第二十一席 談ノ進の廃業

【登場人物】
●立川談志……落語立川流家元、志らくの師匠
●立川談春(前座名・談春)……落語立川流真打ち、志らくの兄弟子
●立川志らく(前座名・志らく)……落語立川流真打ち、私
●立川談ノ進……元・落語立川流二つ目、志らくの弟弟子、廃業

談ノ進(だんのしん)という弟弟子(おとうとでし)がいた。図体がでかい。でも穏和な感じで、頭も良さそうであった。父親がどこぞの検事であった。

ただちょっと神経質なところがあり、困ると実に悲しい表情をするのだ。そのくせ図々しいところもあり、つまりわけのわからない男であった。

とにかく変わった男だった。談志の古典落語をこよなく愛しながら、米丸師匠のところに新作落語の稽古(けいこ)に出かけ、『バスガール』なんという話を得意気にやっていた。

私は彼のことが好きだった。見ているだけで面白い。そして哀愁が漂っていた。

~師匠のリンゴを盗み食い~

とにかくよく食った。師匠の談志が「弟子たちにサンドイッチをこしらえてやるから人数分の食パンを買ってこい」と談ノ進に命じたら、弟子は五人いたのだが、食パンを五袋買ってきた。つまりひとり一袋という勘定だ。自分の基準でパンを買ってきてしまい、師匠が「多すぎだろ」というのを、「いや足りないかもしれません!」と悲しい顔で言い返した。

当然のことながら余ったのだが、皆が残した分を談ノ進が全部食べてしまった。食べ終えて、「どうだ」という顔をしていた。

師匠のところに贈答品として届いたリンゴを勝手に食っていたので、「おい、そんなことしたらだめだよ」と注意すると、「師匠が、『腹が減ったらうまいことやれ』とおっしゃっていたからいいんだ」と主張し、のべつリンゴを盗み食いしていた。

あるとき、いつものようにリンゴをパクつこうと口をあけたところに、師匠が入ってきた。談ノ進、リンゴを片手に口を開いたまま固まってしまった。どれだけ怒られるかと思いきや、師匠は一言吐き捨てた。

「皮をむいて食べなよ」

~分厚い本を何冊もカバンに入れて~

これは他の兄弟弟子に聞いた話。

師匠が弟子と友達をつれて屋久島に遊びに行ったときのこと。談ノ進は師匠のカバンもちでありながら、己の荷物を山ほど持ってきた。兄弟子が「なんだその荷物は」と尋ねると、「本です」と答えたそうな。夜、寝る前に読むための分厚い本を何冊もカバンに忍ばせていたのだった。

ただの旅行だと思っていた談ノ進だったが、現実は違う。案の定、師匠の荷物を持たされ、それに加え、師匠のマネージャーが素潜りをするための錘(おもり)まで持たされる始末。

さらにビールとくさやの干物とリンゴを入れたクーラーボックスまで持たされ、炎天下、山登りをする羽目になったんだと。

談ノ進、荷物がたくさんあるのにもかかわらず、近道をしようと草むらを突進して山を斜めに登ろうとしたため、小さな崖から落ちて、錘が額に当たってケガをしてしまった。

兄弟子は腰を抜かしたそうな。道からはずれた草むらから、それも額から血を流した談ノ進が泣きそうな顔で現れたのだからね。

山を越え、海岸に出たときには体力は限界に達し、「とにかく水分をとらねば」と探したが水の持ち合わせがなく、談ノ進はとうとうクーラーボックスの中にたまっていた氷が溶けた水を飲み始めたのだ。ただしこれは普通の水ではない。くさやの匂いがする水だ。周りがやめたほうがいいと止めるのを振り払って、「結構いけますよ」とくさや水を飲み干したらしい。見かねた師匠が「リンゴを食え」というと、「ありがとうございます」と叫んで一瞬にしてリンゴを食べたのであった。

まさに一瞬。リンゴを口に持ってきて、手のひらで押し付ける。するとリンゴがまるでジューサーにかかるがごとくに液状になって口に入っていく。気がつくと奴の口にはリンゴのへたしか残っていなかった。

