第6回 「自己中心フィルター」の働き

 前回に続いて今回も「各個人が持つ固有のフィルター」がコミュニケーションへ及ぼす影響について別の観点から見てみましょう。まずは具体的な例を見てみましょう。皆さんは以下の発言を読んでどう思いますか?


 「どのぐらいの年収であれば『生活に余裕ができる』と思いますか?」という質問をさまざまな年収の人にぶつけると、次のような答えが返ってきました。

  • 年収400万円のAさん 「うちは平均年収以下だからとても余裕があるなんて状況じゃないですね。せめて600万ぐらいあれば余裕はできると思いますよ。」
  • 年収600万円のBさん 「いまは一応人並みの年収ってことなのかも知れないけど、余裕なんてとてもとても。まあ、800万とかあるのが『余裕がある』ってことになるんでしょうね」
  • 年収1,000万円のBさん 「きっと世間的には1,000万っていうのは『金持ち』ってことに見られているんでしょうね。でも実際の生活なんて全然ですよ。余裕があるレベルっていうのは、きっと1,500万とかもらっている人のことなんじゃないですか?」

 皆それぞれの「理由」をつけていまの自分に余裕がないことと、もう少しあれば余裕ができることを訴えています。これらの発言から、「各人の理由」が本当の意味での理由になっていないことは明白でしょう。要するに皆、「自分より少し上」であれば余裕ができるだろうと思っているわけです。
 これを「フィルター」で解釈するとどういうことになるでしょうか。
 図1を見てください。



図1

 これがA、B、Cさんが全員持っていると考えられる「フィルター」を模式的に示したものです。皆「自分自身の視点」を境目にしてその下側は、自分が恐らく経験したか容易に想像ができる世界であり、その上側は自分が経験したこともなく想像するしかない世界です。
 ここでは全員例外なく、自分の上側と下側とでものの見方がまったく変わってしまっています。各々自分のレベル(年収に限らずいろいろな世界で)より下側はよく見えるが、その上側は未知の世界であって「その他」のような十把一絡(じっぱひとから)げの世界とみて、そこが「別世界」であるかのような無責任なものの見方をしてしまう(あるいは必要以上に楽観的あるいは悲観的に見てしまう)ということです。
 つまり、ある境界線の両側で180度ものの見方が変わり、それが人によって異なるために、その話題で複数の人たちが会話や議論をしても話が全くかみ合わない可能性が高くなります。それが具体的には冒頭の発言のような形となって現れているということです。
 この話をいつもの象の絵に置き換えてみましょう。図2を見てください。



図2

 AさんとBさんのフィルターはその「境界線の高さ」が異なるために、象のあるレベルの上下の見方がまったく異なって見えます。これは別のCさん、あるいはDさん、Eさんにとっても同じように一人ひとり違う境界線を持っている人たちが見ても、まったく同じ話になると考えられます。
 別の場面でも同様のことが考えられます。例えば、階層化された組織の中での役職などの立場に適用してみましょう。役無しのいわゆる平社員の人からは「役職がつけば○○できるのに......」という言葉が聞かれ、役がついた主任・係長クラスの人は「課長ぐらいになれば......」となり、課長クラスの人になると「部長ぐらいにならないと......」といった具合に、「現在の自分より少し上の役職になれば○○できるのに......」といった考え方も冒頭の収入の話と全く同じと考えてよいでしょう。

 さらに発展させるとここまで解説してきた一連の構図は、「『おじさん』(おばさん)とはいくつからだと思いますか?」という質問に対する答えでも同じ傾向が出るのではないかと思います。
 子供のときは「ネクタイをしている人」がおじさんでしたが、大学生ぐらいになれば30代がおじさん、そして自分が30代になってみれば「自分がおじさん」だとはとても思えず(認めたくもなく)、その時点では40代後半とか50代の人が「おじさん」ということになるという、この不思議な現象も今回お話したような「自己中心フィルター」のなせる業(わざ)といえるのではないでしょうか。

2010年1月 8日