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        <title>梧桐書院WEB連載</title>
        <link>http://special.gotoshoin.com/</link>
        <description></description>
        <language>ja</language>
        <copyright>Copyright 2016</copyright>
        <lastBuildDate>Sat, 08 Jan 2011 09:39:54 +0900</lastBuildDate>
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            <title>「職人気質」と「商人気質」の対立構図</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt">&nbsp; 単行本化（梧桐書院刊『象の鼻としっぽ』）に伴ってしばらくお休みしてた本連載ですが、単行本に書ききれなかった内容や、さらに応用編、実践編ということで再開したいと思います。<br />&nbsp; コミュニケーションギャップは、3つの根本原因から成るというのが本連載の基本となる考え方でした。それらは、(1)人は自分中心にしか考えられない、(2)「伝わっている」という幻想、そして(3)「象の鼻としっぽ」の構図によるということです。<br />&nbsp; 今後もこれらによるコミュニケーションギャップ、特に「象の鼻としっぽ」の構図が具体的にどういう場面で現れるかについて様々な視点から解説したいと思います。</p>
<p class="bodytxt" style="color: blue; text-align: center;">～「規模の拡大」か「身の丈経営」か～</p>
<p class="bodytxt">&nbsp; 再開1回目の今回のテーマは、「職人気質」と「商人気質」の対立構図です。<br />&nbsp; 街にはさまざまな飲食店がありますが、よく見てみれば、どのジャンルにも同じようなパターンがあることに気づくでしょう。<br />&nbsp; 例えば寿司屋です。カウンターだけしかなく、数人しか入れないお店でいつもお客がいっぱいで予約がなかなか取れないのに、人も増やさずお店を広げようともせず、かたくなにその規模で入れるお客だけを相手に仕事を続けている昔気質の職人的なお店があります。その一方で、全国どこへ行っても看板を見かけるような回転寿し等のチェーン店もあるでしょう。<br />&nbsp; この構図は他のジャンルでも同様で、イタリアンやフレンチでも数席しかない店のままのスタイルを守るお店もあれば、まずは「弟子」を増やして店舗を2つ3つと増やし、レシピを共通化してさらに拡大し、果てはケーキ等はスーパーやコンビニでも売れるようにパケージ化して商品化するお店もあります。<br />これはラーメン屋でもお好み焼き屋でも全く同じ構図であることは、身近なお店を思い浮かべれば明らかだと思います。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp; このような飲食店の例であれば非常にわかりやすいですが、この構図は他のものづくりでも同様です。建築でも、1年に数件しか仕事を取らないような建築士から、全国規模のハウスメーカーのように、標準化、パッケージ化を進めて大量生産する大企業があったり、あるいは洋服でも完全オーダーからイージーオーダー、そして完全に均一な「吊るし」の服までといった具合です。<br />&nbsp; さらに範囲を広げれば、ビジネスのありとあらゆる場面で同じようなことが起こっています。会社の成長を考えていく上でも、「とにかく規模を大きくすること」を至上命題に掲げて売り上げの数字のみを重視する経営者もいれば、急拡大による品質低下や人材不足のリスクを考慮して「身の丈に合った経営」を重視する経営者もいます。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp; ここまで挙げたような異なる会社の間であれば、こうした価値観の違いは問題になりませんが、例えば同じ部の来年の予算を考える上で、部内の課長たちの考え方が異なっていたり、営業担当者の中でも価値観が違っているときにコミュニケーションギャップが生じることになります。かたや「まずは売り上げを上げないことには話にならない」という主張で、かたや「人もいないのにどうするんだ」になったり、かたや「とにかく多くのお客様に買っていただかなくては」と主張し、かたや「それで商品やサービスの品質が下がったら元も子もない」という対立の構図です。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp; これらのどちらのパターンを取るかは、「どちらが良い悪い」ということではなく、各々の人の価値観に左右されますが、これも「象の鼻としっぽ」の構図で説明ができます（図参照）。<br />一言で言えば、この対立構図は<span style="color: red;">同じ対象物（この場合はビジネスそのもの）の「量」を見ているか「質」を見ているかの違い</span>と言えます。</p>
<p class="bodytxt" style="text-align: center;"><span style="font-size: 16px; line-height: normal;"><img class="mt-image-none" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20110106.gif" alt="illust20110106.gif" width="353" height="225" /></span></p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt" style="color: blue; text-align: center;">～「モノ」か「カネ」か～</p>
<p class="bodytxt">&nbsp; ここで言う「質」は商品やサービスそのものということで、「量」は売り上げを代表とする「お金」ということになり、つまり<span style="color: red;">「モノ」に対して執着がある「職人」と「カネ」に対しての執着が強い「商人」との対立構図</span>を生み出します。<br />これが根本的な構図となって、これら2つのタイプの人は以下のように言動のパターンの相違が生まれます。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp; 品質を重視することは、結果として規模の拡大にはブレーキをかけることになります（全国に100軒ある店に「ミシュランの三ツ星」はつかないでしょう）から、職人型の人は、結果として人に頼った属人的な仕事の志向にならざるを得ません。これに対して規模の拡大を優先させる商人型の人は、なるべく人に仕事を任せ、かつ任せられる人を増やすとともに仕事を「誰でもできるような」仕組みが構築えきるように変えていこうとします。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp; また、多少無理しても受注しなければ規模は拡大できませんから、まず「できます」と言ってからやり方は後から考えようというのが商人型の人で、それによって万一顧客の信用を落としては元も子もないと考える職人型の人は「できないものはできないとはっきり言う」という行動パターンを取ります。<br />別の言い方をすれば<span style="color: red;">「期待値を下げようとする」のが職人気質で、逆に「期待値を上げようとする」のが商人気質</span>と言えるでしょう。<br />&nbsp; ここまでの言動パターンに落とせば、ほとんどすべての職場でこうした対立構図が起こっているであろうことに納得していただけるかと思います。</p>
<p class="bodytxt" style="color: blue; text-align: center;">～だからどうする？～</p>
<p class="bodytxt">&nbsp; 本連載で共通していることですが、「だからどうするの？」に対する答えは「そうした構図で認識の違いが起こっている」ということを<span style="color: red;">まずはお互いに認識することが第一歩</span>である、ということです。<br />その上でやるべきことは、<span style="color: red;">基本的な価値観のレベルで認識合わせを行って、その後に詳細の数字や具体的な計画の中身の擦り合わせに入る</span>べきだということです。<br />&nbsp; 「象の鼻としっぽ」を別々に見た状態で議論しても平行線が交わることは難しく、下手をすると人間関係にひびが入るといった事態にもなりかねないので注意が必要です。</p>
<p class="bodytxt" style="color: blue; text-align: right;">（次回公開予定：2月4日）</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/post-105.html</link>
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            <pubDate>Sat, 08 Jan 2011 09:39:54 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>相手を追いつめる四つのセリフ</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt">&nbsp; 相手を追いつめる言い方は、双方の立場や状況、関係性によって違ってくるが、どのような場合にもよく使われるフレーズがある。ただ相手を追いつめるだけで何の効果も期待できない無駄な言い方、ずばり言えば、口にしないほうがいいセリフである。<br />&nbsp; 代表的なものが四つあり、以下にあげる。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt" style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><span class="bodytxt"><span style="color: #0000ff;"><span style="font-size: medium;">～「努力すればできないことはない」～</span></span></span></span></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;"><span class="bodytxt">&nbsp;</span></span></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;"><span class="bodytxt">&nbsp;</span></span>「努力すればできないことはない」ということは、逆に言うと、「できなかったのは努力が足りないから」となる。言われた側がこう思ってしまうと、一気に悪循環に陥る。逃げ場はなく、自分の心にドリルで穴を開けていくような状態になる。しかも、たいていこれを言われるのは、努力をしている人だ。無理をせずにマイペースで生きている人は、言われない。一生懸命に努力をしながらも、内心で「足りないかな？」などとビクビクしているところへ、「努力が足りない」とガツンと言われるのだ。<br />　　<br />&nbsp; これはなぜかというと、相手の弱点を突くことがパワハラの常套手段であるからだ。マイペースで無理をせずに生きている人に「努力が足りない！　努力してできないことはないんだ」と言っても、「そうですね」と軽く返されておしまいだ。しかし、必死になってやっている人に対してはこのことばは効く。「努力してできないことはない」と言えば、「本当にそのとおりです」と、相手は受け入れる。そう考えると、残酷なセリフである。<br />　　<br />&nbsp; これらは、上司・部下の関係だけでなく、親子や夫婦関係にもあてはまる。<br />&nbsp; ある夫婦のＤＶ事例では、夫が仕事から帰ってきて、次のように言って妻を追いつめていた。<br />&nbsp; 「ただいま。&hellip;&hellip;ここ、ホコリがあるけど、ちゃんと掃除した？　今日何やってたの？　この1時間何やってたの？　掃除しようと思ってできないことはないでしょ。帰ってくる30分前に玄関を掃けばいいだけでしょ。やろうと思えばできないことはないでしょ」<br />　　<br />&nbsp; 日々このような追いつめられ方をすると、恐怖によって、追いつめる側を「神」のような存在にしてしまうようになる。妻は夫の言動にビクビクするようになり、「今日は非難されないようにしよう」と、帰ってくる30分前に一生懸命にホコリを拭（ふ）きとる。夫に「風呂（ふろ）がぬるいじゃないか」と言われれば、「ああ、今度はお風呂をきちんとしないと&hellip;&hellip;」となる。<br />&nbsp; 妻の行動規範が夫に支配され、つねに夫の顔色をうかがうようになり、妻はどんどんと追いつめられていく。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt" style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><span class="bodytxt"><span style="color: #0000ff;"><span style="font-size: medium;">～「なぜだ、理由を言ってみろ」～</span></span></span></span></p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">&nbsp; 「なぜだ、理由を言ってみろ」と言い、相手から理由を聞きだしたとしても、こちらが納得するような理由が出てくることはない。にもかかわらず、なぜか人は、相手の言動を責めるときに理由を聞く。<br />&nbsp; なぜ理由を聞くのか。多くの場合それは、本当に理由を聞きたいのではなく、相手を組み伏せて自分が納得するためだ。「私はあなたの行動に納得できない。私を納得させてみなさい」ということであり、思いどおりにならない自分のストレスやイライラを解消するため、相手に理由を聞いているにすぎないのだ。<br />&nbsp; 言われた側は「どうせ何を言っても納得してくれない」ということがわかっているので、ことばが出なくなってしまう。「もの言えば唇寒し」どころではなく、「ものを言う前に口が凍る」という状態だ。<br />　　<br />&nbsp; これも職場に限らず、親子、夫婦の関係でもよく見られる。夫婦間のＤＶでは、このやり方で6時間も追いつめられた、という例がある。夫が妻を正座させ、「理由を言え」。妻は、言わないと何をされるかわからないので、何か言う。すると、そのことばじりをとらえ、「それは、おかしいじゃないか」と、延々続くのである。<br />&nbsp; これは一つのテクニックではないかと思うくらい、「うまい追いつめ方」である。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt" style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><span class="bodytxt"><span style="color: #0000ff;"><span style="font-size: medium;">～「キミのためを思ってやっている」～</span></span></span></span></p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">&nbsp; 本当は、「キミのためだと&ldquo;私が&rdquo;思ってやっている」ということだが、「私が」は言わない。「キミのためを思って」と言ったとたんに、言われた側にバトンが渡される。愛情や好意というバトンである。言われた側は、それを受け取らないのは人として恥ずかしい行為である、と思ってしまう。そこには、「こんなすばらしいものを渡そうとしているのに、受け取らないの？」（キミのために言っているのに、そのとおりにしないのか）という圧力が働く。<br />　　<br />&nbsp; これを受け取らずに拒否すると、その提案を否定するとともに、相手の好意をも否定することになり、二重の意味での否定になってしまう。だから、（１）不本意ながらもバトンを受け取る（相手の言うとおりにする）か、あるいは、（２）バトンを受け取らずに「親（配偶者、上司）の好意を否定するだめな私」と自分を責めるか――のどちらかになる。<br />&nbsp; その二者択一を迫られた相手は、思いどおりになるどころか、精神的に追いつめられ、事態はますます悪化する。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt" style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><span class="bodytxt"><span style="color: #0000ff;"><span style="font-size: medium;">～いかにも論理的な正論～</span></span></span></span></p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">&nbsp; いかにも論理的かつ冷静に相手を説得する、というやり方である。「これはこういうものなんだ、だからこう言ってるんだ」と、論理的であるかのように正論を話す。男性によくあるタイプで、つまりは「こうあってほしい」「こうなってほしい」という自分の考えと、「なぜそれが正しいか」という理由を説明すれば、相手は納得し、納得すれば自分が考えているとおりの行動をとってくれるはずだ、というあまりに単純な考え方からきている。<br />　言ってみれば「人間機械論」だ。人間が自分の思いどおりに、つまり機械のように動かなければ気が済まないのだ。<br />　このような言い方をされると、自分は納得できていないのに無理やり承服させられ、反論もできず、追いつめられていくことになる。</p>
<p class="bodytxt" style="text-align: right;"><span class="bodytxt"><span class="bodytxt"><span style="font-size: small;"><span class="bodytxt"><span style="color: #ff0000;">(次回公開予定：1月18日）</span></span></span></span></span></p>
<p>&nbsp;</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/post-104.html</link>
