第1回 はじめに ~ことばが権力をもつとき~

 

~「麦踏み神話」の崩壊~

 

 昭和の時代、「追いつめる・追いつめられる」という関係はそれほど悪いことではなかった。
 「麦踏み」ということばがある。麦は、一度足で踏み倒されることによって丈夫に育つのだが、これがよく人間の成長をあらわすたとえにも使われた。「人は、叩(たた)かれれば叩かれるほど強くなる」「追いつめられればやる気が起こる」という神話が信じられてきたのだ。

 

 しかし今、私がカウンセラーという仕事を通して知ったのは、たしかに追いつめられて力を発揮する人はいるし、努力する人もいるが、その一方で、追いつめられてつぶれる人や、いわゆる「力の反転」が起こって、暴力・殺人など反社会的な行動をとる人、精神的に病んでいく人なども大勢いる、という事実だ。

 

 今の若い人たちが、あまり他人と関(かか)わらないようにしているのは、このような「追いつめる・追いつめられる」関係を忌避するあまり、人間関係に臆病になっているからだろう。「追いつめ・追いつめられる」関係を疑問視する考え方は、ある年齢以下の人々には、もう共有されているのではないだろうか。

 


~「関係」も「空気」も「ことば」によってつくられる~

 

 私は臨床心理士であり、長年、人間関係や家族の問題で悩む人たちのカウンセリングをおこなってきた。私たち臨床心理士は、精神科医と根本的に異なる。精神科医は医師であることにおいて、内科医や外科医と同じである。患者に対して診断を下し、さまざまな治療を施し、患者の身体に触れることもできる。それが医師の特権である。

 

 これに対して、私たち臨床心理士は、腕に触れて脈を診ることも、注射を打つこともできない。処方箋(しょほうせん)を書いて薬を処方することもできない。カウンセリングの場で使えるのは「ことば」だけだ。
 カウンセリングは「傾聴」すればいいと考えられがちだが、聞いていればいいというものではない。私たちは細心の注意を払いながら、戦略的に「ことば」を選び、「ことば」を使いながらカウンセリングをおこなう。クライエント(相談者)との「関係」も、カウンセリング室の「空気」も、「ことば」によってつくられるのだ。私たちカウンセラーは、「ことば」に命をかけていると言っていいかもしれない。

 


~「質問」は権力の行使?~

 

 カウンセリングの場だけでなく、一般的にも「ことば」は力をもつ。暴力を使わなくても、たった一言で相手を追いつめることもあれば、逆に救ったりすることもある。

 

 たとえば、対話において最も注意しなければならないのが「質問」である。「質問」することは、相手への関心のあらわれと考えられがちだ。もちろん関心がなければ「質問」などはしない。しかしその裏がわには、「権力」の行使が含まれている。
 「質問」は「命令」ではないのに、なぜ? と思われるかもしれない。実は「質問」ほど、相手を追いつめ、不快にさせるものはない。これについては、次回以降、この連載で詳述する予定である。

 

 私たちカウンセラーの仕事は、「質問」から始まる。その作業なくしてカウンセリングは成り立たないからだ。ただし私たちは、「質問は権力の行使である」ということを十分に自覚しながら、クライエントに質問をしていくのだ。相手に応じて、ことばの使い方や語調には最大限に配慮し、戦略的に話をすすめる。


 

~自覚のないまま相手を追いつめる~

 

 では、一般的な対話においてはどうだろうか。「質問は権力の行使である」という自覚があるだろうか。親から子へ、夫(妻)から妻(夫)へ、上司から部下へ……など、おそらく、そんな自覚もないままに、相手を追いつめている場合があるのではないだろうか。

 

 注意しなければならない話し方は「質問」以外にもいろいろある。こうした「相手を追いつめる話し方」をとりあげていきたい。なぜそれが追いつめることになるのか、また、追いつめずに対話するには、どんなことを心がけたらよいのかを探りたい。反対に、「追いつめられない」ためにはどうしたらよいのかについても、考えていくつもりだ。
 この連載では、これらについて具体例をあげながら、「追いつめない・追いつめられない対話」について、みなさんと一緒に考えていきたいと思う。

  
(次回公開:2010年12月16日)  

2010年12月 2日