前回はコップの水を例にとって、同じものの「ある半分」と「残りの半分」という別の部分を見ているというまったく違う「フィルター」を持った二者間のコミュニケーションギャップを見ました。
今回は、「フィルターそのものの見え方がゆがんでいる」ことによる認識の違いを検証することで、これまで説明してきた「個人がもつフィルター」の性質を捉(とら)えていきたいと思います。
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コウイチくんは、東京駅の新幹線切符売り場でいらだっていました。だれにかといえば、切符売り場で前に並んでいる年配の男性に対してです。売り場の職員になにやらいろいろな注文をつけて何度も何度も調べなおしてもらっていて、すでに3分以上も一人で窓口を「占拠」し、コウイチくんの後ろにも長蛇の列ができはじめています。実は今日は取引先と大事な約束があって、もうあと2分で出てしまう新幹線に乗らなければ間に合わないのです。
「一体このおじさん、何を考えているんだろう? 約束に遅れたらどうしてくれるんだ!」と心の中だけでなく、もう口まででかかっています......。
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この話、「象」の話とはどういう関係があるのでしょうか?
図を見てください。
この構図は、左がコウイチくん、右はその話を聞いている「第三者」とでもしておきましょう。つまり、直接的な会話の相手というよりは客観的な認識というイメージです。
普通の人にはごく正常に見える「象」が、個人的思い込みにとらわれたコウイチくんには、とてもゆがんだ形に見えてしまっています。象の一部分を見ているというよりは、第三者にはまったく普通に見える象が、ある思い込みをもった人には違ったものに見えてしまうという構図です。これも個人のもつフィルターのなせるわざといえます。
では、ここではフィルターはどういう役割を果たしているのでしょうか。これは先述の通り、私たちが持つ「思い込み」の一つの例と言えます。
私たちは例外なくこうした「思い込み」というフィルターを持って物事を見ているがゆえに、第三者とは違ったものの見方になってしまい、これがコミュニケーション上の障害にもなります。
ここで例に挙げた話はどういう「思い込み」かと言えば、「直近で起きたことが大きく見えて、それ以前に起きたことが小さく見えてしまう」という思い込みです。
確かにここでコウイチくんが遅刻してしまった場合、列の前の男性は直接の原因になるかも知れず、コウイチくんのいらだちは妥当なものといえるのかも知れません。でも、客観的にさかのぼって事実を確認してみると違うことが見えてきます。
もともとこの日の朝コウイチくんは、目覚まし時計の音ではすぐには起きられず、15分ほど布団の中でぐずぐずしていました。また、最寄りの駅まで着いたときに、携帯電話を忘れてきたことに気づいて一度家に取りに帰ったりしていたのです。これらの原因で東京駅への到着が遅れ、前日に想定していた時刻から、すでに30分以上も到着が遅れていました。
ところが、コウイチくんの頭の中からは、そんな話はすっかり消えてしまい、直近の現象、つまり切符売り場で自分の前に並んでいた男性に、すべての矛先が向かってしまったのです。
考えてみると、同様の構図は私たちの身の回りにたくさん転がっているのではないでしょうか。たとえば、遅刻の原因が「最後の人」のせいになってしまった今回の事例は、さまざまな「プロジェクト」の遅延の原因を探るときと構図は同じです。
プロジェクトの中では、期限に近い「下流工程」が原因として責められがちですが、実際には上流での仕様決定の遅れがその根本原因であったります。でも、それはあまり目立たなかったりします。
また、故障の原因やトラブルの原因など、およそ「○○の原因を探る」という場面では、一般的に広くあてはまる事象ではないでしょうか。
以上の話は「(よくも悪くも)最終走者にスポットライトが当たる」という点で「ラストランナーシンドローム」とでも呼べる、私たちが持っている思い込みによるフィルターの例でした。
このフィルターは、過去の経緯を振り返る際に「最近のものだけが必要以上に大きく見えてしまう」という点で、モノがゆがんで見えるフィルターです(上図で言うと、象の頭側が過去でお尻の側が最近ということです)。
皆さんの身の回りでも、同様の出来事がないかどうか確認してみてください。