第11回 「高く思える20円」と「安く思える2000円」

 前回は「その道の達人」のフィルターには「地図」がついているために、一見似ているもの同士の相対的な位置関係がわかるが、「凡人」は目盛りのない小さいフィルターで個別に対象物を見るために、各々が同じように見えてしまうというお話をしました。
 今回は「フィルター付きの地図」がもたらす別のメリットについてお話ししたいと思います。またその対比として、凡人が「2つの異なるものが同じように見えてしまう」ことを別の切り口で見ていきたいと思います。

 買い物をしたときに、こんな経験はないでしょうか。
 普段の日用品の買い物では10円の値段の差に敏感になって、牛乳はあそこのスーパーが10円安いので少し遠回りしてでもそこで買って帰ろうとか、電池はディスカウントショップでまとめて買った方が10本あたり20円安いので、週末まで待とう......など、10円、20円にこだわって工夫をし、何とかこの不景気に対応しようとすることは、だれでも多かれ少なかれやっていることではないかと思います。

 これに対して、こんな経験もないでしょうか。
 たとえば、10万円以上もかかる車の定期点検でエンジンオイルの交換を勧められます。同じような商品が、いつも行っているスーパーの隣のカーショップで買えば2000円ほど安いと知っていながら、「面倒だからここで『ついで』に交換してしまおう」と、勧められるままにその場でオイル交換に応じてしまう。この場合に限らず、高額の出費をするときには普段では考えられないほど「気が大きくなって」些細(ささい)な価格差はど うでもよくなってしまうものです。

 「200円の中の20円と10万円の中の2000円では意味が違うよ」という声が聞こえてきそうです。でもよく考えてみてください。「遠回りして別の店で買う」10分間も「スーパーの買い物のついでにとなりのカーショップに立ち寄る」10分間も、時間の使い方や手間という点ではまったく同じはずです。ところが私たちは「牛乳や電池の20円」のためにはわざわざ遠回りするくせに、「エンジンオイルの2000円」は「まあいいや」で済ませてしまうのです。
 このように、私たちには、価格差を「絶対額」で見るのではなく「割合」で見て損得を判断する心理があります。これは行動経済学でもしばしば指摘される有名なことですが、本連載ではそれをこれまで述べてきた、「人が物事を見るときのフィルター」という観点で説明してみたいと思います。
 下の図1を見てください。



図1


 ここでは車検のような「高額商品」を象で、牛乳や電池のような「低額商品」をネズミで表現しています。 まず図の左側ですが、全知全能の神が「一つの地図上」に象とネズミをマッピングして見ている様子です。この状態であれば、象とねずみの大きさの違いは一目瞭然(いちもくりょうぜん)です。したがって、「象の耳」と「ねずみの耳」の大きさの比較は自明です。
 ところが「普通の人」は神様ではないので、「象は象」「ネズミはネズミ」というように、別々の機会に別々のものを見ることになります。ここでの問題は、どんなものを見るときでも私たちは、その対象を「枠いっぱい」で捉えてしまうことです。つまり、大きな象も小さなネズミも、枠いっぱいに捉えて見てしまいます。これが図の右側です。
 この状況では、「象の耳」も「ねずみの耳」も、「全体の中での大きさ」(全体の中での割合)として捉えます。これが、先ほどの20円と2000円が同じように見えてしまう理由です。
 私たちはとかく、「絶対値」で見るのではなく「割合」で見てしまう傾向があります。このことは、ものの値段にかかわらず、いろいろな事象で「事の重要性」を判断するときにもあてはまります。

 今回は、フィルターの「枠の大きさ」とその相対的な関係が、人間の認識にどう影響を与えるかについて述べてきました。こう考えてみることで、コミュニケーションの土台となる「共通の認識を持つ」ことの重要性がより理解できるでしょう。

2010年3月24日