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        <title>梧桐書院WEB連載</title>
        <link>http://special.gotoshoin.com/</link>
        <description></description>
        <language>ja</language>
        <copyright>Copyright 2010</copyright>
        <lastBuildDate>Thu, 18 Feb 2010 01:23:14 +0900</lastBuildDate>
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        <item>
            <title>「大きく成長する人」「あまり成長しない人」を分けるメカニズム</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt">　前回に引き続いて、個人別のフィルターの「枠の大きさ」が個人間の認識の違いにどういう影響を与えるかについて、別の事例で説明したいと思います。<br />
　まずは前回のおさらいとして図１を見てみましょう。同じ大きさの象でも大きな枠のフィルターで見ると小さく見え、小さな枠のフィルターで見ると大きく見えるのでした。</p>
<br />
<p class="bodytxt"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="illust20100203-1.gif" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100203-1.gif" width="467" height="231" class="mt-image-none" style="" /></span></p>
<br />
<p class="bodytxt">　今回はこの話を別の事例で見てみましょう。<br />
　分野はどうあれその道の「プロ」と呼ばれる人に、自分の道を極めるための秘訣（ひけつ）を聞くと、当たり前の回答が返ってくることがよくあります。<br />
　例えば野球やサッカー等の球技で言えば「ボールをよく見ること」とか、ビジネスで言えば「お客様のことをよく考えること」とかです。言い換えれば、その道を極めた人ほど基本を忠実に守っているということです。<br />
　むしろ中途半端にできる「凡人」ほど、「そんなこと当たり前だし、とっくにわかってるよ。それよりも具体的なノウハウを教えてよ」などと基本を軽視してテクニックに走りがちです。<br />
　これは一体どういうメカニズムで起こっているのでしょうか。<br />
　ここで前回と同様、「基本能力」を象の大きさとして見てみます。この<B>「能力」は、「達人」も「凡人」もそれほど変わらない</B>のかもしれません。ではなぜ先の認識の違いが出るのか？<br />
　じつはこの<B>両名に決定的に違うのは「枠の大きさ」、つまり基本能力に対する重要性の認識</B>ではないかと思います。達人は「基本が重要である」という認識が凡人に比べてはるかに大きいのです。<br />
　その認識の違いはどういうふうに生まれてくるのでしょうか。図2を見てください。</p>
<br />
<p class="bodytxt"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="illust20100217-1.gif" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100217-1.gif" width="429" height="261" class="mt-image-none" style="" /></span></p>
<br />
<p class="bodytxt">　図2は、「枠」とその中で評価された「基本能力の大きさ」、そしてその「枠の高さ」と「基本能力の大きさ」の「ギャップ」を示しています。そして「ギャップ」は、自分はどれだけ理想的な状況から離れているか、という認識を示します。これは、何かを学ぼうとする人にとってみれば、成長の原動力になります。つまり、このギャップが大きければ大きいほど「自分はまだまだだ」と思うことになり、基本能力の重要性を再認識することになります。<br />
　したがって、<B>「枠」が大きい達人は生半可な能力では「自分はまだまだだ」と認識し、「枠」が小さい凡人は「もう大体できている」と認識する</B>ことになります。その道の達人ほど自らの能力の不十分さを強く認識しているので、冒頭の「当たり前の回答」になるというメカニズムなのです。</p>

<p class="bodytxt">　私たちが何かの<B>能力を向上させるためには「やることが2つある」</B>ことがおわかりでしょうか。1つは「象そのもの」を成長させること、つまり能力そのものを磨くのはもちろんですが、もう1つは「枠を大きくする」つまり視野を広くして<B>「自分の能力がいかに不足しているか」を自覚する</B>ことが同じくらいに重要なのです。<br />
　例えば英会話で言えば、単語や言い回しを一つ一つ覚えるのが「象そのもの」を成長させることですが、これに加えて、英会話の達人を見たり、あるいは実際に海外旅行に行ったり留学したりして本当に必要なレベルを思い知り、「自分はまだまだだ」という認識を持ってモチベーションを上げることが必要です。<br />
　およそその道の<B>「達人」は、能力そのものを磨いているのはもちろんですが、常に高いレベルを見ることによって視野を広げ、「到達すべきレベル」をそのつど高く設定しなおしているのです。「能力の向上」よりも「視野の拡大速度」のほうが大きいために、やればやるほど象が小さく見えてくる</B>というわけです。これを示したのが図3です。</p>
<br />
<p class="bodytxt"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="illust20100217-2.gif" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100217-2.gif" width="440" height="460" class="mt-image-none" style="" /></span></p>
<br />
<p class="bodytxt">　この図を見れば「基本能力の重要性」がその道を極めれば極めるほど高く見えてくるメカニズムが理解できると思います。<B>道を極めれば極めるほど、ゴールは近くに見えてくるのではなく、むしろ遠ざかっていく</B>のです。<br />
　「井の中の蛙（かわず）大海（たいかい）を知らず」ということわざがありますが、本文で述べている「枠」が、まさにここでいう「いけすの大きさ」ということになりますね。</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/hosoya/post-71.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">細谷功の象の鼻としっぽ</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 18 Feb 2010 01:23:14 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>立川談春　上</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt">　<font color="blue">【登場人物】<br />
●立川談志......落語立川流家元、志らくの師匠<br />
●朝寝坊のらく（前座名・談々）......故人。落語立川流落語家、志らくの兄弟子<br />
●立川文都（前座名・関西）......故人。落語立川流真打ち、志らくの兄弟子<br />
●立川談春（前座名・談春）......落語立川流真打ち、志らくの兄弟子<br />
●立川志らく（前座名・志らく）......落語立川流真打ち、私</font></p>

<div align="center">
<p class="bodytxt"><font color="blue">～ハブとマングース～</font></p>
</div>

<p class="bodytxt">　「談春師匠は怖い」<br />
　これが立川談春に対する若手落語家の共通の見解だ。<br />
　「志らく師匠は談春師匠のこと、怖くないんですか？」<br />
　と聞かれたこともある。私の答えは、<br />
　「全然怖くないよ。むしろ向こうが怖がっているんじゃないの？　なにをしでかすかわからない野郎だとね。まあ、ハブとマングースの関係だよ」</p>

<div align="center">
<p class="bodytxt"><font color="blue">～「おはよう」と言うのが恥ずかしい～</font></p>
</div>
<p class="bodytxt">　談春兄（あに）さんは本来は実に優しい人だ。そしてものすごく他人に気を使う。打ち上げで飲んでいるときなんか、談春兄さんは全員に気を使う。皆ちゃんと飲んでいるか、食べているか、退屈はしていないだろうか、終電に間に合うかどうか。そのことを普通に表現したら、立派な旅行ツアーの添乗員になれる。<br />
　でも彼は気を使っている自分に照れて、わざと乱暴に振舞う。<br />
　「もう帰ぇればいいじゃねぇか。終電がなくなるんだろ、おい、ぐずぐずするな！」<br />
朝、会うと「おはよう」と言いながら私の膝（ひざ）を蹴（け）ってきたこともある。「おはよう」と言うのが恥ずかしいのである。</p>

<div align="center">
<p class="bodytxt"><font color="blue">～呼ぶのが照れくさい～</font></p>
</div>

<p class="bodytxt">　初対面の人を含めたグループでカラオケに行ったとき、女性タレントが私にクレームを付けてきたことがあった。<br />
　「談春さんってどんな人なんですか！？　今日はじめて会ったばかりなのに、おい、そこの女！　と言われました」<br />
　何々チャンと呼ぶのが照れくさい。だから「そこの女」になるのだ。</p>

<div align="center">
<p class="bodytxt"><font color="blue">～天国の志らく、地獄の談春～</font></p>
</div>
<p class="bodytxt">　とある落語会に呼ばれた談春兄さんが、終演後、そこの主催者を楽屋に呼びつけて1時間にわたって小言（こごと）を言ったそうな。私が同じ落語会に呼ばれたとき、主催者が談春兄さんのことで愚痴をこぼしてきた。<br />
　「志らく師匠と談春師匠とでは、まさに天国と地獄ですよ。本当に談春師匠はおっかなかった」<br />
　私は「柳に風」のところがあって、どんな悲運な状況でもそれを笑い話としてうけとめ、まず文句を言うことはない。よほど腹が立ったときは、所属事務所のマネージャーや社長に言いつけて、クレームをつけさせるか、あとは高座で文句を言うか、ブログで文句を書くか。陰湿なのである。<br />
　以前、これは落語会ではないが、妻と温泉旅行に行ったときの話。ある旅行会社に海外旅行の際、お世話になったのだが、向こうの手違いで朝食がつかなかった。そこで旅行会社がお詫びのしるしにと、国内旅行をプレゼントしてくれたのだ。<br />
　だが、その旅行で使ったホテルが最悪。テレビのコマーシャルで有名なホテルなのだが、夕食のひどいこと。オーダーバイキングで、そのメニューをみて呆（あき）れた。寿司に天ぷらはいいとして、カレーライスにソース焼きそば。海の家じゃあるまいし。そのどれもがまずい。ケタ外れにまずい。<br />
　でもその場では文句を言わず、部屋に戻ってから所属事務所に電話してすぐにクレームをつけてくれと頼んだ。それだけでは飽き足らず、私が連載している「キネマ旬報」のコラムにホテルの名前がだれでもわかるようにして文句を連ねた。映画のコラムだというのに、無理矢理映画と結びつけてホテルを攻撃してやった。<br />
　何が言いたいかというと、談春兄さんだったらそんなことはしない。その場でレストランの店員に文句を言い、旅行会社に怒鳴り込んでいたであろう。そうなると、ホテルの人は「談春という落語家は怖い」、旅行会社も「あの人はヤクザではないか」とびびるであろう。<br />
　でも本当に親切なのはどちらか。志らくよりも談春なのである。<br />
　どちらが本当に怖いかというと、談春よりも志らくとなる。<br />
　<br />
　実は志らくは魔太郎ではないかと自分で思っている。藤子不二雄のマンガのね。私の悪口を言うと、その人は病気になるというジンクスがあるぐらいだ。それに私が怒ると、その対象者が必ずと言っていいほど病気になるのだ。ひどいときには死んだりする。私の妻の昔の恋人が、妻にちょっかいをだしてきたことがある。私は怒り狂った。すると、数日後、男は病気になり、記憶喪失になってしまったのだ。さらに、妻をくどこうとした男は、私の怒りをかった数日後、交通事故で死んでしまった。<br />
「志らくの監督した映画は立川キウイの落語よりひどい」と言った快楽亭ブラックさんは、自身が脚本を書いた映画の撮影中、骨折をする事故に巻き込まれ、病院に搬送される際に「志らくの呪（のろ）いだ！」と叫んだらしい。ブラックさんは、その事故から数年の後、借金問題で立川流から除名になっている......。<br />
　志らくの話はいい。自分で書いていて恐ろしくなってきた。ついでにいうと、夫婦喧嘩をすると翌日、100パーセント、妻は高熱を出してしまう。歩道を歩いていて、あまりに自転車が危険な運転をしていたので、怒りを込めて小声ではあったが「自転車は車道を走れ！」と言ったとたん、5～6台の自転車が車道に飛び出していったことがある。一緒にいた妻がギャッと言った。だから私の話はいい。</p>

<div align="center">
<p class="bodytxt"><font color="blue">～江戸っ子の照れ～</font></p>
</div>
<p class="bodytxt">　談春兄さんの性格は江戸っ子そのものである。乱暴は照れの裏返しなのだ。ただあまりに虚勢を張りすぎて、誤解をうけることもしばしば。自叙伝『赤めだか』の爆発的なヒット以降、落語界では談春ブームが巻き起こり、東京で一番チケットのとりづらい落語家になった。そこで謙虚にしていればいいのに、吠（ほ）えまくる。　<br />
　「談春の野郎、ぶっ飛ばしてやる！」。<br />
　入院中の談志が私に会うなりそう言いはなった。体調を崩し大学病院に入院している師匠を私が見舞いに行った。するとおかゆを食べていた師匠がそう言って怒るのだ。<br />
　「あのな、談春のやつ、120万の仕事を断りやがったんだ。どんな理由があるか知らねぇが、腹が立ってな。俺が代わりに出てやる。それで、やつにどんな仕事があろうが、会場にこさせて俺の前座をやらせる。開口一番をやらせて、高座かえしをやらせる。ただでな」<br />
　実はこれは師匠の誤解だった。その仕事はギャラはいいが、落語をやるにはあまりいい状況ではなく、師匠のマネージャー（師匠の息子）が間に入って、断るつもりだったのが、先方が談春兄さんに電話をしてしまい、それで談春兄さんが断ったがために、それがストレートに師匠の耳に入り、とんでもねぇ野郎だ、となったのである。<br />
　売れてきて、ほうぼうで大きなことを言っていることが師匠の耳にも大かれ少なかれ入り、それで誤解を招いてしまったのだろう。<br />
　「談春は怖い」と思っているその大概が誤解であると私は思う。でも談春兄さんに言わせれば、怖かろうがなんだろうが、仕事が山のように入ってきて、ファンが押しかけてくるのだから文句はねぇだろうってことになる。</p>

