第12回 それは象のこと?しっぽのこと?~意見対立のメカニズムと解消法~

 今回は連載タイトルに直接関係するお話をしたいと思います。
 まずは以下の会話を読んでください。職場で若手のAくん、Bくん、Cさんが「レストランで待つこと」についてどう思うかについて語っているものです。

   

A「オレとにかく待つの嫌いだからさあ、『あと5人』とか言われても、あとどのくらい待てばいいのかわからないのって不愉快だよね」
B「次に打ち合せあるのに、ランチがなかなか来ないとブチ切れる」
C「でも逆に本当においしいところって、並んで待つってことでおいしさが増してくるってあるでしょ。私なんか、お店の外で行列ができてたりすると、ついつい並んじゃう」

   

 この3人の「レストランで待つこと」に対する意見は三者三様で異なっているように見えますが、本当にそうでしょうか。私たちはこの話題に限らず、あることについて是非を議論することがよくあると思います。そんなときに、まさにこの例のように意見が対立することがよくあるでしょう。
 「レストランで待つ」程度の話であればお互いに意見が違っていようが人畜無害ですが、これが職場の人同士の仕事に関する考え方だったり、家族間での人生に対する考え方だったりした場合には、ときには真剣な議論になって喧嘩に発展することもあるでしょう(レストランの場合でも「並ぶ店に行くか行かないか」はランチの店をどこにするかの重要なポイントになって、下手をすればこれで人間関係が壊れることにもなりかねないでしょう)。

  

 こういう「対立」は日常のコミュニケーションでよく起きることだと思いますが、「人はそれぞれ意見が違うから」の一言で片付けてしまってよい話なのでしょうか。もしそうだとすると、この種の対立を解決することは無理だということになりますが、本当にそうでしょうか。
 解決策を考える上で、こうした対立がどういうメカニズムで起こっているかを考えてみましょう。キーワードは「切り分ける」です。
 冒頭の「レストランで待つこと」をテーマにして解説します。ここでは前提として、予約をしていくような高級レストランではなく、入り口に「待合コーナー」があるような大衆人気レストラン(ラーメン屋でもよい)を想定します。図1を見てください。



図1 待つことを切り分ける


 これは、レストランで待ち始めてから実際に席について料理が出てくるまでの一連の「待つ」というプロセスを3つに分解したものです。ポイントはこれら3つの各段階によって、不快と思うかどうかに影響を与える要因が異なるということです。代表的なものとして2つの主要要因を挙げています。
 一つ目は、「途中でやめられるか」ということです。
 まず、「店の外で並んで待つ」状態では、いつでも他の店に乗り換えることが可能です。店に対しては何の約束もしていないわけですから、店側にも何の責任もないかわりにお客であるこちらもやめるのは自由です。したがって、この段階での「待つ」という行為はあくまでも「好きでやっている」ということになります。
 ですから店の外で待つというのは、あえてそうしているという意味でお客にとってはちっとも嫌な行為ではなく、むしろ人がたくさん並んでいることによって「期待を高める」という効果にもつながるでしょう。
 次の「店に入って待合コーナーで待つ」という段階になるとリストに「名前を書く」という行為が入り、少し「縛り」が出てきます。つまり「やめる」ということに対して、多少ですが心理的なハードルが出てくるはずです。
 それが3番目の「席で料理を待つ」段階になれば、「オーダーする」という、実際に金銭の絡んだ縛りが発生するわけですから、もはや簡単にやめることはできない状態になっています。ですからこの段階での「待つ」という行為は、お客にとってはいわば「必要悪」ということになります。したがって、ここまで来てしまうと、「待つ」という行為は基本的にはあまり愉快なことではなくなってくるでしょう。

  

 次にもう1つの要因を見てみます。それは「時間が読めるか」ということです。初めて行く店かどうかでも変わりますが、一般的に言えば、これら3つのプロセスのうち、上流は時間のぶれが大きく、下流に行くほど時間は読めてくるでしょう。ただ、これが曲者(くせもの)です。
 時間が読めるということは、待っている側が心の中で暗黙のうちに、待ち時間の「期待値」を設定していることになります。通常「大衆レストラン」であれば、普通の人は待ち時間の期待値を10分ぐらいにおいているはずです。したがって、これを超えた瞬間に、待つことへの不満度が急上昇するのではないかと思います(あるいは宅配ピザであれば「30分」という期待値がデジタルに存在しますから、これを超えるか超えないかで不満度は急激に変化すると思います)。
 ですから、待つことが好きか嫌いかに関わらず、この段階で待たされることは、第一の要因と相まって、普通の人にとっては著しく不快に感じられることになります。

  

 冒頭の会話に当てはめれば、Aくんは図1のプロセスの2番目、Bくんは3番目、Cさんは1番目を想定して話をしていたことになります。これらは、「同じことに対しての意見の相違」ではなくて、「違うことに対する意見」を言い合っていただけだ、ということがおわかりでしょう。
 ここまでの話を整理します。図2を見てください。



図2 象の全体像を切り分ける


 今回の話はまさに、「象のどこを見ているか」によって、見ている人の感じ方が全く異なるということです。でも実際には3人とも「象を見ている」という認識だけがあり、「象というものはこういうものだ」ということに関する異なる意見を述べ合い、対立を解消できないでいるのです。
 こうした場合に必要なのは、まずは象の「全体像」を描いてから特性別に「切り分ける」ということです。こうして切り分けてしまえば、意見の対立だと思っていたものが、じつは「違う部分を見ていただけだ」ということにお互いが気づいて対立を解消することが可能になるでしょう。
 次回は、この「切り分ける」ということをさらに他の事例で解説したいと思います。

2010年4月 6日