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        <title>梧桐書院WEB連載</title>
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        <description></description>
        <language>ja</language>
        <copyright>Copyright 2011</copyright>
        <lastBuildDate>Mon, 06 Dec 2010 18:38:31 +0900</lastBuildDate>
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            <title>「ビジネス書」の新しい読み方を教えてくれる『ビジネス書大バカ事典』</title>
            <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/images/randoku13.jpg" rel="shadowbox"><img alt="randoku13.jpg" src="http://special.gotoshoin.com/assets_c/2010/12/randoku13-thumb-300x398-2692.jpg" width="150" height="199" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></a></span><p class="bodytxt">こんにち、ビジネス書がよく売れるそうだ。<br /> 今回ご紹介する『ビジネス書大バカ事典』は、そんな巷にあふれるビジネス書たちを、バッサバッサと斬っていく本である。</p>
<p class="bodytxt">本についている帯にあるキャッチコピーもまたおもしろい。<br /> 「そんなビジネス書にいったいいくら遣ってるの？」</p>
<p class="bodytxt">著者である勢古さんは、ビジネス書を「自分が金儲けをするための金儲け本」と「自分の言いたいことをしたためた本」とに分類し、当然ながら後者を高く評価している。<br /> そして、前者を「ビジネス書もどき」として斬っているのである。</p>
<p class="bodytxt">手にとってパラパラと開いて読んでみると、まず、文章がひねくれていておもしろい。<br /> 「白だ」と言っているものを「いやあれは黒だ」と言い「じゃあ黒だ」と言ったら「実は赤なんだ」と言うような、このひねくれた感じがいいのだ。</p>
<p class="bodytxt">たとえば、私が好きなビジネス書を挙げてみると、経済学者である野口悠紀雄さんの『「超」手帳法』は100点満点の50点、「可」という評価。経済小説家の橘玲さんの著作『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方 ― 知的人生設計入門』は、なんと10点。<br /> 「いくらなんでもそんなにひどくはないだろう」とは思うが、「そういう切り口もあるのか」という発見もある。<br /> 自分が好きな著者がけなされているからと言って、気分が悪くなるようなものでもない。</p>
<p class="bodytxt">斜に構えてちゃかすおもしろさ、娯楽の形をこの本は教えてくれる。</p>
<p class="bodytxt">また、多くの本は、どうしても硬い内容の本だと読んでもらえないので、手に取りやすいタイトルがついている。おもしろいタイトルは本当におもしろいのだが、これをやり過ぎるのが、「もどき本」のパターンとして確立されているようだ。</p>
<p class="bodytxt">これまでに私も何冊も本を出してきたが、本を出すときには非常な葛藤がある。<br /> タイトルをとってみても、ストレートなタイトルにするのか、「なんだろう」とおもわせるようなひねりを加えるのか。<br /> そもそも、何が売れるのか、出してみなければだれにも分からないという問題もある。<br /> だけれども、僕自身が持っている信念を曲げてまでタイトルや内容を売れるようにしようとは思えないし、そこまでして本を出す必要性は感じない、とも思う。</p>
<p class="bodytxt">成功には、「だれでも」「必ず」などという近道や王道はない。こういったタイトルに踊らされないように心がけておきたい。</p>
<p class="bodytxt">今の人達は内容よりも、有名人が書いた、読んだという部分で本を買っているように感じる。<br /> でも、そんな本をいくつも買うくらいなら、この本を1冊買ったほうがよほどいいと私は思う。</p>
<div class="impression">
<h3>今回の乱読で得たこと</h3>
<p class="bodytxt">取り上げられている本を読んでいなくても、読んだ気分になれた</p>
</div>
<p class="bodytxt"><strong>＜今回の本＞</strong><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4883205002">勢古浩爾『ビジネス書大バカ事典』（三五館）</a></p><br />]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/morita/post-101.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">森田正光の乱読日記</category>
            
            
            <pubDate>Mon, 06 Dec 2010 18:38:31 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「お金もうけ」の不変の真理がわかる『私の財産告白』</title>
            <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a rel="shadowbox" href="http://special.gotoshoin.com/images/12_honda.jpg"><img class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" src="http://special.gotoshoin.com/assets_c/2010/07/12_honda-thumb-200x150-2469.jpg" alt="12_honda.jpg" width="200" height="150" /></a></span>
<p class="bodytxt">東京は渋谷区の明治神宮に行ったことがある人は、周囲に森があることもご存知だろう。<br />何百年も前からありそうな、荘厳な森だ。<br />実は、あの森は、つい100年ほど前につくられた人工林なのである。</p>
<p class="bodytxt">人工林といえば、杉や檜などをイメージする人が多いかもしれない。<br />事実、これらの針葉樹は、戦後の植林政策によって大量に植えられたものだ。しかし、近年、人工林は、山の生態系を脆弱にし、災害に対しても弱くなる、といった弊害があることが分かってきた。<br />また、現代人を悩ます花粉症は、人工林の弊害の典型的な例である。</p>
<p class="bodytxt">そこで、さまざまな種類の木を植えて自然林に近い森をつくろう、という運動が出てきたのだが、明治神宮の周囲の森は、その「人工的な自然林」のお手本として、近年注目されているのだ。</p>
<p class="bodytxt">神宮が建てられたのは、大正時代のこと。崩御した明治天皇を祀るためである。<br />政治家や学者たちによる議論の末、今の原宿のあたりに建てることに決まったのだが、そのさい、大隈重信が、日光東照宮や伊勢神宮のように、立派で荘厳な森のある神社を作ろうと提案した。</p>
<p class="bodytxt">しかし、ここで一つ問題があった。<br />この場所は、そばに「陸蒸気」（おかじょうき・汽車のこと）が走っており、普通に植林した人工林では、その煙を受けて枯れてしまい、いずれ森が消滅してしてしまう危険があったのである。</p>
<p class="bodytxt">天皇を祀る明治神宮がそれでは非常にまずい。<br />そこで、一流の学者たちを集め、「末代まで永遠に残る森を作る」という壮大な計画が立案された。<br />自然林を人工的につくろうというのである。<br />日本中からさまざまな種類の木を集めて、しかもその区画のなかに絶対に人を入れないようにした。今でも明治神宮の森は、人が入ってはいけないし、そこの落ち葉ひとつ取ってもダメということになっているが、これは作られた当初からのことなのである。</p>
<p class="bodytxt">そして、さらに驚くべきことは、この森は、２００年かけて完成させるように計画されていた、ということだ。<br />２００年の間に、さまざまな木が、成長し、枯れて、また芽を出していく。そしてだんだんと淘汰され、森全体が適応して、恒久的に続くサイクルを持つ自然林となる。そのように、当時から予測されていたのだ。</p>
<p class="bodytxt">このような今の時代を先取りしたとも言える計画を、明治・大正の人間が考え、実行したというのは、すごいことだ。<br />今、１００年ほど経ち、当初の２００年の予定よりも早く自然林に近い状態になっているそうだ。この明治・大正時代の計画は、成功しつつあるのだ。</p>
<p class="bodytxt">さて、この壮大な計画を立案した学者のひとりが、今回ご紹介する本の著者である本多静六である。<br />今の若い人はほとんど知らないのではないかと思うが、本多静六は「知る人ぞ知る」、投資の神様のような人だ。<br />一流の学者であると同時に、「お金もうけの天才」だったのである。</p>
<p class="bodytxt">昨年、『大手町は、なぜ金曜に雨が降るのか』というビジネスについて書いた本を出した影響か、人から「お金をもうける方法を教えて」とか「どうやったらお金が貯まるの？」などと聞かれることがあるが、そのときは、私はいつもこの『私の財産報告』という本をタネに話をすることにしている。<br />この本は、１９５０年に出版された本の復刻版で、５年ほど前にたまたま本屋で見かけて買ったものだが、復刻されるだけあって、時代を問わないおもしろさがある。</p>
<p class="bodytxt">一番インパクトがあったのは、本多静六が実践していた「四分の一財産法」という貯蓄法である。この方法を忠実に実行すれば、確かに、金持ちになれるだろう。</p>
<p class="bodytxt">やり方はきわめて単純だ。<br />どんな場合でも、収入があったら、その４分の１をそのまま自動的に貯金にまわす。<br />どんなに苦しくても、収入が月10万円しかなくても、2万5000円は絶対に貯金するのである。<br />４分の１くらいだったら、どんなことがあっても、なんとかなる。もともと、ないものとして考えればいいのだ。</p>
<p class="bodytxt">本多静六は、そうやって貯めた金で、不動産を買うなど投資をし、資産を増やしていった。<br />それが可能なだけの「先見の明」もあったのだ。それでお金がどんどん増やし、巨万の富を得るまでになった。<br />そして、得た巨万の富をどうしたかというと、ほとんど寄付や慈善事業に投じてしまった。<br />日本版カーネギーみたいな人物である。</p>
<p class="bodytxt">「四分の一法」という、行（ぎょう）のような倹約法を実行していたことからもわかるように、本多静六という人は非常に実直で、自分に厳しい生き方をしていた。</p>
<p class="bodytxt">「四十までは勤倹貯蓄、生活安定の基礎を築き、六十までは専心求学、七十まではお礼奉公、七十からは山紫水明の温泉郷で晴耕雨読の楽居」というのが、本多静六の人生計画である。<br />また、この人は文章家でもあり、1日にある一定の分量の文章を書く、と言うことを決めて実行していたそうだ。</p>
<p class="bodytxt">すばらしく魅力的な生き方である。<br />これに従えば、60歳になりたての私は、これから「お礼奉公の時代」ということだろうか。<br />私の気分としては、まだまだ専心求学の時代なのだが。<br />70歳くらいまではそれなりにがんばって、それ以降は今まで得たものを書き残しつつ、晴耕雨読、というのも悪くないかもしれない。</p>
<div class="impression">
<h3>今回の乱読で得たこと</h3>
<p class="bodytxt">どんなことでも、シンプルな方法が一番いい</p>
</div>