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            <pubDate>Wed, 05 Jan 2011 12:56:18 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「コミュニケーションをとる」ことのマイナス</title>
            <description><![CDATA[<p style="text-align: center;"><strong><span style="font-size: small;"><span class="bodytxt">&nbsp;</span></span></strong>&nbsp;</p>
<p style="text-align: center;"><strong><span style="font-size: small;"><span class="bodytxt"><span style="font-size: medium;"><span style="color: #0000ff;">～</span><span style="color: #0000ff;">抑圧的なコミュニケーション～</span></span></span></span></strong></p>
<p><span class="bodytxt">&nbsp;</span></p>
<p><span class="bodytxt">　具体的な事例をあげていくまえに、その前提として、いくつか述べておきたいことがある。その一つが、「コミュニケーション」ということばについてである。<br />　　<br />　 こちらが正しいと思っているのに、そのことを相手がわかってくれない。正しいと思って、相手のためを思ってやっているのに、相手がそのとおりに動いてくれない。そして、相手をなんとか自分の思う路線に乗せようとして、いろいろな言い方で説得したり、諭（さと）したり、ときには叱（しか）ったりする。それでも相手は、思いどおりに動かない。<br />　そんなとき人は、その原因を、コミュニケーション不足に求めることがある。もっとコミュニケーションをとりさえすれば、相手はわかってくれるのではないか、思うように動いてくれるのではないか、と。<br />　しかし、それは錯覚であり、幻想であるかもしれない。<br />　　<br />　私は、「コミュニケーション」ということばは死んだ、と思っている。これほど便利で、かつ中身が空疎な言葉はない。なぜかというと、たとえばセクハラ、パワハラ、性犯罪、すべて加害者は「コミュニケーションがとれていた。納得の上じゃないか」と言う。子育てをする親は、「子どもとはコミュニケーションがとれているはず」と言う。実際は、片方がそう思っているだけで、もう片方はそう思っていない。<br />　　<br />　そもそも、部下や子どもなどの「弱い」側は、上司や親など「強い」側とのコミュニケーションをどう考えているのだろうか。<br />　強い立場の側はコミュニケーションをとりたがるが、その力が強大であればあるほど、弱い側はコミュニケーションなどとりたいとは思っていないことが多いのではないだろうか。<br />　ところが、「強い」側の人間は、それを理解せずに独りよがりのコミュニケーションをとろうとする。そして相手が思いどおりに動かないと「コミュニケーション不足」に原因を求め、「コミュニケーションはとれている」と思っている場合は、「それでも理解しない相手が悪い」ということになる。そして、もっともっとコミュニケーションをとろうとする。じつは、そのこと自体が抑圧的であり、相手を追いつめることが少なくない。<br />　　<br />　私はカウンセリングの現場で、そのような事例を数多く見てきた。だから私は、「コミュニケーション」ということばから、非常に抑圧的なにおいを感じてしまう。<br />　追いつめる・追いつめられる関係は、上司と部下、親と子、夫と妻のような、親密もしくは上下のはっきりした関係で生まれやすい。その関係を改善する場合に、「コミュニケーションをとる」という考え方は、むしろマイナスに働くことが多い。<br />　密なるコミュニケーションを望まず、適度な距離を置いた関係のほうがうまくいくことは、みんながうすうすわかっている。そして、こうした距離のある関係においては、追いつめる・追いつめられる関係性には発展しない。</span><span class="bodytxt">&nbsp;</span></p>
<p><span class="bodytxt">&nbsp;</span></p>
<p style="text-align: center;"><br /><strong><span style="font-size: small;"><span class="bodytxt"><span style="color: #0000ff;"><span style="font-size: medium;"><span class="bodytxt">～</span><span style="color: #0000ff;">人</span>を追いつめる「やさしい言い方」～</span></span></span></span></strong></p>
<p><span class="bodytxt">&nbsp;</span></p>
<p><span class="bodytxt">　この連載を読む前提として念頭に置いていただきたいこと、その二つめは、「やさしい言い方」でも人を追いつめることがある、ということだ。<br />　　<br />　「追いつめる言い方」というと、一般的には、強い口調で叱ったり、相手の人格を否定したり、恫喝（どうかつ）したり、ということを思い浮かべるかもしれない。しかし実際は、必ずしもそうした言い方で人は追いつめられはしない。むしろ「やさしい言い方」が、真綿で首をしめるように相手を追いつめることが少なくないということを知っておいてほしい。<br />　　<br />　恫喝というのはわかりやすい。だから逃げることができる。たとえば上司に「なんで俺の言うことがわからないんだ！」「どうして言うとおりできないんだ！」などと怒鳴られたときは、その場で謝ったり、「体調が悪いので」と言って一日休むことで逃げられる。<br />　難しいのは、「あなたのためにやっているんだ」という、やさしい言い方によって追いつめられる場合だ。これには逃げ場がない。<br />　　<br />　恫喝・命令・強制・脅迫・教唆扇動（きょうさせんどう）、といったような追いつめ方は、言っている側に「追いつめるために言っている」もしくは「追いつめることになるだろう」という自覚がある。追いつめられる側も「追いつめられている」という自覚がある。つまり、追いつめる側も追いつめられる側も構図が見えている分、対応しやすいのだ。<br />　一方、「あなたのために言っている」「あなたのことは理解しているけれど」という追いつめ方はどうだろうか。追いつめる側は、「追いつめている」という自覚がない。相手のために言っているのだと思い込んでいる。そして、言われる側は、<br />　「私のために言ってくれているのだから、本来ならば感謝しなければならない。それなのに、なぜ不快だったり苦しかったりするのだろうか。それは、私が未熟だからだろうか」<br />　などと考え、追いつめられていくケースが少なくない。<br />　<br />　ここで申し上げたいのは、明らかに追いつめるような言い方よりも、やさしい言い方のほうに問題が潜んでいる場合があるということ。その言い方が相手をとことん追いつめる結果を招くことが往々にしてあるということだ。その具体的例についても、次回以降、紹介していく。</span></p>
<p><span class="bodytxt">&nbsp;</span></p>
<p style="text-align: center;"><br /><strong><span style="font-size: small;"><span class="bodytxt"><span style="color: #0000ff;"><span style="font-size: medium;">～ハラスメント加害者にならないために～</span></span></span></span></strong></p>
<p><span class="bodytxt">&nbsp;</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　そしてもう一つ、追いつめられる側の心の中は、追いつめる側にはなかなか見えてこない。この連載を通じて、少しでも追いつめられる側の心理を知ってほしい、ということがある。<br />　人は追いつめられると、逃げたくなる。その逃げ方には、大きく分けて三つある。<br /></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span class="bodytxt">　（１）自分を追いつめる人に逆襲する<br />　（２）自分を責める（場合によってはうつになる）<br />　（３）別のことに集中してそのことを忘れる<br />　　<br />　追いつめる側が望んでいるのは、発奮してもう一度努力をすることだろう。しかし、それは追いつめられている人間にとって一番つらい選択であり、実現する確率は低い。そのことを追いつめる側も知っていて、自分のストレスや感情の発散として相手を追いつめる場合もある。そうなると、ハラスメントと叱責（しっせき）の境界線上にある行為といえるかもしれない。<br />　　<br />　追いつめることが目的であれば、完全にハラスメントであり、会社で言えば、上司が自分を満足させるために立場を利用して部下を追いつめれば、パワーハラスメントとなる。それと、単なる叱責とどこが違うのだろうか。<br />　じつのところ、それらの間に境界線を引くのは難しい。受け止め方の問題もあるだろう。ある人にとってはなんでもない叱責が、ある人にとってはハラスメントになってしまうことがある。<br />　だから、どのような言い方が人を追いつめうるか。ハラスメント加害者にならないためにも、それを知っておく必要がある。</span>　　</p>
<p style="TEXT-ALIGN: right"><span style="color: #0000ff;"><span style="font-size: small;"><span style="color: #ff0000;">（</span><span style="color: #ff0000;">次回公開：2011年1月4日）</span></span></span></p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/post-103.html</link>
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            <pubDate>Fri, 17 Dec 2010 20:35:04 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「ビジネス書」の新しい読み方を教えてくれる『ビジネス書大バカ事典』</title>
            <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/images/randoku13.jpg" rel="shadowbox"><img alt="randoku13.jpg" src="http://special.gotoshoin.com/assets_c/2010/12/randoku13-thumb-300x398-2692.jpg" width="150" height="199" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></a></span><p class="bodytxt">こんにち、ビジネス書がよく売れるそうだ。<br /> 今回ご紹介する『ビジネス書大バカ事典』は、そんな巷にあふれるビジネス書たちを、バッサバッサと斬っていく本である。</p>
<p class="bodytxt">本についている帯にあるキャッチコピーもまたおもしろい。<br /> 「そんなビジネス書にいったいいくら遣ってるの？」</p>
<p class="bodytxt">著者である勢古さんは、ビジネス書を「自分が金儲けをするための金儲け本」と「自分の言いたいことをしたためた本」とに分類し、当然ながら後者を高く評価している。<br /> そして、前者を「ビジネス書もどき」として斬っているのである。</p>
<p class="bodytxt">手にとってパラパラと開いて読んでみると、まず、文章がひねくれていておもしろい。<br /> 「白だ」と言っているものを「いやあれは黒だ」と言い「じゃあ黒だ」と言ったら「実は赤なんだ」と言うような、このひねくれた感じがいいのだ。</p>
<p class="bodytxt">たとえば、私が好きなビジネス書を挙げてみると、経済学者である野口悠紀雄さんの『「超」手帳法』は100点満点の50点、「可」という評価。経済小説家の橘玲さんの著作『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方 ― 知的人生設計入門』は、なんと10点。<br /> 「いくらなんでもそんなにひどくはないだろう」とは思うが、「そういう切り口もあるのか」という発見もある。<br /> 自分が好きな著者がけなされているからと言って、気分が悪くなるようなものでもない。</p>
<p class="bodytxt">斜に構えてちゃかすおもしろさ、娯楽の形をこの本は教えてくれる。</p>
<p class="bodytxt">また、多くの本は、どうしても硬い内容の本だと読んでもらえないので、手に取りやすいタイトルがついている。おもしろいタイトルは本当におもしろいのだが、これをやり過ぎるのが、「もどき本」のパターンとして確立されているようだ。</p>
<p class="bodytxt">これまでに私も何冊も本を出してきたが、本を出すときには非常な葛藤がある。<br /> タイトルをとってみても、ストレートなタイトルにするのか、「なんだろう」とおもわせるようなひねりを加えるのか。<br /> そもそも、何が売れるのか、出してみなければだれにも分からないという問題もある。<br /> だけれども、僕自身が持っている信念を曲げてまでタイトルや内容を売れるようにしようとは思えないし、そこまでして本を出す必要性は感じない、とも思う。</p>
<p class="bodytxt">成功には、「だれでも」「必ず」などという近道や王道はない。こういったタイトルに踊らされないように心がけておきたい。</p>
<p class="bodytxt">今の人達は内容よりも、有名人が書いた、読んだという部分で本を買っているように感じる。<br /> でも、そんな本をいくつも買うくらいなら、この本を1冊買ったほうがよほどいいと私は思う。</p>
<div class="impression">
<h3>今回の乱読で得たこと</h3>
<p class="bodytxt">取り上げられている本を読んでいなくても、読んだ気分になれた</p>
</div>
<p class="bodytxt"><strong>＜今回の本＞</strong><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4883205002">勢古浩爾『ビジネス書大バカ事典』（三五館）</a></p><br />]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/morita/post-101.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">森田正光の乱読日記</category>
            
            
            <pubDate>Mon, 06 Dec 2010 18:38:31 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>はじめに　～ことばが権力をもつとき～</title>
            <description><![CDATA[<p>&nbsp;</p>
<p style="TEXT-ALIGN: center"><strong><span class="bodytxt"><span style="font-size: small;"><span style="color: #0000ff;">～「麦踏み神話」の崩壊～</span></span></span></strong></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;">　昭和の時代、「追いつめる・追いつめられる」という関係はそれほど悪いことではなかった。<br />　「麦踏み」ということばがある。麦は、一度足で踏み倒されることによって丈夫に育つのだが、これがよく人間の成長をあらわすたとえにも使われた。「人は、叩（たた）かれれば叩かれるほど強くなる」「追いつめられればやる気が起こる」という神話が信じられてきたのだ。</span></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;">　しかし今、私がカウンセラーという仕事を通して知ったのは、たしかに追いつめられて力を発揮する人はいるし、努力する人もいるが、その一方で、追いつめられてつぶれる人や、いわゆる「力の反転」が起こって、暴力・殺人など反社会的な行動をとる人、精神的に病んでいく人なども大勢いる、という事実だ。</span></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;">　今の若い人たちが、あまり他人と関（かか）わらないようにしているのは、このような「追いつめる・追いつめられる」関係を忌避するあまり、人間関係に臆病になっているからだろう。「追いつめ・追いつめられる」関係を疑問視する考え方は、ある年齢以下の人々には、もう共有されているのではないだろうか。</span></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p style="TEXT-ALIGN: center"><br /><strong><span class="bodytxt"><span style="font-size: small;"><span style="color: #0000ff;">～「関係」も「空気」も「ことば」によってつくられる～</span></span></span></strong></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;">　私は臨床心理士であり、長年、人間関係や家族の問題で悩む人たちのカウンセリングをおこなってきた。私たち臨床心理士は、精神科医と根本的に異なる。精神科医は医師であることにおいて、内科医や外科医と同じである。患者に対して診断を下し、さまざまな治療を施し、患者の身体に触れることもできる。それが医師の特権である。</span></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;">　これに対して、私たち臨床心理士は、腕に触れて脈を診ることも、注射を打つこともできない。処方箋（しょほうせん）を書いて薬を処方することもできない。カウンセリングの場で使えるのは「ことば」だけだ。<br />　カウンセリングは「傾聴」すればいいと考えられがちだが、聞いていればいいというものではない。私たちは細心の注意を払いながら、戦略的に「ことば」を選び、「ことば」を使いながらカウンセリングをおこなう。クライエント（相談者）との「関係」も、カウンセリング室の「空気」も、「ことば」によってつくられるのだ。私たちカウンセラーは、「ことば」に命をかけていると言っていいかもしれない。</span></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p style="TEXT-ALIGN: center"><br /><strong><span class="bodytxt"><span style="font-size: small;"><span style="color: #0000ff;">～「質問」は権力の行使？～</span></span></span></strong></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;">　カウンセリングの場だけでなく、一般的にも「ことば」は力をもつ。暴力を使わなくても、たった一言で相手を追いつめることもあれば、逆に救ったりすることもある。</span></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;">　たとえば、対話において最も注意しなければならないのが「質問」である。「質問」することは、相手への関心のあらわれと考えられがちだ。もちろん関心がなければ「質問」などはしない。しかしその裏がわには、「権力」の行使が含まれている。<br />　「質問」は「命令」ではないのに、なぜ？　と思われるかもしれない。実は「質問」ほど、相手を追いつめ、不快にさせるものはない。これについては、次回以降、この連載で詳述する予定である。</span></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;">　私たちカウンセラーの仕事は、「質問」から始まる。その作業なくしてカウンセリングは成り立たないからだ。ただし私たちは、「質問は権力の行使である」ということを十分に自覚しながら、クライエントに質問をしていくのだ。相手に応じて、ことばの使い方や語調には最大限に配慮し、戦略的に話をすすめる。</span></p>