<div align="center">
<p class="bodytxt"><font color="blue">～気遣い～</font></p>
</div>
<p class="bodytxt">　二人でタクシーに乗ったときのこと。名古屋の松坂屋落語会に向かうため、新幹線を降りた談春と志らくはタクシーに乗った。会場の地図は志らくがもっていた。<br />
　「運転手さん、松坂屋に行ってください。デパートの正面入り口ではなく、従業員の入り口なんです。これが地図です」<br />
　するとタクシーの運転手は愛想の悪い人で、「え？　従業員の入り口って......」とつぶやいて黙ってしまった。志らくが差し出した地図を見ようともしない。私は仕方なく地図を運転手の横に置いた。<br />
　「......おい、どこに行くのかわかっているのか！」<br />
　談春がすごみながら言った。運転手は無言のまま。<br />
　「おい。地図を見なくても行き先がわかるのかよ」<br />
　「松坂屋でしょ」<br />
　「だから行き先はわかっているのかって聞いているんだよ。おい、地図を見るのか見ねぇのか。こいつ（志らく）が渡したんだぞ」<br />
　慌てて運転手、地図を見出す。<br />
　「......やっぱり見ないと行けねぇんじゃねぇか」<br />
　「いや、確認を」<br />
　「うるせえ！　ぐずぐず言ってねえで、そこに行け！」<br />
　「兄さん、およしよ。松坂屋の従業員の入り口はわかりづらいところにあるんだから。あのう、運転手さん、正面の入り口のたぶん、真後ろあたりになると思いますから、よろしくお願いします」<br />
　一見、乱暴な人だが、談春兄さんは志らくに気を使ってくれていたのだ。志らくが地図を出したのに運転手は無視をした。これでは志らくがかわいそうだ、こういう態度の運転手はけしからん、これは叱（しか）るべきだ、とこうなったのだ。</p>

<div align="right">
<p class="bodytxt"><font color="blue">（つづく）</font></p>
</div>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/shiraku/post-70.html</link>
            <guid>http://special.gotoshoin.com/shiraku/post-70.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">立川志らくの怒らないでください。</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 18 Feb 2010 00:39:42 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>ふっくらして香ばしい「ふき味噌」のうまさ</title>
            <description><![CDATA[<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-file"><a style="MARGIN: 0px auto 20px" class="button" href="http://special.gotoshoin.com/pdf/tsuchiya19_recipe.pdf" target="_blank">レシピ印刷</a></span>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a title="ふっくらして香ばしい「ふき味噌」のうまさ" href="http://special.gotoshoin.com/images/01_05_fukimiso2.jpg" rel="shadowbox[img]"><img class="mt-image-none" alt="ふっくらして香ばしい「ふき味噌」のうまさ" src="http://special.gotoshoin.com/images/01_05_fukimiso2-thumb-560x372.jpg" width="560" height="372" /></a></span><br /><br />
<p class="bodytxt">　ふきのとうを使った代表的な料理といえば「ふき味噌（みそ）」。茹（ゆ）でて水をさらしてアクをとったふきのとうをきざみ、味噌、みりん、砂糖などと混ぜて練りながら火を入れるのが、基本的な作り方だ。<br />　前回で書いたように、佐渡のおばあさんから、ふきのとうは薬味、スパイスだ、というインスピレーションを得た私が考えたふき味噌の作り方はまったく違う。いわゆる「薬味味噌」にふきのとうという新たな、そして鮮烈な薬味を加えたイメージである。<br />　例によって、生のままきざんだふきのとうをそのまま使い、かつおぶし、胡麻（ごま）、柚子（ゆず）の皮、きざみねぎなどと一緒に味噌に混ぜ合わせる。胡桃や生姜（しょうが）を入れてもうまい。味噌は、米こうじの多い、甘めのものを使うとよい。そのまま炙（あぶ）って、焼き味噌にすると、酒のつまみとして、最高に美味だ。</p>
<div class="leftframe">
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a title="ふっくらして香ばしい「ふき味噌」のうまさ" href="http://special.gotoshoin.com/images/02_06_fukimiso1.jpg" rel="shadowbox[img]"><img class="mt-image-none" alt="ふっくらして香ばしい「ふき味噌」のうまさ" src="http://special.gotoshoin.com/images/02_06_fukimiso1-thumb-200x133.jpg" width="200" height="133" /></a></span><br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a title="ふっくらして香ばしい「ふき味噌」のうまさ" href="http://special.gotoshoin.com/images/03_08_fukimiso4.jpg" rel="shadowbox[img]"><img class="mt-image-none" alt="ふっくらして香ばしい「ふき味噌」のうまさ" src="http://special.gotoshoin.com/images/03_08_fukimiso4-thumb-200x133.jpg" width="200" height="133" /></a></span><br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a title="ふっくらして香ばしい「ふき味噌」のうまさ" href="http://special.gotoshoin.com/images/04_10_fukimiso6.jpg" rel="shadowbox[img]"><img class="mt-image-none" alt="ふっくらして香ばしい「ふき味噌」のうまさ" src="http://special.gotoshoin.com/images/04_10_fukimiso6-thumb-200x133.jpg" width="200" height="133" /></a></span></div>
<p class="bodytxt">　しかしここで私は考える。ふきのとうが薬味なら、この味噌自体が薬味みたいなもんではないか。というわけで、焼き魚に、大根おろしとともに添える。実にうまい。<br />　ついでに、魚に塗ってから焼く。焼き味噌の香りが漂い、食欲をそそる。ふき味噌はふっくらとして香ばしく、それが、魚の味が混ざり合う。<br />　すぐ近くの沢で釣れるイワナやヤマメが最高。川魚独特の香りとの相性が素晴らしくよいのだ。しかしめったに手に入らないので、ここではタラを使った。海の魚ならタラやアンコウ、フグ、カワハギ、メバルなどの白身魚がよい。「魚のふき味噌田楽（でんがく）焼き」とでもいおうか。魚の代わりに豆腐にのせて炙ってもおいしいし、焼きおにぎりも素晴らしい味わいだ。</p>
<p class="bodytxt">　断言するが、通常の作り方のふき味噌より、この"ふき薬味味噌"のほうが、何倍も何十倍もうまい。そのうえふきのとうをたくさん使う必要もない。2～3人分なら、作る前に、庭からひとつひねりとって、その半分程度使えば十分なのだ。<br />　しかし、少なくて済む、というのは困ったことでもある。次から次へと出てくるふきのとうを消費できないのだ。やがてふきのとうは空に向かって伸び始める、暖かくなるにつれ、白い花が咲き、綿毛（わたげ）でいっぱいになり、それがところどころ抜け落ちてすっかりくたびれた印象になる。<br />　風に吹かれる、それらのふきのとうの姿を見て、私は膝（ひざ）を打った。その姿は、背中を丸めてよろよろと動く、白いひげの老人そのもの。我が家の庭のあちこちで、正真正銘の「ふきのじいさん」たちがゆらゆらと揺れているのである。</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/tsuchiya/post-69.html</link>
            <guid>http://special.gotoshoin.com/tsuchiya/post-69.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">土屋敦の男子の料理</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 12 Feb 2010 18:07:31 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>朝寝坊のらく　下</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt"><font color="blue">【登場人物】<br />
●立川談志......落語立川流家元、志らくの師匠<br />
●朝寝坊のらく（前座名・談々）......故人。落語立川流落語家、志らくの兄弟子<br />
●立川文都（前座名・関西）......故人。落語立川流真打ち、志らくの兄弟子<br />
●立川談春（前座名・談春）......落語立川流真打ち、志らくの兄弟子<br />
●立川志らく（前座名・志らく）......落語立川流真打ち、私</font></p>

<div align="center">
<p class="bodytxt"><font color="blue">～受けまくった立川ボーイズ～</font></p>
</div>

<p class="bodytxt">　1988年3月、のらく、文都（ぶんと）、談春（だんしゅん）、志らくは、二つ目に一緒に昇進した。そして1年後、私たちは、「平成名物TV　ヨタロー」（TBS）に「立川ボーイズ」として出演し、一躍人気者となった。<br />
　この番組は若手落語家のバラエティで、深夜放送。落語協会、落語芸術協会、円楽党、落語立川流の4団体の若手が3人1組になり、大喜利、コントなどをやって競う番組で、のらく、談春、志らくが組んで立川ボーイズを名乗ったのだ。<br />
　番組スタート時点では、コントのところは志らくと談春だけで出て漫才もどきを披露した。<br />
　無名の若手落語家の漫才なんかだれも聴かない。公開放送だったが、まったく受けなかった。しかし、番組内でのらく兄（あに）さんがちょいとしゃべると客席から反応があるのだ。若手といいながら、ひとりだけ明らかに中年で、禿（は）げているし、その姿が異様だったのであろう。<br />
　そこで志らくは、次の収録からコントにのらくに参加してもらった。これが大当たり。どっかんどっかん受けるのだ。ボケがのらく。志らくは危ないギャグを連発。談春がそれらに突っ込む。<br />
　のらくを主人公にしたいろいろなコントを私がこしらえた。のらくを魔法のランプの精にしたり、らくだのシャツに股引（ももひき）をはかせてキングコングに見立てたり、新聞紙で折った兜（かぶと）をかぶせて、下着に腹巻をさせて大魔神にしたり、金髪のカツラをかぶせて、悪魔にとりつかれた少女リーガンにして「エクソシスト」のコントをやったり、大暴れだった。<br />
　この立川ボーイズのコントが受けたので、１クールで終了のはずの番組が1年続いたのである。</p>

<div align="center">
<p class="bodytxt"><font color="blue">～のらく兄さんの恋～</font></p>
</div>

<p class="bodytxt">　収録スタジオには10代の女の子の追っかけがつめかけ、さながらアイドルであった。ただ、のらく兄さんのキャラは際物（きわもの）で、次第に客から飽きられていった。こうなるとどうにもならない。登場するたび、失笑だったが、志らくと談春の人気がすさまじかったので、この2人のコントの部分は受けるのであった。追っかけも志らく派、談春派に分かれ、2人が登場するだけでスタジオはキャーキャー大騒ぎであった。<br />
　失意のどん底におちたであろうのらく兄さんであったが、実はそのころ、バラ色の人生であったのだ。というのも彼は恋愛をしていた。ファンの子と付き合っていたのだ。相手は、フェリス女学院大学に通っている美しい女性とのこと。<br />
　あるとき、のらく兄さんが、こんなことを言った。<br />
　「志らくよ、コントでのおじさんの出番をもう少し多くしてもらえないかな。女が志らくさんばっかりＭＶＰをとってずるいって言うんだよ。おじさんもそろそろＭＶＰをとりたいしね」<br />
　ＭＶＰとは、その日の番組で一番面白かった落語家に与えられる賞である。初期のころはのらく兄さんも随分ともらっていたが、途中から志らくばっかりになっていたので、彼女にせがまれそう言ってきたのである。でも旬が過ぎてしまった人を復活させる腕は私にはなかった。<br />
　旬は過ぎても春が来ているのだからいいではないかと、時折私と談春兄さんでなぐさめたものだが、この恋も、実はのらく兄さんの一方的な勘違いであったという事実が発覚した。<br />
　彼女から私のところに苦情がきたのだ。「のらくさんがしつこくて困る」と。たぶん、最初のころは女も気を引くようなことを言ったのだと思う。そのうちにあまりにのらく兄さんが本気になってきたので、驚いて身を引こうとしたら、もう手遅れで、つまりストーカーみたいになってしまっていたのである。<br />
　「着物姿ののらくさんがうちのマンションの前にずっと立っているんです。もう怖くて怖くて」<br />
　女は電話口で泣いていた。数日後、のらく兄さんに事情を聞いてみた。<br />
　「いや、彼女と飲んだんだよ、居酒屋で。で、彼女の家が近所だというので、送っていくと言ったら、結構ですと言うんだ。それは「寄ってもいいわよ」というサインだと思うだろ？　女のイヤはイイということだもの。だけどかたくなに彼女が拒否するんだよ。帰られちゃうと困るから、彼女のハンドバッグを奪ったんだ。もってあげるよって言ってね。そうしたら、泣きながら逃げちゃったんだよ。後を追いかけてマンションを突き止めたんだけど、出てこないから、それでしばらく立っていたんだ。女心は分からないもんだよ」<br />
　ハンドバッグを捨ててでも逃げたかった女の恐怖が、まったくわかっていないのらく兄さんであった。<br />
　完全にふられているのにそれに気がついていない。「女のじらし」だと言ってきかない。<br />
　仕事が終わって、のらく兄さんと二人で食事をして、その際もずっと彼女の話に終始していて、そろそろ帰ろうとしたら、<br />
　「志らく、喫茶店にでもいかない？」とのらく兄さん。<br />
　「何か話でもあるんですか？」と尋ねると、<br />
　「いや、もう少し、おじさんの女の話を聞いていかないかい」<br />
　......そんな暇はないよ、兄さん！<br />
　そんなのん気なのらく兄さんも、数ヵ月後、ついに自分がふられたことに気がついた。随分と荒れた。自棄酒を飲んでいた。<br />
　そんなのらく兄さんを慰めようと、志らくと談春が彼に付き合った。場所は池袋の居酒屋。2軒3軒4軒の梯子酒（はしござけ）。<br />
　明け方のスナックで、酔ったのらく兄さんが、<br />
　「談春（はる）、このウイスキーを一瓶一気に飲んだら、おじさんは死ねるかな」<br />
　とつぶやいた。談春兄さんは、<br />
　「飲んで死にゃぁ、いいよ」<br />
　と吐き捨てた。志らくも談春も一晩中ぐだぐだ愚痴る兄弟子（あにでし）にほとほと愛想がつきていた。<br />
　朝、カラスが飛び交う池袋の繁華街を3人で歩いていた。始発で帰るためだ。するとのらく兄さんが叫んだ。<br />
　「もう少し、付き合って！　もう1軒だけ飲みに行こう！　兄弟子の命令だ。行くぞ！」<br />
　これには談春兄さんが切れた。<br />
　「いい加減にしやがれ、この禿げが！」<br />
　のらく兄さんをヘッドロックして駆け出すと、ゴミために投げ捨てた。<br />
　憐（あわ）れなりのらく兄さん。<br />
　着物姿の朝寝坊のらくが、「あぁあぁ」と情けない声をあげながら、朝の池袋のゴミ溜めに沈んでいた。</p>