<p class="bodytxt"><strong>＜今回の本＞</strong><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/440839582X">本多静六・著『私の財産告白』（実業之日本社）</a></p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/morita/post-94.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">森田正光の乱読日記</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 01 Jul 2010 10:43:55 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>今も変わらない「差別」の実態を知る『差別と日本人』</title>
            <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/images/11_sabetsu.jpg" rel="shadowbox[img]"><img alt="確率論的思考" src="http://special.gotoshoin.com/images/11_sabetsu.jpg" class="mt-image-none rightframe" style="" width="200" /></a></span> 
			<p class="bodytxt">人が本を買う・買わない、という判断は当人でもよくわからない場合が多いと思う。なぜ買ったのか、と聞かれても、特に理由を答えられないことはよくある。<br /> 
				書店をぶらついていて、たまたま目についた本をすぐ買うこともあれば、本屋に行くたびにいつも横目で見て、どうしようかと迷って、ある日突然気が向いたときに買うこともある。</p> 
			<p class="bodytxt">この『差別と日本人』という本は、後者だった。書店に行くといつも目立つ所に置いてあり、なんとなく気になっていたのだが、買わなかった。</p> 
			<p class="bodytxt">僕は若い頃、社会運動に参加していたことがあるから、「差別」という問題については、そのころに勉強したことがある。<br /> 
				「支配層が被支配層を統治する仕組みとして、差別という構造を作り――云々」<br /> 
				この本にも、きっとそういうことが書いてあるにちがいない、と何となくそう思って、買わなかった。</p> 
			<p class="bodytxt">結局、発行されてからずいぶん経ってから買ったのだが、そのきっかけは、ある勉強会に参加したとき、そこで一人の女子学生が、この『差別と日本人』という本を読んだ、すごく考えさせられた、という話をしていたこと。「こんな普通のお嬢さんが読むほど浸透してるのか」と思い、買うことにした。</p> 
			<p class="bodytxt">この本は、元自民党の国会議員だった野中広務さんと、在日朝鮮人である辛淑玉（シンスゴ）さんが、差別問題について対談したものである。野中さんも辛さんも、かつては差別を受ける立場だったこともあり、生々しい話もある。</p> 
			<p class="bodytxt">この中でいちばん納得したのが、辛さんが、「差別とは享楽なのだ」と言っているところ。差別は、する側にとっては、娯楽であり、エンターテインメントなのだ。先に書いたような「支配層が統治するための手段」ということもあるかもしれないが、実際は、「娯楽」として、近くの手ごろなものを差別しているだけではないのか。</p> 
			<p class="bodytxt">差別とは娯楽である。そういう本質的なところを自覚していない人間は、「自分は差別などしていない」と自分で思っていても、結局は無意識に、気楽な世間話などで「あの人は『あっち』の人だからね」といったような差別的なニュアンスの発言をしてしまうことになる。<br /> 
				僕は昔、実際にそういった発言を複数の人から聞いたことがある。言っている当人達は変な人でもなんでもなく、いたって普通の、立派に仕事をする人達だった。</p> 
			<p class="bodytxt">また、タレントなどがちょっとした不祥事を起こしたき、マスコミやインターネットなどで異常に追及され、叩かれることがある。こういった風潮は、差別そのものではないかと思う。世間が、いじめる対象、差別する対象を求めているようにも感じる。</p> 
			<p class="bodytxt">ただ、差別問題の根が深いのは、差別される側がそれを「商売」として、金もうけをしたりするところだ。野中さんは、そういったことをつぶさなければ差別はなくらないと考えており、不当な利権をなくすことに注力した。</p> 
			<p class="bodytxt">差別問題に取り組む政治家は旧社会党系に多いが、そのなかで野中さんは、あえて当時の政権与党で保守の自民党にいたというのは面白い。<br /> 
				「与党＝体制＝差別を作る側」というように色分けされてみられがちだが、本当は「体制」「反体制」というように、はっきりと色分けできるものではないということだ。</p> 
			<p class="bodytxt">ちなみに、現在の僕自身の政治的なスタンスを言っておくと、特に支持政党などはない。別に、どこだっていいと思っている。ただ、ある一つの思想や考え方に凝り固まってるようなものは好きではない。</p> 
			<p class="bodytxt">人間、自分とは何かが違う者に対して違和感をもつのは当然だが、それを許容するような、多様性を尊重する精神は失いたくないと思う。</p> 
<div class="impression"> 
	<h3>今回の乱読で得たこと</h3> 
<p class="bodytxt">無意識の差別が一番怖い</p> 
</div> 
 
