【登場人物】
●立川談志......落語立川流家元、志らくの師匠
●高田文夫(立川藤志楼)......放送作家、落語立川流Bコース(有名人コース)真打ち
●立川談春(前座名・談春)......落語立川流真打ち、志らくの兄弟子
●立川志らく(前座名・志らく)......落語立川流真打ち、私
駆け出しのころ、談春と志らくはのべつ一緒にいた。2人で町のゲームセンターに行って野球ゲームで対戦をしたり、ビリヤードで勝負したり、時には金魚すくいに行ったり。
ビリヤードをしながら談春兄(あに)さんがつぶやいた。
「俺の方が売れているぜ」
「何で?そんなことはないでしょ」
「今月は俺の方が仕事が多いじゃないか」
「それと売れているとは違うと思うんだけど」
「馬鹿、仕事が多いほうが売れているというんだ」
「俺が言う売れているというのは人気のことなんだけど」
「うるせぇよ!」
~張り合う2人~
つまらないところで張り合っていた。2人がそこそこ世間に認知されるようになったころ。競艇好きの談春兄さんが競艇ツアーを開催した。知り合いを集めて貴賓室で談春のアドバイスのもと、船券を買うのである。
談春兄さんは競艇の世界では顔が知れわたっている。競艇のテレビ番組にもレギュラー出演をしていたぐらいだ。競艇場のレストランに行くと、誰もが「あっ、談春だ」と振り返る。「あっ、志らくだ」という人は皆無だ。
談春兄さんは得意満面の表情だ。「これが人気ってもんだ」とうそぶく談春。志らくは我関せずで通す。貴賓室では1000円からしか船券を購入できない。志らくは貴賓室から出て、一般の窓口で100円で買う。そして焼き鳥だの煮込みだの、安い食い物を買っては貴賓室に戻ってくる。
最初のうちは守衛もあいさつをしていたが、しまいには無視するようになった。貴賓室にはジュースの販売機が設置されていて、これがただ。喜んだ志らくは、まわりの仲間とジュースを飲みまくり、貴賓室始まって以来、レース終了前にジュースが終了になってしまった。
談春は競艇場に対して申し訳ないと気を使う。志らくは我が道を行くでまったく気にしない。
競艇が終わって、数人の仲間で居酒屋に入った。すると店員が私の顔を見るなり「師匠、今日はおしのびですか?」と尋ねてきた。談春の顔を見ても反応はなし。談春兄さんが驚いて、
「おい、あいつ、志らくの知り合いか?」
「いえ、初めて会いましたよ」
「競艇場では人気で負けたが、居酒屋では勝利した」と美酒に酔う志らくであったが、何年たっても相変わらず低レベルなところで競う2人であった。
~簡単に許す人~
談春兄さんがまだまだ低迷していたころ、とある落語会で私が、
「談春さんという落語家がいまして、この人がね......」
とマクラでしゃべったのを聞いて、談春兄さんは怒った。
「談春さんという落語家がいて、なんていわなくたって、客は俺のことを皆知っているよ!」。
談春兄さんが書いてベストセラーになった『赤めだか』がテレビ番組の「王様のブランチ」で取り上げられた際、談春兄さんが、
「志らくという落語家が僕の宿敵で」
と発言をした。これを聞いた志らくがマネージャーに怒りをぶつけた。
「志らくという落語家って言い方があるかい。本は売れたかもしれないが、世間的には映画のコラムを書いたり、方々で連載をもっている志らくの方が知名度はあるじゃないか!」
だからどうしてそんなことで競うのか!
志らくが『雨ン中の、らくだ』を出版して、その出版記念の落語会に談春兄さんにゲストで出演してもらおうと、マネージャーがコンタクトをとった。すると、談春が「出演するメリットはあるのか」という返答。たしかにあまりメリットはない。私は談春兄さんの携帯電話の留守電に詫びのメッセージをいれた。
数日後、私の弟子が教えてくれた。
「談春師匠が仰っていましたよ。志らくの野郎、方々で『赤めだか』に書かれていることは嘘だと言いやがって、それでよく出版記念の会に俺を呼ぶよ。これはもうケンカだなと思ったが、電話で詫びてきたから許すことにした」
これが談春という人なのだ。簡単に許すのである。
~最後まで2人は一緒~
文都兄さんが亡くなって、そのお別れの会で、談春兄さんは遅れてきた。2人の共通の知人である東北電力の渡辺くんが、談春兄さんのそばに行き、
「志らくさんがいますよ。そばに行かないんですか?」
と聞くと、
「なんで、俺があいつのところにあいさつに行かなきゃいけねぇんだ。あいつが後輩なんだから、あいつから来るべきだ」
と談春兄さんは憮然(ぶぜん)としていたそうだ。しかし数分後、気がつくと談春兄さんは志らくの横にきていて、
「お前の羽織の紐(ひも)の結び方、そりゃなんなんだ。不祝儀なんだからそれらしく結べよ」
と小言を言い始めた。それから最後まで2人は一緒にいた。
~「談春さんと志らくさんは仲が悪いんだね」~