<div align="center">
<p class="bodytxt"><font color="blue">～すごむ談春 VS 涙目のらく～</font></p>
</div>

<p class="bodytxt">　師匠の娘さんの結婚式で立川ボーイズが余興をやることになった。場所は東中野の日本閣。当日はパーティの手伝いもあり、余興の稽古（けいこ）もしないといけないので大忙しであった。私とのらく兄さんは早めに会場入りをして雑用をしていたが、談春兄さんがこない。<br />
　「談春兄さんはきっとまた競艇ですよ」と私が言うと、<br />
　「たまには小言（こごと）を言わないとな」と珍しく語気を強めるのらく兄さん。<br />
　「びぃしっと言ってやってくださいよ！」とあおる志らく。<br />
　遅れて談春兄さんが到着。のらく兄さんは真顔で言った。<br />
　「おい、談春（はる）！　どうして時間通りに来ないんだ。どうせまた競艇だろ！」<br />
　すると、談春兄さんの顔色が変わった。<br />
　「競艇じゃないですよ。仕事があってそれで遅れたんですよ。文句ありますか？」<br />
　仕事で遅れたのならば仕方がない。のらく兄さんも「ああ、そうだったのか」ですませればいいのに、<br />
　「なんだ、その言い草は！　俺は兄弟子だぞ！」<br />
　と談春兄さんを叱（しか）った。すると談春兄さんはすごんだ目をして、<br /><br />
　「......それがなんだってんだ。文句があるなら表に出ろよ！」
　この言葉にのらく兄さんは、<br />
　「いや、あのう、文句はないよ。もういいよ」<br />
　と涙目になって後ずさり。談春兄さんがいなくなってから私に、<br />
　「......談春（はる）は洒落（しゃれ）が通じないから困ったもんだよ、へへへ」<br />
　と笑って涙をごまかす情けないのらく兄さんがいた。</p>

<div align="center">
<p class="bodytxt"><font color="blue">～破門騒動～</font></p>
</div>

<p class="bodytxt">　『雨ン中の、らくだ』にも書いたが、彼の性格を如実（にょじつ）に表すエピソードだから、また書こう。<br />
　「平成名物TV　ヨタロー』でのらく人気が下降し始めたころ、彼の破門騒動が持ち上がった。<br />
談志があるとき、のらく兄さんに電話を入れたのだが、へべれけに酔っ払っていたのらく兄さんは、声の主が談志だということに気がつかなかったのだ。「俺だ」という談志に対し「どちらの俺さんですか？」と聞き返してしまったのだ。<br />
師匠は怒り狂った。すぐさま私のところに電話をかけてきて、<br />
　「のらくの奴は破門だ。師匠の声もわからねぇ。破門だと伝えておけ」<br />
　私は慌ててのらく兄さんに電話をした。<br />
　「破門になっちゃうから、明日すぐに詫びに行かないといけないよ！」<br />
　明くる日、のらく兄さんは練馬の師匠の自宅に飛んで行った。あとでのらく兄さんに電話で様子を聞くと、<br />
　「ああ、大丈夫。師匠、怒ってなかったから」<br />
　私も一安心。数日後、師匠に会うと、「のらくは破門だから」とまだ怒りが収まっていなかった。師匠が言うには、<br />
　「あいつ、来たよ、次の日。ヘラヘラ笑いながら。で、掃除だけすると、何も言わずに帰っちまった。なんだかわからねぇ」<br />
　私はのらく兄さんに「どうなっているの？」と聞いた。するとのらく、<br />
　「おかしいな。家に行ったとき、師匠、何にも言わないんだもん。もう怒っていないのかと思ったよ」<br />
　鈍感にもほどがある。<br />
　次の日、私と談春兄さんがのらく兄さんに付き添って、師匠の仕事場に詫びに行った。師匠は何を怒っているのかを優しく語ってくれた。要は酒はほどほどにしておけということだった。私と談春兄さんはしきりに頭を下げていた。しかし肝心ののらく兄さんが頭を一度も下げないのだ。師匠の楽屋から出て、2人はこの兄弟子を叱りつけた。<br />
　「なんで、弟弟子（おとうとでし）が頭を上げているのに、張本人の兄さんが下げないんだよ。兄さんがあそこで土下座をすれば師匠の怒りは収まるんだよ！」<br />
　このとき、この兄弟子の頭には「土下座」の文字だけがインプットされてしまったようだ。打ち上げで銀座の「美弥（みや」という師匠の行きつけのバーに行った。師匠がトイレに行こうとしたら、便所の前でいきなりのらく兄さんが土下座をしてしまったのだ。<br />
　「俺はそういう行為が一番嫌いなんだ！　どけ！」<br />
　だれがそんな時に土下座をしろと言ったよ、兄さん！<br />
　のらく兄さんはまた涙目で、<br />
　「だって土下座しろというから。お前たちにまた一杯食わされちゃったよ」<br />
　とつぶやいた。</p>

<div align="center">
<p class="bodytxt"><font color="blue">～談志 VS のらく～</font></p>
</div>

<p class="bodytxt">　それからしばらくたって、師匠が海外に出かけた。帰国のときは迎えはいらないと師匠からの通達があったが、ここがチャンスと私はにらんだ。のらく兄さんに、<br />
　「成田まで迎えに行くべきだよ。だれも弟子は行かないんだから、兄さんがひとりで待っていたら、許してもらえるよ」<br />
　と伝えた。のらく兄さんは私に言われるがまま、成田へと向かった。すると電話がかかってきて、<br />
　「志らく、師匠がいなくなっちゃたんだよ」<br />
　と泣き声である。なんでもバスに乗るために師匠に1万円札を両替してこいと言われ、戻ってみたら師匠がいなかったとのこと。私はすぐに師匠の家に向かえと指示をだした。<br />
　数日後、師匠が言った。<br />
　「あいつ、成田にきたよ。追い返すわけにもいかないよな。で、バスに乗ろうとしたら、細かい金がないんだ。俺の分はあるが、あいつの分まではなかった。それで『1万円をくずしてこい』とのらくに言ったんだ。見ていたら、遠くの方であいつが走り回っているんだ。するとバスが来たんだ。俺はバスに乗って帰るのが目的だわな。あいつを待つことが目的ではない。で、俺はバスに乗ってひとりで帰ったんだ。しばらくして、あいつ家にきたよ。『すみません』と謝るんだ。『どうしたんだ』と聞いたら、両替機がないから、お土産でくずしてもらおうと走りわまっていたんだと。『まあ、それはいいや。とにかく金を返せ』と言ったら饅頭（まんじゅう）の箱詰めを差し出しやがるんだ。『なんだ、これは』と聞いたら、どこも両替してくれないからこの饅頭を買ったんだと。『饅頭はどうでもいい。金を返せ』と言うと、饅頭の箱の上に8800円をのせるんだ。お釣りです、だとさ」<br />
　結局、1ヵ月の謹慎ですんだ。その代わり、酒は禁止となった。談志の弟である立川企画の社長の提案である。<br />
　「のらく、酒をやめるんだぞ」<br />
　と言うと、のらく兄さんは真顔で「一生ですか？」と聞き返した。<br />
　「一生とか、そんな話をしているんじゃない。とりあえず、今はやめろといっているんだ！」<br />
　社長も激怒していた。</p>

<div align="center">
<p class="bodytxt"><font color="blue">～廃業～</font></p>
</div>

<p class="bodytxt">　その数ヵ月後、のらく兄さんは落語家を廃業した。<br />
　「平成名物TV　ヨタロー」は終了したが、それでもまだ立川ボーイズの人気が続いていたので、単独ライブをやることになった。チラシも完成し、コントの台本を私が書き上げ、いざ稽古に入ろうとした前日、いきなり落語家を辞めるとのらく兄さんが言い出したのだ。<br />
　これには企画を立ち上げた立川企画の社長が怒った。<br />
　「とにかく志らくの家まで詫びに行け！　志らくが台本を書いているんだ。お前がやめるということになれば、志らくはまた2人用の台本を書きなおさなくちゃならないんだ。志らくが許すと言わなければ、辞めたらだめだ！」<br />
　社長から「これからのらくがお前の家に行くから、話を聞いてやってくれ」という旨（むね）の電話が入った。<br />
　事務所から我が家まで1時間もあればこれるのだが、3時間待ってものらく兄さんは来ない。これには社長が青くなった。きつく言い過ぎたから、思いつめて自殺でもしたんじゃないかと心配をした。3時間半経過して、のらく兄さんがやってきた。<br />
　「弟弟子のところに謝りに行くのは決まりが悪くてね。社長が行けというからそれで来たんだけど。途中で、お腹がすいたからカレーライスを食べてきた」<br />
　緊張感のない人だ。近所のファミレスで一通り話を聞いて、私は、<br />
　「兄さんの人生だから、兄さんの好きなようにやるしかない」<br />
　と言った。<br />
　帰り際、勘定を払う段になって、<br />
　「ここはやっぱり兄弟子の貫禄で全部払うべきかな」<br />
　とのらく兄さんは笑いながら言った。払って当然なのに、駄目な兄さんだな、でもこれがのらくって人なんだよな、と私は心の中で笑った。<br />
　のらく兄さんは本当に廃業してしまった。無理にでも引きとめるべきだったのかな。止めていれば、一緒にコントをやり、それが芸の糧（かて）となり、落語にも生きてきたのではないだろうか。<br />
　落語は下手でも、強烈な個性の持ち主だ。昨今の落語ブームで世間がほうっておくはずもない。<br />
　落語家をやめたから酒の量が増えて、それで身体を壊して命を縮めたのではないだろうか。<br />
　生きていたら、今ごろ志らく一門のいい参謀、おじさん格におさまっていたのではないか。<br />
　志らくの映画にも芝居にも出演していたのではないだろうか。<br />
　回転寿司もあの当時とは比べ物にならないほどきれいになって美味しくなった。絵皿をとって、ちょいといい酒を飲めたのではないだろうか。<br />
　私がコントをやらせなかったら、変に人気が出ることもなく、細々とではあるが、好きな酒をチビチビやりながら、「志ん生（しんしょう）は乙（おつ）だね」なんて言いながら、長生きできたのではないだろうか。</p>

<p class="bodytxt">　だけどね、兄さん、兄さんとコントをやっていたころが一番、楽しかったよ。あのころの兄さんは、だれよりも一番面白かったよ。<br />
　今でも時折、街中で着物姿の禿げを見ると、ひょっとしてのらく兄さんじゃないかと、後を追いかけている自分がいる......。</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/shiraku/post-68.html</link>
            <guid>http://special.gotoshoin.com/shiraku/post-68.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">立川志らくの怒らないでください。</category>
            
            
            <pubDate>Tue, 09 Feb 2010 00:00:22 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「ふきんじい」で作る不思議なスナック</title>
            <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-file" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/pdf/tsuchiya18recipe.pdf" class="button" style="margin: 0px auto 20px;" target="_blank">レシピ印刷</a></span>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/images/01_04_fukinoto5.jpg" rel="shadowbox[img]" title="「ふきんじい」で作る不思議なスナック"><img alt="「ふきんじい」で作る不思議なスナック" src="http://special.gotoshoin.com/images/01_04_fukinoto5-thumb-560x373.jpg" width="560" height="373" class="mt-image-none" style="" /></a></span>
<br /><br />
<p class="bodytxt">　佐渡ではふきのとうのことを「ふきんじいさん」と呼ぶ。最初に聞いたときは、布巾（ふきん）を頬（ほお）かむりにしたおじいさんの姿がパッと頭に浮かんだが、実際は「ふきの爺（じい）さん」という意味。略して「ふきんじい」という。</p>