<p class="bodytxt"><strong>＜今回の本＞</strong><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4047101931/">辛淑玉、野中広務・著『差別と日本人』（角川oneテーマ）</a></p> ]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/morita/post-72.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">森田正光の乱読日記</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 25 Feb 2010 03:44:23 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>子供の疑問に真剣に答える難しさを知る『バカなおとなにならない脳』</title>
            <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/images/10_baka.jpg" rel="shadowbox[img]"><img alt="確率論的思考" src="http://special.gotoshoin.com/images/10_baka.jpg" class="mt-image-none rightframe" style="" width="200" /></a></span>
			<p class="bodytxt">乱読日記の６冊目で、『ウェブはバカと暇人のもの』という書籍を紹介したときに、『バカの壁』などで有名な養老孟司先生のこんな言葉を紹介した。 <br /> 
				いわく「一番嫌いなものは『正義』」<br /> 
				これは、詩人・谷川俊太郎さんの質問に養老先生が答えたもの。<br /> 
				そのくだりが書いてあるのが、今回ご紹介する『バカなおとなにならない脳』という本だ。</p> 
			<p class="bodytxt">タイトルからもわかるように、この本は子供向けに書かれている。<br /> 
				だけど、大人が読んでも、いろいろ発見があっておもしろい本だと思う。</p> 
			<p class="bodytxt">この本は、子供からの質問に、養老先生が答えていく形式になっている。<br /> 
				子供の質問だから、「なぜ、夢をみるんですか？」「くしゃみをすると、脳ミソがでますか？」というような素朴な質問から、「努力はムダだと思いますか？」「バカな大人にならないためには？」というような思春期の子供にありがちな考え方もでてくる。</p> 
			<p class="bodytxt">往々にして、大人は子供のこういった質問をバカにして、聞き流したりすることが多いと思う。この本の面白いところは、養老先生がこういった疑問を一つ一つ受け止めて、真摯（しんし）に答えているところだ。</p> 
			<p class="bodytxt">たとえば、先にあげた「努力はムダだと思いますか？」に対しては、「どうせ腹が空くんだから、ものは食うな、どうせ死ぬんなら、いま死ねと言ったら、死ぬか？」と言いはなつ。そして、「夏休みとかに、農家にお邪魔して、農業の手伝いでもしなさい。からだをつかいなさいよ」となる。<br /> 
				子供向けにしては、かなりシビアなことも言っている。</p> 
			<p class="bodytxt">だけど、この姿勢は、間違っていないと思う。<br /> 
				子供は、大人が考えるよりはるかにちゃんとものを見ているし、考えている。最近また子供と仕事をするようになって、そう思うようになった。</p> 
			<p class="bodytxt">今、平日の夕方にテレビで放送しているニュース番組で、二人の子供と一緒に天気予報コーナーをやっている。どんな番組でも子供を出すと視聴率は上がるというが、このコーナーのときも必ず視聴率が上がるらしい。</p> 
			<p class="bodytxt">最初、子供と一緒に天気予報をやると聞いたとき、僕はあまり乗り気ではなかった。<br /> 
				それは、それまで全国こども電話相談室とか、子供向けの講演会とかに行って子供相手に話をしたときの経験からだ。こちらの話をちゃんと聞かないし、ワケの分からないことをいってくる。まじめに対応しようとすると、かなり大変なのである。<br /> 
				子供は教育によってだんだん成長するのだから、まだ基本的な教育がされていない子供には何を言ったってだめだと思っていた。</p> 
			<p class="bodytxt">ところが、いざその子供たちと一緒にやってみると、ふたりともすごく賢くて、とてもやりやすい。たくさんの候補の中から選ばれているのだから、当たり前なのかもしれないが、こちらの「フリ」に対して、上手にきちんと反応してくれる。</p> 
			<p class="bodytxt">スタッフに「どういう子が選ばれているんですか」と聞いてみると、屈託がなく、物おじしない、はにかまない、誰にでも大人にでも気軽に話しかける人懐っこい子がいいそうだ。<br /> 
				そうすると、自分は子供のころは「はにかみ屋」だったから無理だな、とか思ったりもする。</p> 
			<p class="bodytxt">ちなみに、その子供たちにはいつも若い女性がそばについていて、最初はお母さんかと思い、「お母さんですか？」と聞くと、「マネージャーです」と言われて驚いた。出演用の衣装まできちんとある。子供といえど、マネージャーがついて衣装が準備される時代なのだ。</p> 
			<p class="bodytxt">それはともかく、このコーナーに出てわかったのは、子供ときちんと話をするのは、結構面白いということだ。思ったよりも上手に反応する。だから、養老先生のように子供にシビアなことを言う、というのは正しいのだと思う。<br /> 
				少しぐらいシビアなことを言っても、子供はきちんとそれを受けとめて、それなりのことを返してくる。「子供だから」といって舐めているとダメなのだろう。子供も一個の人間として扱うほうがいい。</p> 
			<p class="bodytxt">それに、もしかして子供も子供で、「この大人はバカだなぁ」と思っているのかもしれないのだ。</p> 
			<div class="impression"> 
	<h3>今回の乱読で得たこと</h3> 
<p class="bodytxt">大人は子供よりも賢いことがある</p> 
</div> 
 
