第十席 電車の中の大人

 近ごろの大人は若者に小言(こごと)をいわない。昔は町内にひとり雷オヤジなるものがいて、悪ガキをつかまえては怒鳴りつけた、なんて言われている。
 現在では、電車の中で騒ぐ若者に意見をして、あべこべに殴られてしまったという話も聞く。大人が怖くないから子供は大人をなめる。大人をカッコイイと思えないから、子供はいつまでたっても大人になろうとしない。

 私の師匠談志は数少ないカッコイイ大人である。電車の中でうるさい若者がいると平気で怒鳴りつける。以前、談志が自分の母親と電車に乗ったときのこと。学生が脚を広げて、7人がけのところを4人で占領していた。師匠の母親を見ても彼らは席を譲るどころか、詰めようともしなかった。そこで談志は怒鳴った。
 「俺のおっかさんが座るんだから、お前ら、全員立て!」  若者はびっくりして直立不動になって、席を譲った。

 やはり電車の中。若い母親が騒ぐ幼児をほったらかして、友達とおしゃべりに夢中になっていた。乗客の大半がこの子供に辟易(へきえき)していた。
 談志は最初のうちは子供に向かって「静かにしなさい」と注意していた。しかし子供は騒ぐのをやめない。談志の言葉は母親の耳にも届いているはずである。談志はその母親に向かって怒鳴った。
 「そのガキ、絞め殺せ!」
 その母親もずいぶんと驚いたことだろう。慌てて我が子を抱きしめていた。そして怒鳴り声の方を見てみると、そのときの談志のいでたちが、ビンラディンの顔がプリントがされているTシャツ。そのシャツだけでも驚きなのに、怒っているのがバンダナ姿の立川談志。凄(すご)すぎます。

 こんなエピソードもある。満員電車での出来事。弟子と並んで座っていた談志の前におばあさんが立った。そのおばあさんが、いかに自分が座りたいかをアピールし始めた。その行為に談志は怒った。横に座っている弟子に向かって、
 「このばあさんに、『あんただけには席を譲りたくない』と言え!」
 弟子は師匠の命令なので泣く泣くおばあさんに、
 「あんただけには席を譲りたくない」
 と告げた。電車の中に嫌な空気が充満した。

 日本の電車事情もこれからどんどん変わっていくだろう。ニューヨークの地下鉄並みになるのも時間の問題ではなかろうか。ニューヨークの地下鉄ではのべつポリスが乗り合わせている。事件を未然に防ぐためだ。日本でもお巡りさんが乗って、若者を叱(しか)ればいい。
 イヤホンからカシャカシャ音を垂れ流しているやかましい若者がいたら、はさみでイヤホンを切っちゃえ。
 携帯電話で話しているやつがいたら、携帯を奪って窓から捨てちゃえ。
 電車の中で堂々と化粧をしているやつがいたら、売春の容疑でしょっぴけ。

 電車の中で大声でしゃべっているバカカップルにも腹が立つ。
 「ねえ、なめこおろしって知ってる?」
 「聞いたこと、あっけど」
 「超おいしいんだって」
 「信じられねぇ」
 「自分で作ってみようと思って」
 「チャレンジャーじゃねぇ?」
 「そんで、なめこを買って、大根おろしの上にかけたんだけど、味がしなくて」
 「超不思議じゃねぇ?」
 「生のままかけちゃったから味がしなかったみたい。親に超笑われたんだけど。ビン詰のなめこじゃないと駄目なんだって」
 「ビン詰のなめこなんて、超信じられねぇ」
 ......お前ら、黙ってろ!

 電車の中のおばちゃんグループで困った人もいる。新幹線などで、二人がけのイスを回して向かい合わせで座っているおばちゃんがいるが、それが4人ならばなんら問題がないが、3人だったりすると、これは困ったことになる場合がある。ひとつ空いている席が私の席だったときの悲しさときたらない。道中、ずっと見ず知らずのおばちゃんと向かい合わせになり、夢中で弁当やお菓子を食らうおばちゃんを見ていなくてはならなくなる。さらに、
 「こんなおばあちゃんでごめんさねぇ。お兄さん、大人しいけど猫をかぶっているんでしょ」
 「いえ、そんなことはありませんが」
 「若い子だったら、たくさん話すくせに」
 「いえいえ」
 ......話に参加させられたりする。
 寅(とら)さんだったらここから話に華が咲くだろうが、私は寅さんではないので、ただただ地蔵になる。目的地に着くまで、地獄の時間である。

2009年11月20日