<p class="bodytxt">　春真っ先に自然からいただける大地の恵みが、この「ふきんじい」だ。佐渡に引っ越してきた最初の年、私は、初めての春の訪れがあまりにうれしくて、庭の溶けた雪の間から顔を出す大量のふきんじいを採り、天ぷらにして食べた（ごはんと、おかずはこの天ぷらのみで、30個ぐらい食べただろうか）。<br />
　すると頭痛に襲われ、体中がだるくなったのだ。アクのせいだ。<br />
　地元の人たちは、くたくたに煮込んでアクを十分に取ってからふき味噌（みそ）などにして食べていたが、私には「せっかくの瑞々（みずみず）しい香りを生かしたい」という思いがあり、「くたくた煮」には踏み切れない。かといってあのひどい頭痛はもういやだ。もうふきんじいを食べるのをやめようか、と思っていたころ、近所に住むおばあさんが、そのふきんじいを持って玄関先に現れた。</p>

<div class="leftframe">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/images/02_05_fukinoto1.jpg" rel="shadowbox[img]" title="写真1"><img alt="写真1" src="http://special.gotoshoin.com/images/02_05_fukinoto1-thumb-200x133.jpg" width="200" height="133" class="mt-image-none" style="" /></a></span>
<br /><br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/images/03_08_fukinoto4.jpg" rel="shadowbox[img]" title="写真2"><img alt="写真2" src="http://special.gotoshoin.com/images/03_08_fukinoto4-thumb-200x133.jpg" width="200" height="133" class="mt-image-none" style="" /></a></span>
</div>

<p class="bodytxt">　「刻んで、できあがった味噌汁にパッと散らすとうまいぞ」<br />
　これは目からウロコだった。<br />
　細かくしてふりかけ、料理に香りを与える――ふきのとうの薬味化、あるいはスパイス化とでもいおうか。さっそく、味噌汁に、煮物に、きんぴらに、パスタに、そして豚の角煮にパッと散らす。すると周囲が一気に春の香りに満たされ、料理の味が引き締まるのだ。<br />
　刻むと、小さなふきの花のつぼみがこぼれるように飛び出てくる。ふきのとうは小さな花の集合体なのだ。この小さなつぼみがかわいく、つぼみばかりを選んで料理にのせると絵にもなる。<br />
　一度にたくさんのふきんじいを採る必要もない。食事の前に庭に出て一つだけ取り、料理ができあがったら供す前にきざんで散らすだけである。</p><p class="bodytxt">　そんなふきんじいの使い方を覚えてからよく作ったスナックのレシピがある。簡単で、意外で、私は大好きだが、その味が他の人にとってもおいしいのかどうか、今でも判断しかねる、不思議なスナックである。<br />
　材料は、ワンタンの皮、ふきのとう、蜂蜜（はちみつ）、黒こしょうだけ。蜂蜜とふきんじいの組み合わせ＋ピリリと痺（しび）れるこしょう風味に私はハマってしまったのだが、周囲の人間に「うまい」と言われた記憶はないので、本当においしいのかどうか、まったく自信はない。ここで公開して皆様のご判断を仰ぎたい。</p><p class="bodytxt">　ところで、当時、「ふきんじい」という名前がどうにも腑（ふ）に落ちなかった。ふきのとうの、生命力をうちに秘めて充実したかわいげのある丸い姿は、むしろ「ふきの赤ちゃん」とでも言ったほうがいいんじゃないか、と思っていた。<br />
　そんな私がこの「じい」という名に納得するのは、木々の若葉が芽吹き、花が咲き、もうだれもふきんじいのことなど構わなくなった春満開のある日のこと。そのときのことは、次回、詳しく書きたい。</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/tsuchiya/post-67.html</link>
            <guid>http://special.gotoshoin.com/tsuchiya/post-67.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">土屋敦の男子の料理</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 05 Feb 2010 12:10:30 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>親分の宝物</title>
            <description><![CDATA[<div style="text-align:center;">
<p class="bodytxt">アッシ「おっと、親分！　背中にこきたねぇ物がのってますけど」</p>
<p class="bodytxt">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/images/020301.jpg" rel="shadowbox[img]" title="写真1"><img alt="写真1" src="http://special.gotoshoin.com/images/020301-thumb-300x400.jpg" width="300" height="400" class="mt-image-none" style="" /></a></span>
</p>
<p class="bodytxt">吉太郎「すぴー、すぴ～」</p>

<p class="bodytxt">おかみ「むふふ。小さいときから、このぬぐるみが大好きでね」</p>

<p class="bodytxt">アッシ「え、え～！　親分がぬいぐるみをですかい？<br />
っていうか、これ、<br />
ぬいぐるみだったんっすか！」</p>
<p class="bodytxt">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/images/020302.jpg" rel="shadowbox[img]" title="写真2"><img alt="写真2" src="http://special.gotoshoin.com/images/020302-thumb-300x400.jpg" width="300" height="400" class="mt-image-none" style="" /></a></span>
</p>
<p class="bodytxt">吉太郎「ぐぴ～、ぐぴ～」</p>

<p class="bodytxt">アッシ「よく見れば、たしかに犬のぬいぐるみちゃあ、ぬいぐるみか。<br />
しっかし、薄汚れてますね」</p>
<p class="bodytxt">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/images/020303.jpg" rel="shadowbox[img]" title="写真3"><img alt="写真3" src="http://special.gotoshoin.com/images/020303-thumb-300x400.jpg" width="300" height="400" class="mt-image-none" style="" /></a></span>
</p>
<p class="bodytxt">おかみ「昔は、こんなにキレイだったのにね」</p>