<p class="bodytxt"><strong>＜今回の本＞</strong><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4652078110/">養老猛司・著　『バカなおとなにならない脳』（理論社）</a></p> ]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/morita/post-73.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">森田正光の乱読日記</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 25 Feb 2010 02:56:47 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「確率」の本当の使い方を教えてくれる『確率論的思考』</title>
            <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/images/morita_9.jpg" rel="shadowbox[img]" title="確率論的思考"><img alt="確率論的思考" src="http://special.gotoshoin.com/images/morita_9-thumb-200x148.jpg" class="mt-image-none rightframe" style="" width="200" height="148" /></a></span>
<p class="bodytxt">天気予報を一度でも見たことがある人は、「降水確率」という言葉を知っていると思う。<br />
白か黒か、晴れか雨か、などと完璧に予測することが不可能な天気という現象には、確率という考えが一番なじむ。</p>
<p class="bodytxt">しかし、確率という考え方は、なかなか理解されていないようだ。<br />
講演会などで、天気についていろいろと質問を受けたりするのだが、「降水確率」は「雨が降る面積」のことだ、と思っている人がいたりする。それは極端な例としても、「降水確率30％のときは、傘を持っていけばいいですか？」などと聞かれることも多い。こちらとしては、それが断言できないから、確率で示しているのだが。</p>
<p class="bodytxt">それはともかく、確率を扱っているということで、関係が深い天気のことも書いてあるかと思い、手に取ったのが、この『確率論的思考』という本だ。<br />
中を読むと、残念ながら天気のことは書いていなかったが、非常に面白かった。</p>
<p class="bodytxt">まず、いかに人間が確率をもちいた思考を苦手としているか、それがよくわかる。</p>
<p class="bodytxt">裏表のあるコインを投げて、裏・裏・裏・裏と出たとき、次には何が出ると思うだろうか。<br />
本当は、当たり前だが、表も裏も同じ50％の確率で出る。<br />
しかし人間は、どうしても「裏が4回も出たのだから、そろそろ表が出るだろう」などと思ってしまう。<br />
脳のつくりからして、そういう風にできているらしい。</p>
<p class="bodytxt">今の人類は、15万～20万年前に現れた。<br />
原始時代、ヒトは、たとえば毒ヘビがいる草むらがあったとすると、その草むらがガサガサと鳴ったとき、すぐ逃げた。<br />
少しでもヘビである可能性があれば、ヘビだと完全に確認できなくても逃げる。つまり、草むらが鳴ったらヘビがいる、と単純化、パターン化して考えていた。その方が生き残るのに好都合だったのである。</p>
<p class="bodytxt">そのあと現代に至るまで、人間の脳は基本的に進化していないそうだ。つまり、人間には、「これはこれだ」「こういうときはこうなる」と決めつける紋切り型の思考、すぐに単純化、パターン化して考える原始時代の思考法が、生まれながらにして刷り込まれているのだ。</p>
<p class="bodytxt">僕の経験からいっても、天気予報は本来、白黒はっきりつけるようなことはできないものなのに、二者択一にして答えを求めてくる人が多いのは、そういう理由からなのだと納得した。</p>
<p class="bodytxt">しかし、実際は、世の中に二者択一などというものはほとんどない。グラデーションのように、境目のない、多様なものだ。それなのに、なんでも○か×か、白か黒か、などと考えていると、視野が狭くなってバイアスがかかりやすくなる。それで失敗した人や国の例は多い。民主主義の良いところは、そういった多様性を許容するところだと思う。</p>
<p class="bodytxt">また、この本のなかで面白いのは、あることに「成功」する人はたくさんいるが、その「成功」は実力でもなんでもなく「偶然」によるものだ、と書いてあるところだ。偶然ではなく自分の力で成功したと多くの人は勘違いをする。そのため、「成功」が原因で、致命的な大失敗をしてしまうことも少なくない。だから本当に気をつけなければいけないのは、「失敗」ではなく「成功」なのだ。<br />
そして、そのことを知っている人が、本当に成功して歴史に名を残せる。</p>
<p class="bodytxt">織田信長は桶狭間（おけはざま）の戦いで、少ない軍勢で今川義元の大軍を破ったが、その大成功は自分の能力でなく「偶然」によるものだと、きちんと認識していた。だから、それ以降は戦争をするときも、桶狭間のようなバクチは絶対にせず、相手を圧倒する大軍を集めるなどして周到に準備をし、「勝てる戦い」しかしなかった。</p>
<p class="bodytxt">第二次世界大戦のときのアメリカ軍のエピソードも、面白い。<br />
アメリカ軍が戦闘から帰ってきた自国の戦闘機を調べてみると、どの戦闘機も、あるひとつの場所にたくさん被弾していたそうだ。<br />
当然、その場所を補強しようという話になる。</p>
<p class="bodytxt">ところが、ある学者が、それに待ったをかけた。<br />
その理由は、「帰ってきた戦闘機はそこにたくさん被弾しているが、帰ってこられなかった機がたくさんある。そこは被弾しても帰ってこられる部分なのだから、むしろそれ以外のところを補強すべき」ということ。</p>
<p class="bodytxt">これは目からウロコの発想だ。<br />
戻ってきた飛行機の背後には、撃墜され帰ってこられなかった飛行機の残骸が累々としてあるのだ。それをきちんと認識して、見えていないところを見なければ、正しい判断ができない。<br />
しかし、人はそれがなかなかできないのだ。</p>
<p class="bodytxt">そういった、表面的なことにとらわれず、本質を見つけ出して正しく認識することが、この本の言う「確率的思考」の一つのキモのようだ。</p>
<p class="bodytxt">それで思い出したのが、ヒマラヤの鶴の話。<br />
ある人に聞いたところによると、ある種類の鶴は、毎年、冬になるとチベットから世界最高峰のヒマラヤ山脈を越えてインドへ渡り、春が来るとチベットへ戻る、ということを繰り返しているそうだ。その人は「あんな山越えをして無事に帰ってくるなんて、すごい」としきりに感動していた。</p>
<p class="bodytxt">そんなにすごいのか、と思っていたが、あとになって、たまたまその光景を映像で見ることがあった。<br />
鶴がヒマラヤ山脈を越える光景は、壮大で、確かに感動的だった。<br />
だが、山肌をよく見てみると、鶴の死骸だらけだ。ようするに、多くの鶴は無事には帰ってこられないわけで、鶴が無事にヒマラヤを越える、というのは錯覚にすぎないのだ。</p>
<p class="bodytxt">「確率」は、いろいろなところで利用される、身近な概念だ。しかし、「確率」を本当に理解して「確率論的思考」をすることは、意識しないとなかなか難しい。この本は、そういったことを教えてくれる。</p>
<p class="bodytxt">「確率論的思考」が広まってくれれば、天気予報へのクレームも減るかもしれない、とふと思った。</p>
<div class="impression">
<h3>今回の乱読で得たこと</h3>
<p class="bodytxt">紋切り型の思考は、原始時代の思考であると知り、合点がいった。</p>
</div>

<p class="bodytxt"><strong>＜今回の本＞</strong><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4534046111/">田渕直也・著『確率論的思考 金融市場のプロが教える 最後に勝つための哲学』（日本実業出版社）</a></p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/morita/post-35.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">森田正光の乱読日記</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 30 Oct 2009 18:52:59 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>文学としても、科学としても面白い『寺田寅彦随筆集』と『俳句と地球物理』</title>
            <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/morita07_1.jpg"><img alt="morita07_1.jpg" src="http://special.gotoshoin.com/assets_c/2009/10/morita07_1-thumb-260x197.jpg" class="mt-image-right" style="margin: 0pt 0pt 20px 20px; float: right;" width="260" height="197" /></a></span>
<p class="bodytxt">これまでの連載で紹介してきた本は、最近読んだ新しい本ばかりなので、今回は少し古い本を紹介しよう。</p>

<p class="bodytxt">戦前の有名な科学者である寺田寅彦の随筆を集めた『寺田寅彦随筆集』。
<br />
何十年も前に買ったこの本の奥付を見ると、初版が1947年で、1980年第50刷発行となっている。1980年といえば、僕は30歳。気象やその周辺のさまざまなことについて意識的に勉強しようと思い、本をたくさん読みはじめた時期だ。</p>

<p class="bodytxt">僕は24歳のときに、名古屋から東京に転勤してきた。<br />それから3年目、27歳のとき、「おはよう土居まさるです」というラジオ番組に出ることになった。この番組の天気予報コーナーには、ＭＣである土居さんと、天気解説者である僕とのかけあいがあった。</p>

<p class="bodytxt">それまでもラジオ番組の仕事はあったが、事前に書いた天気予報の原稿を読みあげるだけ。だから、土居さんが僕に投げかけてくる天気についての疑問にも、あまり答えることができなかった。</p>

<p class="bodytxt">それもそのはず、そのころは、今のように天気に関係するさまざまな知識を勉強することなど、ほとんどしていなかった。もちろん、解説者として必要な気象予報の専門知識は勉強していたが、それ以外の雑多な知識がぜんぜんなかった。<br />だから、土居さんの番組に出るようになって自分の無知を痛感し、いろいろと本を読んで勉強しようと思ったのである。</p>

