな、である。

ミュージカル映画の最高傑作「雨に唄えば」の最大の欠点は、ヒロインのデビー・レイノルズのダンスが主役のジーン・ケリーと釣り合わないことである。私はデビー・レイノルズの大ファンではあるが、あの役をジュディ・ガーランドが演じたらすごいことになっていたと思う。しかし、映画としてはデビーの可憐(かれん)さが効果的で、彼女が踊れない分、後半にシド・チャリッシが見事に踊ってバランスをとってくれている。いつの間にかミュージカル談義になってしまいました。

談志が一番好きなミュージカルスターはフレッド・アステア。アステアが亡くなった晩、師匠は号泣(ごうきゅう)した。飲み屋でヘベレケに酔っぱらって、「アステアが死んじゃったよぉ」と泣いていた。 泣きながら帰りの車に乗り込む師匠の足取りが、かすかにタップを踏んでいたのを私は見た。そのことに気が付いたのが私だけというのが、ちょっこっと誇らしいのです。

2010年5月17日