第4回 同じものを正反対に認識してしまうメカニズム

 前回は私たち各個人が持つ心のフィルターによって、同じものが異なって見え、そのことがコミュニケーションギャップを生むことを、カフェテリアに並んでいる二人の間の認識の相違という例でお話ししました。
 今回は、同じフィルタの例でもまさに「象の鼻としっぽ」のように、同じものを見たときにまったく正反対の認識をしてしまうメカニズムと、その具体例についてお話ししたいと思います。
 まずは図1を見てください。


図1

図1

 基本的な構図は前回と同じですが、今回は左右の二人が持っているフィルターの種類が違います。左の人は左半分しか見えないフィルター、右の人は右半分しか見えないフィルターを持っています。これによって「同じ象」を見ているのに片方は「鼻」の側しか、もう片方は「しっぽ」の側しか見えなくなっています。
 これは私たちの日常に置き換えるとどういうことを意味しているのでしょうか?
 よく言われるたとえですが、水が半分入ったコップを見たときに「半分しか入っていない」と思う人と「半分も入っている」と思う人がいます。これも全く同じ構図です。
 図2にこれを説明します。


図2

図2

 片方は「下半分」だけのフィルターを持っているために、「ほとんど入っている」と見えるのに対してもう片方は「上半分」だけのフィルターを持っているために「ほとんど空だ」と見えるわけです。
 ここでの問題は、見ている本人は「部分的にしか見ていない」ということに気づいていないことが多く、その人にとっては「見えている部分が世界のすべて」となっていることです(図2の両端の構図)。これも、もともとの「象の鼻としっぽ」の構図と比較して考えればわかりやすいでしょう。

 では次にこの「コップの水」が、現実の社会でどんな現象を指しているのかを考えてみます。
 私たちの身の回りの出来事は、すべて2つの側面を持っています。例えば、「いいこと」と「悪いこと」、「機会」と「リスク」......といった具合に、お互いに相反する側面です(図3)。


図3

図3

 ある悲観主義者のAさんが、自分の転職について楽観主義者のBさんに相談している場面を想定します。
 Aさんはその転職の持つリスクや悪い面ばかりを見ているために不安ばかりが先に立って、
 「人間関係になじめなかったらどうしよう」
 とか、
 「いま並みに趣味の時間が取れなくなったらどうしよう」
 などという不安を訴えますが、楽観主義者のBさんは、そもそもそんなネガティブなことを考えること自体を時間の無駄と思っていますので、すべてをいい方にとらえます。したがって、Aさんの悩みに対しては、
 「視野が広げられていいじゃないか」
 とか、
 「残業が増えてもその分仕事のスキルを上げていけばいいじゃないか」
 などという反応をしてしまいます。

 ところがAさんは、Bさんのこうした反応にいらだちます。Bさんの反応は、Aさんにとっては「能天気」に思えるからです。
 悲観的な側面がすべてのAさんは、まずそういう不安な要素があることを共有したいと思っているので、
 「なぜ、Bさんは自分の言っていることがわからないんだろう?」
 と考えます。逆に、楽観的なことが世界のすべてであるBさんは、
 「なぜ、この人はそんなに『見なくていい』ことばかり強調するんだろう?」
 と考えます。ここに、コミュニケーションギャップが発生します。
 Bさんがまずはじめにやるべきことは、Aさんの見ている世界を十分共有し、「いかに大変か」ということを理解してあげることではないでしょうか。
 その上で「こういういい面もある」という話に持っていかなければ、このギャップは永久に埋めることはできないでしょう。
 つまり、「お互いに象の一部しか見ていないこと」の認識を共有することが、会話を成立させるためのスタートになるといえます。

2009年12月 1日