<p><br /><span class="bodytxt"><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></span></p>
<p style="TEXT-ALIGN: center"><strong><span class="bodytxt"><span style="font-size: small;"><span style="color: #0000ff;">～自覚のないまま相手を追いつめる～</span></span></span></strong></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;">　では、一般的な対話においてはどうだろうか。「質問は権力の行使である」という自覚があるだろうか。親から子へ、夫（妻）から妻（夫）へ、上司から部下へ&hellip;&hellip;など、おそらく、そんな自覚もないままに、相手を追いつめている場合があるのではないだろうか。</span></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p class="bodytxt"><span style="font-size: small;">　注意しなければならない話し方は「質問」以外にもいろいろある。こうした「相手を追いつめる話し方」をとりあげていきたい。なぜそれが追いつめることになるのか、また、追いつめずに対話するには、どんなことを心がけたらよいのかを探りたい。反対に、「追いつめられない」ためにはどうしたらよいのかについても、考えていくつもりだ。<br />　この連載では、これらについて具体例をあげながら、「追いつめない・追いつめられない対話」について、みなさんと一緒に考えていきたいと思う。</span></p>
<p style="TEXT-ALIGN: right"><span class="bodytxt">　　<br /></span><span style="color: #ff0000;">（次回公開：2010年12月16日）</span>　　</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/coming-soon115.html</link>
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            <pubDate>Thu, 02 Dec 2010 21:24:40 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>三ヵ月ぶりの親分</title>
            <description><![CDATA[<div style="text-align:center;">
<p class="bodytxt"><span style="color: #808080;">アッシ「うぉ～、あれは！　あれは！　親分！」</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a rel="shadowbox" href="http://special.gotoshoin.com/images/101801.jpg"><img class="mt-image-none" src="http://special.gotoshoin.com/assets_c/2010/10/101801-thumb-300x400-2608.jpg" alt="101801.jpg" width="300" height="400" /></a></span>
<p>&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">吉太郎「かいかい、かいかい」</p>
<p class="bodytxt"><span style="color: #808080;">アッシ「吉太郎親分！　生きて、生きてたんっすね！」</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a rel="shadowbox" href="http://special.gotoshoin.com/images/101802.jpg"><img class="mt-image-none" src="http://special.gotoshoin.com/assets_c/2010/10/101802-thumb-300x400-2610.jpg" alt="101802.jpg" width="300" height="400" /></a></span>
<p>&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">吉太郎「なんでぇ、その驚きようは？　ええぇ?　<br /> おれか生きてるってぇと、なんかマズイ事でもあるってぇのかい？」</p>
<p class="bodytxt"><span style="color: #808080;">アッシ「めっそうもございませんよ。アッシは<br /> アッシは、うれしいんですよ、こうしてまた親分に会えて。<br /> いえねぇ、ここ何ヶ月かお見かけしねぇんで、もしかして&hellip;&hellip;」</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a rel="shadowbox" href="http://special.gotoshoin.com/images/101803.jpg"><img class="mt-image-none" src="http://special.gotoshoin.com/assets_c/2010/10/101803-thumb-300x225-2612.jpg" alt="101803.jpg" width="300" height="225" /></a></span>
<p>&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">吉太郎「こんな風に、どこかでノタレ死んでるとでも？」</p>
<p class="bodytxt"><span style="color: #808080;">アッシ「そんな風じゃ、道行く人が触っていくだけっすけど&hellip;&hellip;」</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a rel="shadowbox" href="http://special.gotoshoin.com/images/101804.jpg"><img class="mt-image-none" src="http://special.gotoshoin.com/assets_c/2010/10/101804-thumb-300x400-2614.jpg" alt="101804.jpg" width="300" height="400" /></a></span>
<p>&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">吉太郎「この夏は暑くてよ、昼間出歩く気になれなくてよ」</p>
<p class="bodytxt"><span style="color: #808080;">アッシ「確かに暑いってもんじゃなかったっすね、親分」</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a rel="shadowbox" href="http://special.gotoshoin.com/images/101805.jpg"><img class="mt-image-none" src="http://special.gotoshoin.com/assets_c/2010/10/101805-thumb-300x225-2616.jpg" alt="101805.jpg" width="300" height="225" /></a></span>
<p>&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">吉太郎「こうやってよ、ごろんごろんする気にもなれねぇ。<br /> コンクリートってやつぁ、熱がこもっていけねぇな」</p>
<p class="bodytxt"><span style="color: #808080;">アッシ「でも親分、なんだかまた凄みが増したような&hellip;&hellip;」</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a rel="shadowbox" href="http://special.gotoshoin.com/images/101806.jpg"><img class="mt-image-none" src="http://special.gotoshoin.com/assets_c/2010/10/101806-thumb-300x400-2618.jpg" alt="101806.jpg" width="300" height="400" /></a></span>
<p>&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">吉太郎「いろいろあってな」</p>
<p class="bodytxt"><span style="color: #808080;">アッシ「えっ、何があったんっすか？」</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a rel="shadowbox" href="http://special.gotoshoin.com/images/101807.jpg"><img class="mt-image-none" src="http://special.gotoshoin.com/assets_c/2010/10/101807-thumb-300x225-2620.jpg" alt="101807.jpg" width="300" height="225" /></a></span>
<p>&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">吉太郎「この首のあたりを、掻いてくんねぇかい」</p>
<p class="bodytxt"><span style="color: #808080;">アッシ「こうですかい？」</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a rel="shadowbox" href="http://special.gotoshoin.com/images/101808.jpg"><img class="mt-image-none" src="http://special.gotoshoin.com/assets_c/2010/10/101808-thumb-300x225-2622.jpg" alt="101808.jpg" width="300" height="225" /></a></span>
<p>&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">吉太郎「ほんじゃあな、達者でな」</p>
<p class="bodytxt"><span style="color: #808080;">アッシ「何があったか教えてくんねえんですかい？」</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a rel="shadowbox" href="http://special.gotoshoin.com/images/101809.jpg"><img class="mt-image-none" src="http://special.gotoshoin.com/assets_c/2010/10/101809-thumb-300x400-2624.jpg" alt="101809.jpg" width="300" height="400" /></a></span>
<p>&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">吉太郎「またの機会にな。<br /> ネタは小出しに、でないと更新する回数が減るしな」</p>
<p class="bodytxt"><span style="color: #808080;">アッシ「親分、わかってたんすね。すいませんです」</span></p>
</div>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/kichitarou/post-100.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">吉太郎の傷だらけの人生</category>
            
            
            <pubDate>Mon, 18 Oct 2010 12:13:52 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>立川流鎖国論(5)  鎖国効果</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt" style="text-align: center;"><span style="color: blue;"><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></span></p>
<p class="bodytxt" style="text-align: center;"><span style="color: blue;"><span style="font-size: small;">～落語は伝統芸能にあらず～</span></span></p>
<p><span style="font-size: small;">　私の思い込みの激しい性格というのは、鎖国の世界では良い方向に作用していると思う。鎖国とは自分の国の文明文化こそ最高だと信じ込んでいるからこそ鎖国なのであり、落語という芸能そのものが鎖国的な芸能なのだ。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　この芸能のおもしろさ、すごさはわからない人にはどう説明してもわからない。柳家小さんのあの間がすばらしいだとか、古今亭志ん朝の「本当ぅにぃ」という響きがたまらないなんて、落語を知らない人にどう説明できるというのか。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　日本人にだってこの楽しさが一部の人にしか伝わらないというのに、アメリカ人なんかにはどう逆立ちしたって理解できないだろう。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p><span style="font-size: small;">&nbsp;「ウディ・アレンよりも落語のほうが数十倍粋なことを言っているんだぜ」</span></p>
