第7回 勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし

 「各個人が持つ固有のフィルター」が及ぼすコミュニケーションへの影響について別の例を挙げてみます。
 今回のタイトルの「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉は、前楽天監督の野村克也さんが好んで引用している言葉です。今回はこの言葉の意味をこれまで述べてきた「象の鼻としっぽ」とフィルターという観点での解釈を試みてみたいと思います。

 私たちが過去の成功や失敗の原因を考えるときには、大きく2つの側面があるのではないかと思います。つまりそれは、「運」と「運以外」という2つの要因です。言い換えると、原因が「自分以外」(の環境や他人)にあったのか、反対に「自分自身」(の考え方や方法論)にあったのかという2つの側面です。ここでこれら2つの側面を見るときに、対象とする事象が成功だったのか、あるいは失敗だったのかによって、私たちは無意識のうちにフィルターを使い分けて見てしまいます。
 これら2つの「フィルター」は、図1に示すように、一頭の像の上半身側(運)と下半身側(運以外)の片側しか見えないような2種類のフィルターです。



図1

 具体的に言えば、自分が過去の成功したことを振り返る際にはその原因を「運以外」つまり自分自身に求め、失敗したことに対しては「運」つまり環境や他人のせいにしてしまいがちだということです。人間はとかく成功したことの原因は、「自分が努力したからだ」とか「自分のやり方が正しかったからだ」というふうに考えてしまう傾向にあります。逆に失敗したことに対しては、「相手が悪かったからだ」とか「○○さんが入らなければうまくいっていたのに」とか「ベストを尽くしたのに運が悪かっただけだ」などと思ってしまいがちです。
 反面、おもしろいことに、「他人の」成功を見るときにはこれを「運」だと思い、失敗を見るときには「運以外」つまり本人が悪いのだと見てしまう傾向もあるのではないでしょうか。
 つまり、自分の成功や失敗の原因を考えるにあたっては、自分自身の見方と他人の見方(客観的な認識)とは真逆のものになっている可能性が高く、これが自分と他人との認識のギャップ、言い換えれば「勘違い」ということができるでしょう。そしてこの勘違いを生んでいるのが、自分の成功・失敗と他人の成功・失敗を認識のするときとでは異なってくる「フィルター」であるということなのです。これを整理したものが図2です。



図2

 冒頭で紹介した「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」ということばは、まさに、こうしたギャップを認識させて自分の勘違いを正してくれるものだと思います。
 成功については「運」の要素が大きいのだから、自分のやり方が正しいなどと思わずに、「これは運のなせる業(わざ)だ」と思って精進を続けるべきであり、逆に失敗については「運のせいではなくてあくまでも自分自身に原因があったのだ」と自分を戒めるためのものではないかということです。

 平家物語の冒頭で語られる有名な「盛者必衰(しょうじゃひっすい)の理」(成功した人間も、必ず衰えるときがくる)の原因の一つも、成功すると「成功の原因は自分たちのやり方がよかったからだ」と考えてこれに固執することによっていずれ失敗するという、「盛者の勘違い」からくるところも大きいのではないでしょうか。

2010年1月22日