<p class="bodytxt">そのときに出会ったのが、寺田寅彦の本だ。
実は僕は小学校のころ切手を集めていたのだが、その切手のなかに寺田寅彦の切手があり、名前は知っていた。そのときは名前だけで、どういう人なのかはまったく知らなかったのだが、大人になってから著作を読むと、切手になるほど有名だということが納得できる、すごい人だということがわかった。</p>

<p class="bodytxt">随筆集のなかに「電車の混雑について」というくだりがある。これが書かれた大正の時代にも、いまと同じように満員電車があったと思うとおもしろいが、それはともかく、寺田寅彦は、「必ずすいた電車に乗るために採るべき方法は極めて平凡で簡単である」と言う。</p>

<p class="bodytxt">その方法とは、「過ぎた電車がくるまで気長く待つということである」。<br />
当たり前だ、バカにしている、と思いながら読み進めてみると、寺田寅彦のすごさがわかる。</p>
<p class="bodytxt">一日で電車が込んでいる時間というのはだいたい決まっているが、その混んでいるなかでも、比較的混んでいるものと混んでいないものがある。たとえば、少し時間が空いたあとに来た電車には、みな「あたかも、もうそれかぎりで、あとから来る電車は永久にないかのように争って乗り込む」ので満員になるが、そのすぐ後に来る第二第三の電車はすいている。</p>

<p class="bodytxt">こういったことは、だれでも気づくことだろう。しかし、寺田寅彦のすごいところはそういった法則を、電車の本数や乗客の数を観察し、記録し、表にまとめることで解き明かそうとしているところなのだ。</p>

<p class="bodytxt">毎日電車に乗っている人は多いだろうが、こんなことをやっている人はいないだろう。随筆集には、こんなことを、大マジメに、文学的な文章で綴（つづ）ってあるのだ。
夏目漱石の弟子でもあったという寺田寅彦の随筆は、科学の視点からはなれても、純粋に読み物としてもおもしろいと思う。</p>


<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/morita07_2.jpg"><img alt="morita07_2.jpg" src="http://special.gotoshoin.com/assets_c/2009/10/morita07_2-thumb-260x197.jpg" class="mt-image-left" style="margin: 0pt 20px 20px 0pt; float: left;" width="260" height="197" /></a></span>
<p class="bodytxt">今回はもう一冊紹介しよう。<br />
『俳句と地球物理』という本は、俳人としても知られる寺田寅彦の俳句と随筆が収められた本だ。比較的新しい本だが、この本のなかで、感銘を受けたところがある。</p>

<p class="bodytxt">それは「知と疑」というくだり。<br />
寺田寅彦は、「疑は知の基（もとい）である。能（よ）く疑う者は能く知る者である」という。</p>
<br /><br />
<p class="bodytxt">「寺院の懸灯（けんとう）の動揺するを見て驚き怪しんだ子供が伊太利（イタリー）ピサに一人あったので振子の法則が世に出た。林檎（りんご）の落ちるを怪しむ人があったので万有引力の法則は宇宙の万物を一つの糸につないだというのは人の能く云う話である」(p52より)</p>

<p class="bodytxt">なにごとも「なぜ？」と疑うことがなければ、なにも得られることはない。この姿勢は、とても大切だと思う。</p>

<p class="bodytxt">僕はちょっとした疑問があると、それが気になって徹底的に調べてしまう。ある意味疑りぶかい性格で、それでいろいろと調べたことが天気解説のネタに役立ったりもしているのだが、これも、もしかしたら若いころに読んだ寺田寅彦の影響なのかもしれない。</p>

<p class="bodytxt">お天気キャスターや、科学に関わる職業につくことを目指す人には、寺田寅彦の本は、ぜひとも読んでもらいたい。</p>

<div class="impression">
<h3>今回の乱読から得たことなど</h3>
<p class="bodytxt">身近なことを科学的に考えるというのはおもしろい</p></div>

<p class="bodytxt"><strong>＜今回の本＞</strong><br />
<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4003103718/">寺田寅彦・著『寺田寅彦随筆集』（岩波文庫）</a><br />
<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4894560852/">同『俳句と地球物理』（角川ランティエ叢書）</a></p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/morita/post-25.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">森田正光の乱読日記</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 16 Oct 2009 00:00:01 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>ブログ炎上経験者が読む『ウェブはバカと暇人のもの』</title>
            <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/morita_6.JPG"><img alt="morita_6.JPG" src="http://special.gotoshoin.com/morita_6-thumb-200x162.jpg" class="mt-image-right" style="margin: 0pt 0pt 20px 20px; float: right;" width="200" height="162" /></a></span>
<p class="bodytxt">僕を含めた数人のお天気キャスターでブログをはじめたのは3年ほど前のこと。<br />
現在では、1日数万のアクセスがあり、累計アクセス数は4000万以上と、自分でいうのもなんだが、好評を博している。<br />
最近は、僕の会社でTwitter（インターネット上に「つぶやき」を発信して共有するコミュニケーションサイト）もはじめた。</p>

<p class="bodytxt">ブログを立ち上げた当初、僕はブログというものに関してはまったくの無知で、運営のノウハウもわからないし、たとえば「炎上」という言葉の意味も知らなかった。</p>

<p class="bodytxt">だから、なにか自分の主張を書いたりすると、ものすごく批判を浴びたことにおどろいた。普通に生きていて、面と向かって批判を浴びることは、そうそうないだろう。もちろん天気予報に関する苦情の手紙とか、電話を受けたことはたくさんあるが、自分自身に向かって、真正面から罵声（ばせい）や中傷に近いような批判を浴びることなど、ほどんとなかった。</p>

<p class="bodytxt">しかし、インターネットでは、それが容赦なく浴びせかけられる。
自分のブログで「炎上」を経験したときは、ものすごくショックだった。なんで見ず知らずの人間に、ここまで言われなきゃならないんだ、と。<br />
それで、最初は反論もしていた。だが反論をすれば、それに対してさらにたくさんの反論が返ってくる。最後には、もうやり返す気もおこらなくなって、反応することはやめた。</p>

<p class="bodytxt">そういう体験もあって、インターネットやブログ関連の本はいくつも読んで、勉強をしている。そのなかのひとつが、今回の『ウェブはバカと暇人のもの』である。</p>

<p class="bodytxt">この本のなかでまず目にとまったのは、ブログを穏便に運営していきたい人が、やってはいけないことが書かれた部分。<br />
それは、自分の考えを、ことさらに主張すること。動かしようのない事実を書いている分にはあまり荒れることはない。だが、なにか主張や意見らしきものを書くと、どうしても「それは違う」という風に反論がくる。<br />
これは僕の実体験にも合致していて、面白かった。</p>

<p class="bodytxt">それに、よく目立つのは「正義の味方」みたいな人たち。自分の意見を絶対的な正義として振りかざす人間が、いちばん困る。<br />
そういう人は、自分と同じ意見の人や、何も知らない人に対してはいろいろと丁寧に教えてあげたりする反面、自分と違う意見の人に対しては、しつように攻撃したりする。自分と違う考え方を許容することができないひとたちが、どうもいるようなのだ。</p>

<p class="bodytxt">インターネット上で批判をしてくる人は、変人でもなんでもなくて、普通の人なんだと思う。使う表現はきついが、文章はしっかりしている。だが、そのひとにとっては大事なことなのかもしれないが、受ける側からすれば、本当に些細（ささい）なことをとりあげてくることも多い。</p>

