第18回 「ギャップに気づく」ことの難しさ

前回は、聞き手が「話が長い」と感じるのは、「象の全体像」を話し手と聞き手が共有していないことが原因であるというお話をしました。

今回はその応用として、人はどうして無意識のうちに全体像を共有しないで話を始めてしまうのか、ということについて解説したいと思います。

 

まずはこんなケースを考えてみてください。ここに異なる国出身のAさんとBさんがいます。仮にAさんの出身をX国、Bさんの出身国をY国としておきます。2人から順番に母国の国土の概要について説明してもらうという場面を想定します。

X国、Y国とも南北に縦に長い国なので、北の方から順番に何ページかの資料を使って説明することになりました。まずはAさんが説明を始めます。1枚目の資料ページ(図1)を見てください。

 

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これがAさんの出身のX国の一番北のエリアの地図です。さて皆さん、X国がどちらかおわかりでしょうか?

そうですね、皆さんはすぐにわかったでしょう。これは「北海道」ですから、X国は「日本」ということになります。

これがわかった皆さんには、Aさんの話の次の展開がほぼ読めたはずです。北海道から始まったということは、次に東北の話が来て、以下、関東→中部→関西→……というふうに、恐らく10弱の場面の説明が続くということが(Aさんが何も言わなくても)容易に想像できるでしょう。

これはなぜでしょうか? それは、北海道の絵を見たとたんに普通の日本人であれば、暗黙のうちに図2のような絵が頭の中に共有できているからです。

 

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つまり、Aさんが「象の鼻」の話をはじめたときに、「ああ、あの象ね」と聞き手が瞬時に理解して、象の全体を思い浮かべてしまっているのです。

この場合のコミュニケーションギャップはきわめて小さくなりますから、Aさんが補足説明をせずに2ページ目、3ページ目と話を続けても聞き手はストレスを感じることなく、内容についての誤解も少なく、さらに言えば「話が長い」と感じる可能性も少ないでしょう。

では次にBさんの番です。Bさんは自分のY国の説明を下の図3から始めました。

 

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さて、Y国とはどこでしょうか? この図だけでわかる人は恐らく100人に1人もいないでしょう。

つまり、Bさんが補足説明をせずに話を続けていけば、一体これはどこの国かもわからないし、この後の話がどういう展開になるのか(これは国土のどれだけの割合を占める部分なのか、あるいは、一つの島なのかどうか、など)はまったくわからずに聞き手はストレスを感じ始めることでしょう。

 

今回の例にかぎらず、日常でのなにげない話の中には、話し手と聞き手が「全体像」を共有できている話とまったくできていない話が混在しています。

コミュニケーションギャップは、話し手が無意識に持っている話の全体像の「残り」(図2の日本地図の点線の部分)が聞き手と共有できていない場面において発生します。

Bさんの国の全体像と、その中での「1枚目」の部分との関係を示しておきましょう(図4)。

 

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ここまで示せばY国がどこか、おわかりの方もいるでしょう。非常に縦長の地形から、Y国はチリと判断できます。

図3の情報だけでは、チリの人たちでもすぐにはわからなかったかもしれませんが、例えばこれがチリの地形をよく知る人の間であれば、1枚目の図がまさに「氷山の一角」であることが共有できて、このあとは恐らくこの20倍の話が続く、ということが想定できたかと思います。

 

今回の比較はかなり極端な状況を想定してのものでしたが、ここでの「国の違い」を「業界の違い」に置き換えて考えてみましょう。

同じ業界内であればまったく当然と思っているような「暗黙の了解」が自分の意識していないところでかなりあって、それはまったく異なる業界の人と話しているときにはコミュニケーションギャップの原因になっているということです。

 

さらに厄介なのは、「地図」のような事例では、「全体像を共有できていない」ということに気づくのは簡単ですが、そうでない「形として見えないもの」の話をしている場合には、「全体像を共有できていない」ということ自体にも気づかずに話が進展してしまうことが少なくありません。

つまり、ここで重要なのは、「ギャップそのものに気づくことが難しい」という点です。したがって私たちは日常、このメカニズムには必要以上に気をつけておく必要があると思います。

 

特に日本人というのは単一性が高くて多様性の低い民族であるがゆえに、自分の思考回路が他者と大部分共有できているという思い込みが、多様な価値観に触れている他国の人に比べると強い可能性があります。特にグローバルでのコミュニケーションにおいては、注意する必要があるのではないでしょうか。

あるいは、いつも同じような人たちと付き合っている、あるいは転職もせずに一つの職場でずっと働いている人も注意が必要です。

 

「あうんの呼吸」でのコミュニケーションは、できるに越したことはないですが、コミュニケーションギャップを考える上では決して前提にしてはいけないということです。むしろ、そのようなコミュニケーションはできないと想定して、頭の中に共通の白地図を描くことを意識すべきだと思います。

2010年7月 5日