<p class="bodytxt">アッシ「ええ～！　これが、これですかい？」</p>
</div>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/kichitarou/post-66.html</link>
            <guid>http://special.gotoshoin.com/kichitarou/post-66.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">吉太郎の傷だらけの人生</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 04 Feb 2010 21:02:01 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>認識の対立とフィルターの大小</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt">　今回は、個々人が持つフィルターの「枠の大きさ」が、個人間の認識の違いにどういう影響を与えるのかについて説明したいと思います。<br />　外資系企業で人材を採用したり評価したりするときの「永遠のテーマ」の一つに、<br />　<b>「『実務スキル（例えば経理や営業）がいま一歩でも英語（語学）ができる人』を採用・評価すべきか、あるいは『英語がいま一歩でも実務スキルに優れた人』を採用・評価すべきか」</b><br />　というものがあります。<br />　これらが「両方できる人」が当初の募集要望事項には入っているのですが、当然のことながらこういう「スーパー（ウー）マン」はめったにいないので、上記のような選択に迫られることになります。<br />　これはもちろん、その会社や当該業務固有の状況があるので「正解」といえるものはないわけですが、こういう場面に遭遇すると、人間の価値観がはっきりとあらわれます。<br />　実務に優（まさ）る「実務派」の人は英語力を軽視し、「あいつらは単なる『英語屋』じゃないか」、逆に語学堪能な「英語派」の人は「英語もできないくせに......」と考え、お互いを批判します。<br />　このメカニズムを各個人が持つ「フィルターの大きさ」という観点で説明してみましょう。</p>
<p class="bodytxt">　まずは図１を見てください。同じ大きさの象でも、大きな枠のフィルターで見ると小さく見え、小さな枠のフィルターで見ると大きく見えることがわかるでしょう。<br />　<b>「小さい枠」で見ている人は自分の枠が小さいことに気づいていない</b>ので、それが「画面いっぱい」に広がって見えます。</p><br /><br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="図1" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100203-1.gif" width="467" height="231" /></span><br /><br /><br />
<p class="bodytxt">　次にこの構図を使って、先の「英語か実務か」という永遠のテーマを見てみましょう。<br />　<b>「英語派」のAさんと「実務派」のBさんが、お互いの能力をどう判断するか</b>を表現したのが図２です。</p><br /><br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="図2" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100203-2.gif" width="535" height="333" /></span><br /><br /><br />
<p class="bodytxt">　まず図の上半分を説明しましょう。<br />　これは、英語はできる（「大きい象」で表現）が実務ができない（「小さい象」で表現）というAさんの実力を、異なる「フィルター」を持つAさんとBさんがどう見るかを示したものです。<br />　Aさんの自己評価ですが、<b>得意な英語力は大きな枠で見ても枠いっぱいに見えるので、「十分だ」と判断します。一方、苦手な実務は（必要性を低く見積もっている分）小さなフィルターで見るために、これも「十分だ」と判断してしまう</b>わけです。<br />　これに対して、実務を得意とするBさんに、「同じ2頭の象」はどう見えるでしょうか。まず英語が苦手なために「小さなフィルター」で見る大きな象（英語力）は、「判定不能」と判断してしまいます。<b>小さいフィルターでほんの一部分だけを見ているだけでは、それがいいのか悪いのかすら判断できないからです。</b><br />　反面で得意な実務については、フィルターが大きい分、Aさんが見る象よりもだいぶ小さく見えます。つまり、英語力は「判定不能」と判断し、実務力は「不十分」であると判断してしまうわけです。<br />　これとまったく逆に、Bさんの実力をAさんとBさんがそれぞれどう見るかを示したのが図2の下の図です。先ほどとは逆の構図になるのがおわかりでしょう。<br /><b>　見る側の得意領域の違いによって、一人の人間の能力がまったく異なって見え、結果として正反対の評価になってしまう</b>というわけです。</p>
<p class="bodytxt">　以上述べてきた「英語か実務か？」という構図は、いろいろな事例に見られます。<br />　例えば、<b>「『理』にすぐれた人がいいのか、『情』にすぐれた人がいいのか」</b>なども、「永遠のテーマ」といえる構図です。これも往々にして「理に勝っている人」は、人間関係で出世した人を揶揄（やゆ）し、「あいつは仕事もできないくせに、おべっかばかりで昇進した」などとばかにします。一方、「情に勝っている人」は、「理論派」の人たちのことを「正論ばっかり言っていて役に立たない」などと否定したりします。<br />　ほかにも、いわゆる<b>「理系」と「文系」がお互いを見る視線</b>も、同じ構図だったりするのではないでしょうか。</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/hosoya/post-65.html</link>
            <guid>http://special.gotoshoin.com/hosoya/post-65.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">細谷功の象の鼻としっぽ</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 03 Feb 2010 23:19:15 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>朝寝坊のらく　上</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt">　<font color="blue">【登場人物】<br />●立川談志......落語立川流家元、志らくの師匠<br />●朝寝坊のらく（前座名・談々）......故人。落語立川流落語家、志らくの兄弟子<br />●立川文都（前座名・関西）......故人。落語立川流真打ち、志らくの兄弟子<br />●立川談春（前座名・談春）......落語立川流真打ち、志らくの兄弟子<br />●立川志らく（前座名・志らく）......落語立川流真打ち、私</font></p>
<p class="bodytxt">　のらく兄（あに）さんのことが忘れられない。時折、夢に出てくる。そのとき、私が必ず言う言葉が「なんだ、兄さん、生きていたんだ」。</p>
<div align="center">
<p class="bodytxt"><font color="blue">～酒のために死す～</font></p></div>
<p class="bodytxt">　朝寝坊（あさねぼう）のらく。前座名を立川談々（だんだん）といった。1954年生まれだから、志らくより九つ上である。談志に入門した時点で禿（は）げていた。その禿げ方はコントで使うハゲヅラのようであった。志ん生（しんしょう）と安酒をこよなく愛した噺家（はなしか）であった。<br />　死んでしまったらしい。「らしい」というのは、私は葬儀にも出ていないし、親族の方から直接訃報（ふほう）を聞いたわけでもない。ただ、落語ファンの人から、のらく兄さんの葬儀に参列したとを聞いただけ。<br />　だから今でもひょっとしたらどこかで生きているのではないかと......いや、やっぱり死んじゃったんだろうな。生きていたら、顔ぐらい出すはずだもの。</p>
<p class="bodytxt">　のらく兄さんは二つ目になって、少し売れて、それで落語家を廃業して、やがて酒のため死んでしまった。<br />　第一印象は悪かった。私が談志の弟子になろうと思っていたころ、落語会で高座返し（座布団を返したり、演者名を書いた「めくり」をめくる役割。前座が担当する）をしている彼を見たとき、なんて貧相な前座なんだろう、それに馬鹿そうだな、と呆（あき）れたのだ。<br />　当時、談志が、『現代落語論』のパート２『あなたも落語家になれる』を出版して、その中で「今の前座の弟子は馬鹿ばかり。落語を全く覚えようともしねえんだ」と書いていて、私は自分が弟子になったら師匠が驚くほど落語を覚えてみせるのに、と思い、師匠を嘆かせる弟子を軽蔑（けいべつ）していた。そんなときに、のらくを見たのだから、こいつが師匠の言う「馬鹿」かと思ったのである。</p>
<div align="center">
<p class="bodytxt"><font color="blue">～その芸にとまどう客～</font></p></div>
<p class="bodytxt">　入門してしばらくは、のらく兄さんに会う機会がなかった。というのも、前座は人間修業の名目で築地の魚河岸（うおがし）に通わされていたのだ。のらく兄さんの行き先は包丁屋。不器用な人だったが、包丁とぎには才能があったらしく、親方から随分とかわいがられていたそうだ。落語家を辞めて後継ぎになれ、と言われたこともあるらしい。<br />　入門して1ヵ月ぐらいで初めて対面した。実に優しいおじさんだった。気が小さくて、声も小さい。つぶらな瞳（ひとみ）。ちょいととんがった口。小柄でおっとりとした善人であった。<br />　とにかく天然で、やることなすこと実にトンチンカン。談志が「おい、談々、のせものをよこせ」と言ったのを聞いて、のせものとは落語家の符丁で「食べ物」のことなのに、彼は談志の頭の上に帽子をのせてしまった。<br />　落語はからっきし下手。志ん生の真似（まね）をしているつもりなのだろうが、前座がそんなことをしたって芸になるはずもない。志ん生はずぼらで、かなりいい加減に落語をやっているようにみえるが、若いころ、どれだけ稽古（けいこ）をしたことか。<br />　のらく兄さんは、志ん生のずぼらなところだけを真似する。だから本当にずぼらな芸になってしまい、そのうえ声が小さいから客はどう反応していいかわからずただただとまどう。</p>
<p class="bodytxt">　『どざえもん』という小噺（こばなし）が大好きで、どういう小噺かというと、<br />　「兄ぃの前だが、昨日大川で水練の達人を見たぜ」<br />　「どんなんだった？」<br />　「顔を水につけたまんま、一度も息継ぎをせず、すーっと川下に向かって流れていったんだ」<br />　「おい、それはひょっとしたらどざえもんじゃねえのか？」<br />　「いやぁ、名前までは知らねぇ」<br />　のらく兄さんはいつもこの小噺をやっていた。一度、前にあがった落語家がこの小噺をやってしまったことがあった。さすがにあきらめるだろうと思っていたら、高座にあがったのらく兄さん、<br />　「えー、ただ今、前の人がどざえもんの小噺をやっておりましたが、私もこの噺が大好きなので、私もやってみましょう」<br />　と言って、まったく同じ小噺を語り始めたのだ。<br />　「いやぁ、名前までは知らねぇ」......ったて受けるはずがない。客はいい迷惑である。</p>
<div align="center">
<p class="bodytxt"><font color="blue">～「掃除は野暮だよ」～</font></p></div>
<p class="bodytxt">　のらく兄さんの至福の時間は酒を飲んでいるときである。一番のお気に入りの飲み場所は「回転寿司」。<br />　「いいよ、回転寿司は。まず、3枚ほど好みの皿をとるんだね。100円のやつね。で、上の魚だけを剥（は）がして、これを肴（さかな）にちびちび酒を飲むんだ。2合は飲めるね。で、お腹がすいたら、残ったしゃりをガリで食うんだ。乙（おつだね」<br />　ちっとも乙じゃない。貧乏臭いだけ。でも、かわいらしい人でもあった。<br />　師匠が海外旅行に行くとき、見送りの際、のらく兄さんはすっと師匠のそばにより、「師匠、ご無事で」とお守りを渡していた。お母さんのようであった。</p>
<p class="bodytxt">　師匠の家の大掃除をするとき、志らくと談春（だんしゅん）兄さんは師匠の目の届かないところに行って、掃除をする。<br />　談春兄さんの掃除はひどかった。師匠のテーブルの上を拭（ふ）くのに、物をどかさないのだ。布巾（ぞうきん）を端を持って、物と物の間をつーっと通らせるだけ。そして師匠が談春兄さんが掃除している部屋に入ってくると、何気なく隣の部屋に逃げてしまう。師匠が隣に来ると、また次の部屋に逃げるのだ。当時、師匠の家にはパックマンというゲームのマシーンが置いてあって、我々は師匠から逃げる談春兄さんを見ては「パックマンだ」と笑ったものだ。<br />　のちの文都（ぶんと）、当時の関西（かんさい）兄さんは師匠が見えるところで必死に掃除をする。「わては掃除をしてまっせ！」というのをアピールしていたのだろうが、師匠の目に付くところにいるということは、その分だけ小言をくらいやすくなる。のべつ怒鳴られていた。<br />　で、のらく兄さんは力仕事は一切せず、師匠の書斎のすみで、談志の資料の整理を淡々とこなしていた。師匠が頼んだわけでもないのに、まるで自分は談志の秘書のような顔をして整理をしていた。<br />　「兄さんも掃除をしてよ」と言うと、<br />　「掃除は野暮だよ」<br />　前座のセリフではない。</p>
<div align="center">
<p class="bodytxt"><font color="blue">～カモのらく　VS　ギャンブラー談春～</font></p></div>
<p class="bodytxt">　前座のあいだは、落語はいっこうにうまくならなかった。のべつとちっていた。とちっても落語家はうまいことごまかすものだが、のらく兄さんはそれができない。ただただ慌てふためく。その姿が面白いので、わざと間違えやすい落語を、私と談春兄さんでやらせたものだ。<br />　「おじさん（自分でおじさんと言っていた）、今日、なんの落語をやろうかな。『狸（たぬき）』はやりすぎて飽きちゃったし」<br />　「兄さん、たまにはちょいと珍しい噺をやってくださいよ」と談春。<br />　「この間、志ん生の『千早振（ちはやふ）る」をテープで聴いたんだけど、あんなふうにやりたいね」<br />　「やったらいいじゃないですか」と志らく。<br />　「でも、まだちゃんと覚えていないんだよ」<br />　「兄さんならば、一（いち）か八（ばち）かでできちゃう」と煽（あお）る談春。<br />　「兄さんの『千早』、聴きたいなぁ」と無責任なことを言う志らく。<br />　「じゃあ、ちょいと冒険してみようか」と、まんまとひっかかったのらく。<br />　案の定、途中でセリフが出てこないで、高座の上で立ち往生。客は凍りつく。舞台そでで大爆笑の談春と志らく。この二人はピノキオをだます猫と狐である。</p>
<p class="bodytxt">　時効だから話すが、博打（ばくち）をしても、のらく兄さんはよく負けていた。一度、談春、のらく、志らくでトランプ博打をしたことがある。私はギャンブラーではないが、ここ一番の集中力がすごくて、時折神がかり的になることある。だからあまり負けない。談春兄さんは根っからのギャンブラー。本物である。のらく兄さんは......ただの禿げちゃびん。二人からすると良いカモだ。<br />　数時間の後、談春兄さんが大勝をして、のらく兄さんはおけらになってしまっていた。帰り道、のらく兄さんがか細い声で、<br />　「談春、随分と勝ったんだから、おじさんに帰りの電車賃をだしてくれないかい」<br />　すると談春兄さんは、<br />　「あれ？　帰りの足代も計算していなかったの？　博打をうつ資格がないな。金はあげないよ」<br />　と笑いながら言い放った。のらく兄さんはしょんぼりして、私に愚痴をこぼした。<br />　「おじさんは情けないよ。ひとまわりも下の子供にこんなことをいわれてね」<br />　この「子供」という言葉に談春兄さんが怒った。<br />　「子供に博打で負けるやつがどこにいるんだ！　千葉まで歩いて帰りやがれ！」<br />　のらく兄さんは千葉に住んでいた。私がそっと交通費を貸してあげた。それなのに、<br />　「志らく、今日、ギョーザを食べたでしょ。口が臭いよ」<br />　金を貸してくれた人に言う言葉じゃない。</p>
<p class="bodytxt">　1988年3月、のらく、文都、談春、志らくは、二つ目に一緒に昇進した。そして1年後、私たちは、「平成名物TV　ヨタロー」（TBS）に「立川ボーイズ」として出演し、一躍人気者となるのである。</p>
<div align="right">
<p class="bodytxt"><font color="blue">（つづく）</font></p></div>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/shiraku/post-64.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">立川志らくの怒らないでください。</category>
            
            
            <pubDate>Mon, 01 Feb 2010 20:31:41 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>傷は癒えましたか？</title>
            <description><![CDATA[<div style="text-align: center;">
<p class="bodytxt">アッシ「おっと、親分！　こんな夜中にどちらへ？」</p>

<div class="bodytxt">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/images/012501.jpg" rel="shadowbox[img]" title="写真"><img alt="写真" src="http://special.gotoshoin.com/images/012501-thumb-300x400.jpg" class="mt-image-none" style="" width="300" height="400" /></a></span>
</div>

<p class="bodytxt">吉太郎「お前こそ、こんな夜中にほっつき歩くんじゃねえ」</p>

<p class="bodytxt">アッシ「相変わらず、この北風よりも冷たいお言葉。<br />
ところで親分、元旦に受けた傷の具合は、いかかですかい？」</p>

<div class="bodytxt">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/images/012502.jpg" rel="shadowbox[img]" title="写真"><img alt="写真" src="http://special.gotoshoin.com/images/012502-thumb-300x400.jpg" class="mt-image-none" style="" width="300" height="400" /></a></span>
</div>

<p class="bodytxt">吉太郎「何のこと？」</p>

<p class="bodytxt">アッシ「またまたとぼけちゃって。<br />
目の腫れはひいたみたいっすね。<br />
あれ、でも耳の下の傷あとは、<br />
まだ痛々しいっす」</p>

<div class="bodytxt">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/images/012503.jpg" rel="shadowbox[img]" title="写真"><img alt="写真" src="http://special.gotoshoin.com/images/012503-thumb-300x400.jpg" class="mt-image-none" style="" width="300" height="400" /></a></span>
</div>

<p class="bodytxt">吉太郎「傷つくらねえと、連載のタイトルにあわねぇって、<br />ぼやいてたのはおめぇだろ？」</p>

<p class="bodytxt">アッシ「親分、アッシのこと考えてくれてたんですかい？」</p>

<div class="bodytxt">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/images/012504.jpg" rel="shadowbox[img]" title="写真"><img alt="写真" src="http://special.gotoshoin.com/images/012504-thumb-300x400.jpg" class="mt-image-none" style="" width="300" height="400" /></a></span>
</div>

<p class="bodytxt">吉太郎「そんなわけねぇだろ！」</p>

</div>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/kichitarou/post-63.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">吉太郎の傷だらけの人生</category>
            
            
            <pubDate>Mon, 25 Jan 2010 21:21:54 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt">　「各個人が持つ固有のフィルター」が及ぼすコミュニケーションへの影響について別の例を挙げてみます。<br />
　今回のタイトルの<B>「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」</B>という言葉は、前楽天監督の野村克也さんが好んで引用している言葉です。今回はこの言葉の意味をこれまで述べてきた「象の鼻としっぽ」とフィルターという観点での解釈を試みてみたいと思います。</p>

<p class="bodytxt">　私たちが過去の成功や失敗の原因を考えるときには、大きく2つの側面があるのではないかと思います。つまりそれは、「運」と「運以外」という2つの要因です。言い換えると、<B>原因が「自分以外」（の環境や他人）にあったのか、反対に「自分自身」（の考え方や方法論）にあったのかという2つの側面</B>です。ここでこれら2つの側面を見るときに、対象とする事象が成功だったのか、あるいは失敗だったのかによって、私たちは無意識のうちにフィルターを使い分けて見てしまいます。<br />
　これら２つの「フィルター」は、図１に示すように、一頭の像の上半身側（運）と下半身側（運以外）の片側しか見えないような2種類のフィルターです。</p>

<br /><br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="図1" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100122-1.gif" width="549" height="246" class="mt-image-none" style="" /></span>
<br /><br />

<p class="bodytxt">　具体的に言えば、自分が過去の成功したことを振り返る際にはその原因を「運以外」つまり自分自身に求め、失敗したことに対しては「運」つまり環境や他人のせいにしてしまいがちだということです。人間はとかく成功したことの原因は、「自分が努力したからだ」とか「自分のやり方が正しかったからだ」というふうに考えてしまう傾向にあります。逆に失敗したことに対しては、「相手が悪かったからだ」とか「○○さんが入らなければうまくいっていたのに」とか「ベストを尽くしたのに運が悪かっただけだ」などと思ってしまいがちです。<br />
　反面、おもしろいことに、「他人の」成功を見るときにはこれを「運」だと思い、失敗を見るときには「運以外」つまり本人が悪いのだと見てしまう傾向もあるのではないでしょうか。<br />
　つまり、<B>自分の成功や失敗の原因を考えるにあたっては、自分自身の見方と他人の見方（客観的な認識）とは真逆のものになっている</B>可能性が高く、これが自分と他人との認識のギャップ、言い換えれば「勘違い」ということができるでしょう。そしてこの<B>勘違いを生んでいるのが、自分の成功・失敗と他人の成功・失敗を認識のするときとでは異なってくる「フィルター」である</B>ということなのです。これを整理したものが図2です。</p>

<br /><br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="図2" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100122-2.gif" width="421" height="269" class="mt-image-none" style="" /></span>
<br /><br />

