12冊め 「お金もうけ」の不変の真理がわかる『私の財産告白』

12_honda.jpg

東京は渋谷区の明治神宮に行ったことがある人は、周囲に森があることもご存知だろう。
何百年も前からありそうな、荘厳な森だ。
実は、あの森は、つい100年ほど前につくられた人工林なのである。

人工林といえば、杉や檜などをイメージする人が多いかもしれない。
事実、これらの針葉樹は、戦後の植林政策によって大量に植えられたものだ。しかし、近年、人工林は、山の生態系を脆弱にし、災害に対しても弱くなる、といった弊害があることが分かってきた。
また、現代人を悩ます花粉症は、人工林の弊害の典型的な例である。

そこで、さまざまな種類の木を植えて自然林に近い森をつくろう、という運動が出てきたのだが、明治神宮の周囲の森は、その「人工的な自然林」のお手本として、近年注目されているのだ。

神宮が建てられたのは、大正時代のこと。崩御した明治天皇を祀るためである。
政治家や学者たちによる議論の末、今の原宿のあたりに建てることに決まったのだが、そのさい、大隈重信が、日光東照宮や伊勢神宮のように、立派で荘厳な森のある神社を作ろうと提案した。

しかし、ここで一つ問題があった。
この場所は、そばに「陸蒸気」(おかじょうき・汽車のこと)が走っており、普通に植林した人工林では、その煙を受けて枯れてしまい、いずれ森が消滅してしてしまう危険があったのである。

天皇を祀る明治神宮がそれでは非常にまずい。
そこで、一流の学者たちを集め、「末代まで永遠に残る森を作る」という壮大な計画が立案された。
自然林を人工的につくろうというのである。
日本中からさまざまな種類の木を集めて、しかもその区画のなかに絶対に人を入れないようにした。今でも明治神宮の森は、人が入ってはいけないし、そこの落ち葉ひとつ取ってもダメということになっているが、これは作られた当初からのことなのである。

そして、さらに驚くべきことは、この森は、200年かけて完成させるように計画されていた、ということだ。
200年の間に、さまざまな木が、成長し、枯れて、また芽を出していく。そしてだんだんと淘汰され、森全体が適応して、恒久的に続くサイクルを持つ自然林となる。そのように、当時から予測されていたのだ。

このような今の時代を先取りしたとも言える計画を、明治・大正の人間が考え、実行したというのは、すごいことだ。
今、100年ほど経ち、当初の200年の予定よりも早く自然林に近い状態になっているそうだ。この明治・大正時代の計画は、成功しつつあるのだ。

さて、この壮大な計画を立案した学者のひとりが、今回ご紹介する本の著者である本多静六である。
今の若い人はほとんど知らないのではないかと思うが、本多静六は「知る人ぞ知る」、投資の神様のような人だ。
一流の学者であると同時に、「お金もうけの天才」だったのである。

昨年、『大手町は、なぜ金曜に雨が降るのか』というビジネスについて書いた本を出した影響か、人から「お金をもうける方法を教えて」とか「どうやったらお金が貯まるの?」などと聞かれることがあるが、そのときは、私はいつもこの『私の財産報告』という本をタネに話をすることにしている。
この本は、1950年に出版された本の復刻版で、5年ほど前にたまたま本屋で見かけて買ったものだが、復刻されるだけあって、時代を問わないおもしろさがある。

一番インパクトがあったのは、本多静六が実践していた「四分の一財産法」という貯蓄法である。この方法を忠実に実行すれば、確かに、金持ちになれるだろう。

やり方はきわめて単純だ。
どんな場合でも、収入があったら、その4分の1をそのまま自動的に貯金にまわす。
どんなに苦しくても、収入が月10万円しかなくても、2万5000円は絶対に貯金するのである。
4分の1くらいだったら、どんなことがあっても、なんとかなる。もともと、ないものとして考えればいいのだ。

本多静六は、そうやって貯めた金で、不動産を買うなど投資をし、資産を増やしていった。
それが可能なだけの「先見の明」もあったのだ。それでお金がどんどん増やし、巨万の富を得るまでになった。
そして、得た巨万の富をどうしたかというと、ほとんど寄付や慈善事業に投じてしまった。
日本版カーネギーみたいな人物である。

「四分の一法」という、行(ぎょう)のような倹約法を実行していたことからもわかるように、本多静六という人は非常に実直で、自分に厳しい生き方をしていた。

「四十までは勤倹貯蓄、生活安定の基礎を築き、六十までは専心求学、七十まではお礼奉公、七十からは山紫水明の温泉郷で晴耕雨読の楽居」というのが、本多静六の人生計画である。
また、この人は文章家でもあり、1日にある一定の分量の文章を書く、と言うことを決めて実行していたそうだ。

すばらしく魅力的な生き方である。
これに従えば、60歳になりたての私は、これから「お礼奉公の時代」ということだろうか。
私の気分としては、まだまだ専心求学の時代なのだが。
70歳くらいまではそれなりにがんばって、それ以降は今まで得たものを書き残しつつ、晴耕雨読、というのも悪くないかもしれない。

今回の乱読で得たこと

どんなことでも、シンプルな方法が一番いい

<今回の本>本多静六・著『私の財産告白』(実業之日本社)

2010年7月 1日