<p><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　なんてニューヨーカーに言ったって、ユーモアのかけらもない日本人が何を言っているんだと一笑されておしまいだ。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　ニューヨークで私も落語をやった。近ごろ、数人の落語家が海外で落語を披露しているらしい。下手くそな英語で落語を語っている輩もいるとのこと。その努力はたいしたものだが、落語は英語になりません。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　アメリカに30年ぐらい住んで、その町の匂い、その町に暮らす人種の文化と了見まで理解して初めて、落語らしきものを英語で語れる。</span><span style="font-size: small;">日本の英会話教室で学んだ程度の英語力で落語を語ったって、相手には物語しか伝わらない。</span><span style="font-size: small;">まあ、落語の楽しさを物語だと信じているのならばそれで仕方がないが、落語の魅力は物語にあるのではない。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: small;">　</span><span style="font-size: small;">元来、落語とは、映画や小説、演劇になり得ない、屁みたいなくだらないものを名人がひとつの話芸にして語ったものだ。その「屁みたいにくだらないもの」の中に人生の真実があり、談志のいうところの「人間の業（ごう）」があるのだ。</span><span style="font-size: small;">それを中途半端な英語で語って、アメリカ人に聞かせてどうしようというのか？</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: small;">　私の場合は、スクリーンに字幕をだしてやってみたが、これも愚の骨頂。落語の持つ言葉の迫力と空気感は伝わったはずだが、それでも所詮（しょせん）、物語しか相手には伝わらない。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　外国人</span><span style="font-size: small;">の歌手が日本に来て、片言の日本語で持ち歌を歌われたら、その歌詞の意味はわかるだろうが、おもしろくもなんともない。歌詞なんか分からなくても英語で普段通り歌ってもらえれば、客は感動する。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　森進一がアメリカにいって、「おふくろさん」を</span><span style="font-size: small;">「♪マザー、マザー、ルックアップ、スカイ」なんて歌うはずがない。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　落語は閉鎖的な、つまりは「鎖国的な芸能」だ。だからこそ江戸時代から今日まで続いている。</span><span style="font-size: small;">これが、いわゆる「伝統芸能」とは異なるところであり、笑いを主とした落語がもし「伝統」だけであったら、時代とずれすぎてとうの昔に崩壊しているはずだ。</span><span style="font-size: small;">落語を100パーセント伝統芸能だと信じ込んでいる落語家の落語は、だからつまらないと言ってもいい。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　落語の存在価値は「伝統芸能」のそれにあるのではなく、永遠に人間の中にある真実を描くところにあるのだ。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p style="text-align: center;"><span style="font-size: small;"><span style="color: blue;">～鎖国が生んだ4人～</span></span></p>
<p><span style="font-size: small;"><span style="color: blue;">&nbsp;</span></span></p>
<p><span style="font-size: small;">　鎖国的芸能である落語。その落語を生業（なりわい）としている落語家が東京に500人ほどいる。その中で立川流の存在は異彩をはなっている。</span><span style="font-size: small;">立川流は落語協会から脱退した立川談志という家元のもとに、その信者が集まった集団であり、「談志の言葉がすべて」であり、「談志の落語こそが最高だ」と思い込み、修行をし、長い間鎖国状態におかれていた。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　しかし、開国をした今日、そこで育った落語家が頭角を現してきた。立川流を作る前の談志にはいわゆる売れっ子の弟子がいなかった。 落語もできる小説家というキャッチフレーズの談四楼師匠が存在感を見せつけていたぐらいであろう。</span><span style="font-size: small;">「談志は弟子を育てるのが下手」とまで言われた。談志は「師匠がすごすぎると弟子は育たないもんだと思っていた」と過去を振り返る。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: small;">　本当の売れっ子、スターは志の輔だけであろうが、落語界においてなにかと話題としてとりあげられるのは、志の輔のほか、談春、志らく、時として談笑である。</span><span style="font-size: small;">この4人とも談志が落語協会を脱会したのちの立川流、つまりは鎖国状態のなかで修業を積んだ落語家たちだ。鎖国が4人を生んだのである。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">&nbsp;</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　もっとも、私のように</span><span style="font-size: small;">思い込みが激しい性格でないと、この鎖国状態に疑問を抱いてしまうかもしれない。</span><span style="font-size: small;">日々疑問の中で暮らし、ついに開国となったときには、実に中途半端な芸人になってしまっている可能性がある。その点、私などは、談志が惚（ほ）れているものはすべて善だと思い込み、落語は当然のことながら、談志が愛するナツメロ、映画にいたるまで、教祖を上回る勢いでその知識を増やし、愛情を傾けながら、25年の歳月が流れたのである。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: small;">　</span><span style="font-size: small;">だから思い込みの激しい性格、万歳なのだ&hellip;&hellip;って、論理もへったくれもありません。</span><span style="font-size: small;">こういう人間が落語家になったからいいようなものの、新興宗教にハマってしまったら、今ごろどうなっていたかわかりませんね。</span><span style="font-size: small;">落語家になって本当によかったよ。</span></p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/shiraku/5.html</link>
            <guid>http://special.gotoshoin.com/shiraku/5.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">立川志らくの怒らないでください。</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 01 Oct 2010 22:03:20 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>立川流鎖国論（4）　志らく伝説・下</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt"><span style="color: #0000ff;">【登場人物】</span></p>
<table class="bodytxt" style="color: #0000ff;" border="0">
<tbody>
<tr valign="top">
<td style="white-space:nowrap;">●立川志らく&hellip;&hellip;</td>
<td>落語立川流真打ち、私</td>
</tr>
<tr valign="top">
<td style="white-space:nowrap;">●落語立川流&hellip;&hellip;</td>
<td>立川談志が落語協会を脱会して設立。脱会によって寄席には出演できなくなり、独演会や一門会のみで活動することになった。脱会直前に弟子となったのが志の輔、脱会後に弟子になったのが談春、志らく、談笑。「寄席を知らない弟子たち」と呼ばれることもあり、それがタイトルの「立川流鎖国論」の由来。</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p class="bodytxt" style="text-align: center;"><span style="color: #0000ff;"><br />～AMとPM～</span></p>
<p class="bodytxt">妻とニューヨークに行ったとき、とんでもない失敗をやらかした。</p>
<p class="bodytxt">入門当初、落語家としてニューヨーク旅行に行ける身分になるとは想像もしていなかった。ニューヨークで落語会を開催することになり、全日空が全面協力をしてくれるというので、開催前に現地に下見という名目で妻と旅行をさせてもらったのだ。思い込みによる失敗は帰りに起こった。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">帰国前夜、帰りの時刻を確かめようと飛行機のチケットを見た。「AM7:30」とそこに記されていた。でも私はまだ遊びに行きたい場所があり、勝手に「帰りは夜のフライトだ」と思い込んでいた。そのせいで、AMを午後だと脳が判断し、妻に「明日一日たっぷり遊べるよ」と話して、その晩は眠りについた。</p>
<p class="bodytxt">あくる日、ほうぼうを観光し、夕方、空港に向かうバスの中でもう一度航空券を確認した。「AM7:30」と当然ながら書いてある。AMは午後だと脳が主張する。しかしAMPMという言い方はするが、PMAMとは言わない。コンビニでもampmというのがある。</p>
<p class="bodytxt">午後・午前&hellip;&hellip;。脂汗が流れ出す。かたくなにAMを「午後」だと思い込んでいた脳が崩れ出す。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">AMと言えば、だれがなんと言おうが午前じゃないか。</p>
<p class="bodytxt">持参していた英会話の本を鞄（かばん）から取り出し、念のため調べてみる。</p>
<p class="bodytxt">「AM、午前のこと」</p>
<p class="bodytxt">己の間違いに気がつき、勇気をだして横でくつろいでいる妻に声をかけた。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">「重大な発表があります」</p>
<p class="bodytxt">「なに？」</p>
<p class="bodytxt">「我々の乗る飛行機は、もう行ってしまいました」</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">唖然（あぜん）とする妻。ただただ笑い続ける私。</p>
<p class="bodytxt">仕方なく全日空と私の間に仲介役で入っていたニューヨーク在住の友人に電話して、全日空に事情を説明してもらった。それから空港そばのホテルを急遽（きゅうきょ）とってもらい、飛行機は明日の便に変えた。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">飛行機代は全日空がもってくれたが、こうなると余計なホテル代は当然ながら自前。しかし所持金が100ドルしかなかった。帰るつもりだったから使ってしまったのだ。クレジットカードは使用限度を超えており、そのホテルには日本円をおろせるATMがない。ホテル料金が50ドル。夕飯が30ドルかかった。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">朝になり、空港まではタクシーに乗らないといけない距離。しかし、財布には20ドルしか残っていない。</p>
<p class="bodytxt">「まあ、空港はホテルの近所だろうから、10ドルあれば着くだろう」</p>
<p class="bodytxt">と、自分をそうやって勇気づけた。</p>
<p class="bodytxt">ホテルのカウンターでタクシーを手配してもらうと、なんとハイヤーのような車がきやがった。運転手は黒人。「ハイヤーでなくタクシーでいいです」と英語でどう言っていいかわからず、しずしずと車に乗り込んだ。</p>
<p class="bodytxt">車内に料金メーターがないではないか！　いったい我々夫婦はどうなるのか！　二日続けて脂汗がにじみ出てくる。</p>
<p class="bodytxt">時折、運転手がなにやら私に語りかけてくるが、何を言っているのかさっぱりわからず、ただ「イエス、イエス」とだけ連呼していた。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">数分で空港に到着。運転手が車から降りると、ドアを開けてくれて、トランクから荷物まで降ろしてくれようとしたので、私は「ノー、ノー」とここで初めて「NOと言える日本人」になった。</p>
<p class="bodytxt">「20ドルしか持っていないのだから、そこまでお世話になれませんよ。いくらですか？」</p>
<p class="bodytxt">と片言の英語で尋ねると、運転手はなにやらフィフティーンみたいなことを言っている。</p>
<p class="bodytxt">150ドルか！　と愕然（がくぜん）とする私だが、20ドルしか持っていないので、「ソウリー」と言いながら20ドルを渡した。</p>
<p class="bodytxt">どれだけ怒るだろうかと思ったら、「サンキュー」と言ってその場を去っていった。</p>
<p class="bodytxt">どうやら料金は15ドルで、私が20ドル渡したからお釣りの5ドルはチップだと思ったらしい。つまりホテルから空港まで15ドルと決まっていて、ホテル専属の車が送り迎えをしてくれていたのだ。</p>
<p class="bodytxt">黒い車＝ハイヤーと思い込み、黒人＝恐怖と思い込んでいたために、神経をすり減らしてしまったのだった。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt" style="text-align: center;"><span style="color: #0000ff;">～『オー』と『カー』と『マンマミーヤ』～</span></p>
<p class="bodytxt">その数年後、ラスベガスに妻と旅行した際も、くだらない思い込みをして汗みどろになったことがある。</p>
<p class="bodytxt">ラスベガスでショーを三つ観る予定になっていた。日本で予約をしておいて、現地のオカダヤという店でチケットを受け取る手はずになっていた。</p>
<p class="bodytxt">観る予定のショーは『オー』と『カー』と『マンマミーヤ』。8月5日に『オー』、6日に『カー』、7日に『マンマミーヤ』。</p>
<p class="bodytxt">しかし、これはたんにタイトルのゴロでその順番にしただけで、どういうことかというと、一番有名なのは水をテーマにしたイリュージョンの『オー』。どうしてもこれは観たかった。それで最初に『オー』。あとはなんでもよかった。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">妻が有名なミュージカル『マンマミーヤ』を観たいというのでそれを観ることにし、火をテーマにしたイリュージョンの『カー』は旅行会社の人に勧められたので観ることにしただけだ。</p>
<p class="bodytxt">で、本当の順番は『オー』『マンマミーヤ』そして『カー』。でも私の中では『オー』以外はどうでもよかったので、『オー』とくれば『カー』であろう。『オー』『カー』『マンマミーヤ』の順となる。</p>
<p class="bodytxt">と、まるで狛犬（こまいぬ）の「あ」といえば「うん」のようにそう覚えてしまった。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">オカダヤのカウンターで、</p>
<p class="bodytxt">「5日に『オー』、6日に『カー』、7日に『マンマミーヤ』で予約をしています」</p>
<p class="bodytxt">と告げると、受付の東南アジア系の人がいぶかしそうな顔をして、</p>
<p class="bodytxt">「『マンマミーヤ』は6日ですよ」</p>
<p class="bodytxt">と言ってきた。私は「そうですか」と言って、そのままチケットを受け取った。そして妻に、</p>
<p class="bodytxt">「あいつ、バカだね。6日は『カー』なのに」</p>
<p class="bodytxt">と笑った。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">「6日に『カー』を観る」と思い込んでしまうと、その間違いを指摘されても気がつかない。ましてやその間違いを指摘した人間が「自分より馬鹿だ」と勝手に思い込んでしまう粗忽者（そこつもの）の私であった。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">予定通り、5日に『オー』を観て6日を迎えた。『カー』は我々が宿泊をしていたMGMホテルの中にあるシアターでやっていた。PM7時の開演。もうAMとPMは間違えない。</p>
<p class="bodytxt">ホテル内でくつろぎ、6時半になり、そろそろシアターに向かおうと、チケットを確認した。すると何べん見てもチケットには「『カー』開催日8月7日」と書いてある。私はパニックに陥った。</p>
<p class="bodytxt">そこで真っ先に頭に浮かんだのが、いわゆるダブルブッキング。8月7日に『カー』と『マンマミーヤ』の二つのショーのチケットを購入してしまったと思ったのだ。</p>
<p class="bodytxt">妻に、</p>
<p class="bodytxt">「『カー』は今日じゃないよ。明日だった。明日は『マンマミーヤ』だけれども、こうなったらどちらかあきらめないといけないよ」</p>
<p class="bodytxt">と詫びた。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">しかし、そう言った直後、オカダヤの店員の言葉が頭をよぎった。</p>
<p class="bodytxt">「『マンマミーヤ』は6日ですよ」</p>
<p class="bodytxt">そこで初めて己の間違いに気がつく。</p>
<p class="bodytxt">「今日は『マンマミーヤ』だった。会場となるホテルは、マンダレイベイだ。7時の開演までまだ30分あるから、急ごう！」</p>
<p class="bodytxt">妻にそう告げたのだが、『マンマミーヤ』のチケットは部屋のサービス金庫の中であった。慌てて部屋に直行。しかし、ラスベガスのホテルはデカい。日本のホテルとはケタが違う。</p>
<p class="bodytxt">MGMは5000人収容できるデカさ。ホテルそのものが町なのである。</p>
<p class="bodytxt">エレベーターに飛び乗る。そういったときに限って、金髪のガキがすべての階のボタンを悪戯（いたずら）して押しやがる。</p>