<p class="bodytxt">　冒頭で紹介した「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」ということばは、まさに、こうしたギャップを認識させて自分の勘違いを正してくれるものだと思います。<br />
　成功については「運」の要素が大きいのだから、自分のやり方が正しいなどと思わずに、「これは運のなせる業（わざ）だ」と思って精進を続けるべきであり、逆に失敗については「運のせいではなくてあくまでも自分自身に原因があったのだ」と自分を戒めるためのものではないかということです。</p>

<p class="bodytxt">　平家物語の冒頭で語られる有名な<B>「盛者必衰（しょうじゃひっすい）の理」</B>（成功した人間も、必ず衰えるときがくる）の原因の一つも、成功すると「成功の原因は自分たちのやり方がよかったからだ」と考えてこれに固執することによっていずれ失敗するという、<B>「盛者の勘違い」</B>からくるところも大きいのではないでしょうか。</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/hosoya/post-62.html</link>
            <guid>http://special.gotoshoin.com/hosoya/post-62.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">細谷功の象の鼻としっぽ</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 22 Jan 2010 18:46:47 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>想像力をかきたてる「牡蠣」という食材</title>
            <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-file" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/pdf/tsuchiya17recipe.pdf" class="button" style="margin: 0px auto 20px;">レシピ印刷</a></span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/images/kaki_01_04.jpg"><img alt="写真" src="http://special.gotoshoin.com/images/kaki_01_04-thumb-560x372.jpg" class="mt-image-none" style="" width="560" height="372" /></a></span>
<br /><br />
<p class="bodytxt">　佐渡は牡蠣（かき）の養殖が盛んである。シーズンになると海水ごとビニール袋にごっそりと詰められて売られている。買ってきて、シンクのところでビニール袋にはさみを入れると、とたんに海水がどっとあふれ出し、広がる磯の香りに台所が海になったかと思う。<br />　海辺に行けば、天然の牡蠣が波消しブロックや防波堤にびっしりとついている。殻は分厚く身は小さいが、滋養（じよう）と旨（うま）みが詰まったような味。固いナイフでその場でガンガンと叩（たた）いて殻を壊しながら食べる。<br />　殻を壊していると、第15回でも紹介したハチメという魚が寄ってきて、殻が割れて中身が出た瞬間に牡蠣に飛びつき、吸い込むようにして食べてはさっと逃げてゆく。<br /><br />　牡蠣は好きな食材だ。シーズンになると必ず新しいレシピを作って発表している。ネット上にアップしたものだけでも、<a href="http://allabout.co.jp/gourmet/cookingmen/closeup/CU20041218A/">牡蠣とセリの豆乳キムチ鍋</a>、<a href="http://allabout.co.jp/gourmet/cookingmen/closeup/CU20041112A/">牡蠣のロールキャベツ</a>、<a href="http://allabout.co.jp/gourmet/cookingmen/closeup/CU20041115A/">牡蠣のネギショウガ蒸し</a>、<a href="http://allabout.co.jp/gourmet/cookingmen/closeup/CU20041116A/">黒ビール生地の牡蠣ベニエ</a>、<a href="http://allabout.co.jp/gourmet/cookingmen/closeup/CU20051123A/">牡蠣のリゾット</a>、<a href="http://allabout.co.jp/gourmet/cookingmen/closeup/CU20051123A/">牡蠣のライスコロッケ</a>、<a href="http://allabout.co.jp/gourmet/cookingmen/closeup/CU20051214A/">カキとミルクのオニオングラタン</a>、<a href="http://allabout.co.jp/gourmet/cookingmen/closeup/CU20061109A/">牡蠣ごはんの焼きおにぎり</a>など、さまざまなレシピを作ってきた。</p>

<div class="leftframe" style="width: 200px;">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/images/kaki_02_11.jpg" rel="shadowbox[img]" title="写真"><img alt="写真" src="http://special.gotoshoin.com/images/kaki_02_11-thumb-200x133.jpg" class="mt-image-none" style="" width="200" height="133" /></a></span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/images/kaki_03_12.jpg" rel="shadowbox[img]" title="写真"><img alt="写真" src="http://special.gotoshoin.com/images/kaki_03_12-thumb-200x150.jpg" class="mt-image-none" style="" width="200" height="150" /></a></span>
</div>

