第16回 なぜ専門家は「視野が狭い」のか

この連載の第8回で「プロが持つ『違いがわかる』フィルター」というお話をしましたが、今回は、あまりに違いが見えすぎるのも問題である、というお話をしたいと思います。

皆さんにはこんな経験がないでしょうか。

新しい分野の勉強を始めた、あるいは新しい職場についたとします。あなたはその領域における大まかな「土地勘」をつかもうと、その領域をよく知っている「その道何十年」という専門家にその分野でよく使われる用語や基本的概念に関して質問したとします。

「○○について簡単に教えてもらえませんか?」

「○○」は、「電子書籍」でも「新興国経済」でも「電気自動車」でも、何でもかまいません。

こういう場面で非常にありがちな「その道の専門家」からの反応というのが、

「よくいるんだよね、そういう質問する素人の人。一言で○○って言ってもいろいろな種類があって、きちんと定義をしないでどうこう言ってもまったく意味がないんだよね。どこからどこまでの話をすればいいのかなあ……」

というものです。

そもそも聞いている方は、まったくその言葉を知らないから聞いているのに、そういう言われ方をしたのでは何の解決策にもなっていません。

確かに「専門家」の言い分ももっともです。よく知らない人は、異なることを「十把(じっぱ)ひとからげ」にして乱暴な議論を展開する。そういう状況は「専門家」としては許しがたい状況でしょう。

ただ、そうだからといって上記のような反応をしていては、ますますそうした傾向に拍車がかかり、問題は解決するどころかよからぬ方向に向かってしまうのは間違いないでしょう。

はたしてこれは、どういうメカニズムで起こっているのでしょうか。

図1を見て下さい。「素人」は、当該分野のことをよく知らない分、遠くから物事を見ることができるので、ごくごく大雑把に「○○ってどんなものなんだろう?」という素朴な疑問を持ちます(図1上側)。

 

 

illust20100605-1.gif

 

 

これに対して「専門家」は、日々、あるいは何十年にもわたってある領域のことだけしか見ていませんから、対象となるものをごくごく近くで見ていて、かつ、ある一定の枠内しか見えていないために、非常に詳細までがよく見えていることになります(図1下側)。

もちろん「専門家」である以上、当該領域の詳細に精通しているのは当然のことですが、往々にしてこの「視点の狭さと近さ」が領域外の人とのコミュニケーションギャップを招いてしまいます。

専門外の素人と話すには、一度思い切り引いて全体像を俯瞰(ふかん)し、そもそも自分の専門領域とはどういう位置づけのものなのか、そこを改めて認識してから話をしない限り、このギャップを埋めることは難しいでしょう。

以上の話を例によって「象」の話に置き換えてみましょう。図2を見てください。

 

 

illust20100605-2.gif

 

 

 

ここまで述べた構図は、自分が「素人」の立場にたった場合の「専門家の視野の狭さ」としては気づきますが、自分が「専門家」の側に立ってしまう場面では、なかなか気づくことが難しいのではないでしょうか。

確かに「専門家の枠」の中の違いを明確にするために言葉の定義をするのも重要ですが、まずは「全体像」の中での「専門家の枠」の位置づけを明確に共有するのが先決だと思います。そうしてから初めて「枠の中」の議論が意味を持ち、素人にもわかりやすく腑(ふ)に落ちて理解できるのではないかと思います。

ここでもやはり「象の全体」を意識して、自分がどこを見ているのか、相手はどこを見ているのかを明確にすることが重要になってくると思います。

この連載の第8回で「プロが持つ『違いがわかる』フィルター」というお話をしましたが、今回は、<B>あまりに違いが見えすぎるのも問題である</B>、というお話をしたいと思います。

皆さんにはこんな経験がないでしょうか。
新しい分野の勉強を始めた、あるいは新しい職場についたとします。あなたはその領域における大まかな「土地勘」をつかもうと、その領域をよく知っている「その道何十年」という専門家にその分野でよく使われる用語や基本的概念に関して質問したとします。

「○○について簡単に教えてもらえませんか?」

「○○」は、「電子書籍」でも「新興国経済」でも「電気自動車」でも、何でもかまいません。
こういう場面で非常にありがちな「その道の専門家」からの反応というのが、

「よくいるんだよね、そういう質問する素人の人。一言で○○って言ってもいろいろな種類があって、きちんと定義をしないでどうこう言ってもまったく意味がないんだよね。どこからどこまでの話をすればいいのかなあ……」

というものです。
そもそも聞いている方は、まったくその言葉を知らないから聞いているのに、そういう言われ方をしたのでは何の解決策にもなっていません。

確かに「専門家」の言い分ももっともです。よく知らない人は、異なることを「十把(じっぱ)ひとからげ」にして乱暴な議論を展開する。そういう状況は「専門家」としては許しがたい状況でしょう。
ただ、そうだからといって上記のような反応をしていては、ますますそうした傾向に拍車がかかり、問題は解決するどころかよからぬ方向に向かってしまうのは間違いないでしょう。

はたしてこれは、どういうメカニズムで起こっているのでしょうか。
図1を見て下さい。<B>「素人」は、当該分野のことをよく知らない分、遠くから物事を見ることができる</B>ので、ごくごく大雑把に「○○ってどんなものなんだろう?」という素朴な疑問を持ちます(図1上側)。
これに対して<B>「専門家」は、日々、あるいは何十年にもわたってある領域のことだけしか見ていませんから、対象となるものをごくごく近くで見ていて、かつ、ある一定の枠内しか見えていないために、非常に詳細までがよく見えている</B>ことになります(図1下側)。
もちろん「専門家」である以上、当該領域の詳細に精通しているのは当然のことですが、往々にしてこの<B>「視点の狭さと近さ」が領域外の人とのコミュニケーションギャップを招いて</B>しまいます。
専門外の素人と話すには、一度思い切り引いて全体像を俯瞰(ふかん)し、そもそも自分の専門領域とはどういう位置づけのものなのか、そこを改めて認識してから話をしない限り、このギャップを埋めることは難しいでしょう。
以上の話を例によって「象」の話に置き換えてみましょう。図2を見てください。







ここまで述べた構図は、<B>自分が「素人」の立場にたった場合の「専門家の視野の狭さ」としては気づきますが、自分が「専門家」の側に立ってしまう場面では、なかなか気づくことが難しい</B>のではないでしょうか。
確かに「専門家の枠」の中の違いを明確にするために言葉の定義をするのも重要ですが、まずは「全体像」の中での「専門家の枠」の位置づけを明確に共有するのが先決だと思います。そうしてから初めて「枠の中」の議論が意味を持ち、素人にもわかりやすく腑(ふ)に落ちて理解できるのではないかと思います。
ここでもやはり「象の全体」を意識して、自分がどこを見ているのか、相手はどこを見ているのかを明確にすることが重要になってくると思います。

2010年6月 5日