<p class="bodytxt">各駅停車で自分の階まで行く。エレベーターを出てからが遠い。数百メートルの距離があった。</p>
<p class="bodytxt">全力で駆けて、チケットを手にし、エレベーターの中で見てみると、開演は7時半と書いてあった。一安心である。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">MGMからマンダレイベイまではそれほど遠くない。ホテルの正面玄関からその姿が見える。MGMの正面が、ホテル内にジェットコースターがあるニューヨーク・ニューヨーク。通りをはさんで左前に子供のお城みたいなエクスカリバー、その隣がピラミッド型のホテルルクソール。その隣が金ぴかに輝くマンダレイベイである。歩いて5分といった感じだ。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">でもこれが間違い。旅行会社の人にさんざん言われていた。</p>
<p class="bodytxt">「建物がすべて巨大なので、距離感が分からなくなりますよ。すぐそこだと思っても30分はかかると思ってください。それに真夏のラスベガスは想像を絶する暑さです。もともと、砂漠にホテルを建てたのだから、暑いに決まっていますがね。だから移動はなるべくタクシーかバス、モノレールを使ってくださいね」</p>
<p class="bodytxt">そう言われても、新宿駅南口から出てすぐ目の前に高島屋があるような感じでマンダレイベイが見えている。どうも日本人という民族は、タクシーで1メーターで降りるのは運転手に申しわけないという気持ちが働くみたいだ。</p>
<p class="bodytxt">時計を見ると6時45分。妻に私はこう告げた。</p>
<p class="bodytxt">「タクシーに乗る距離じゃない。第一、運転手さんに申し訳がない。歩いたって5分で着きそうな距離だ。旅行会社の人間の言葉を信じたとしても、せいぜい15分だよ。7時に到着すればちょうど開場時刻。それにルクソールのピラミッドと横に鎮座している偽物のスフィンクスをそばで見たいからさ、歩くことにしよう」</p>
<p class="bodytxt">二人はトコトコ歩き出した。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">すると、本当に遠いんですね。途中から走ったね。灼熱（しゃくねつ）の砂漠を妻と汗みどろになりながら。</p>
<p class="bodytxt">ピラミッドもスフィンクスも目に入りゃあしない。シアターに着いたのがなんと7時25分。新宿駅南口から高島屋まで40分かかってしまったのだ。</p>
<p class="bodytxt">おかげで肝心の『マンマミーヤ』の上演中、疲れから何度も船をこいでしまいました。</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/shiraku/4.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">立川志らくの怒らないでください。</category>
            
            
            <pubDate>Tue, 24 Aug 2010 00:06:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>話のプロセスかコンテンツか</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt">男女のコミュニケーションギャップを取り扱ったベストセラーに『話を聞かない男、地図が読めない女』（アラン･ピーズ／バーバラ・ピーズ）、『ベストパートナーになるために』（ジョン・グレイ）があります。これらの本で扱われているコミュニケーションギャップのテーマと本連載の「象の鼻としっぽ」との関連を考えてみたいと思います。</p>
<p class="bodytxt">これらの本の中で紹介されている男女のものの見方の違いの一つとして<strong>「女性は話を聞いて欲しいだけなのに、男性は『問題を解決』しようとする」</strong>ということがあります。これは男性と女性のコミュニケーションギャップを端的に表している言葉です。</p>
<p class="bodytxt">たとえば『話を聞かない～』では「男は解決策を出したがる」とか、『ベストパートナー～』では、「男は分析して満足する、女は話してすっきりする」「『アドバイスよりなぐさめが欲しい』が女の言い分」といった表現で記述されています。</p>
<p class="bodytxt">必ずしもすべての男性と女性がこうであるとは思いませんが、傾向としてかなりの割合の人がこれに類するコミュニケーションギャップを体験したことがあるのではないでしょうか。</p>
<p class="bodytxt">ここではこのギャップを例にしてみます（以下、<strong>同書で語られている「典型的な」男性像を「男性」、同じく女性像を「女性」と表現</strong>します）。<br />この話における両者は、「象」のどういう側面を見ているのでしょうか。この話も、以前にも紹介した「切り分ける」ことで説明ができます。</p>
<p class="bodytxt"><strong>コミュニケーションには「コンテンツ」と「プロセス」という側面があります。</strong>「コンテンツ」はコミュニケーションの中身や内容で、「プロセス」はその伝え方、あるいは受け方と定義すればわかりやすいでしょう。コンテンツという本体をプロセスという包み紙でくるんでいるという表現もできるかと思います。</p>
<p class="bodytxt">このように「切り分け」て考えればおわかりでしょうか。男性というのはコミュニケーションの「コンテンツ」への着目度が高く、女性というのは主にコミュニケーションの「プロセス」への着目度が高いのです（図1）。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img class="mt-image-none" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100812-1.gif" alt="illust20100812-1.gif" width="343" height="217" /></span>&nbsp;
<p>&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">これらの違いを具体的に説明しましょう。先ほどの「女性は話を聞いて欲しいだけなのに、男性は『問題を解決』しようとする」という現象を例に取ります。</p>
<p class="bodytxt">コミュニケーション「プロセス」を重視する女性にとっては、つまらなそうに聞きながら（プロセス&times;）アドバイスをしてくれる（コンテンツ○）よりは、楽しそうにうなずきながら（プロセス○）何も言わずに（コンテンツ&times;）聞いているほうがはるかに快適に感じるのです。</p>
<p class="bodytxt">これに対して「コンテンツ」重視の男性は、内容がつまらない（コンテンツ&times;）と判断した話にはもう全く興味を持つことができません。また、同じ話を別の状況でされても、それには全く興味を示すことができません。これらの状況を図2にマトリックス形式で整理します。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img class="mt-image-none" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100812-2.gif" alt="illust20100812-2.gif" width="284" height="188" /></span>&nbsp;
<p>&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">これは「プロセスが良いか悪いか」と、「コンテンツが良いか悪いか」の組み合わせを示したものです。</p>
<p class="bodytxt">左上の「プロセスもコンテンツも良い」、あるいは右下の「プロセスもコンテンツも悪い」という領域に関しては、男性の評価も女性の評価も同じため、問題はありませんが、問題は左下の「プロセスは良いがコンテンツは悪い」という領域と右上の「プロセスは悪いがコンテンツは良い」という領域です。</p>
<p class="bodytxt">女性は前者をよしとしますが、男性は後者をよしとします。これが、「つまらない話でも一生懸命聞いてほしい」と考える女性と、「偉そうにだろうが、状況に合わなかろうが、中身を改善できるような話をすべきだ」と思っている男性の根本的な見解の相違ということになります。</p>
<p class="bodytxt">この他にも、「だまって同情的な目で聞いている」という状態は女性的な視点からは非常に評価が高くなりますが、男性的な視点からは意味がないということになります。</p>
<p class="bodytxt">たとえば、『話を聞かない～』の中に「男脳・女脳テスト」として、「口論しているときむかつく態度は？」という質問があります。これに対する回答は男女で異なります。</p>
<p class="bodytxt">● 相手の沈黙、あるいは無反応（女性）<br />● あなたの考え方を理解してもらえないこと（男性）</p>
<p class="bodytxt">これらも、ここまで述べたことをこの話をよく物語っているのではないでしょうか。</p>
<p class="bodytxt">こうした男性と女性のコミュニケーションに関する嗜好は、一朝一夕に修正することは難しいでしょう。むしろ重要なのは、この<strong>メカニズムを踏まえた上でコミュニケーションに臨む</strong>ことではないかと思います。</p>
<p class="bodytxt">相手の思考回路を理解しておけば、無用の争いをゼロにはできなくても、減らすことができるのではないでしょうか。</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/post-99.html</link>
            <guid>http://special.gotoshoin.com/post-99.html</guid>
            
            
            <pubDate>Thu, 12 Aug 2010 17:04:46 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>立川流鎖国論(3)　志らく伝説・中</title>
            <description><![CDATA[<p><span style="color: #0000ff;"><span style="font-size: x-small;"><span style="background-color: #ffffff;"><span class="bodytxt"><span class="bodytxt" style="color: #3366ff;">&nbsp;</span></span></span></span></span></p>
<p><span class="bodytxt"><span style="color: #3366ff;">&nbsp;【登場人物】</span></span></p>
<p><span class="bodytxt"><span style="color: #3366ff;">&nbsp;</span></span></p>
<table style="COLOR: #0000ff" border="0">
<tbody class="bodytxt">
<tr valign="top">
<td style="white-space: nowrap;"><span style="background-color: #ffffff;"><span style="color: #3366ff;">●立川談志&hellip;&hellip;</span></span></td>
<td><span style="background-color: #ffffff;"><span style="color: #3366ff;">落語立川流家元、志らくの師匠</span></span></td>
</tr>
<tr valign="top">
<td style="white-space: nowrap;"><span style="background-color: #ffffff;"><span style="color: #3366ff;">●立川志らく&hellip;&hellip;</span></span></td>
<td><span style="background-color: #ffffff;"><span style="color: #3366ff;">落語立川流真打ち、私</span></span></td>
</tr>
<tr valign="top">
<td style="white-space: nowrap;"><span style="background-color: #ffffff;"><span style="color: #3366ff;">●落語立川流&hellip;&hellip;</span></span></td>
<td><span style="background-color: #ffffff;"><span style="color: #3366ff;">立川談志が落語協会を脱会して設立。脱会によって寄席には出演できなくなり、独演会や一門会のみで活動することになった。脱会直前に弟子となったのが志の輔、脱会後に弟子になったのが談春、志らく以下。「寄席を知らない弟子たち」と呼ばれることもあり、それがタイトルの「立川流鎖国論」の由来。</span></span></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p><span style="background-color: #ffffff;">&nbsp;</span></p>
<p align="center"><span style="font-size: small;"><span class="bodytxt">&nbsp;</span></span></p>
<p align="center"><span class="bodytxt"><span style="color: #3366ff;">～13日の「土」曜日～</span> </span></p>
<p align="center"><span class="bodytxt">&nbsp;</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　志らくが談志の真似を始めたぞ、と落語ファンの間に噂（うわさ）がひろまった事件がある。私が独演会に穴をあけそうになったのだ。</span></p>
<p><span class="bodytxt">　「志らく独演会」なのに志らくが来ない。弟子が汗水垂らしてつないだそうだ。でも、私は談志の真似をしたわけではない。ただの勘違いである。</span></p>
<p><span class="bodytxt">&nbsp;</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　小林小屋というプロダクションが主催する志らく独演会。冬季オリンピック開会式の日だった。独演会は2月13日の土曜日。私は日曜日だと思い込んでいた。「2月13日の日曜日」と頭にインプットされていた。しかし実際は、日曜日は2月14日で、2月13日は土曜日であった。</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　この思い込みが激しいのも私の特徴だ。あとでその話はするが、とにかく「独演会は日曜日だ」と思い込んでしまっていたのだ。</span></p>
<p><span class="bodytxt">&nbsp;</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　その日は昼からゴロゴロしていた。夕方になってテレビでオリンピックの開会式を見ていた。あともう少しで日本の入場だ。すると妻が私のスケジュール帳を見て、</span></p>
<p><span class="bodytxt">　「今日、独演会じゃないの」</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　と言い出した。私は笑いながら、</span></p>
<p><span class="bodytxt">　「独演会は日曜日だよ、今日は土曜日だから明日が独演会だよ」</span></p>
<p><span class="bodytxt">　と相手にしなかった。しかし、妻は言い返してきた。</span></p>
<p><span class="bodytxt">　「だって手帳にそう書いてあるもん」</span></p>
<p><span class="bodytxt">　「ならば書き間違えだ、バカ野郎」</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　と、私は妻を罵（ののし）った。</span></p>
<p><span class="bodytxt">&nbsp;</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　少し不安になって自分のスケジュール帳を見ると、そこには「2月13日土曜日市ヶ谷で</span><span class="bodytxt">独演会」と書かれてあった。</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　私は「これは何かと間違えだ！」と叫んだ。</span></p>
<p><span class="bodytxt">&nbsp;</span></p>
<p class="bodytxt">　　13日は日曜日のはずだ。今日が土曜日ならば13日のはずがない。しかしテレビでは、アナウンサーがはっきりと「日本時間2010年2月13日土曜日、冬季オリンピックの開会でございます」と言っているではないか。アナウンサーが間違えるはずもない。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;　　おそるおそる携帯電話を手にしたら、マネージャーから複数回の着信履歴があった。私は、オフの日は携帯をサイレントモードにしているのでいくら携帯が鳴ってもわからない。</p>
<p><span class="bodytxt">　　留守電を聞いてみると、マネージャーの声で「志らくさん今どこにいますか、もうじき落語会が始まりますよ」と入っていた。</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　時計を見ると、時刻は午後6時45分。会が始まるのは6時30分。私はあわてふためいてマネージャーに電話をした。マネージャーが、</span></p>