大食いだけでなく、早食いでもあった。

師匠の家でもらい物の仕出しの弁当を食べる機会があった。談ノ進が弁当を食べようとしていたので、「俺も一緒に食べるよ」と言って弁当のふたをあけたら、談ノ進はもう食べ終わっていた。弁当の包み紙をはがしてふたを取るだけの時間で、彼は全部平らげたのだ。

~「もうあいつには、めしを食わせない!」~

弟子が数人で桶に入った握り寿司を食べようとしたときのこと。談ノ進が醤油の皿に醤油をなみなみとついだ。これを見た談春が怒こり、「醤油をそんなに使やしないだろ!」。すると談ノ進、談春をにらみ付けて、「僕は醤油を飲むんです」と言って醤油皿を手にすると本当に飲んでしまった。そして飲み終わった後、ちょっと悲しい顔をするのだった。

師匠の友人である厚木の薬屋の高橋さんという方が、前座の面倒をよく見てくださる。師匠の独演会があると打ち上げで必ず、前座にたらふくごちそうしてくれるのだが、あるとき、談ノ進が高橋さんを失敗(しくじ)った。ごちそうしてもらえることが当たり前になり、ろくすっぽお礼を言わなかったのだ。そんな彼の態度が高橋さんの逆鱗(げきりん)に触れ、高橋さんはこう吐き捨てた。

「あいつを干してやる!」

「どう干すんですか?」と尋ねると、

「もうあいつには、めしを食わせない!」

嫌な干し方だな。

~「落語は来世の楽しみにする」~

談ノ進にうまいラーメン屋を教えてもらったことがある。荻窪(東京都杉並区)の駅前にある「珍満」という店だ。荻窪といえば大変なラーメン激戦区で、当時は山本益博さんが絶賛した「丸信」と昔ながらの東京ラーメンの味を守る「春木屋」が大人気であった。私は師匠の旧友でもある益博さんの舌を信じていたので、「『丸信』のラーメンを食べに出かけたら、とってもうまかった」と話をしたら、談ノ進が「もっとうまい店が荻窪にありますよ」と、私を「珍満」に連れていってくれたのだ。

なるほどうまかった。マスコミなどには一切とりあげられていない大衆的な店だったが、「丸信」よりうまかった。

談ノ進は、立川流にしてはかなり早いスピードで二つ目に昇進した。しかし二つ目になってほどなく、落語家をやめてしまうのだ。理由は、信仰していた幸福の科学に人生を捧げるためだ。せっかく二つ目にまでなったのにもったいないという周りの声に対し、

「落語は来世の楽しみにする」

と言ったのである。けだし名言である。

思えば、屋久島に持っていった大量の本は、大川隆法の啓蒙本だったのか。

~偶然の再会~

やめてしばらくして、談ノ進が私と同じアパートに引っ越してきた。まったくの偶然である。同じ形状の二階建ての建物が並んでいるアパートで、彼は私の隣の棟に越してきたのだ。しかも、彼の家の場所は私の家と同じ位置。つまり二階建ての一階で、とば口であった。

最初のうちは互いに気がついていなかったのだが、談ノ進が「志らくと同じアパートだよ」とだれかから聞いて、ずいぶんと慌てていた、ということを私は弟弟子(おとうとでし)に聞いていた。

いつかあいさつにくるだろうと思っていたが、待てど暮らせど来ない。半年ほど経過して、ついにやってきた。泥酔状態で家を間違えたのだ。

呼び鈴をならし、ドアを激しくたかき、「俺だ、今帰ったぞ、開けろ!」と怒鳴っていた。そう言えば結婚したという噂も聞いていたので、奥さんを呼んでいたのだろう。

私は訪問穴からそっとのぞいた。真っ赤な顔をした談ノ進が不機嫌な顔をして立っていた。やがて我が家の表札に気がついた。はっとした顔になり、慌てて逃げ出した。

窓からのぞくと、大きな身体をかがめて駆けていく談ノ進の後ろ姿が見えた。後ろ姿だから表情はわからなかったが、きっとまた悲しい顔をしていたのだろうな。

最近、ふと荻窪の「珍満」のことを思い出し、わざわざ食べに出かけた。しかし、「珍満」はつぶれたらしく、そこにはなかった。

急に談ノ進の顔が頭に浮かび、今度は私が悲しい顔になってしまった。

2010年4月30日