ここまでさまざまな形で解説してきた「象の鼻としっぽ」のメカニズムですが、根底に共通して流れる私たちの「勘違い」として「単なる『部分』であることを『全体』と認識してしまう」ことがあります。「地図」の話や各個人の「固有の尺度」の話も、すべては「象の鼻やしっぽ」だけからそれを象の全体だと思い込んでしまうという誤解から来ています。
「部分を全体だと思い込んでしまうこと」の直接的な事例を今回はお話ししましょう。
以下の発言を考えてみてください。
1.「Aさんって意外に芯(しん)が強い人なのね」
2.「アメリカの航空会社ってサービス悪いよね」
3.「ちかごろの若いものは我慢が足りなくて困る」
まずは1つ目の「Aさんって意外に芯(しん)が強い人なのね」です。こういう発言をしている人は一体どれだけAさんのことを知った上でAさんについて語っているのでしょうか。「中学校高校の同級生以来10年以上のつきあいの親友」から語られるならまだしも、「つきあって3ヶ月でいままで5回しか会ったことのない知り合いからこう言われたら、Aさんもさぞかし心外なことでしょう。
これは、こういう発言をする人が会って数回だけでAさんの全体像を心の中で「勝手に」作り上げ、これに該当しないものを「意外だ」と勝手に決めつけているだけと言えるでしょう。
続いて2番目の「アメリカの航空会社ってサービス悪いよね」です。これもその航空会社を何百回も使っている人ならいざ知らず、こういう発言をする人の大半は数回しかこの航空会社を利用したことのない人です(そもそもよほどの「国際派ビジネスマン」でもない限り、ひとつの航空会社を何十回も利用する人はいないでしょう)。
「たまたま」そのときのフライトで経験したこととか、「たまたま」そのときの担当だったフライトアテンダントの印象をもって一般化してしまっているわけです。これぞまさに「象の鼻だけを見て全体だと思ってしまう」の典型例と言えるでしょう。
この話に限らず、私たちは外国人や自分と普段縁のない職業の人を見たときには(たとえ最初の一人であっても)、「○○の人はこういう性質である」という偏見を持ってしまいがちです。これは「過度の一般化による勘違い」とでも言えるでしょう。
そして3番目が「ちかごろの若いものは我慢が足りなくて困る」です。この例に限らず、「ちかごろの若いものは……」は、「年配者の勘違いワード」の筆頭ではないかと思います。
まずこの言葉に込められた1つ目の勘違いは前述した「過度の一般化」のメカニズムです(世の中には「立派な若者」だってたくさんいますよ)。それに加えてこの事例で顕著なのが、「自分が『そう思いたい』と思っている事例を1つでも見ると、その事例をそういう認識でとらえてしまう」という特徴です。
年配者というものは、いつの時代も若者が未熟に見えて仕方がない。これは人間のDNAに染み付いているのではないかと思います。
もともとそういう目で見ることによって、「過度の一般化」が促進されてしまうというメカニズムは、他の場面でもあてはまるのではないかと思います。
ここまでのお話をいつもの通り「象」の話に対応させたのが下図です。
今回のこのお話も「それってすべての人にあてはまるんじゃなくて『単なる部分』じゃないの?」という読者の皆さんからの突っ込みがあるのではないかと思いますので、一言補足しておきます。
その通り、私は世の中の全員を調査した上でお話をしているわけではなく、限られた自らの経験の中で話しているに過ぎません(少なくともすべて数十以上のサンプルに基づいてはいますが)し、すべてを膨大な実験や統計データに基づいて語っているわけではありません。ただこの話のポイントは、コミュニケーションは「伝わっていない」と考えているほうが安全な認識であり、そう考えていたほうがうまくいくというところなのです。
少なくとも何割かでもこういった勘違いをしている人たちがいると認識していれば間違いはないでしょう(「私たちはみな」という表現をしばしば使っている通り、ここまでお話ししてきた「勘違い」に例外はない、というのが私の確信に近い仮説ではあります)。