これまでの連載で紹介してきた本は、最近読んだ新しい本ばかりなので、今回は少し古い本を紹介しよう。
戦前の有名な科学者である寺田寅彦の随筆を集めた『寺田寅彦随筆集』。
何十年も前に買ったこの本の奥付を見ると、初版が1947年で、1980年第50刷発行となっている。1980年といえば、僕は30歳。気象やその周辺のさまざまなことについて意識的に勉強しようと思い、本をたくさん読みはじめた時期だ。
僕は24歳のときに、名古屋から東京に転勤してきた。
それから3年目、27歳のとき、「おはよう土居まさるです」というラジオ番組に出ることになった。この番組の天気予報コーナーには、MCである土居さんと、天気解説者である僕とのかけあいがあった。
それまでもラジオ番組の仕事はあったが、事前に書いた天気予報の原稿を読みあげるだけ。だから、土居さんが僕に投げかけてくる天気についての疑問にも、あまり答えることができなかった。
それもそのはず、そのころは、今のように天気に関係するさまざまな知識を勉強することなど、ほとんどしていなかった。もちろん、解説者として必要な気象予報の専門知識は勉強していたが、それ以外の雑多な知識がぜんぜんなかった。
だから、土居さんの番組に出るようになって自分の無知を痛感し、いろいろと本を読んで勉強しようと思ったのである。
そのときに出会ったのが、寺田寅彦の本だ。 実は僕は小学校のころ切手を集めていたのだが、その切手のなかに寺田寅彦の切手があり、名前は知っていた。そのときは名前だけで、どういう人なのかはまったく知らなかったのだが、大人になってから著作を読むと、切手になるほど有名だということが納得できる、すごい人だということがわかった。
随筆集のなかに「電車の混雑について」というくだりがある。これが書かれた大正の時代にも、いまと同じように満員電車があったと思うとおもしろいが、それはともかく、寺田寅彦は、「必ずすいた電車に乗るために採るべき方法は極めて平凡で簡単である」と言う。
その方法とは、「過ぎた電車がくるまで気長く待つということである」。
当たり前だ、バカにしている、と思いながら読み進めてみると、寺田寅彦のすごさがわかる。
一日で電車が込んでいる時間というのはだいたい決まっているが、その混んでいるなかでも、比較的混んでいるものと混んでいないものがある。たとえば、少し時間が空いたあとに来た電車には、みな「あたかも、もうそれかぎりで、あとから来る電車は永久にないかのように争って乗り込む」ので満員になるが、そのすぐ後に来る第二第三の電車はすいている。
こういったことは、だれでも気づくことだろう。しかし、寺田寅彦のすごいところはそういった法則を、電車の本数や乗客の数を観察し、記録し、表にまとめることで解き明かそうとしているところなのだ。
毎日電車に乗っている人は多いだろうが、こんなことをやっている人はいないだろう。随筆集には、こんなことを、大マジメに、文学的な文章で綴(つづ)ってあるのだ。 夏目漱石の弟子でもあったという寺田寅彦の随筆は、科学の視点からはなれても、純粋に読み物としてもおもしろいと思う。
今回はもう一冊紹介しよう。
『俳句と地球物理』という本は、俳人としても知られる寺田寅彦の俳句と随筆が収められた本だ。比較的新しい本だが、この本のなかで、感銘を受けたところがある。
それは「知と疑」というくだり。
寺田寅彦は、「疑は知の基(もとい)である。能(よ)く疑う者は能く知る者である」という。
「寺院の懸灯(けんとう)の動揺するを見て驚き怪しんだ子供が伊太利(イタリー)ピサに一人あったので振子の法則が世に出た。林檎(りんご)の落ちるを怪しむ人があったので万有引力の法則は宇宙の万物を一つの糸につないだというのは人の能く云う話である」(p52より)
なにごとも「なぜ?」と疑うことがなければ、なにも得られることはない。この姿勢は、とても大切だと思う。
僕はちょっとした疑問があると、それが気になって徹底的に調べてしまう。ある意味疑りぶかい性格で、それでいろいろと調べたことが天気解説のネタに役立ったりもしているのだが、これも、もしかしたら若いころに読んだ寺田寅彦の影響なのかもしれない。
お天気キャスターや、科学に関わる職業につくことを目指す人には、寺田寅彦の本は、ぜひとも読んでもらいたい。
今回の乱読から得たことなど
身近なことを科学的に考えるというのはおもしろい