第二十五席 立川流鎖国論(1) 志らく伝説・上

【登場人物】

●立川談志…… 落語立川流家元、志らくの師匠
●快楽亭ブラック…… 元・落語立川流真打ち、元・志らくの兄弟子
●立川志の輔…… 落語立川流真打ち、志らくの兄弟子
●立川談春…… 落語立川流真打ち、志らくの兄弟子
●立川談笑…… 落語立川流真打ち、志らくの弟弟子
●柳家一琴…… 落語協会真打ち、柳家小三治の弟子。志らく演出・監督の芝居にたびたび出演
●立川志らく…… 落語立川流真打ち、私
●落語立川流…… 立川談志が落語協会を脱会して設立。脱会によって寄席には出演できなくなり、独演会や一門会のみで活動することになった。脱会直前に弟子となったのが志の輔、脱会後に弟子になったのが談春、志らく、談笑。「寄席を知らない弟子たち」と呼ばれることもあり、それがタイトルの「立川流鎖国論」の由来。

 

〜特異な落語家集団〜

 落語家生活25周年。とにかく師匠である談志の生きざまをみながら、影響されまくり、自分も談志と同じような落語家になれるのではないかと思い、持ったが病で映画監督をし、演劇の世界に飛び込み、試行錯誤しながら、もがきまくってきた25年である。

 普通、弟子は談志の弟子になった時点で談志のものすごさに恐れおののいて、到底自分の才能ではあんなすさまじい落語家になれるはずもないとあきらめるか、あるいは志の輔兄さんや談笑のように、まったく違うアプローチから「談志超え」に挑むかのどちらかである。

 それを真っ向から、つまり談志の落語に対する了見の部分で談志にぶつかっていったのが志らくであり、古典落語の美学の部分でぶつかっていったというか、うまいこといただいた、では語弊があるかもしれないが、談志のテクニックを見事に吸収して持てはやされたのが談春兄さんということになる。

 まあ、志らく・談春の二人は怖いもの知らずの大馬鹿野郎か、あるいはとてつもない天才であろう。私の場合は、時には談志から「似たような価値観を持っている」と評され、時には「落語をなめている」と叱られ、「この下手くそめ」とののしられ、「でも才能だけならば落語家の中ではこいつが一番」と褒めたたえられ、その言葉を信じ、喜んで方々に吹聴しまくり、我こそが談志イズムの継承者だと自負し、多くの敵をこしらえつつも数多くの文化人に愛されてきた。

 何が言いたいのかというと、談志の幻影に狂った立川志らくという落語家が、日ごろなにを考えているのかを、それは落語論とかではなく、落語論は新潮社で出版しているからそちらを読んでね、とちゃっかり他社の宣伝をしつつ、つまりそれらをまとめて徒然なるままに書きなぐれば、もしかしたら立川流という特異な落語家集団の、というか世間からみたらそれは新興宗教に近いだろうが、鎖国的考えが見られるのではないかと。

 そう、「傑出した文化は鎖国から生まれる」という理論からすると、一時の立川流は間違いなく鎖国社会であり、だからこそ志の輔、談春、志らく、談笑といったタイプの違う落語家が誕生したのである。そのことを論理的にではなく、総合的に私の雑記から読みとってもらえばいいと願いつつ、愚かしいことこのうえないが、脈絡もなく書きつづることにする。

 題して「志らくの立川流鎖国論」……「論理的じゃない」と言いながらもタイトルに論をいれる厚顔無恥をどうぞ笑い飛ばしてくんなまし。

〜電波芸者の下品さ〜

 自分に伝説があるはずもなく、またあったとしても自らの口から言えばそれは伝説ではなく、ただの自慢話になってしまうし、チェーホフの言葉ではないが、善き人は犬の前ですら恥ずかしさを感ずるもので、よくもまあ、いけしゃあしゃあと「志らく伝説」なんて銘打つもんだ。

 ただこうやってテレているあたりがまだ救いがあり、最近の芸能人の何が嫌かというと、テレがない輩のなんと多いことか。まあ芸能人と呼ばれている大半は電波芸者であり、世間様にさからわず、ただ煽るだけで、例えば、サッカーワールドカップの監督の岡ちゃん。負けている時はボロクソで辞めちゃえコール連発、それがひとたび勝利するやいなや、英雄に祭りたてる。

 ワイドショーのコメンテーターの「長いものにはまかれろ的」態度は、人間らしいと言えば確かにそうだが、品がないことおびただしい。

 話を戻すと、先日、とあるテレビ番組で芸能人の私服やバッグの値段ランキングなるものを発表していたが、下品の一言だ。

 私服に何十万かけていますだの、エルメスのバッグで何百万だの、それを恥ずかし気もなく鼻高々に自慢している。芸人ならば、お洒落である必要はあるが、値段は口外すべきではない。

 芸人の基本はテレである。これがない芸人の芸なんぞ、なにが楽しいものか。このテレが哀愁に変化して魅力的な芸人になるのだ。渥美清が私服に何百万もかけているなんてテレビで言うか?

