2冊め 『大麻ヒステリー』を読むと思考停止度がわかる

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武田邦彦さんは、世の中の常識をくつがえす内容の本を何冊か書いている。そのうちもっとも有名なのが、『偽善エコロジー』(幻冬舎新書)で、これはベストセラーになっている。僕も彼の本はいくつか読んだが、なるほどと思う部分がたくさんあった。

一方で僕は環境問題について、自治体などから依頼されて講演することがある。そこでは「気候を見ると、地球は温暖化が着々と進行しています」「一人一人が環境を考えて行動しましょう」といったようなことを当たり前のように言っている。

どちらが正しいのか。自分でも自分の立ち位置がよくわかっていないのだが、おそらく両方の立場が正しい。つまり、判断の問題なのだ。地球の気温が上がっているという事実に対して「大変だ、何か対策しなければならない」ととらえるか、「温かくなっても大丈夫」ととらえるか。どちらが適切な判断だったかはずっとずっと先になってわかることで、現時点ではわからない。だから、両方とも正しいとしか言いようがないのだ。

武田さんの本を読むと、共通する一つのテーマが見えてくる。それは、「日本人の思考停止」であり、今回紹介する『大麻ヒステリー』も例外ではない。

僕は大麻について何も知らなかった。しかし、だれかが大麻で逮捕されたニュースがあったとして、もし僕がコメンテーターになっていたら「やっぱり大麻はいけませんね」などと言っただろう。おそらくだれがコメンテーターになっても、同じことを言うにちがいない。だれも、大麻について何も知らないのに。

大麻の善悪以前に、ここが武田さんが一番問題視しているところである。『大麻ヒステリー』は、大麻問題を通して日本人の思考を論じている、そういう本なのだ。

そもそも、なぜ日本では大麻が禁止されているのか。戦前までの日本では大麻は普通に栽培され、さまざまな用途で利用されていた。それが、戦後、アメリカの大麻取締法が持ち込まれる形で禁止する法律ができたとたん、「大麻はすべて悪」となってしまった。もともと日本の大麻には麻薬成分は含まれておらず、大麻を吸う習慣もなかったのに。「法律が犯罪を生み出した」というのが武田さんの主張だ。

面白かったのは、麻薬はいつも南方の国からやってくるという話だ。赤道に近い温暖なところは、果物がたくさんなっているし、暖かいので服がなくても死んだりはしない。生産性をそれほど上げなくても飢えないので気楽に生きることができ、人々は娯楽の一つとして麻薬を楽しむ。

一方、北緯40~50度あたりの国は寒くて過酷だから、生きるために一生懸命働いて生産性を上げなければならず、そのため社会のシステムもどんどん複雑化していく。そんな社会では、生産性を下げる麻薬は敵である。だからやっきになって取り締まるのだ。

しかし皮肉なもので、その一生懸命さが環境破壊を起こしてしまったりする。つまり、こういう社会には持続性がない。武田さんは、生産性を適度に下げ、この社会の持続性を保つひとつの手段として麻薬があるのではないか、ということを言う。

その正否はともかく、僕は大麻ひとつでここまで考えたことなど、今までなかった。ただ「大麻は悪いもの」という、だれかが用意した価値観に何も考えず乗っかっているだけだった。

考えてみると、似たような思考停止の例はいくつもある。たとえば、狂牛病やダイオキシン。一時あれだけ大騒ぎしていたのは何だったのか。テレビで連日のように連呼されていたのに、今ではだれもそのことについて言わない。そしてだれもかつての騒ぎの責任をとらない。

テレビのような、あるいはインターネットもそうかもしれないが、たった一つの価値観に収斂していくようなメディアというのはどこかおかしい部分があるように思う。そして何も考えずにそれを見て騒ぐ側も。

思考停止はとてもラクで心地がいい。「考える」という面倒なことをやめてしまうわけだから。だがそれがファシズムにつながることもあるのだ、ということを覚えておきたい。

今回の乱読から得たことなど

大麻についての自分の無知を思い知った。

<今回の本>武田邦彦・著『大麻ヒステリー 思考停止になる日本人』(光文社新書)

2009年9月 4日