<p class="bodytxt">攻撃してくるのがひとりふたりならいい。だが、それが何十人ともなると、その重圧はかなりのものだ。それに耐え切れなくなって、閉鎖してしまうブログやサイトも多いと聞く。</p>

<p class="bodytxt">『バカの壁』で有名な養老孟司 先生の本のなかで、詩人の谷川俊太郎さんが、養老先生に対して「何がいちばんいやですか？」という質問をしていた。それに対する養老先生の答えは「正義」。それを聞いたとき、ものすごく納得したものだ。</p>

<p class="bodytxt">もうひとつ、この本の面白いところは、「インターネットはテレビを越える」という論調を、否定していることだ。著者の中川さんは、自分でもウェブサイトを運営している。そういう立場からの意見だけに、興味ぶかい。</p>

<p class="bodytxt">たとえば、ブログなどに書かれたりする情報は、「芸能人のスキャンダル」だとか「昨日のドラマの感想」だとか、テレビの話題が多い。これでは、テレビを越えるなんてできないだろう。</p>

<p class="bodytxt">ようするに、インターネット上の情報は、ほとんどが「暇つぶし」のための、どうでもいい、とるに足らない情報なのだ。<br />
価値のある、ためになる情報も少なからずある。だが、そんなものを見る人は少ないし、その比率は、まだまだ小さい。悪貨が良貨を駆逐している、そんな状態だ。</p>

<p class="bodytxt">本当に後世にまで残るのは、結局は良貨だけなんだろうと思う。<br />
インターネットでも他のものでも、センセーショナルなだけのものは、一時は盛り上がっても、内容がなければすぐに忘れ去られる。<br />
僕も、これからインターネット上の活動はどんどん増えていくだろう。できるだけ、"良貨"を残せるようにしたいものだ。</p>

<br /><br />

<div class="impression">
<h3>今回の乱読から得たことなど</h3>
<p class="bodytxt">インターネットで受ける中傷は気にする必要はない</p></div>
<p class="bodytxt"><strong>＜今回の本＞</strong>　<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4334035027//">中川淳一郎・著『ウェブはバカと暇人のもの』（光文社新書）</a></p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/morita/post-16.html</link>
            <guid>http://special.gotoshoin.com/morita/post-16.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">森田正光の乱読日記</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 25 Sep 2009 00:00:02 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>『エビデンス主義』と『メディア・バイアス』と&quot;地下室派&quot;</title>
            <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/morita_4-5.jpg"><img alt="morita_4-5.jpg" src="http://special.gotoshoin.com/morita_4-5-thumb-200x157.jpg" class="mt-image-right" style="margin: 0pt 0pt 20px 20px; float: right;" width="200" height="157" /></a></span>
<p class="bodytxt">最近、「お天気キャスターには"屋上派"と"地下室派"がいる」ということを、ブログや新聞へ投稿した。これはお天気キャスターの草分けである倉嶋厚さんにうかがった話である。"屋上派"は、活動的に外へ出て実際の微妙な空もようを見たりして、天気を予報する。一方"地下室派"は、屋内にこもって、気象データとにらめっこしながら予報をする。お天気キャスターはたいてい、この2種類に分けられるのではないか、という話だ。</p>

<p class="bodytxt">この分類でいけば、僕は自分を"地下室派"だと思う。「なんとなく」の微妙な空模様よりも、定量的にわかる数値データをもとにするやりかたの方が、性にあっているようだ。
<br />ただ、活動的な印象がある"屋上派"のほうが、周囲の受けはいい。だから、僕はつとめて"屋上派"としてふるまっているところもある。

</p><p class="bodytxt">さて、今回ご紹介する『エビデンス主義』の「エビデンス」というのは、主に医療関係で使われることばで、「根拠」という意味である。近年、エビデンスベースドメディスン（EBM、根拠に基づく医療）というものが注目されている。ようするに、「そのやりかたで治った人がどれだけいるか」という科学的根拠があってはじめて、きちんとした医療といえるとい考え方だ。<br />
『エビデンス主義』を書いた和田さんによれば、日本では、医療にかぎらず政策などでも、異なるデータ（エビデンス）が実際にあるのに、雰囲気だけで決めてしまうことがよくあるそうだ。

</p><p class="bodytxt">先ほどの"屋上派"と"地下室派"でいえば、データを重視する"地下室派"が、エビデンス主義に相当するだろうか。<br />
もし僕が患者なら、明るい"屋上派"の医者よりも、暗くてもいいから"地下室派"の医者に手術してもらいたい。だが、世の中一般では、人あたりのいい"屋上派"の医者がよいとされるのではないか。

</p><p class="bodytxt">僕からすれば、人柄はどうでもいい。いちばんだいじなのは、「その手術で治る」という根拠があるかどうかだと思うのだが。

</p><p class="bodytxt">そういった風潮に対して危機感をもっている和田さんは、雰囲気や机上の理屈よりも、統計データなどのエビデンスにもとづいておこなうべきだ、ということを主張している。

</p><p class="bodytxt">そういえば、数年前、テレビの天気予報で、放送事故ともいえない程度の小さな事件があった。あるお天気キャスターが、「海の事故による死亡者は○人しかいませんでした」と言ってしまったのだ。

</p><p class="bodytxt">おそらく多くの視聴者が「『○人しか』なんて言いかたはないだろう」と思ったに違いない。あたりまえだ。テレビで情報を伝える人間として、使ってはいけない表現だろう。当然、訂正と謝罪があった。

</p><p class="bodytxt">しかし、「冷夏には海の事故が少ない」という事実を、きちんとデータを示して伝えようとした、その姿勢は評価したいと思う。そのお天気キャスターは、ある意味、エビデンス主義を実践したとも言えるかもしれない。

</p><p class="bodytxt">えてして、マスメディアはそれとは真逆の方向に走りがちだ。虚偽報道や印象操作の問題が、しばしば起こる。

</p><p class="bodytxt">今回はもう一冊紹介しよう。『メディア・バイアス』という本には、その最近の例がずらりと挙げられている。「○○を食べれば、簡単にダイエットができる」「■■なものは、体にとてもよい」「●●という添加物は危ない」などなど......。そして、それらがいかにあいまいな根拠で、扇動的に報道され、人々が踊らされてきたのかが、よくわかる。

</p><p class="bodytxt">みんな、より楽で、面白くて、おいしい情報をほしがっている。その情報が事実かどうかは、だれも気にしない。そして、なにかの拍子にウソだとばれたら、よってたかって叩きまくる。だれも責任をとらない。

</p><p class="bodytxt">バッシング報道で、コメンテーターが難しい顔で何かコメントしたりする。そのコメントはおしなべて感情的で、中身も根拠も何もない。みな、その事件を、ドラマティックなエンターテインメントとして楽しんでいるようにしか見えない。

</p><p class="bodytxt">「事実」とは、そんなにドラマティックなものではない。一見「つまらない」ものなんだと思う。確かに、「画期的な新発見」や「意外な新事実」は、わくわくするし、刺激的だ。そのままそれを受け入れてしまいたくなる気持ちもよくわかる。そっちのほうが楽しいのだから。