 談志がイトーヨーカ堂のジャケットを着ていたらばルイ・ヴィトンに見え、セコな噺家がルイ・ヴィトンのジャケットを着たならばイトーヨーカ堂に見えるだけのことだ。

〜敵をこしらえる生き方〜

 ちっとも話が元に戻らない。私の伝説であった。

 立川志らくという芸人は、普段はおとなしい人間なのだが、嫌なことは絶対に嫌という性格で、また若き日に談志から「落語家は馬鹿ばかりだからお前だけは馬鹿になるな」と教育されてしまった環境も合わさり、落語家とは基本付き合わないことにしている。

 売れている落語家としか付き合わない。柳家一琴(やなぎやいっきん)がいたか。あいつとは腐れ縁。弟弟子(おとうどでし)の柳家三三(やなぎやさんざ)が売れてきたのだから頼むよ、もう少し売れてくれよ、一琴。他の落語家が経験できない経験をたくさんしてきたではないか。向田邦子の「あ・うん」の主演までやったのだぞ。もっと自信をもって生きてくれ、って一琴にエールを送っている場合ではない。

 売れている落語家としか付き合わないという話だ。こんな生き方をしているから多くの敵をこしらえる。兄弟子にも嫌われる。でもかまわない。尊敬している人から愛されれば、どうでもいい人から嫌われたってかまわない。

〜悪魔の子〜

 とにかく好き嫌いは実にはっきりとしている。ならば竹を割ったような男らしい人間かというとこれがまったく違うから面白い。どちらかというと藤子不二雄の『魔太郎が来る!!』の魔太郎みたいな性格である。いじいじしていて愚痴っぽく、嫉妬(しっと)深く、怨(うら)みをはらさでおくべきかといったところがある。

 実際、人を呪(のろ)う力まである。現在の妻と交際し始めたころ、妻を追いかけ回していた男がいた。その存在を知った私は彼を呪った。すると一週間後、彼は交通事故で死んでしまった。たまたまだと思うだろうが、妻と同棲を始めたときに妻に言い寄ってきた男がいた。電話で男と喧嘩もした。私は頭にきて、今度は死なない程度に呪ってやった。すると数日後、男は病気になり記憶喪失になってしまった。

 私の監督した映画作品を立川キウイの落語よりひどいと評し、高座でのべつ私の悪口をいい、私が前妻と別れた状況をからかった新作落語『志らくの子別れ』を演じた快楽亭ブラックさんは、自らが書いた脚本の映画撮影の際、怪我をして救急車で運ばれ、そのときに「これは志らくの呪いだ!」と叫んだそうだ。ブラックさんを呪ったことはないけど、現在彼は借金問題で立川流からか除名されてしまっている。

  

 妻は私のこの力を目の当たりにしているので、私をなるべく怒らせないようにしている。以前、歩道で無礼な自転車運転をする若者がいたので、かたわらにいた妻にその不満を訴え、一言小声で「自転車は車道を走れ!」とつぶやくと、前を走っていた7台の自転車がいっせいに車道に飛び出していった。中に、おじいさんが運転していた自転車まであった。あのときの妻の驚きようといったらなかった。

 実は私のそばにやたらと烏が集まってくる。犬や猫も真っ黒なやつがやたらと私になつく。我が家の電化製品は私が触ると片っ端から壊れる。時折自分は悪魔の子なのかと思うこともある。ただ心は天使。だから怖がらないでね、って何を言っているんだ志らく!

 頭がおかしい。まあ、談志から「あと10年で志らくは談志同様に狂う」と言われたのだからこの程度の妄想は序の口。数年前、チャップリンが私の枕元に立ち、「しばらく君の身体に入るよ」と言ってきたことがあった。それ以来、チャップリンに似ていると人に言われる。

 歌手の森口博子さんが一度もチャップリンの映画を見たことがないと言っていたので、「ならば『街の灯』をご覧」と勧めた。するとそれを見た彼女が最初に言った言葉が「チャップリンと志らくさん、表情が似ているというか同じ。『街の灯』を見ている間、チャップリンが志らくさんに見えて仕方がなかった」。

 私が座長をつとめる劇団で『あ・うん』の芝居をしたときも、かなりの客に「志らくがチャップリンに見えた」と言われた。妄想は終わり。

2010年7月20日