<p class="bodytxt">　個性的な味だが、和洋を問わずさまざまなものに合う。牡蠣うどんや、牡蠣がゆなどのように、とてもシンプルな味わいのものと相性がいい。料理のプレーンな感じを残したままで、複雑で奥行きのある味に一変させることができるのは、牡蠣ならではだろう。肉や魚では味が濁る。野菜では奥行きが出ない。<br />　その一方で、燻製（くんせい）やオイル漬け、揚げものなど、強い味に仕立てても美味。チーズをかけても味噌（みそ）を塗りつけてもビクともしない強い味わい。それでいて他の素材の透明感を損なわないのだからすごい。料理をする人にとっては使いやすく、また想像力をかき立てる希有（けう）な食材なのである。<br /><br />　これまで発表した蠣のレシピのなかで、もっとも評判がよかったのは、手羽先（てばさき）に牡蠣を入れたもの。牡蠣の入った手羽先ギョーザ、「手羽牡蠣」だ。もう４年以上前に発表したものなのに、つい最近も、「あのレシピはすごい」と言われたばかり。よく聞くと、おいしくてすごい、というより、すごく奇想天外というニュアンスだったが。<br />　最近、「このレシピを失敗した」という人に会った。その人の話から、正しい肉の焼き方をしないとこの料理はうまくいかないことがわかった。焼くときに強火で表面を焼きつけ、そのあとすぐフタをして弱火で蒸すような焼き方をすると、中から水分がジャブジャブと出てきてまずくなるというのだ。<br />　自己弁護すれば、この焼き方は普通に肉を焼く際にも、「まずくなる典型的な焼き方」なので、牡蠣手羽は、誤った焼き方を正す契機となる素晴らしい料理ということになる。誤った焼き方をするとすごくまずくなり、きちんと焼くとすごくおいしくなる（すごく奇想天外と言われたが、客観的な判断力を持つ私が思うに、すごくおいしい。ご心配なく）という、とてもはっきりとした性格を知り、私はますますこの料理を好きになった。<br /><br />　このレシピ、書いてから時間がたち、私自身の作り方も変わった。そこで、ここで新たな形で3種類の牡蠣手羽レシピを、まずくならない焼き方とともに紹介する。</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/tsuchiya/post-61.html</link>
            <guid>http://special.gotoshoin.com/tsuchiya/post-61.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">土屋敦の男子の料理</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 21 Jan 2010 00:42:02 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>立川流四兄弟</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt"><font color="blue">【登場人物】<br />●立川談志......落語立川流家元、志らくの師匠<br />●朝寝坊のらく（前座名・談々）......故人。落語立川流落語家、志らくの兄弟子<br />●立川文都（前座名・関西、二つ目・談坊）......故人。落語立川流真打ち、志らくの兄弟子<br />●立川談春（前座名・談春）......落語立川流真打ち、志らくの兄弟子<br />●立川志らく（前座名・志らく）......落語立川流真打ち、私</font></p>
<p class="bodytxt">　昨年2009年末、立川文都（たてかわぶんと）が胃がんで死んだ。49歳。私より入門が1年半早かった先輩の落語家である。</p>
<p class="bodytxt" align="center"><font color="blue">～文都と談春～</font> </p>
<p class="bodytxt">　文都兄さんとは前座修行を共にした同志であるが、実のところ、前座の頃はあまり付き合いがなかった。というのも、私より上の前座は、当時、東京・築地の魚河岸（うおがし）に修業に行かされていたのだ。談志が落語協会を脱退し、柳家小さん師匠に破門され、立川流落語会を創設して自ら立川流家元におさまり、芸能人の弟子を多数とり、ビートたけし、高田文夫、上岡龍太郎、横山ノック、山本晋也などなど。<br />　で、弟子から上納金をとり、世間の注目を集めたが、定席（じょうせき）に出ることを禁止され、談志にとってはそんなことは痛くもかゆくもないのだが、弟子の修業の場がなくなり、それで談志が出した結論が、築地の魚河岸で人間修行をしてこい、であった。<br />　だから当時の前座は毎日、夜明けと共に築地に出かけ、無給で働いていたのだ。私は前座が全員築地に行った直後に弟子入りをし、高田文夫先生の紹介ということもあり、築地には行かずにすんでいた。だから築地組の文都兄（あに）さんとは、普段顔を合わせることがなかったのである。<br />　でもたまに楽屋などで一緒になると、面白い人だった。間違いなく、売れる落語家だと思った。東京の落語界では珍しい大阪の落語家。素人時代に漫才をやっていてそこそこ大阪で売れていた経験もあり、普段の会話がとてつもなく面白かった。当時は大阪出身というところから、立川関西という名前であった。当人がいつも愚痴をこぼしていた。<br />　「大阪出身だから関西だなんて、白い犬にシロとつけるようなもんやないか」と。<br />　ただ気が小さく、神経質なところがあった。さらに悲運の人だった。運が悪いのである。すぐ下の後輩が談春。年齢が16歳。落語家として天性の口調の良さをもっていて、談志にも可愛がられていた。談春は頭が切れ、小ずるいところがあったので、大人の関西はのべつこの談春に腹を立てていた。</p>
<p class="bodytxt" align="center"><font color="blue">～「おびえる前座さん」事件～</font> </p>
<p class="bodytxt">　こんなことがあった。とあるテレビのドキュメンタリー番組のカメラが談志の楽屋に入った時のことだ。カメラが回るというのに、師匠の着物にカビが生えていたのだ。その着物を持ってきてしまったのは何を隠そう志らくだ。私はカビにはまったく気づいていなかった。カメラが回り始め、テレビに映りたいのかどうか知らないが、談春兄さんが師匠に着物を着せようと支度を始めた。<br />　すると着物にカビが。<br />　談春はすぐに気がつき、何食わぬ顔で楽屋から出て行き、舞台袖で働いていた関西に、<br />　「兄さん、師匠が呼んでいますよ」<br />　と声をかけた。関西は言われるがまま、楽屋へいった。すると談志が、<br />　「おい、着替えるぞ」<br />　と言いだした。ちょうど楽屋に入った関西はすぐさま、着物を師匠に着せようとした。すると談志が着物のカビに気がつき、激怒した。<br />　「ちゃんと陰干しをしねぇから、こんなことになるんだ！　間抜けめ！」<br />　そう怒鳴ると、そばにあった湯飲みを関西めがけて投げつけた。湯飲みは、関西のすぐ横の壁にぶつかり粉々に砕けた。<br />　その一部始終がテレビで放映されてしまった。<br />　談志が湯飲みを放り投げ、関西のそばで砕け散る。<br />　青ざめた表情の関西の顔の下にテロップが出た。<br />　「おびえる前座さん」<br />　さらにナレーションで「若い前座のしくじり」。<br />　関西兄さんはなにひとつ悪くない。<br />　でも一事が万事、いつもこんな感じで師匠に叱られていたのだ。</p>
<p class="bodytxt" align="center"><font color="blue">～「戸塚ヨットスクール」秘話～</font> </p>
<p class="bodytxt">　運が悪い代表的な話がある。春風亭栄橋（しゅんぷうていえいきょう）師匠がパーキンソン氏病にかかり、談志がなんとか彼の病を治したくて、友達である戸塚ヨットスクールの校長に話をした。<br />　ドーパミンを出せばどんな病気でも治ると戸塚校長。ならば栄橋を治してやってくれと談志が言い、結果、栄橋師匠は戸塚ヨットスクールに入ることになった。<br />　ついては付き人が必要だということで、談志の弟子がお供をすることになったのだ。談々（後の朝寝坊のらく）、関西、談春、志らくの順番でついていくことになった。期間はひとり3週間ぐらいであった。<br />　ただの付き人ではない。一緒に授業を受けないといけない。早くに起床して、掃除に体操、ヨットに乗って海にでて、授業が終われば栄橋師匠のお世話をするという過酷な毎日。<br />　談々、関西、談春の3人はちゃんと仕事をまっとうしたが、志らくは2日で帰ってきてしまった。というのも、間のいいことに父親が病気で倒れたので、これ幸いにと私は逃げ出してしまったのだ。すぐに代わりの弟子が行かないといけなくなり、順番でまたまた関西が行く羽目になったのである。<br />　結局、志らくは2日に対して、関西は6週間も、戸塚ヨットスクールで過ごすことになったのである。</p>
<p class="bodytxt" align="center"><font color="blue">～「つめきりをもってこい」事件～</font> </p>
<p class="bodytxt">　師匠の自宅で、師匠が「つめきりをもってこい」と怒鳴った。すぐそばにいたのは談々。しかし談々には師匠が何をもって来いと言ったのかが聞き取れない。聞き返せばいいのに、隣の部屋にいた関西に、<br />　「おい、師匠がもってこいとさ」<br />　と告げた。関西はなんだかわからない。ただ慌てて、部屋の中をキョロキョロしていた。それを見た談志が、<br />　「おい、関西、俺がなにを持って来いといったのかわかっているのか？」<br />　「いえ、わかりまへん」<br />　「馬鹿野郎！　分からないでリアクションだけするな！」。</p>
<p class="bodytxt" align="center"><font color="blue">～イチゴ事件～</font> </p>
<p class="bodytxt">　関西兄さんが師匠と地方に旅に行った時の話。仕事が終わり、次の日の新幹線の中で師匠が突然、<br />　「おい、関西。ホテルの冷蔵庫にあったイチゴはどうした」<br />　関西にはまったくいちごの記憶がない。忘れ物がないように師匠の部屋を確認するのも弟子の仕事の一つである。関西は正直に、<br />　「忘れてしまいました」<br />　と詫びた。談志は、<br />　「弁償しろ」<br />　と激怒した。関西は慌ててホテルに電話を入れた。するとホテルの担当者が、<br />　「捨ててしまいました」<br />　と詫びた。<br />　「なんで捨てたりするんでっか！」<br />　と悲痛な叫びをあげた関西であったが、<br />　「いえ、お客様、イチゴはふたつしかなかったのです」<br />　「2パックでっしゃろ？」<br />　「いえ、2個です。そのうちのひとつが腐りかけていて、もうひとつが食べ欠けでしたので、捨ててしまいました」<br />　「............」<br />　関西は、新しいイチゴを買って師匠に弁償した。実に悲運だ。</p>
<p class="bodytxt" align="center"><font color="blue">～名産品事件～</font> </p>
<p class="bodytxt">　師匠と地方に行くと、仕事の関係者からその土地の名産をお土産にいただくのは日常である。重たいものならば宅配便という手段があるが、談志はそれを嫌う。弟子を連れて来ているのだから、弟子に運ばせる。<br />　関西兄さんが群馬県の鬼石に行った時、談志が、<br />　「ここの名産はなんだい？」と尋ねたら、先方が、<br />　「石です」<br />　と答え、関西は重たい石を担いで帰ってきたことがある。</p>
<p class="bodytxt" align="center"><font color="blue">～四兄弟、そろって二つ目に昇進～</font> </p>
<p class="bodytxt">　関西兄さんが前座から二つ目に昇進したのが昭和63年3月。先輩の談々、同期の談春、後輩の志らくと同時昇進であった。<br />　談々は「朝寝坊のらく」に、関西は「立川談坊」にそれぞれ改名をした。<br />　昇進披露宴は東中野の日本閣。我々4人は余興を考えた。<br />　ひとつは、当時光GENJIが人気者だったので、それをまねて、それぞれがローラースケートを履いて踊りながら歌うというもの。もうひとつは、談志が好きな戦時歌謡を熱唱することであった。<br />　とにかくローラースケートの練習をしなくてはいけないと、談坊兄さんが、振り付けを考え、後楽園のスケート場で我々に指導をしてくれた。さらに、衣装も談坊兄さんがＴシャツにそれぞれの名前を染め抜いたものをこしらえてくれた。<br />　そして戦時歌謡は私の得意分野だったので、志らくが選曲をした。師匠が大好きな小野巡の「守備兵節」である。ただこの歌のカラオケがない。そこでパーティ当日、バンドに演奏をしてもらうことにしたのだが、このバンドも談坊兄さんの調達であった。当然、談坊兄さんがバンドに頭を下げて、戦前の軍歌をコピーしてもらった。<br />　パーティ当日、ローラースケートは客に大受け。談志も一言、<br />　「スケートを履いて歌うというアイディアは面白い」<br />　ジャニーズのアイディアです......。<br />　そして「守備兵節」。客はポカーンとしていたが、談志は大喜び。壇上に駆け上がってきて、一緒に歌い始めた。それも志らくの肩を抱いて。確かに「守備兵節」を選んだのは志らくだが、この余興に全力を尽くしたのは談坊兄さん、なのにまったくその努力が報われなかった。</p>
<p class="bodytxt" align="center"><font color="blue">～立川ボーイズ結成～</font> </p>
<p class="bodytxt">　二つ目になり、数年が過ぎ、ある時、談坊兄さんが私にこんな話を持ちかけてきた。 <br />　「志らく、ユニットを組まへんか。今の時代はユニットや。ふたりで漫才やコントでもやらにゃ、落語家として芽が出ぇへんぜ」<br />　私はこの話を保留にしていた。先輩とコンビを組むというのがどうも気が重たかったのだ。<br />　ところがその直後、ＴＢＳから深夜番組のオファーが来た。若手落語家を使ったバラエティである。「平成名物TVよたろう」。私は談春とオーディションに出かけた。談春は先輩ではあるが、前座の頃からのべつつるんでいた仲間だったし、師匠の冠番組で二人でお葉書コーナーを担当していた経験もあったので、その流れになったのは仕方のないことだった。<br />　テレビ局は3人落語家がほしいといってきた。そこで仲間に入ったのがのらく。おそらく談坊兄さんは、志らくにユニットの話を蹴られたから、プライドがあって参加しなかったのであろう。だが、番組は大当たり。のらく、談春、志らくは「立川ボーイズ」となり、10代の女の子のアイドルになったのである。<br />　そして、真打ちに昇進したのは志らく、談春、談坊の順。年期は談坊、談春、志らくなのに。</p>
<p class="bodytxt" align="center"><font color="blue">～「志らくは、ええなぁ」～</font> </p>
<p class="bodytxt">　「志らくは、ええなぁ。どうしてそんなに自分に自信をもって、ずけずけと生きていけるんや」<br />　と、ずいぶんとうらやましがられたことがある。私は天上天下唯我独尊的生き方をするタイプ。他人は他人、自分は自分。尊敬している人や好きな人に好かれたいが、どうでもいい人からは嫌われようがどうしようがまったく気にしない。でも文都兄さんは違った。だれとでもうまく生きていきたかった。気を使いまくっていた。気を使わないように見える志らくや、ずる賢く世渡りしているように見える談春が落語界でちやほやされるのを、兄さんは忸怩（じくじ）たる思いで見ていたに違いない。</p>
<p class="bodytxt" align="center"><font color="blue">～悲運の人～</font> </p>
<p class="bodytxt">　やがて談坊は、真打ちに昇進して「文都」になった。一度結婚をしているが離婚した。糖尿を患い、病院通いが続いていた。正月の立川流のパーティで文都兄さんが、<br />　「志らく、だれかきれいな子、紹介してくれへんか。お前は演劇をやっているんやから、女優さんとかたくさん知り合いがおるよな」<br />　と話しかけてきた。向こうは冗談のつもりだったのだろうが、思わず、<br />　「兄さん、私の芝居に出ませんか。きれいな女の子とすぐに知り合いになれますよ」<br />　「ほんまか」<br />　このわずか数秒の会話で文都兄さんは、私が座長をつとめる劇団「下町ダニーローズ」の公演に出演することになった。「リカちゃんと怪獣」という芝居だった。男の子と女の子のオモチャ箱のオモチャの物語。私は邪悪なドラえもん。文都兄さんが気弱な、でも金にがめつい招き猫の貯金箱。芝居のラストは、男の子のオモチャ箱と女の子のオモチャ箱のオモチャがひとつになって、幸せに暮らしていくのだが、招き猫がこうつぶやく。<br />　「ここはオモチャの楽園やなぁ」<br />　芝居は成功し、打ち上げの席では、文都兄さんは女優に囲まれて大はしゃぎであった。役者仲間はその光景をみてつぶやいた。<br />　「文都さん、自分が楽園になっているぞ」<br />　次の芝居にも文都兄さんは出演した。向田邦子原作の名作「あ・うん」である。志らくの芝居が落語家の余興から本格的な芝居に移行していたったきっかけの作品である。文都兄さんの役はイタチというあだ名の卑屈な男。文都兄さんは仕事の都合でずっと出演することができなかったので、三遊亭楽春さんとのダブルキャストであった。この芝居の公演になんと山田洋次監督が観に来てくれることになった。役者は大喜び。しかし山田監督が来たのは、楽春出演の時であった。<br />　「わいの芝居、山田監督に観てもらいたかったわ......」<br />　やっぱり悲運である。<br />　この「あ・うん」が次の年、向田邦子没後25年ということで再演されることになった。NHKが劇場中継することも決まった。しかしキャストは入れ替えとなり、文都さんはキャスティングからもれてしまった。それ以降、私の芝居に出演することはなかった。</p>
<p class="bodytxt" align="center"><font color="blue">～最後の会話～</font> </p>
<p class="bodytxt">　亡くなるひと月前。落語会でご一緒した。場所は吉祥寺の前進座。談志独演会。文都兄さんは談志の前をつとめることになっていた。その時、文都兄さんはすでにがんに侵され、大阪の病院に入院中ではあったが、久しぶりの師匠との共演であったので、心待ちにしていて、なにがなんでも一席やるつもりでいた。<br />　それなのにその会の数日前、談志が体調不良のため、落語会をすべて休むと発表してしまったのである。それでも談志は「文都が出演するのならば、顔だけは出す」と言った。でも落語はできないのであるから、談志の穴をだれかが埋めなければ会が成立しない。そこで談志の代演で白羽の矢が立ったのが、志らくであった。<br />　文都兄さんはさぞかし複雑な思いであったろう。自分が師匠と一緒に出演できる落語会に師匠が出られなくなって、その代演が後輩の志らくとは......。<br />　プログラムにも志らくの名前がでかでかと書かれ、文都は小さく記されていた。私は実に申しわけない気持ちであったが、詫びるのも変な話なので、普段通りにしていた。がんに侵されてから文都兄さんと会うのはその日が初めてである。顔色が尋常じゃないほど悪い。文都兄さんは私を見るなり、<br />　「志らく、どうやったらお前のように生きらるんかいな」<br />　と、おなじみのセリフをぶつけてきた。<br />　その日、文都兄さんは『はてなの茶碗』という代表的な上方落語を高座にかけた。本当は、談志は開演前に来る予定だった。文都の高座を見るためだと思う。でも師匠はこなかった。文都兄さんが一席終えた直後、談志は現れた。談志も文都同様入院先から来たのだが、早めに出たものの、車が大渋滞に巻きこまれ、文都の高座に間に合わなかったのだ。<br />　楽屋では師匠と文都兄さんはなにやら病気の話をしていた。師匠が楽屋からいなくなると、文都兄さんは私に言った。<br />　「師匠とはいつも病気の話ばかりや。お前とは芸の話をするのにな」</p>
<p class="bodytxt">　私は文都兄さんになにかしてあげられることはないのかと思ったが、なにも思い浮かばない。それに後輩の志らくが先輩になにかをしてあげるというのもおこがましいし、第一、文都兄さんがそれを望んでいないはずだ。志らく・談春は、文都からすれば嫉妬の対象でもあっただろう。<br />　でも私の口からこんな言葉が出てしまった。<br />　「兄さん、私の知り合いの役者さんが、人間の寿命をのばすことができる不思議なパワーを持っているんです。信じられないでしょうが、それによって長生きした人がたくさんいるんです。もし、これはどうにもならないということがあったらその人に助けてもらうよう頼んでみます」<br />　「でも、金がかかるんやろ」<br />　「いえ、そういう怪しい商法ではなく、お金は一切かかりません」<br />　「さよか。じゃあ、もしもの時は頼むで」<br />　その役者にそれほどの力が本当にあるのかどうか、私も半信半疑ではあったが、なにかこの兄弟子のためにしてあげたいと思って、つい言ってしまった。でも文都兄さんは、そんな怪しげな話に、真顔で答えてくれたのだった。<br />　打ち上げでこんなことが起きた。師匠の朋友で医者がいる。その先生が打ち上げを開いてくれたのだが、話題が文都兄さんの病気になり、先生が言った。<br />　「がんになるとね、色々な奴が寄ってくるよ。このサプリメントが効くだとか、寿命を延ばすパワーを与えるとかね。そういうインチキにひっかかると取り返しのつかないことになるから、ちゃんと医学を信じた方がいいよ」<br />　私の話はこれですべて消えた。きっと文都兄さんは心の中でこう思っているにちがいない。<br />　「志らくの奴、わいを陥れようとしおってからに、ああ、危ない危ない」<br />　師匠が帰った後も、文都兄さんは座がしらけないよう懸命に話題を盛り上げていた。病気なのに、先生にお酌をし、先生が退屈しないようにまるでレポーターのように質問を浴びせていた。<br />　あくる日、文都兄さんから携帯にメッセージが入っていた。<br />　「志らくか。昨日の落語のテープがほしいんや。師匠との落語会やしね。記念や。なんとかなるかな」<br />　すぐに電話をすると、<br />　「ごめんな。もうテープは手に入ることになったわ」<br />　「そうでしたか。兄さん、身体、気をつけてくださいね」<br />　「ああ。もしもの時は、例のパワーの話、頼むで！」。<br />　たぶん、そんな話は信じていなかったであろう。でも私に気を使ってくれたのだ。最後の最後まで気を使ってくれた優しい兄さんであった。<br />　これが兄さんとの最後の会話である。その1ヵ月後、文都兄さんは亡くなった。<br />　亡くなった日が、なんと円楽師匠と同じ日。全部、もってかれてしまった。</p>
<p class="bodytxt">　どこまで間が悪いんだよ、兄さん！</p>
<p class="bodytxt">　のらく、文都の二人が死んでしまった。一緒に修業をして、一緒に二つ目になった4人のうち、残っているのは談春兄さんと志らくだけになっちゃった。</p>
<p class="bodytxt">　寂しいよぅ、兄さん！</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">立川志らくの怒らないでください。</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 20 Jan 2010 01:02:18 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>新年早々。</title>
            <description><![CDATA[<div style="text-align:center;">
<p class="bodytxt">アッシ「親分、あけまして、おめでとうございます。<br />
本年も、どうぞ、よろし......</br />
おやっ？　親分、そのお顔は......」</p>