<p><span class="bodytxt">　「今どこにいるんですか」</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　と電話越しでもわかるぐらい青ざめた感じで聞いてきたので、正直に、</span></p>
<p><span class="bodytxt">　「家だよ」</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　と答えた。絶句するマネージャーに私は、</span></p>
<p><span class="bodytxt">　「あれっ？　明日でしょ独演会は」</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　と白々しく聞いた。するとマネージャーは、</span></p>
<p><span class="bodytxt">　「今日ですよ！　もう始まってます。すぐに来て下さい。弟子でつないでいますから」</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　と叫んだ。私はその言葉を聞くと、妻に「お前が正しかった」とだけ伝え、急いで着替え、家を飛び出した。</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　 </span></p>
<p align="center"><span class="bodytxt" style="font-size: x-small;"><span class="bodytxt" style="color: #3366ff;"><span style="font-size: small;">～案外近い千葉～</span></span></span></p>
<p align="center"><span style="font-size: x-small;"><span class="bodytxt">&nbsp;</span></span></p>
<p style="text-align: left;"><span class="bodytxt">　　家から駅まで歩いて15分。タクシーを捕まえようとしたが、そういったときに限ってタクシーが見当たらない。とにかく走った。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span class="bodytxt">&nbsp; </span><span class="bodytxt">マネージャーに電話したのが午後6時45分。己の間違えに気が付き、着替えて家を飛び出し、まで15分かかるのに7時2分には電車に乗っていた。</span></p>
<p class="bodytxt">　「我ながら凄い」と唸（うな）った。唸っている場合か！</p>
<p><span class="bodytxt">&nbsp;</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　携帯の乗り換えサイトで市ヶ谷（いちがや・東京都千代田区）駅の到着時間を検索してみた。到着時間は午後7時35分。その旨（むね）をマネージャーにメールした。マネージャーから、「駅の改札に志らら（弟子）が迎えに行く」と返信があった。かなりの遅れではあるが、まあ許される範囲であると安心した。</span></p>
<p><span class="bodytxt">&nbsp;</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　しかしこのとき、思い込みの激しい私の性格がさらなるパニックをもたらした。</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　私は、独演会の場所を市川（いちかわ）と思い込んでいた。千葉県の市川だ。だからマネージャーに連絡したとき、これはとうてい間に合わないと思った。</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　我が家は練馬（ねりま）である。市川までは1時間以上かかるはずだ。でも携帯で検索したら到着時間が7時35分とでた。なんだ、「千葉って近いね」と心の中で笑った。</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　ちゃんと「市ヶ谷」で検索しているのに、頭では「市川」と思い込んでいるから笑える。</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　高田馬場（たかだのばば）駅で地下鉄に乗り換える。</span></p>
<p><span class="bodytxt">&nbsp;</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　髭（ひげ）を剃（そ）っている時間がなかったから、駅のホームで電車を待つ間に剃ろうとしたが、周りに人がいて恥ずかしくて剃れない。電車がホームに滑り込んできたときに、その騒音にまぎれて慌ててこそこそと電気剃刀（でんきかみそり）で髭を剃った。</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　で、電車に乗り、もう一度携帯で到着時間を検索してみた。すると九段下（くだんした）駅で乗り換えとなっていて、九段下駅から3分で市ヶ谷に到着するとの表示。「これは変だ」と思った。</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　そりゃそうだ。こちとら千葉の市川に行こうと思っているんだから。まさか九段下から3分で千葉県に着くはずがない。</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　ここですさまじいパニックに陥る。</span></p>
<p><span class="bodytxt">&nbsp;</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　果たして私は、自分がどこに行こうとしているのか、わからなくなってしまった。</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　携帯では「市ヶ谷」と検索している。</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　でも私は「市川」に行こうとしている。</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　手帳を見ると「市ヶ谷」と書いてある。</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　何がなんだかわからなくなり、鞄（かばん）の中をひっくり返して、マネージャーから渡された会場地図を引っ張り出した。そこには、「市ヶ谷」と書かれていた。</span></p>
<p><span class="bodytxt">&nbsp;</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　なぜ「市川」と思い込んだのかというと、市ヶ谷で落語会をやったことがなく、市川では何回もやっているので、勝手にそう思ってしまっただけ。</span></p>
<p><span class="bodytxt">&nbsp;</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　会場に着いて急いで着替え、</span></p>
<p><span class="bodytxt">　「談志の真似をしたわけじゃない。ただの勘違いでして、家でオリンピックの開会式を見ていました。もし日本の入場を見ていたら、ここにはまだ来ていません」</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　と、詫（わ）びながら笑いをとって、『短命（たんめい）』と『文七元結（ぶんしちもっとい）』の2席をつづけて演じて、客に許していただいた。</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　主催者は談志の旧友で、私のことをことのほかかわいがってくれていて、遅れてきたこの粗忽者（そこつもの）を怒ることもなく、</span></p>
<p><span class="bodytxt">　「弟子を鍛えるためにわざとやったんだよな」</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　と豪快に笑いとばしてくれたのだった。</span></p>
<p><span class="bodytxt">&nbsp;</span></p>
<p><span class="bodytxt">　　</span></p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/shiraku/1-3.html</link>
            <guid>http://special.gotoshoin.com/shiraku/1-3.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">立川志らくの怒らないでください。</category>
            
            
            <pubDate>Sat, 07 Aug 2010 17:34:55 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「部分」を「全体」と思い込む勘違いのメカニズム</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt">ここまでさまざまな形で解説してきた「象の鼻としっぽ」のメカニズムですが、根底に共通して流れる私たちの「勘違い」として「単なる『部分』であることを『全体』と認識してしまう」ことがあります。「地図」の話や各個人の「固有の尺度」の話も、すべては「象の鼻やしっぽ」だけからそれを象の全体だと思い込んでしまうという誤解から来ています。</p>
<p class="bodytxt"><strong>「部分を全体だと思い込んでしまうこと」</strong>の直接的な事例を今回はお話ししましょう。</p>
<p class="bodytxt">以下の発言を考えてみてください。</p>
<p class="bodytxt"><strong>1．「Aさんって意外に芯（しん）が強い人なのね」<br />2．「アメリカの航空会社ってサービス悪いよね」<br />3．「ちかごろの若いものは我慢が足りなくて困る」</strong></p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">まずは１つ目の「Aさんって意外に芯（しん）が強い人なのね」です。こういう発言をしている人は一体どれだけAさんのことを知った上でAさんについて語っているのでしょうか。「中学校高校の同級生以来10年以上のつきあいの親友」から語られるならまだしも、「つきあって3ヶ月でいままで5回しか会ったことのない知り合いからこう言われたら、Aさんもさぞかし心外なことでしょう。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">これは、こういう発言をする人が<strong>会って数回だけでAさんの全体像を心の中で「勝手に」作り上げ、これに該当しないものを「意外だ」と勝手に決めつけているだけ</strong>と言えるでしょう。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">続いて2番目の「アメリカの航空会社ってサービス悪いよね」です。これもその航空会社を何百回も使っている人ならいざ知らず、こういう発言をする人の大半は数回しかこの航空会社を利用したことのない人です（そもそもよほどの「国際派ビジネスマン」でもない限り、ひとつの航空会社を何十回も利用する人はいないでしょう）。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">「たまたま」そのときのフライトで経験したこととか、「たまたま」そのときの担当だったフライトアテンダントの印象をもって一般化してしまっているわけです。これぞまさに「象の鼻だけを見て全体だと思ってしまう」の典型例と言えるでしょう。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">この話に限らず、私たちは外国人や自分と普段縁のない職業の人を見たときには（たとえ最初の一人であっても）、「○○の人はこういう性質である」という偏見を持ってしまいがちです。これは<strong>「過度の一般化による勘違い」</strong>とでも言えるでしょう。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">そして3番目が「ちかごろの若いものは我慢が足りなくて困る」です。この例に限らず、「ちかごろの若いものは&hellip;&hellip;」は、「年配者の勘違いワード」の筆頭ではないかと思います。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">まずこの言葉に込められた1つ目の勘違いは前述した「過度の一般化」のメカニズムです（世の中には「立派な若者」だってたくさんいますよ）。それに加えてこの事例で顕著なのが、<strong>「自分が『そう思いたい』と思っている事例を1つでも見ると、その事例をそういう認識でとらえてしまう」</strong>という特徴です。</p>
<p class="bodytxt">年配者というものは、いつの時代も若者が未熟に見えて仕方がない。これは人間のDNAに染み付いているのではないかと思います。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">もともとそういう目で見ることによって、「過度の一般化」が促進されてしまうというメカニズムは、他の場面でもあてはまるのではないかと思います。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">ここまでのお話をいつもの通り「象」の話に対応させたのが下図です。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<span enctype="application/x-www-form-urlencoded" method="get" class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img class="mt-image-none" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100729.gif" alt="illust20100729.gif" width="559" height="290" /></span>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 12px; line-height: 21px;">今回のこのお話も「それってすべての人にあてはまるんじゃなくて『単なる部分』じゃないの？」という読者の皆さんからの突っ込みがあるのではないかと思いますので、一言補足しておきます。</span></p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">その通り、私は世の中の全員を調査した上でお話をしているわけではなく、限られた自らの経験の中で話しているに過ぎません（少なくともすべて数十以上のサンプルに基づいてはいますが）し、すべてを膨大な実験や統計データに基づいて語っているわけではありません。ただこの話のポイントは、<strong>コミュニケーションは「伝わっていない」と考えているほうが安全な認識</strong>であり、そう考えていたほうがうまくいくというところなのです。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">少なくとも何割かでもこういった勘違いをしている人たちがいると認識していれば間違いはないでしょう（「私たちはみな」という表現をしばしば使っている通り、ここまでお話ししてきた「勘違い」に例外はない、というのが私の確信に近い仮説ではあります）。</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/post-98.html</link>
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            <pubDate>Thu, 29 Jul 2010 09:41:13 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>立川流鎖国論(2)　立川ボーイズ伝説</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt"><span style="color: #0000ff;">【登場人物】</span></p>
<table class="bodytxt" style="color: #0000ff;" border="0">
<tbody>
<tr valign="top">
<td style="white-space: nowrap;">●立川談志&hellip;&hellip;</td>
<td>落語立川流家元、志らくの師匠</td>
</tr>
<tr valign="top">
<td style="white-space: nowrap;">●春風亭昇太&hellip;&hellip;</td>
<td>落語芸術協会真打ち、志らくの先輩</td>
</tr>
<tr valign="top">
<td style="white-space: nowrap;">●立川談春&hellip;&hellip;</td>
<td>落語立川流真打ち、志らくの兄弟子</td>
</tr>
<tr valign="top">
<td style="white-space: nowrap;">●柳家花緑&hellip;&hellip;</td>
<td>落語協会真打ち、志らくの後輩、祖父が柳家小さん（談志の師匠）。志らくとはたびたび二人会を開いている</td>
</tr>
<tr valign="top">
<td style="white-space: nowrap;">●立川志らく&hellip;&hellip;</td>
<td>落語立川流真打ち、私</td>
</tr>
<tr valign="top">
<td style="white-space: nowrap;">●落語立川流&hellip;&hellip;</td>
<td>立川談志が落語協会を脱会して設立。脱会によって寄席には出演できなくなり、独演会や一門会のみで活動することになった。脱会直前に弟子となったのが志の輔、脱会後に弟子になったのが談春、志らく、談笑。「寄席を知らない弟子たち」と呼ばれることもあり、それがタイトルの「立川流鎖国論」の由来。</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p class="bodytxt" style="text-align: center;"><span style="color: #0000ff;"><br />～志らく5分、談春55分～</span></p>
