第3回 同じものが違うものに見えてしまう「フィルター」

 さちえさんの怒りは、どうしても収まりませんでした。
 ここは、アラサー仲間3人と2泊3日でやってきたリゾートホテルでのバイキング朝食レストラン。「事件」はそこで起きました。
 2皿目のベーコンエッグを平らげたさちえさん、今度は2皿目で魚を少し食べようと、ふたたび席を立って食事の並んでいるコーナーにもどりました。
「あったあった、しかもだれも並んでない」
 おいしそうなサーモンの切り身を取ってお皿にのせようとしたそのとき、左の方から、
「あら、割り込みはやめて欲しいわ。まったく最近の若い女性っていうのは礼儀を知らないわね」
 という年配女性からの一言があったのです。
「えっ!?」と驚いたさちえさん、よく見ればその女性の後ろには列ができていました。でも、さちえさんの取ろうとしていた料理の両脇まではガラガラで、その後ろから列ができていたのです。少しびっくりしたさちえさん、思わず「す、すみません」と言って去ろうとするとその女性からダメ押しの一言、「でもやっぱり返さずに行っちゃうのね。ルールも守らないでまったく図々しい」。
 席に帰っても、さちえさんはどうしても納得できませんでした。職場でだって自分はいつも、だらしないおじさんたちにルールを守らせるのが仕事。その私に向かって「ルールを守れ」だの「礼儀知らず」だのですって!? 「絶対に許せない」と思うと、さちえさんは腹立たしさで食欲もなくなっていました。


 読者の皆さんにも、たような経験があるのではないでしょうか?
 自分ではまったく自然にしていることが、他人には大きな違和感を与えてしまう......ここで起きた「事件」は、どういうメカニズムによるものだったのでしょうか?
 また、どんな「象の鼻としっぽ」現象が起こっていたのでしょうか?
 下の図を見てください。


図


 これが、今回のさちえさんの怒りの原因ともなった、二人の「フィルター」の差です。物理的にはまったく同じに見えるテーブルの前の、目に見えない「列の線」が二人の間で異なっていたのです。
 暗黙のうちに「各料理は別の列で並ぶものだ」と思い込んでいたさちえさんと、「料理は取ろうが取るまいがカフェテリアのように一列に並ぶ」ことを当然と思っていた年配女性との違いをわかっていただけるでしょうか。
 実際バイキング料理では、「一体これどう並んでるの?」というとまどいを覚える場面が多いのではないでしょうか。そんなときに、ある思い込みに陥っていてそれに気づかないことによって、こういう「悲劇」が起きてしまったのです。

 これをもう少し発展させて考えてみましょう。
 この例では、「料理テーブルとその列」という曲がりなりにも形に表しやすいものが対象でした。ところがこうした思い違いは、目に見えないものにも十分起こりうる、いや目に見えないもののほうが起こりやすいといってもよいでしょう。

 仕事の手順で考えてみましょう。一つ一つの仕事が冒頭の例でいう「料理皿」で、「人の列」というのが、一連の仕事の流れと考えればよいでしょう。
 ある仕事の段取りを考えるに当たって、Aさんが当然のものとして考えている個々の手順や流れと、別のBさんが考える手順や流れは違っていて当然です。特に、別の部門の人や別の会社の人、あるいは異なる業界の人同士ともなれば、その違いは大きなものでしょう。
 例えば、「Xの次はY、Yの次はZ」とX→Y→Zを一連の流れの作業だと思っているAさんの前で、BさんがいきなりYの作業を始めたら、それがAさんの目にどう映るかというのは、先の例の「年配の女性」とまったく同じと考えてよいでしょう。
 こうしたときに、まさにさちえさんの経験したような状況が起こって、それがお互いのストレスになったり、時には言い争いになったりしてしまうというわけです。

 今回は、同じ1頭の「象」が人によって、異なるフィルタによって、まったく異なるものに見える、あるいは象そのものは同じでもその「周囲の風景」が違って見えるために起こるコミュニケーションギャップの具体例について説明しました。
 このように、コミュニケーションギャップは、「鼻としっぽ」といったように、違う部分を見ていることから起こるだけでなく、同じもの(部分)を見ていたとしても起こるのです。それは、人間はだれでも「フィルター」を持っているからです。当然といえば、当然のことなのです。

2009年11月20日