第9回 「大きく成長する人」「あまり成長しない人」を分けるメカニズム

 前回に引き続いて、個人別のフィルターの「枠の大きさ」が個人間の認識の違いにどういう影響を与えるかについて、別の事例で説明したいと思います。
 まずは前回のおさらいとして図1を見てみましょう。同じ大きさの象でも大きな枠のフィルターで見ると小さく見え、小さな枠のフィルターで見ると大きく見えるのでした。


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 今回はこの話を別の事例で見てみましょう。
 分野はどうあれその道の「プロ」と呼ばれる人に、自分の道を極めるための秘訣(ひけつ)を聞くと、当たり前の回答が返ってくることがよくあります。
 例えば野球やサッカー等の球技で言えば「ボールをよく見ること」とか、ビジネスで言えば「お客様のことをよく考えること」とかです。言い換えれば、その道を極めた人ほど基本を忠実に守っているということです。
 むしろ中途半端にできる「凡人」ほど、「そんなこと当たり前だし、とっくにわかってるよ。それよりも具体的なノウハウを教えてよ」などと基本を軽視してテクニックに走りがちです。
 これは一体どういうメカニズムで起こっているのでしょうか。
 ここで前回と同様、「基本能力」を象の大きさとして見てみます。この「能力」は、「達人」も「凡人」もそれほど変わらないのかもしれません。ではなぜ先の認識の違いが出るのか?
 じつはこの両名に決定的に違うのは「枠の大きさ」、つまり基本能力に対する重要性の認識ではないかと思います。達人は「基本が重要である」という認識が凡人に比べてはるかに大きいのです。
 その認識の違いはどういうふうに生まれてくるのでしょうか。図2を見てください。


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 図2は、「枠」とその中で評価された「基本能力の大きさ」、そしてその「枠の高さ」と「基本能力の大きさ」の「ギャップ」を示しています。そして「ギャップ」は、自分はどれだけ理想的な状況から離れているか、という認識を示します。これは、何かを学ぼうとする人にとってみれば、成長の原動力になります。つまり、このギャップが大きければ大きいほど「自分はまだまだだ」と思うことになり、基本能力の重要性を再認識することになります。
 したがって、「枠」が大きい達人は生半可な能力では「自分はまだまだだ」と認識し、「枠」が小さい凡人は「もう大体できている」と認識することになります。その道の達人ほど自らの能力の不十分さを強く認識しているので、冒頭の「当たり前の回答」になるというメカニズムなのです。

 私たちが何かの能力を向上させるためには「やることが2つある」ことがおわかりでしょうか。1つは「象そのもの」を成長させること、つまり能力そのものを磨くのはもちろんですが、もう1つは「枠を大きくする」つまり視野を広くして「自分の能力がいかに不足しているか」を自覚することが同じくらいに重要なのです。
 例えば英会話で言えば、単語や言い回しを一つ一つ覚えるのが「象そのもの」を成長させることですが、これに加えて、英会話の達人を見たり、あるいは実際に海外旅行に行ったり留学したりして本当に必要なレベルを思い知り、「自分はまだまだだ」という認識を持ってモチベーションを上げることが必要です。
 およそその道の「達人」は、能力そのものを磨いているのはもちろんですが、常に高いレベルを見ることによって視野を広げ、「到達すべきレベル」をそのつど高く設定しなおしているのです。「能力の向上」よりも「視野の拡大速度」のほうが大きいために、やればやるほど象が小さく見えてくるというわけです。これを示したのが図3です。


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 この図を見れば「基本能力の重要性」がその道を極めれば極めるほど高く見えてくるメカニズムが理解できると思います。道を極めれば極めるほど、ゴールは近くに見えてくるのではなく、むしろ遠ざかっていくのです。
 「井の中の蛙(かわず)大海(たいかい)を知らず」ということわざがありますが、本文で述べている「枠」が、まさにここでいう「いけすの大きさ」ということになりますね。

2010年2月18日