<p class="bodytxt">談志はその昔、よく仕事に穴をあけることで伝説をこしらえた。落語をやりに行ったらば先方の対応があまりに悪く、怒って帰っちゃったとか、客がうるさいので落語を中断して帰っちゃったとか。</p>
<p class="bodytxt">「まさか志らくさんはそういうことはしませんよね」と言われるが、さにあらず。談志ほどの武勇伝こそないが、怒って帰っちゃったことが何度かある。私の場合、談志のように乱暴ではない。こそこそ帰る。こそこそ高座から降りる、である。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">談春兄（だんしゅんあに）さんと、とある高校で落語をやることになった。2人で1時間の持ち時間であった。まず私が高座に上がった。すると高校生が完全にだれきっていた。教室に特設高座を設けての落語会だったのだが、生徒はふてくされ、机に突っ伏していやがった。頭にきて、5分だけで高座から降りちゃった。</p>
<p class="bodytxt">談春兄さんは慌てたね。まだ持ち時間が55分もあるじゃないかと怒りながら高座に上がっていった。で、きちんと古典落語を55分演じておりました。さすがは平成の名人だ。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">成人式で落語を頼まれたことがあった。これも談春兄さんとの仕事。このときも2人で1時間。で、さっぱり客が噺（はなし）を聞かない。こんなところで落語をやる自分がかわいそうになり、やはり5分で降りちゃった。</p>
<p class="bodytxt">談春兄さんは慣れたもんで、愚痴もこぼさず淡々と古典落語を私の持ち分までやっていた。慣れというものは大切ですね。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt" style="text-align: center;"><span style="color: #0000ff;">～早稲田大学正門事件～</span></p>
<p class="bodytxt">談春兄さんとは「立川ボーイズ」というチーム名でコントをやっていたので、のべつ一緒に仕事をしていた時期がある。端（はた）から見ると談春のほうが乱暴に見えるが、このころは志らくのほうが乱暴だった。テレビの仕事も結構やっていたが、プロデューサーやディレクター、放送作家と上手に付き合い、仕事を円滑にすすめられたのは全部談春兄さんのおかげである。</p>
<p class="bodytxt">人付き合いが悪く、わがままで、怒るとこそこそ逃げる志らくではあったが、たまにキレることもあった。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">2人が早稲田大学の学園祭に呼ばれた際、正門で木戸をつかれてしまった。入場料代わりに学園祭のパンフレットを買わないと中には入れないと係の学生がいうのである。我々は招かれたのになんで金を払わなければいけないのか納得できず、要は係の学生にきちんと状況が伝わっていなかっただけのことなのだが、どうやっても中に入れてもらえない。どんなに説明しても「パンフレットを買え」の一点張り。</p>
<p class="bodytxt">談春兄さんはこの状況にあきれて「もう帰ろうじゃねぇか」と言い出し、3メートルぐらい歩き出す。でも私が粘って学生に説明をしているとすぐに戻ってきて、「だから帰っちまえばいいんだよ」と吐き捨てて、また3メートルぐらい歩きだす。これを数回繰り返したところで、「学生が根負けして、わかりました、入っていいですよ」と言ったのだ。</p>
<p class="bodytxt">しかしそう言ったあと、軽く舌打ちをしたのが私の耳に入ってきた。私は学生の胸ぐらをつかみ「ふざけた態度をとるな！　謝れ！」と怒鳴り散らした。</p>
<p class="bodytxt">その剣幕に談春兄さんが驚いて、まあまあと私を止めたのである。現在、「立川談春＝恐怖」と信じている人には、にわかには信じられない光景であろう。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">最近、地方の落語会の主催者が2週にわたって、談春、志らくの会を相次いで催したのだが、主催者が落語会終了の打ち上げで私に次のようにこぼしてきた。</p>
<p class="bodytxt">「志らくさんだと楽ですよ。談春さんだとピリピリしちゃって。落語会が終わった直後、楽屋に呼ばれて、そこに正座しろと言われて永遠1時間も小言（こごと）ですよ。お前は落語会の主催者としてなっていないって。志らくさんとは本当に楽しく会ができましたよ」</p>
<p class="bodytxt">と言われたぐらいだ。</p>
<p class="bodytxt">怒らないと私は実に紳士に見えるらしい。魔太郎なのにね。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt" style="text-align: center;"><span style="color: #0000ff;">～AVと鉄棒とAKB48～</span></p>
<p class="bodytxt">柳家花緑（やなぎやかろく）とトークショウを頼まれたことがある。月例でやっている大田区の下丸子落語倶楽部（しもまるこらくごくらぶ）の2人のオープニングトークの評判がよく、それをやってほしいという依頼だった。場所は東京体育館。あんな大きな会場に、志らくと花緑がおしゃべりをするだけで客が集まるのか不安であったが、ふたをあけてみたら、なんのことはない、満席。</p>
<p class="bodytxt">しかし、トークがてんでうけない。で、我々のあとに少女の集団がステージにかけ上がり、歌い出した。会場の盛り上がり方のすさまじいこと。</p>
<p class="bodytxt">聞いたらば、彼女たちはAKB48だという。その当時、私はまったく彼女たちについての知識がなく、素人の女の子の集まりだと思っていた。でも観客の盛り上がりをみて、この客は彼女たち目当てであることに気が付き、無性に腹がたってきた。</p>
<p class="bodytxt">志らくと花緑のトークは彼女たちの前座だったのか！</p>
<p class="bodytxt">もちろん、打ち合わせのときにAKB48のことは聞いているはずだ。でも興味がないから耳に入っていない。呆然（ぼうぜん）とする私に向かって、主催者が、彼女たちの後にまたステージにあがって、外国人とAKBと一緒にジェスチャーゲームをやってくれと言ってきた。</p>
<p class="bodytxt">まあ最初からそういう段取りだったのだろうが、素人の女の子の集まりの前座にされたことが許せず、私はもうステージには上がらないと主張した。主催者は困惑していた。</p>
<p class="bodytxt">すると花緑が、</p>
<p class="bodytxt">「これは兄さんのやる仕事じゃないよ、俺はこういうの好きだからあとは任せて」</p>
<p class="bodytxt">と1人でステージに上がっていった。いいやつだ、花緑は。</p>
<p class="bodytxt">私は当時所属していた立川企画の社長に、「もう帰るから」と怒りをぶつけた。すると社長は、</p>
<p class="bodytxt">「勘弁してくれよ、ギャラがよかったんだよ」</p>
<p class="bodytxt">と苦笑いを浮かべた。ギャラがいいなら仕方ないやと、社長を許し、AKBと無邪気に遊ぶ花緑を後にして、こそこそと東京体育館をあとにする私であった。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">春風亭昇太（しゅんぷうていしょうた）兄さんと、とある高校に落語をしにいったときの話がある。当時私は深夜テレビのレギュラーを持っていて、その番組内でちょっとエッチなことをしていた。毎週、AV女優をゲストに呼んで鉄棒に逆さにぶら下げて、オッパイを露出させながらインタビューをするという、はなはだ情けない仕事をしたもんだと今となっては後悔しているが、そのせいもあり、私が高座に登場するとものすごい歓声が沸き上がった。そのほとんどが野次である。</p>
<p class="bodytxt">「AVは一緒じゃないのか」「鉄棒はどこだ」云々（うんぬん）。</p>
<p class="bodytxt">前座があがったときからすでに落語をやる雰囲気ではないぐらい礼儀のなっていない子供たちだったのだが、私の出現により場内はストリップ劇場みたいになってしまった。</p>
<p class="bodytxt">私はむかついて、高座に座ったとたん、</p>
<p class="bodytxt">「うるせぇ！　静かにしやがれ」</p>
<p class="bodytxt">と怒鳴ってしまった。</p>
<p class="bodytxt">彼らはマイク越しに芸人に怒鳴られたことなどなかったろう。子供たちは水を打ったように静かになった。でも情けないことに、落語を語りはじめてもずっと客席は静まり返っていた。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">こんなこともあった。とある余興を頼まれたときの話。台本を見てあまりに内容がふざけていたので、怒り狂った。</p>
<p class="bodytxt">「いやらしい美女が落語家に寄り添い遊ぶ」という、どんな内容かはもう忘れてしまったが、落語とエロを一緒にする内容だった。AVと鉄棒をやっていた落語家がなにを言うかであるが、着物姿でエロをやることが嫌だった。</p>
<p class="bodytxt">立川企画の社長に「現場には行かない」と電話で伝えた。社長は「来てもらわんと困る」と怒った。怒ったって駄目だ。</p>
<p class="bodytxt">「私はこのまま数日姿をくらますから探しても無駄だ」</p>
<p class="bodytxt">と言って電話をきった。</p>
<p class="bodytxt">社長は仕方なく、「志らくが病気で倒れて入院をした」と先方に伝えたそうな。</p>
<p class="bodytxt">「志らく緊急入院」に私の驚いた弟子が我が家に駆けつけたが、「仕事に行きたくなかっただけだ」と言った私に、彼らはたぶん談志を重ね合わせたに違いない。</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/shiraku/2.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">立川志らくの怒らないでください。</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 28 Jul 2010 17:20:03 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>立川流鎖国論(1)　志らく伝説・上</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt"><span style="color: #0000ff;">【登場人物】</span></p>
<table class="bodytxt" style="color:blue;" border="0">
<tbody>
<tr valign="top">
<td style="white-space: nowrap;">●立川談志&hellip;&hellip;</td>
<td>落語立川流家元、志らくの師匠</td>
</tr>
<tr valign="top">
<td style="white-space: nowrap;">●快楽亭ブラック&hellip;&hellip;</td>
<td>元・落語立川流真打ち、元・志らくの兄弟子</td>
</tr>
<tr valign="top">
<td style="white-space: nowrap;">●立川志の輔&hellip;&hellip;</td>
<td>落語立川流真打ち、志らくの兄弟子</td>
</tr>
<tr valign="top">
<td style="white-space: nowrap;">●立川談春&hellip;&hellip;</td>
<td>落語立川流真打ち、志らくの兄弟子</td>
</tr>
<tr valign="top">
<td style="white-space: nowrap;">●立川談笑&hellip;&hellip;</td>
<td>落語立川流真打ち、志らくの弟弟子</td>
</tr>
<tr valign="top">
<td style="white-space: nowrap;">●柳家一琴&hellip;&hellip;</td>
<td>落語協会真打ち、柳家小三治の弟子。志らく演出・監督の芝居にたびたび出演</td>
</tr>
<tr valign="top">
<td style="white-space: nowrap;">●立川志らく&hellip;&hellip;</td>
<td>落語立川流真打ち、私</td>
</tr>
<tr valign="top">
<td style="white-space: nowrap;">●落語立川流&hellip;&hellip;</td>
<td>立川談志が落語協会を脱会して設立。脱会によって寄席には出演できなくなり、独演会や一門会のみで活動することになった。脱会直前に弟子となったのが志の輔、脱会後に弟子になったのが談春、志らく、談笑。「寄席を知らない弟子たち」と呼ばれることもあり、それがタイトルの「立川流鎖国論」の由来。</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>&nbsp;</p>
<p class="bodytxt" style="text-align: center;"><span style="color: #0000ff;">〜特異な落語家集団〜</span></p>
<p class="bodytxt">　落語家生活25周年。とにかく師匠である談志の生きざまをみながら、影響されまくり、自分も談志と同じような落語家になれるのではないかと思い、持ったが病で映画監督をし、演劇の世界に飛び込み、試行錯誤しながら、もがきまくってきた25年である。</p>
<p class="bodytxt">　普通、弟子は談志の弟子になった時点で談志のものすごさに恐れおののいて、到底自分の才能ではあんなすさまじい落語家になれるはずもないとあきらめるか、あるいは志の輔兄さんや談笑のように、まったく違うアプローチから「談志超え」に挑むかのどちらかである。</p>
<p class="bodytxt">　それを真っ向から、つまり談志の落語に対する了見の部分で談志にぶつかっていったのが志らくであり、古典落語の美学の部分でぶつかっていったというか、うまいこといただいた、では語弊があるかもしれないが、談志のテクニックを見事に吸収して持てはやされたのが談春兄さんということになる。</p>
<p class="bodytxt">　まあ、志らく・談春の二人は怖いもの知らずの大馬鹿野郎か、あるいはとてつもない天才であろう。私の場合は、時には談志から「似たような価値観を持っている」と評され、時には「落語をなめている」と叱られ、「この下手くそめ」とののしられ、「でも才能だけならば落語家の中ではこいつが一番」と褒めたたえられ、その言葉を信じ、喜んで方々に吹聴しまくり、我こそが談志イズムの継承者だと自負し、多くの敵をこしらえつつも数多くの文化人に愛されてきた。</p>
<p class="bodytxt">　何が言いたいのかというと、談志の幻影に狂った立川志らくという落語家が、日ごろなにを考えているのかを、それは落語論とかではなく、落語論は新潮社で出版しているからそちらを読んでね、とちゃっかり他社の宣伝をしつつ、つまりそれらをまとめて徒然なるままに書きなぐれば、もしかしたら立川流という特異な落語家集団の、というか世間からみたらそれは新興宗教に近いだろうが、鎖国的考えが見られるのではないかと。</p>
<p class="bodytxt">　そう、「傑出した文化は鎖国から生まれる」という理論からすると、一時の立川流は間違いなく鎖国社会であり、だからこそ志の輔、談春、志らく、談笑といったタイプの違う落語家が誕生したのである。そのことを論理的にではなく、総合的に私の雑記から読みとってもらえばいいと願いつつ、愚かしいことこのうえないが、脈絡もなく書きつづることにする。</p>
<p class="bodytxt">　題して「志らくの立川流鎖国論」&hellip;&hellip;「論理的じゃない」と言いながらもタイトルに論をいれる厚顔無恥をどうぞ笑い飛ばしてくんなまし。</p>
<p class="bodytxt" style="text-align: center;"><span style="color: #0000ff;">〜電波芸者の下品さ〜</span></p>
<p class="bodytxt">　自分に伝説があるはずもなく、またあったとしても自らの口から言えばそれは伝説ではなく、ただの自慢話になってしまうし、チェーホフの言葉ではないが、善き人は犬の前ですら恥ずかしさを感ずるもので、よくもまあ、いけしゃあしゃあと「志らく伝説」なんて銘打つもんだ。</p>
<p class="bodytxt">　ただこうやってテレているあたりがまだ救いがあり、最近の芸能人の何が嫌かというと、テレがない輩のなんと多いことか。まあ芸能人と呼ばれている大半は電波芸者であり、世間様にさからわず、ただ煽るだけで、例えば、サッカーワールドカップの監督の岡ちゃん。負けている時はボロクソで辞めちゃえコール連発、それがひとたび勝利するやいなや、英雄に祭りたてる。</p>
<p class="bodytxt">　ワイドショーのコメンテーターの「長いものにはまかれろ的」態度は、人間らしいと言えば確かにそうだが、品がないことおびただしい。</p>
<p class="bodytxt">　話を戻すと、先日、とあるテレビ番組で芸能人の私服やバッグの値段ランキングなるものを発表していたが、下品の一言だ。</p>
<p class="bodytxt">　私服に何十万かけていますだの、エルメスのバッグで何百万だの、それを恥ずかし気もなく鼻高々に自慢している。芸人ならば、お洒落である必要はあるが、値段は口外すべきではない。</p>
<p class="bodytxt">　芸人の基本はテレである。これがない芸人の芸なんぞ、なにが楽しいものか。このテレが哀愁に変化して魅力的な芸人になるのだ。渥美清が私服に何百万もかけているなんてテレビで言うか？</p>
<p class="bodytxt">　談志がイトーヨーカ堂のジャケットを着ていたらばルイ・ヴィトンに見え、セコな噺家がルイ・ヴィトンのジャケットを着たならばイトーヨーカ堂に見えるだけのことだ。</p>
<p style="text-align: center;"><span class="bodytxt"><span style="color: #0000ff;">〜敵をこしらえる生き方〜</span></span></p>
<p class="bodytxt">　ちっとも話が元に戻らない。私の伝説であった。</p>
