映画についての悪口を書き連ねよう。
「タイタニック」
とどのつまりが婆(ばあ)さんの思い出話じゃないか。年老いたローズがタイタニックでなにがあったかを皆に聞かせているだけで、どこまで本当か分かったものじゃない。それにしても情景描写の上手い婆さんだ。浪花節語り(なにわぶしがたり)か、あんたは!
「ハリーポッター」
魔法の学校なんぞに通うからとんでもない目にあうのであって、私は彼らに一言ってやりたい。「お家にお帰り!」
「リング」
貞子(さだこ)がテレビの画面から出てきやがる。あんな幽霊、テレビから這(は)い出てきたら「踏め!」である。あるいはテレビの画面の前に板を立てかけちゃえ。
この映画の変なところは、テレビというものがすべて人間が抜け出てこられるサイズだと作り手が思い込んでいるところだ。小さいテレビだってあるんだよ。5インチのテレビから出てくる貞子は、小さいんだろうね。そんな貞子はスリッパで叩(たた)きつぶせばよろしい。逆に新宿のアルタにある巨大スクリーンから出てきたとしたら、ゴジラ並みの貞子ということになる。
「猿の惑星」
チャールトン・ヘストンが主演したSF。この映画の最大のミスは言語である。宇宙船が不時着した惑星は猿が支配していて、人間は奴隷。まさに猿の惑星だった。宇宙船の乗組員であるヘストンは、逃げ回り、ラスト、浜辺で倒れている自由の女神像を見て、ここが未来の地球だったということに気がついて、「俺は地球に帰っていたんだ!」と絶叫する。感動的なラストシーンだ。
でもね、猿が英語をしゃべっている時点でどうして地球だと気がつかないの? 分かりそうなもんだ。
だいたい猿が服を着ていることがおかしい。体毛がものすごいのだから服を着る理由がない。ゴリラは革ジャンまで着ているぞ。
ティム・バートンがリメイクした「猿の惑星」はもっとひどい。猿の子供が寝るときに、パジャマを着てやがる。ナイトキャップまでかぶっている。暑すぎだ!
それと建築物の階段。人間の歩幅の階段になっている。リメイク版の「猿の惑星」の猿はジャンプすると10メートルぐらい飛び上がるのだ。だったら、人間の歩幅の階段はありえない。
さらに、軍隊要員のゴリラ。馬に乗って戦いにいくのだが、敵が目前にくると、馬から降りて四足になってダッシュする。速いのなんの。馬に乗る意味が分からない。
「ダイハード」
マクレーン刑事という庶民的な男がビルに閉じ込められてテロリストと戦ったから面白かったのに、続編では舞台が空港になり、「3」ではアメリカ全土になってしまった。そして絶対に死なない男という印象に。ランボーか!
ブルース・ウイリスをブルース・ウイルスと言ったやつがいた。病原菌か。
ロビン・ウイリアムスをウイリアム・ロビンソンと言ったやつがいた。もはやだれだかわからない。
「ゴッドファーザー」の監督をフランシスコ・ザビエルと言い切った馬鹿がいた。
犬養毅(いぬかいつよし)をクレージーキャッツのメンバーだと思い込んでいた人がいた。
映画と関係ないか。
「ウオーリー」
未来の掃除ロボットが恋をするアニメ。キーポイントがミュージカル映画。ウオーリーは「ハロードーリー」を毎日観ていて、それがラストにつながるのだが、ミュージカルのチョイスがおかしい。「雨に唄えば」か「イースターパレード」だろう。
例えばだ。ウオーリーが落語好きだとして、落語を聴いていたとしたら文楽か志ん生、あるいは談志か志ん朝のはず。つまりこの映画はウオーリーが金髪ブタ野郎師匠の落語を聴いていたというお話なのだ。
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近ごろはやりの3D映画。
映画館に行くと有無も言わさず専用の眼鏡をかけさせられる。あんな眼鏡、遊園地で5分かけるのが限度だ。あんなものをつけて2時間も映画を観ていられるか!
私は近眼で眼鏡をすでにかけているのだから、ふたつも眼鏡をかけることになるのだよ。耳の裏が痛くなるということがどうしてわからんのだ。
最近、「ゴッドファーザー」の愛のテーマを聴くと、暴走族を思い浮かべてしまう。
「第三の男」のチターのメロディを聴くとエビスビールを思い浮かべてしまう。
テレビCMでおすぎさんが興奮して勧めている映画は、急激に観る気が失せるのは私だけだろうか。
「踊る大捜査線」の織田裕二と世界陸上のMCの織田裕二はまったく同じ顔をしているが、彼の頭には役作りという言葉がないのだろうか。
敬愛する水野晴郎に生前言ってもらいたかった言葉。
「いやあ、映画って本当にいいもんですね、私の作品以外は」