【登場人物】
●立川談志......落語立川流家元、志らくの師匠
●高田文夫(立川藤志楼)......放送作家、落語立川流Bコース(有名人コース)真打ち
●立川談春(前座名・談春)......落語立川流真打ち、志らくの兄弟子
●立川志らく(前座名・志らく)......落語立川流真打ち、私
談春と志らく、2人は共に前座修行をした戦友である。談春の方が1年半先輩だ。高田文夫先生の紹介で談志の弟子になったエリートの志らくを他の兄弟子(あにでし)は嫌った。しかし、談春だけは近づいてきた。
~17歳のすごい前座~
志らくが入門してまだ半年のときに、2人で落語会を開催した。当時は前座が勉強会を開くのはご法度(はっと)であったが、師匠の談志が特例でそれを認めてくれたのだ。
場所は西武池袋線の江古田(えごた)駅(東京都中野区)のそばにある浅間湯という銭湯の2階のコミュニティホール。タイトルは「談志が呆(あき)れた落語会」。
当時、「談志が選んだ駅前寄席」という落語会が下北沢(しもきたざわ、東京都世田谷区)で開催されていたが、それをもじったのだ。
当時から自我を押し付けるような落語をやる志らくに対し、談春は至極まっとうな古典落語をやっていた。それが抜群に上手かった。なにより談春は耳がいい。談志の落語を数回聞くだけ覚えてしまう。師匠の知り合いのお座敷で談志十八番の『よかちょろ』を演じ、「すごい前座だ」と喝采(かっさい)を受けたこともある。
前座が『よかちょろ』を演ずるのはとんでもないことで、談春もそのことは重々わかってはいたが、客のリクエストということもあり、師匠には内緒という条件で『よかちょろ』を演じた。しかしその出来があまりに素晴らしく、客が師匠にしゃべってしまった。客に悪気はなく、「談志師匠の弟子はすごい」と伝えたかっただけである。でもこれにより、談春に1ヵ月の謹慎処分が下されたのであった。
この「談志が呆れた落語会」に高田文夫先生がいらしてくれたことがあった。打ち上げは黒ひげというスナック。そこで談春は、内藤国男の「おゆき」を朗々と歌い上げて、高田先生を爆笑させた。当時まだ17歳の小僧が「おゆき」を歌うのがあまりに異様で面白かったのであろう。
~モテる談春、ピエロの志らく~
談春は当時から女性によくもてた。師匠がリトグラフの個展を銀座で開いたことがあった。前座の弟子は会場係となった。そこのギャラリーのミマちゃんという女性に談春は惚(ほ)れられた。じつは、その子のことを最初に気に入ったのは志らくだった。仕事が終わってから何遍か彼女とお茶を飲みに行った。そしてついにボーリングのデートに行く運びとなった。そのことを得意げに談春に話すと、なんと当日、そのボーリング場に談春が現れたのである。
邪魔な奴(やつ)がきたとおかんむりの志らくである。でもミマちゃんはまったく迷惑そうな顔をしない。
「兄(あに)さん、帰れよ」と私が言うと、
「一緒にボーリングしようよ」とミマちゃん。
仕方なく三人でやることになった。面白くもなんともない。
さらに志らくを悲しませる出来事が起こる。志らくがピンを倒しても、ミマちゃんは無関心。ストライクを出してもあきらかにお義理の拍手をする程度。それなのに談春がピンを倒すと大はしゃぎ。ストライクなんぞ出ようもんならば飛び上がって喜び、談春とハイタッチまでする始末。
後日、2人が付き合い始めたことを知った。なんでボーリング場に談春が現れたかというと、ミマちゃんに泣きつかれたそうな。
「志らくさんとボーリングに行かなきゃならなくなっちゃって困っているの。談春さん、来てくれない?」
志らくは、とんだピエロであった。
~失恋~
2人の落語会に来る女性客の大半は談春目当てであった。志らく目当ては、ほとんど同じような、怪しい目つきの男ばかりであった。
一度だけ、談春兄さんがフラれたのを見たことがある。相手は黒ひげで知り合った女性。勉強会の打ち上げで談春兄さんと飲んでいたら、2人組の女性が声をかけてきた。意気投合して4人は深夜遅くまで飲み明かした。2人組の女性は、ひとりはスレンダーな美女。もうひとりは、女性漫画によく登場キャラクターで、主人公のそばでいつもはしゃいでいる眼鏡をかけたチビみたいな子だった。
スレンダー女性は談春を気に入り、漫画は志らくになついた。当然、私は漫画なんぞ相手にしなかったが、談春はスレンダーに夢中になった。
そこで談春は、クリスマスイブの晩に彼女にプレゼントをすることを思いついた。イブの7時に黒ひげで待ち合わせをした。何をプレゼントしたらよいか悩む談春に、志らくは言った。
「お金がないんだから、ブランドの服や宝石は無理。ならば質より量で勝負しなきゃ。可愛らしいアメ玉とかチョコとかお菓子類をたくさん袋につめて渡すんだよ。女性はキュンとなって、もう兄さんにメロメロさ」
2人で新宿のマイシティという若者向けのデパートに行って、1万円分のお菓子を買った。前座にとっての1万円はとてつもない大金である。談春兄さんの本気度がそこからもうかがえる。
大量のお菓子をビニール袋に入れ、談春は黒ひげに向かった。志らくは家に戻り、談春の勝利の報告を待った。
時計が8時をさした。談春から電話がかかってきた。
「女がこないんだよ」
私は「じらしているだけだから、もうすこしの辛抱だよ」とアドバイスを送った。
その後10時になっても彼女は来ない。やがてイブが終わり、クリスマスに突入しても彼女は姿を現さなかった。フラれたと分かった談春は飲めない酒をあおり、黒ひげで酔いつぶれてしまった。
明くる朝になって談春から電話があった。
「結局こなかったよ」
「残念だったね。ところでプレゼントはどうしたの?」
「店の店員にゴミと間違われて捨てられちゃった......」
ビニール袋に入れておいたので、その形がちょうどゴミ袋と似ていて、それで捨てられてしまったのであった。
(つづく)