<p class="bodytxt">　立川志らくという芸人は、普段はおとなしい人間なのだが、嫌なことは絶対に嫌という性格で、また若き日に談志から「落語家は馬鹿ばかりだからお前だけは馬鹿になるな」と教育されてしまった環境も合わさり、落語家とは基本付き合わないことにしている。</p>
<p class="bodytxt">　売れている落語家としか付き合わない。柳家一琴（やなぎやいっきん）がいたか。あいつとは腐れ縁。弟弟子（おとうどでし）の柳家三三（やなぎやさんざ）が売れてきたのだから頼むよ、もう少し売れてくれよ、一琴。他の落語家が経験できない経験をたくさんしてきたではないか。向田邦子の「あ・うん」の主演までやったのだぞ。もっと自信をもって生きてくれ、って一琴にエールを送っている場合ではない。</p>
<p class="bodytxt">　売れている落語家としか付き合わないという話だ。こんな生き方をしているから多くの敵をこしらえる。兄弟子にも嫌われる。でもかまわない。尊敬している人から愛されれば、どうでもいい人から嫌われたってかまわない。</p>
<p class="bodytxt" style="text-align: center;"><span style="color: #0000ff;">〜悪魔の子〜</span></p>
<p class="bodytxt">　とにかく好き嫌いは実にはっきりとしている。ならば竹を割ったような男らしい人間かというとこれがまったく違うから面白い。どちらかというと藤子不二雄の『魔太郎が来る!!』の魔太郎みたいな性格である。いじいじしていて愚痴っぽく、嫉妬（しっと）深く、怨（うら）みをはらさでおくべきかといったところがある。</p>
<p class="bodytxt">　実際、人を呪（のろ）う力まである。現在の妻と交際し始めたころ、妻を追いかけ回していた男がいた。その存在を知った私は彼を呪った。すると一週間後、彼は交通事故で死んでしまった。たまたまだと思うだろうが、妻と同棲を始めたときに妻に言い寄ってきた男がいた。電話で男と喧嘩もした。私は頭にきて、今度は死なない程度に呪ってやった。すると数日後、男は病気になり記憶喪失になってしまった。</p>
<p class="bodytxt">　私の監督した映画作品を立川キウイの落語よりひどいと評し、高座でのべつ私の悪口をいい、私が前妻と別れた状況をからかった新作落語『志らくの子別れ』を演じた快楽亭ブラックさんは、自らが書いた脚本の映画撮影の際、怪我をして救急車で運ばれ、そのときに「これは志らくの呪いだ！」と叫んだそうだ。ブラックさんを呪ったことはないけど、現在彼は借金問題で立川流からか除名されてしまっている。</p>
<p class="bodytxt">　　</p>
<p class="bodytxt">　妻は私のこの力を目の当たりにしているので、私をなるべく怒らせないようにしている。以前、歩道で無礼な自転車運転をする若者がいたので、かたわらにいた妻にその不満を訴え、一言小声で「自転車は車道を走れ！」とつぶやくと、前を走っていた7台の自転車がいっせいに車道に飛び出していった。中に、おじいさんが運転していた自転車まであった。あのときの妻の驚きようといったらなかった。</p>
<p class="bodytxt">　実は私のそばにやたらと烏が集まってくる。犬や猫も真っ黒なやつがやたらと私になつく。我が家の電化製品は私が触ると片っ端から壊れる。時折自分は悪魔の子なのかと思うこともある。ただ心は天使。だから怖がらないでね、って何を言っているんだ志らく！</p>
<p class="bodytxt">　頭がおかしい。まあ、談志から「あと10年で志らくは談志同様に狂う」と言われたのだからこの程度の妄想は序の口。数年前、チャップリンが私の枕元に立ち、「しばらく君の身体に入るよ」と言ってきたことがあった。それ以来、チャップリンに似ていると人に言われる。</p>
<p class="bodytxt">　歌手の森口博子さんが一度もチャップリンの映画を見たことがないと言っていたので、「ならば『街の灯』をご覧」と勧めた。するとそれを見た彼女が最初に言った言葉が「チャップリンと志らくさん、表情が似ているというか同じ。『街の灯』を見ている間、チャップリンが志らくさんに見えて仕方がなかった」。</p>
<p class="bodytxt">　私が座長をつとめる劇団で『あ・うん』の芝居をしたときも、かなりの客に「志らくがチャップリンに見えた」と言われた。妄想は終わり。</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/shiraku/1.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">立川志らくの怒らないでください。</category>
            
            
            <pubDate>Tue, 20 Jul 2010 11:51:04 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「論理」と「心理」のギャップ</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt">サッカーのワールドカップが終わりました。予選リーグを見事に突破してベスト16に入った日本代表は、暗いニュースばかりの日本全体を勇気づける素晴らしい活躍でした。でもよく考えると、あの前哨戦4連敗後の日本代表への風当たりの厳しさはどこへ行ってしまったんでしょうか。世論というものもまったく移り気なものだと思います。</p>
<p class="bodytxt">またその逆なのが、内閣支持率です。ここ数年の日本は、世界でも類を見ないリーダ交代の頻度の高さを誇って（？）います。そして、新しいリーダーの誕生とともに支持率が一気に上がり、交代直前の政権末期には驚くほどにこれが低下する&hellip;&hellip;という傾向は、どの内閣にも見られます。</p>
<p class="bodytxt">しかし、内閣や総理大臣のパフォーマンスは、そんなに短期間で落ち込むものなのでしょうか。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">どうもこういった傾向を見ていると、何らかの対象に対する人間の心理は、実態以上に「ぶれ」が大きいもののように思えます。何であれ、対象の側はそんなに劇的には変化していないはずなのに、ちょっとした印象次第で、<strong>いいときには実態以上によく見え、悪いときには実態以上に悪いほうに振れてしまう傾向</strong>があるのは間違いないでしょう。</p>
<p class="bodytxt">これを図式化して見てみましょう。図1を見てください。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img class="mt-image-none" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100715-1.gif" alt="illust20100715-1.gif" width="355" height="217" /></span>
<p>&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">「実態」の部分を実線で、それを見ている人の「印象」を点線で示しています。これらの間には常にギャップが存在し、それは<strong>「あまりぶれない実態」に対して「激しくぶれる印象」</strong>という構図から生まれています。</p>
<p class="bodytxt">これを言い換えると、<strong>「実態」は「論理の世界」、「印象」は「心理の世界」という、「論理と心理のギャップの構図」</strong>と見ることができるでしょう。</p>
<p class="bodytxt">このことが、本連載でここまで話してきた「象」や「フィルター」の話とどういう関係があるのか、お気づきでしょうか。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">「象」はここでいう「実態」、つまり論理的な対象を象徴するものであり、「フィルター」が「印象」、つまり心理を象徴するものだったのです。別の見方をすれば、<strong>コミュニケーションギャップの根本原因の一つは「実態と印象のギャップ」あるいは「論理と心理のギャップ」である</strong>ということなのです。</p>
<p class="bodytxt">論理と心理との間には常に大きなギャップがあるにもかかわらず、人というのはこれになかなか気づきません。それは無意識のうちに、自分は常に論理的（あるいは合理的）に行動しているような大いなる錯覚に陥っているからです。</p>
<p class="bodytxt">ここで図2を見てください。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img class="mt-image-none" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100715-2.gif" alt="illust20100715-2.gif" width="304" height="187" /></span>
<p>&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">私たちは無意識のうちに、論理的に正しいことは自分の中でも正しいと判断していると思い、逆に、正しくないことは自分でも正しくないと判断していると錯覚していますが、実は、論理的には正しいことを心理的なフィルターで正しくないと思い込んでいたり、また逆も真であるというわけです。</p>
<p class="bodytxt">ここでいう「思い込み」というエリアがコミュニケーションギャップの温床であり、またビジネスでいう「商売のネタ」も常にこういう領域に存在します。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">これは例えば、連載の第11回で取り上げた「価格」の話があてはまります。</p>
<p class="bodytxt">ビジネスの（粗）利益は、単純化すれば「売価－原価」ですが、「原価」はものの積み上げですから「論理的」に決まる一方、売価は心理的に決まるものです。</p>
<p class="bodytxt">つまり、「作るのに手間や材料費がかかるもの＝高いもの」というのが「論理的に」導いた売価になるわけですが、「顧客が知覚する価値＝価格」は多分に心理的に決まります。</p>
<p class="bodytxt">したがって、このギャップを発見することができればここにビジネスチャンスがあるというわけです。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">こうしたギャップの構図は、ほかにもさまざまな形で存在しています。例えば「事実」とその「解釈」という関係です。一つの事実に対しての解釈にも常にギャップが存在し、<strong>「ぶれるはずのない事実」に対して、解釈は「大きくぶれ」ます</strong>。</p>
<p class="bodytxt">これは「時間的なぶれ」というよりも、「人によるぶれ」が大きくなり、これがコミュニケーションギャップを生むことにもなります。</p>
<p class="bodytxt">&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">また「自分自身」という対象物を見る場合の、「自分の主観的な目」と「他人の客観的な目」の違いも、この構図に当てはまるでしょう。これはまさに先述の「論理」と「心理」の違いで説明することができます。</p>
<p class="bodytxt">自分を見る自分自身の目というのは、「心理」以外の何ものでもありません。「こう見えているはずだ」とか「こう見えて欲しい」という心理が大きく働くはずだからです。</p>
<p class="bodytxt">これに対して<strong>他人からは、冷酷かつ論理的に見えている</strong>はずであり、ここにも認識の大きなギャップが存在することになるでしょう。</p>]]></description>
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            <pubDate>Thu, 15 Jul 2010 20:13:48 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>暑くてだらりん</title>
            <description><![CDATA[<div style="text-align:center;">
<p class="bodytxt"><span style="color: #888888;">アッシ「こう暑い日がつづくと&hellip;&hellip;」</span></p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a rel="shadowbox" href="http://special.gotoshoin.com/images/10070701.jpg"><img class="mt-image-none" src="http://special.gotoshoin.com/assets_c/2010/07/10070701-thumb-300x400-2481.jpg" alt="10070701.jpg" width="300" height="400" /></a></span>
<p class="bodytxt">吉太郎「すぴー、すぴー&hellip;&hellip;」</p>
<p class="bodytxt"><span style="color: #888888;">アッシ「当然、こうなりますわな」</span></p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a rel="shadowbox" href="http://special.gotoshoin.com/images/10070702.jpg"><img class="mt-image-none" src="http://special.gotoshoin.com/assets_c/2010/07/10070702-thumb-300x225-2483.jpg" alt="10070702.jpg" width="300" height="225" /></a></span>
<p class="bodytxt">吉太郎「ぐ～、ぐ～、ぐ～」</p>
<p class="bodytxt"><span style="color: #888888;">アッシ「おや？　親分、耳のあたりに傷が増えたような」</span></p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a rel="shadowbox" href="http://special.gotoshoin.com/images/10070703.jpg"><img class="mt-image-none" src="http://special.gotoshoin.com/assets_c/2010/07/10070703-thumb-300x400-2485.jpg" alt="10070703.jpg" width="300" height="400" /></a></span>
<p class="bodytxt">吉太郎「こっくり、こっくり&hellip;&hellip;」</p>
<p class="bodytxt"><span style="color: #888888;">おかみさん「おでこや首にもね」</span></p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a rel="shadowbox" href="http://special.gotoshoin.com/images/10070704.jpg"><img class="mt-image-none" src="http://special.gotoshoin.com/assets_c/2010/07/10070704-thumb-300x225-2487.jpg" alt="10070704.jpg" width="300" height="225" /></a></span>
<p>&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">吉太郎「毎度ながら、暑くって、おまけにうるせえとくりゃ、<br />寝てらんねえな」</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a rel="shadowbox" href="http://special.gotoshoin.com/images/10070705.jpg"><img class="mt-image-none" src="http://special.gotoshoin.com/assets_c/2010/07/10070705-thumb-300x400-2489.jpg" alt="10070705.jpg" width="300" height="400" /></a></span>
<p class="bodytxt">吉太郎「あ～あ、避暑地とやらでゆっくりしてえな」</p>
<p class="bodytxt"><span style="color: #888888;">おかみさん「あら、私も連れてってね」</span></p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a rel="shadowbox" href="http://special.gotoshoin.com/images/10070706.jpg"><img class="mt-image-none" src="http://special.gotoshoin.com/assets_c/2010/07/10070706-thumb-300x400-2491.jpg" alt="10070706.jpg" width="300" height="400" /></a></span>
<p>&nbsp;</p>
<p class="bodytxt">吉太郎「すぴー、すぴー」</p>
<p class="bodytxt"><span style="color: #888888;">おかみさん「寝てられてるじゃないかねえ。」</span></p>
</div>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/kichitarou/post-96.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">吉太郎の傷だらけの人生</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 07 Jul 2010 20:20:15 +0900</pubDate>
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