</p><p class="bodytxt">だが、それでは、ひたすら情報に翻弄（ほんろう）されつづけるだけではないのか。<br />
それはそれで楽しいのかもしれないが、僕は、ちょっと違うと感じる。<br />
僕は、一度立ち止まって、客観的に、定量的に、検証してみる心がまえを常に持っていたい。そこは、テレビやラジオで情報をあつかう仕事をする身として、譲れないところである。

</p><div class="impression">
<h3>今回の乱読から得たことなど</h3>
<p class="bodytxt">やっぱり僕は"地下室派"だということを再認識した</p></div>

<p class="bodytxt"><strong>＜今回の本＞</strong><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4827550751">和田秀樹・著『エビデンス主義―統計数値から常識のウソを見抜く』（角川SSC新書）</a><br />
<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4334033989/">松永和紀・著『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』（光文社新書）</a>
</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/morita/post-15.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">森田正光の乱読日記</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 18 Sep 2009 00:00:01 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>『真剣師 小池重明』が描く、むちゃくちゃな人間の面白さ</title>
            <description><![CDATA[<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a href="http://special.gotoshoin.com/morita03.JPG"><img style="MARGIN: 0pt 0pt 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="morita03.JPG" src="http://special.gotoshoin.com/morita03-thumb-200x262.jpg" width="200" height="262" /></a></span>
<p class="bodytxt">僕は少年のころ、プロの将棋指しになるというひそかな夢をもっていた。<br /><br />父親やまわりの大人に教えられて、ものごころつくころから将棋ができた僕は、小学生ながらもそれなりに強く、大人たちにも勝てるくらいの実力があった。「正光君は近所でいちばん強い」などとおだてあげられて、得意になっていた。<br /><br />中学に上がってのちは将棋をあまり指さなくなり、その将来の夢も変わったが、あいかわらず自分は将棋が強いと、特に根拠もなく思っていた。<br /><br />その鼻をへし折られたのは、３０年ほど前、気象協会に入って間もなくのことである。<br /><br />気象協会には、夜勤の仕事があった。当番のときは協会に泊まりこみで仕事をするのだが、ずっと仕事をしているわけではなく、空きの時間がある。<br /><br />その時間は、持ち寄ったもので夜食を作ってみなで食べたり、トランプをしたりと、わりと自由だった。ある日の空き時間に、上司に「将棋を指さないか」と誘われ、勝負することになった。<br /><br />勝てる自信はあった。だがその上司は、きちんと将棋の勉強もしていなかった僕などよりも圧倒的に強かった。何度やっても、コテンパンにされてしまう。ショックだった。<br /><br />悔しかった僕は、猛勉強を始めた。将棋の本や雑誌を買いあさり、道場にも通った。勉強するうち、だんだんと上司にも太刀打ちできるようになっていく。そしてアマチュア二段になるまでウデを上げたころには、もはや敵ではなくなった。<br />「これから、今まで負け続けた借りを返せる」といきまいたが、もはや、上司から将棋に誘われることはなかった。<br /><br />そして現在も、将棋が好きだということは変わらず、将棋の本をよく読んだり、いろいろな棋士の方々とも交流を持ったりしている。<br /><br />さて、僕が将棋に夢中になっていたころ、将棋界で一大旋風を巻き起こしていたのが、小池重明（こいけじゅうめい）である。<br /><br />それまで、雑誌などのメディアに出てくる将棋はすべてプロ対プロで、アマチュア棋士が出る幕などなかった。プロは絶対にハンデなしでアマチュアとは指さない。プロとアマチュアの間には、越えられない壁が厳然として存在する。そういうことになっていたのだ。<br /><br />そんな世界に突如あらわれた小池重明というアマチュアの男が、なみいるプロ棋士を次々と倒していく。<br />われわれ将棋ファンは熱狂した。プロより強いアマチュアがいるのだ。<br />当然、彼をプロにしようという動きがおこってきた。だが、彼は結局プロにはなれなかった。<br /><br />なぜか。彼は現金を賭けて行う「賭け将棋」で生計を立てる「真剣師」だったのだ。おまけに素行が悪い。詐欺まがいの事件を起こしたり、酔って暴れて警察に連行されたりするのもよくある話だった。それらの事実が判明してプロ入りの話は消え、それ以降は、小池重明の名は将棋雑誌からこつぜんと消えてしまった。<br /><br />挫折した小池に手をさしのべたのが、大の将棋好きとしても知られる作家の団鬼六（だんおにろく）さんだ。才能にほれ込み、彼の活動を支援していた。そしてその生涯をつづったのが『真剣師 小池重明』である。<br /><br />この本に書かれている小池重明の生活は、ひどいものだ。<br />四六時中飲んだくれる。ほうぼうに借金をし、金を得れば夜遊びとギャンブルにつぎごむ。あげくのはてには他人の女房を連れて逃げる。本当にはた迷惑なやつだ。友達になんか絶対なりたくない。<br /><br />だが、その破天荒な生き方には強烈に惹かれるものがある。むちゃくちゃな人間ほど、面白いのだ。僕自身も「見てる分には面白いけど付き合うのはたいへんだ」などと言われたことがあるが、小池重明はけたが違う。<br /><br />団鬼六さんをだまして旅行へ連れ出し、酒を飲ませ、寝ている団さんを勝手に金の保証人として他の真剣師と賭け将棋をしたこともあった。団さんが朝起きると、「これはあなたの取り分です」といって大金を渡されて驚いたという。団さんは、自分が財布のかわりにされていることを知らないのだから、わざわざ分け前を渡さなくても大丈夫だと思うのだが、そういうところが、小池重明なのだ。<br /><br />破天荒ななかに見せる、妙な義理堅さ、無邪気さ。<br />将棋の強さもあるが、団鬼六さんはその人柄に惹かれたのにちがいない。<br /><br />小池重明のような無頼（ぶらい）な生き方は、いまの社会ではできないだろう。<br />罪を犯したり、他人に迷惑をかけたりするのがよくないのは当たり前だ。だが社会の規範や空気からはみ出したものをすぐに切り捨て、落ちぶれたものを「自己責任」としてかえりみない、そんな傾向に僕は一抹（いちまつ）の寂しさを覚える。<br /><br />もう少し寛容になってもいいじゃないか。<br />どんな人間も、悪い面だけがあるわけではない。善か悪か、１か０かの二進法で表せるものではないと思う。少しくらい迷惑でも、「しょうがないなぁ」などと言いながら手をさしのべる。そういう余裕と人情がある社会のほうが、よほど健全で、面白いではないか。<br /><br /></p>
<div class="impression">
<h3>今回の乱読から得たことなど</h3>
<p class="bodytxt">無頼な生き方が許されない世の中なんて、つまらない</p></div>
<p class="bodytxt"><strong>＜今回の本＞</strong>　<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/487257043X/">団鬼六・著『真剣師　小池重明』（イースト・プレス）</a></p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/morita/post-6.html</link>
            <guid>http://special.gotoshoin.com/morita/post-6.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">森田正光の乱読日記</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 11 Sep 2009 00:00:50 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>『大麻ヒステリー』を読むと思考停止度がわかる</title>
