第二十六席 立川流鎖国論(2) 立川ボーイズ伝説

【登場人物】

●立川談志…… 落語立川流家元、志らくの師匠
●春風亭昇太…… 落語芸術協会真打ち、志らくの先輩
●立川談春…… 落語立川流真打ち、志らくの兄弟子
●柳家花緑…… 落語協会真打ち、志らくの後輩、祖父が柳家小さん(談志の師匠)。志らくとはたびたび二人会を開いている
●立川志らく…… 落語立川流真打ち、私
●落語立川流…… 立川談志が落語協会を脱会して設立。脱会によって寄席には出演できなくなり、独演会や一門会のみで活動することになった。脱会直前に弟子となったのが志の輔、脱会後に弟子になったのが談春、志らく、談笑。「寄席を知らない弟子たち」と呼ばれることもあり、それがタイトルの「立川流鎖国論」の由来。


~志らく5分、談春55分~

談志はその昔、よく仕事に穴をあけることで伝説をこしらえた。落語をやりに行ったらば先方の対応があまりに悪く、怒って帰っちゃったとか、客がうるさいので落語を中断して帰っちゃったとか。

「まさか志らくさんはそういうことはしませんよね」と言われるが、さにあらず。談志ほどの武勇伝こそないが、怒って帰っちゃったことが何度かある。私の場合、談志のように乱暴ではない。こそこそ帰る。こそこそ高座から降りる、である。

 

談春兄(だんしゅんあに)さんと、とある高校で落語をやることになった。2人で1時間の持ち時間であった。まず私が高座に上がった。すると高校生が完全にだれきっていた。教室に特設高座を設けての落語会だったのだが、生徒はふてくされ、机に突っ伏していやがった。頭にきて、5分だけで高座から降りちゃった。

談春兄さんは慌てたね。まだ持ち時間が55分もあるじゃないかと怒りながら高座に上がっていった。で、きちんと古典落語を55分演じておりました。さすがは平成の名人だ。

 

成人式で落語を頼まれたことがあった。これも談春兄さんとの仕事。このときも2人で1時間。で、さっぱり客が噺(はなし)を聞かない。こんなところで落語をやる自分がかわいそうになり、やはり5分で降りちゃった。

談春兄さんは慣れたもんで、愚痴もこぼさず淡々と古典落語を私の持ち分までやっていた。慣れというものは大切ですね。

 

~早稲田大学正門事件~

談春兄さんとは「立川ボーイズ」というチーム名でコントをやっていたので、のべつ一緒に仕事をしていた時期がある。端(はた)から見ると談春のほうが乱暴に見えるが、このころは志らくのほうが乱暴だった。テレビの仕事も結構やっていたが、プロデューサーやディレクター、放送作家と上手に付き合い、仕事を円滑にすすめられたのは全部談春兄さんのおかげである。

人付き合いが悪く、わがままで、怒るとこそこそ逃げる志らくではあったが、たまにキレることもあった。

 

2人が早稲田大学の学園祭に呼ばれた際、正門で木戸をつかれてしまった。入場料代わりに学園祭のパンフレットを買わないと中には入れないと係の学生がいうのである。我々は招かれたのになんで金を払わなければいけないのか納得できず、要は係の学生にきちんと状況が伝わっていなかっただけのことなのだが、どうやっても中に入れてもらえない。どんなに説明しても「パンフレットを買え」の一点張り。

談春兄さんはこの状況にあきれて「もう帰ろうじゃねぇか」と言い出し、3メートルぐらい歩き出す。でも私が粘って学生に説明をしているとすぐに戻ってきて、「だから帰っちまえばいいんだよ」と吐き捨てて、また3メートルぐらい歩きだす。これを数回繰り返したところで、「学生が根負けして、わかりました、入っていいですよ」と言ったのだ。

しかしそう言ったあと、軽く舌打ちをしたのが私の耳に入ってきた。私は学生の胸ぐらをつかみ「ふざけた態度をとるな! 謝れ!」と怒鳴り散らした。

その剣幕に談春兄さんが驚いて、まあまあと私を止めたのである。現在、「立川談春=恐怖」と信じている人には、にわかには信じられない光景であろう。

 

最近、地方の落語会の主催者が2週にわたって、談春、志らくの会を相次いで催したのだが、主催者が落語会終了の打ち上げで私に次のようにこぼしてきた。

「志らくさんだと楽ですよ。談春さんだとピリピリしちゃって。落語会が終わった直後、楽屋に呼ばれて、そこに正座しろと言われて永遠1時間も小言(こごと)ですよ。お前は落語会の主催者としてなっていないって。志らくさんとは本当に楽しく会ができましたよ」