『赤めだか』の元になった雑誌の連載を読んだ私は、あまりに志らくの記載に作り話があったので、楽屋で談春兄さんを責めた。
「兄さん、どうして嘘ばっかり書くの? 親から借りた上納金をパチスロですったなんて話はなかったよ」
「おい、お前だってコラムを面白おかしく書くだろ。それと同じだよ。それにな、どこにこの文章は事実ですと断りが入っているんだ?」
「あのね、それならば実名で書かないでよ。名誉毀損(めいよきそん)で訴えたら俺が勝つよ」
「じゃあ、訴えろよ」
周りにいる弟子たちは恐怖にふるえているが、2人はそんな会話を楽しんでいるのだ。
以前、2人が楽屋でなじり合っているのを聞いた小朝師匠が、
「本当に談春さんと志らくさんは仲が悪いんだね。聞いていて怖かったよ」だって。
~『赤めだか』が原因で破門騒動~
『赤めだか』が出版されて、志らくは師匠に破門されそうになった。『赤めだか』の中で、師匠談志が大切にしてるライオンのぬいぐるみのライ坊を志らくがいじめて、腹から綿が出てしまったから、腹巻をつけてごまかしていた、と書いからだ。
師匠が「なんでライ坊が腹巻を締めているんだ」と志らくに聞いたら、志らくはしゃーしゃーと「ライ坊が風邪をひかないようにと思ってやりました」と答えた。すると師匠が、「そうかありがとう」と礼を言った......うんぬん。
これを読んだ談志が、
「志らくを破門する!」
と激怒したのだ。
実はこれはネタである。立川ボーイズの漫才用に志らくが作ったものなのだ。実際は談志が「これはドイツで一目ぼれをして買ってきたライ坊というんだ。可愛がっているんだから、いじめねぇでくれ」と言っただけだ。談志の口から「ライ坊をいじめねぇでくれ」と出たことがあまりに面白かったので、それをふくらませてしゃべっただけだ。
談春兄さんからすぐに詫びの電話が入った。
「お前に迷惑かけてごめんな。あれはネタですと師匠に言っておいたから、大丈夫だよ」
私は念のため、師匠のところに行き、「談春兄さんは嘘つきですから信用しないでください」と訴えたのであった。
~仕返し~
「談春がな、俺の『子別れ』で作ったクレヨンのフレーズをぱくりやがった! このフレーズは、談志が何年もかけてたどり着いて出てきたものだ。それを簡単にぱくりやがって。あいつは俺の『芝浜』でもなんでもすぐにパクるだろ。ならば『やかん』や『金玉医者』をぱくってみやがれってんだ」
師匠がレギュラー出演をしていったMXテレビの収録現場での言葉だ。
普通だったら、「師匠、まあまあ」となだめるべきなのだが、
「談春兄さんは『短命』も、師匠のギャグを全部ぱくってやっていますぜ」
とちくる志らくであった。
実は、これは仕返しであった。談志・談春・志らくの会が有楽町の読売ホールで開催されたことがあった。会の数日前に横浜のにぎわい座で私が独演会をやっていると、談春兄さんが楽屋に訪ねてきた。
「今度の三人の会、お前、なにやるつもりだ?」
「私は『抜け雀』をやろうかなと」
「馬鹿だなお前は。『抜け雀』は志の輔兄さんの十八番だぞ。比べられちゃうよ。お前、『子別れ』の下(げ)をやれよ。俺が上(じょう)をやるから。リレー落語にしたら客も喜ぶぞ」
私はその考えに従うことにした。しかし談春兄さんは、私の弟子に、
「俺が『子別れ』の上をやったら、客は志らくの『子別れ』の下なんか聞いちゃいられねえよ」
と言っていたらしい。
当日、会場は満員。1300人の客が入った。かなりマニアックな客がきていたが、なかにはあまり落語を聴いたことがないような客もたくさん来ていた。そこで談春が『子別れ』の「上」を熱演してもこれは難しい。
というのも、「上」は落語の美学の塊のような噺(はなし)で、初めて落語を聴く人にはあまり面白い作品ではないのだ。そこへくると「下」はドラマティックな展開があり、笑いあり涙ありで得な噺なのだ。
談春の『子別れ』の「上」の客の反応はいまひとつ。しかし志らくの『子別れ』の「下」は大いに受けた。
楽屋に戻ると談春兄さんは、
「へへへ、なんだか今日は志らくをひきたてるための会だったなぁ」
と悔しそうに吐き捨てた。
仲入り後、師匠が高座にあがるとき、
「お前ら、『子別れ』をやったのか。俺が近ごろ、『子別れ』をやっているのを知っているな」
と少々おかんむりの表情でそう言った。つまり、「俺が『子別れ』をやっているのに、よく俺の前で平然と『子別れ』を演ずることができるな」という師匠の小言である。
私は「申し訳ございません」と頭を下げたが、談春は、
「下をやったのは、志らくですから、へへへ」
と笑いながら師匠に言った。
おいおい、自分が『子別れ』をやろうともちかけたくせに、ひどい話である。
だからその仕返しをMXテレビの際にしたのである。
しょうがない2人だこと!
(つづく)