<p class="bodytxt">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/images/010801.jpg" rel="shadowbox[img]" title="写真1"><img alt="写真1" src="http://special.gotoshoin.com/images/010801-thumb-300x400.jpg" width="300" height="400" class="mt-image-none" style="" /></a></span>
</p>

<p class="bodytxt">吉太郎「なんだよ、俺の顔になんか付いてるってか」</p>

<p class="bodytxt">おかみ「付いてるの、付いてないのってあんた、<br />
傷だらけなの。<br />
除夜の鐘がなり終わる頃に出てって、<br />
帰ってきたなあ、と思ったらこの有様で」</p>

<p class="bodytxt">アッシ「それはそれは、なんと申しますやら。<br />
なかなかのもんで」</p>

<p class="bodytxt">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/images/010802.jpg" rel="shadowbox[img]" title="写真2"><img alt="写真2" src="http://special.gotoshoin.com/images/010802-thumb-300x400.jpg" width="300" height="400" class="mt-image-none" style="" /></a></span>
</p>

<p class="bodytxt">吉太郎「顔だけじゃねえよ」</p>

<p class="bodytxt">アッシ「腕のあたりをぺろぺろ舐めていらっしゃる<br />
ってことは、そのあたりもやられてるんですね」</p>

<p class="bodytxt">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/images/010803.jpg" rel="shadowbox[img]" title="写真3"><img alt="写真3" src="http://special.gotoshoin.com/images/010803-thumb-300x225.jpg" width="300" height="225" class="mt-image-none" style="" /></a></span>
</p>

<p class="bodytxt">吉太郎「右頬をやられたら、右手を出す。<br />
いちいちやりかえしちゃ、いけねえ。その間にこう、<br />
相手の隙をだな......」</p>

<p class="bodytxt">おかみ「あんた、そんなこと言ってから、しっぽまで......」</p>

<p class="bodytxt">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/images/010804.jpg" rel="shadowbox[img]" title="写真4"><img alt="写真4" src="http://special.gotoshoin.com/images/010804-thumb-300x225.jpg" width="300" height="225" class="mt-image-none" style="" /></a></span>
</p>

<p class="bodytxt">吉太郎「うるせいやい」</p>
</div>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/kichitarou/post-59.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">吉太郎の傷だらけの人生</category>
            
            
            <pubDate>Tue, 19 Jan 2010 22:36:30 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>ハレの日の清々しさをいただく佐渡の雑煮</title>
            <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-file" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/pdf/tsuchiya16_recipe.pdf" class="button" style="margin: 0px auto 20px;">レシピ印刷</a></span>
<br /><br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="zouni.jpg" src="http://special.gotoshoin.com/images/zouni.jpg" class="mt-image-none" style="" width="560" height="380" /></span>
<br /><br />
<p class="bodytxt">　佐渡島の正月は、お雑煮（ぞうに）ではなく、「あん餅（もち）」を食べる。こう言うと、あんこが入ったお餅を野菜などとともに雑煮のなかに入れたものだと誤解する人が多いが、それは、香川県のもの。佐渡では、手で丸めた餅に小豆（あずき）を煮て作ったつぶあんをドバッとかけただけの、いわゆるぜんざい風のものを朝っぱらから食べるのだ。</p>

<p class="bodytxt">　正月ゆえ、これに日本酒も加わり、「酒と甘味」という、いかにも体に悪そうな、禁断の組み合わせで飲み続けることになる。正月のみならず、米でできた甘いものと、米から作った酒の組み合わせは、特に老人たちとの飲みではよく出くわし、延々と続く宴会のなか、今日は米と砂糖と豆しか胃に入れてないぞ、と思いつつ酩酊（めいてい）し、そのまま倒れるように眠りにつくことも多い。</p>

<p class="bodytxt">　これは確実に体に悪いわけだけが、一緒に飲んだ老人たちの多くが健康なまま長寿をまっとうする。たぶん山間部の田畑での労働量は尋常じゃなく膨大で、糖分も炭水化物も体に留まらないからだろう。なにしろ前日に私と同じぐらいの酒量を一緒に飲んだはずの86歳のおじいさんが、翌朝４時から草刈り機で田んぼの草刈りを始めるのだ。彼にとっては、砂糖も米も酒もガソリンのようなもので、十分に補給したら、バリバリと体が動くのだと思う。<br />
　その一方で、私は、草刈り機の軽快なエンジン音を寝床で聞きながら、二日酔いの苦しみにもだえる。自分がダメ人間だと思い知る瞬間である。</p>

<p class="bodytxt">　話をお雑煮に戻そう。京都に住んでいるときは、創業200年を超える祇園（ぎおん）の料理屋の娘さんから、由緒正しい京のお雑煮の作り方を聞いた。いわく、出汁（だし）で伸ばしてどろどろにした白みその中で丸餅（まるもち）をとろけそうになるまで煮る、とのこと。<br />
　実際に作ってみると、甘ったるく、ふにゃふにゃとした食感。同じ甘さでも、佐渡の甘さが額に汗して働く人の甘さとすれば、こちらは、働かない人の甘さというべきか、あごの筋肉を使って噛（か）むのもおっくう、という感じの、京都の「ぼん」たちにふさわしい味わいだ。<br />
　別の京都生まれの友人によれば、どろどろの白みそ雑煮に擂（す）ったわさびをのせて食べると美味だそうで、そこには京都の洗練とでも言うべきものを感じるが、やはり、東京生まれで、澄（す）まし汁に小松菜、鶏という雑煮を食べてきた私としては、もう少し、シャキッとした、粋なところが欲しいと感じてしまう。</p>

<p class="bodytxt">　実は、あん餅優勢の佐渡の小木（おぎ）という地域に、実に粋なお雑煮がある。日々の暮らしに根ざしていながら、新春らしいハレの日の清々（すがすが）しさがあり、すっきりとした佇（たたず）まいとその味わいは、粋が美に昇華した、とでもいうべき、卓越したものだ。<br />
　出汁には、浜に揚がったばかりの飛び魚を、すぐさま頭とはらわたを取って囲炉裏でじっくり焼き、さらにからからになるまで干したものを使う。そしてその透明でふくらみのある出汁に入れる具は、芹（せり）と島へぎだ。</p>

<p class="bodytxt">　雪に埋もれる冬場、湧（わ）き水が出ている場所一帯だけは青々としている。一年中温度のほとんど変わらない湧水のために雪は溶かされ、芹が生育しているのだ。雪を踏み分けて湧水にたどり着き、芹を数本引き抜くと、泥水の中から突然現れるその根の白さに、思わず息を呑（の）む。<br />
　そして島へぎ。前回も書いたが、年末から１月ごろ、波が打ちつける極寒の岩場で育つ岩のりの新芽である。正月前後が一番美味で、2月が近づくにつれて成長して厚くなり、ゴムのような食感になってしまう。<br />
　この時期、佐渡は荒れ模様の天気が続く。寒風を受け、ときに波にさらわれそうになりながら、凍りつく岩場に張りついて、これをはぎ取ってゆく。</p>

<p class="bodytxt">　焼き餅に飛び魚焼き干しの澄まし汁を注ぎ、芹と島へぎを添え、柚子（ゆず）の皮をのせる。芹は根ごと使う。真っ白な芹の根と黒い島へぎ、そして瑞々（みずみず）しい芹の若緑色と柚子の黄の色合いの美しさ。そして芹の鮮烈な香気、島へぎの磯の匂い、柚子の薫（かお）りが相まって、周囲の空気まで引き締まった特別のものにする。<br />
　思わず深呼吸し、厳しいものになるであろう新しい1年と、まっすぐに向き合うのである。</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/tsuchiya/post-58.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">土屋敦の男子の料理</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 08 Jan 2010 13:00:20 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「自己中心フィルター」の働き</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt">　前回に続いて今回も<b>「各個人が持つ固有のフィルター」がコミュニケーションへ及ぼす影響</b>について別の観点から見てみましょう。まずは具体的な例を見てみましょう。皆さんは以下の発言を読んでどう思いますか？</p>

<hr>

<p class="bodytxt"><b>　「どのぐらいの年収であれば『生活に余裕ができる』と思いますか？」</b>という質問をさまざまな年収の人にぶつけると、次のような答えが返ってきました。</p>

<ul class="bodytxt">
<li><b>年収400万円のAさん</b>
「うちは平均年収以下だからとても余裕があるなんて状況じゃないですね。せめて600万ぐらいあれば余裕はできると思いますよ。」</li>
<li><b>年収600万円のBさん</b>
「いまは一応人並みの年収ってことなのかも知れないけど、余裕なんてとてもとても。まあ、800万とかあるのが『余裕がある』ってことになるんでしょうね」</li>
<li><b>年収1,000万円のBさん</b>
「きっと世間的には1,000万っていうのは『金持ち』ってことに見られているんでしょうね。でも実際の生活なんて全然ですよ。余裕があるレベルっていうのは、きっと1,500万とかもらっている人のことなんじゃないですか？」</li>
</ul>

<hr>

<p class="bodytxt">　皆それぞれの「理由」をつけていまの自分に余裕がないことと、もう少しあれば余裕ができることを訴えています。これらの発言から、「各人の理由」が本当の意味での理由になっていないことは明白でしょう。要するに皆、<b>「自分より少し上」であれば余裕ができるだろう</b>と思っているわけです。<br />
　これを「フィルター」で解釈するとどういうことになるでしょうか。<br />
　図１を見てください。</p>
<br /><br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="図1" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100108-1.gif" class="mt-image-none" style="" width="435" height="232" /></span>
<br /><br />
<p class="bodytxt">　これがA、B、Cさんが全員持っていると考えられる「フィルター」を模式的に示したものです。皆「自分自身の視点」を境目にしてその下側は、自分が恐らく経験したか容易に想像ができる世界であり、その上側は自分が経験したこともなく想像するしかない世界です。<br />
　ここでは全員例外なく、自分の上側と下側とでものの見方がまったく変わってしまっています。各々自分のレベル（年収に限らずいろいろな世界で）より下側はよく見えるが、その上側は未知の世界であって「その他」のような十把一絡（じっぱひとから）げの世界とみて、そこが「別世界」であるかのような無責任なものの見方をしてしまう（あるいは必要以上に楽観的あるいは悲観的に見てしまう）ということです。<br />
　つまり、<b>ある境界線の両側で180度ものの見方が変わり、それが人によって異なるために、その話題で複数の人たちが会話や議論をしても話が全くかみ合わない</b>可能性が高くなります。それが具体的には冒頭の発言のような形となって現れているということです。<br />
　この話をいつもの象の絵に置き換えてみましょう。図２を見てください。</p>
<br /><br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="図2" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100108-2.gif" class="mt-image-none" style="" width="550" height="286" /></span>
<br /><br />
<p class="bodytxt">　AさんとBさんのフィルターはその「境界線の高さ」が異なるために、象のあるレベルの上下の見方がまったく異なって見えます。これは別のCさん、あるいはDさん、Eさんにとっても同じように一人ひとり違う境界線を持っている人たちが見ても、まったく同じ話になると考えられます。<br />
　別の場面でも同様のことが考えられます。例えば、階層化された組織の中での役職などの立場に適用してみましょう。役無しのいわゆる平社員の人からは「役職がつけば○○できるのに......」という言葉が聞かれ、役がついた主任・係長クラスの人は「課長ぐらいになれば......」となり、課長クラスの人になると「部長ぐらいにならないと......」といった具合に、<b>「現在の自分より少し上の役職になれば○○できるのに......」</b>といった考え方も冒頭の収入の話と全く同じと考えてよいでしょう。</p>

<p class="bodytxt">　さらに発展させるとここまで解説してきた一連の構図は、<b>「『おじさん』（おばさん）とはいくつからだと思いますか？」</b>という質問に対する答えでも同じ傾向が出るのではないかと思います。<br />
　子供のときは「ネクタイをしている人」がおじさんでしたが、大学生ぐらいになれば30代がおじさん、そして自分が30代になってみれば「自分がおじさん」だとはとても思えず（認めたくもなく）、その時点では40代後半とか50代の人が「おじさん」ということになるという、この不思議な現象も今回お話したような<b>「自己中心フィルター」のなせる業（わざ）</b>といえるのではないでしょうか。</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">細谷功の象の鼻としっぽ</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 08 Jan 2010 11:54:20 +0900</pubDate>
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