と言われたぐらいだ。

怒らないと私は実に紳士に見えるらしい。魔太郎なのにね。

 

~AVと鉄棒とAKB48~

柳家花緑(やなぎやかろく)とトークショウを頼まれたことがある。月例でやっている大田区の下丸子落語倶楽部(しもまるこらくごくらぶ)の2人のオープニングトークの評判がよく、それをやってほしいという依頼だった。場所は東京体育館。あんな大きな会場に、志らくと花緑がおしゃべりをするだけで客が集まるのか不安であったが、ふたをあけてみたら、なんのことはない、満席。

しかし、トークがてんでうけない。で、我々のあとに少女の集団がステージにかけ上がり、歌い出した。会場の盛り上がり方のすさまじいこと。

聞いたらば、彼女たちはAKB48だという。その当時、私はまったく彼女たちについての知識がなく、素人の女の子の集まりだと思っていた。でも観客の盛り上がりをみて、この客は彼女たち目当てであることに気が付き、無性に腹がたってきた。

志らくと花緑のトークは彼女たちの前座だったのか!

もちろん、打ち合わせのときにAKB48のことは聞いているはずだ。でも興味がないから耳に入っていない。呆然(ぼうぜん)とする私に向かって、主催者が、彼女たちの後にまたステージにあがって、外国人とAKBと一緒にジェスチャーゲームをやってくれと言ってきた。

まあ最初からそういう段取りだったのだろうが、素人の女の子の集まりの前座にされたことが許せず、私はもうステージには上がらないと主張した。主催者は困惑していた。

すると花緑が、

「これは兄さんのやる仕事じゃないよ、俺はこういうの好きだからあとは任せて」

と1人でステージに上がっていった。いいやつだ、花緑は。

私は当時所属していた立川企画の社長に、「もう帰るから」と怒りをぶつけた。すると社長は、

「勘弁してくれよ、ギャラがよかったんだよ」

と苦笑いを浮かべた。ギャラがいいなら仕方ないやと、社長を許し、AKBと無邪気に遊ぶ花緑を後にして、こそこそと東京体育館をあとにする私であった。

 

春風亭昇太(しゅんぷうていしょうた)兄さんと、とある高校に落語をしにいったときの話がある。当時私は深夜テレビのレギュラーを持っていて、その番組内でちょっとエッチなことをしていた。毎週、AV女優をゲストに呼んで鉄棒に逆さにぶら下げて、オッパイを露出させながらインタビューをするという、はなはだ情けない仕事をしたもんだと今となっては後悔しているが、そのせいもあり、私が高座に登場するとものすごい歓声が沸き上がった。そのほとんどが野次である。

「AVは一緒じゃないのか」「鉄棒はどこだ」云々(うんぬん)。

前座があがったときからすでに落語をやる雰囲気ではないぐらい礼儀のなっていない子供たちだったのだが、私の出現により場内はストリップ劇場みたいになってしまった。

私はむかついて、高座に座ったとたん、

「うるせぇ! 静かにしやがれ」

と怒鳴ってしまった。

彼らはマイク越しに芸人に怒鳴られたことなどなかったろう。子供たちは水を打ったように静かになった。でも情けないことに、落語を語りはじめてもずっと客席は静まり返っていた。

 

こんなこともあった。とある余興を頼まれたときの話。台本を見てあまりに内容がふざけていたので、怒り狂った。

「いやらしい美女が落語家に寄り添い遊ぶ」という、どんな内容かはもう忘れてしまったが、落語とエロを一緒にする内容だった。AVと鉄棒をやっていた落語家がなにを言うかであるが、着物姿でエロをやることが嫌だった。

立川企画の社長に「現場には行かない」と電話で伝えた。社長は「来てもらわんと困る」と怒った。怒ったって駄目だ。

「私はこのまま数日姿をくらますから探しても無駄だ」

と言って電話をきった。

社長は仕方なく、「志らくが病気で倒れて入院をした」と先方に伝えたそうな。

「志らく緊急入院」に私の驚いた弟子が我が家に駆けつけたが、「仕事に行きたくなかっただけだ」と言った私に、彼らはたぶん談志を重ね合わせたに違いない。

2010年7月28日