            <description><![CDATA[<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="MARGIN: 0pt 0pt 20px 20px; FLOAT: right" class="mt-image-right" alt="2_大麻ヒステリー.jpg" src="http://special.gotoshoin.com/2_%E5%A4%A7%E9%BA%BB%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%BC.jpg" width="300" height="248" /></span>
<p class="bodytxt">武田邦彦さんは、世の中の常識をくつがえす内容の本を何冊か書いている。そのうちもっとも有名なのが、『偽善エコロジー』（幻冬舎新書）で、これはベストセラーになっている。僕も彼の本はいくつか読んだが、なるほどと思う部分がたくさんあった。</p>
<p class="bodytxt">一方で僕は環境問題について、自治体などから依頼されて講演することがある。そこでは「気候を見ると、地球は温暖化が着々と進行しています」「一人一人が環境を考えて行動しましょう」といったようなことを当たり前のように言っている。</p>
<p class="bodytxt">どちらが正しいのか。自分でも自分の立ち位置がよくわかっていないのだが、おそらく両方の立場が正しい。つまり、判断の問題なのだ。地球の気温が上がっているという事実に対して「大変だ、何か対策しなければならない」ととらえるか、「温かくなっても大丈夫」ととらえるか。どちらが適切な判断だったかはずっとずっと先になってわかることで、現時点ではわからない。だから、両方とも正しいとしか言いようがないのだ。</p>
<p class="bodytxt">武田さんの本を読むと、共通する一つのテーマが見えてくる。それは、「日本人の思考停止」であり、今回紹介する『大麻ヒステリー』も例外ではない。</p>
<p class="bodytxt">僕は大麻について何も知らなかった。しかし、だれかが大麻で逮捕されたニュースがあったとして、もし僕がコメンテーターになっていたら「やっぱり大麻はいけませんね」などと言っただろう。おそらくだれがコメンテーターになっても、同じことを言うにちがいない。だれも、大麻について何も知らないのに。</p>
<p class="bodytxt">大麻の善悪以前に、ここが武田さんが一番問題視しているところである。『大麻ヒステリー』は、大麻問題を通して日本人の思考を論じている、そういう本なのだ。</p>
<p class="bodytxt">そもそも、なぜ日本では大麻が禁止されているのか。戦前までの日本では大麻は普通に栽培され、さまざまな用途で利用されていた。それが、戦後、アメリカの大麻取締法が持ち込まれる形で禁止する法律ができたとたん、「大麻はすべて悪」となってしまった。もともと日本の大麻には麻薬成分は含まれておらず、大麻を吸う習慣もなかったのに。「法律が犯罪を生み出した」というのが武田さんの主張だ。</p>
<p class="bodytxt">面白かったのは、麻薬はいつも南方の国からやってくるという話だ。赤道に近い温暖なところは、果物がたくさんなっているし、暖かいので服がなくても死んだりはしない。生産性をそれほど上げなくても飢えないので気楽に生きることができ、人々は娯楽の一つとして麻薬を楽しむ。</p>
<p class="bodytxt">一方、北緯４０～５０度あたりの国は寒くて過酷だから、生きるために一生懸命働いて生産性を上げなければならず、そのため社会のシステムもどんどん複雑化していく。そんな社会では、生産性を下げる麻薬は敵である。だからやっきになって取り締まるのだ。</p>
<p class="bodytxt">しかし皮肉なもので、その一生懸命さが環境破壊を起こしてしまったりする。つまり、こういう社会には持続性がない。武田さんは、生産性を適度に下げ、この社会の持続性を保つひとつの手段として麻薬があるのではないか、ということを言う。</p>
<p class="bodytxt">その正否はともかく、僕は大麻ひとつでここまで考えたことなど、今までなかった。ただ「大麻は悪いもの」という、だれかが用意した価値観に何も考えず乗っかっているだけだった。</p>
<p class="bodytxt">考えてみると、似たような思考停止の例はいくつもある。たとえば、狂牛病やダイオキシン。一時あれだけ大騒ぎしていたのは何だったのか。テレビで連日のように連呼されていたのに、今ではだれもそのことについて言わない。そしてだれもかつての騒ぎの責任をとらない。</p>
<p class="bodytxt">テレビのような、あるいはインターネットもそうかもしれないが、たった一つの価値観に収斂していくようなメディアというのはどこかおかしい部分があるように思う。そして何も考えずにそれを見て騒ぐ側も。</p>
<p class="bodytxt">思考停止はとてもラクで心地がいい。「考える」という面倒なことをやめてしまうわけだから。だがそれがファシズムにつながることもあるのだ、ということを覚えておきたい。 </p>
<div class="impression">
<h3>今回の乱読から得たことなど</h3>
<p class="bodytxt">大麻についての自分の無知を思い知った。</p></div>
<p class="bodytxt"><strong>＜今回の本＞</strong><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4334035116">武田邦彦・著『大麻ヒステリー　思考停止になる日本人』（光文社新書）</a></p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/morita/post-3.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">森田正光の乱読日記</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 04 Sep 2009 00:00:50 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>政治がダメな理由が書いてある『学問のすすめ』</title>
            <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="morita01.jpg" src="http://special.gotoshoin.com/images/morita01.jpg" class="mt-image-right" style="margin: 0pt 0pt 20px 20px; float: right;" width="300" height="262" /></span>
<p class="bodytxt">「現代人の読書離れが進んでいる」などとよく言われる。</p>
<p class="bodytxt">いつの時代も、本を読む人間はなんであれ読むし、読まない人間はどんなに面白くためになる本が出ても読まないのだと思う。そしていつも読まない側が多数派だ。</p>
<p class="bodytxt">この『学問のすすめ』の冒頭には、「学問をして物事を知っていれば豊かになり、しなければ貧しくなる」というふうに書いてある。勉強するのに一番いい方法は、昔も今も活字を読むこと。だから『学問のすすめ』は「読書のすすめ」でもある。</p>
<p class="bodytxt">『学問のすすめ』は、江戸時代が終わったばかりのころに書かれた。少し前まで皆ちょんまげを結っていた時代だ。そんな時代に福沢諭吉は「忠臣蔵は間違いだ」「赤穂浪士は乱暴者だ」と言ってのける。ほとんどの人間が「赤穂浪士の仇討ちは素晴らしい」と喝采をおくっていたはずなのに。考えてみれば現代でも、日本人に忠臣蔵のドラマを見せて「赤穂浪士の側が間違っている」と言える人が何人いるだろうか。つくづく、明治のインテリはすごいと思う。</p>
<p class="bodytxt">福沢は「愚かな政府は愚かな民がつくる」と言った。いわゆる民主主義の思想である。</p>
<p class="bodytxt">民主主義とはなんだろう。</p>
<p class="bodytxt">僕は、「多数派になるために仲間を獲得する競争」だと思う。たとえば僕が病気になって、その治療を100人で民主主義的に決めることになったとする。会議では99人が「おまじないをすれば治る」と言い、1人が「いや、これは手術すれば治る」と言う。多数決で決めるのなら「じゃあ手術なんかしないでおまじないをしよう」ということになる。</p>
<p class="bodytxt">僕からすればたまったものではない。しかし、民主主義には正しいほうが多数派になる、という前提がある。だから僕を治すには、この1人が99人に対して「こちらのほうが正しい」と説得工作をかけて切り崩し、多数派というポジションを獲得してから手術をしなければならない。結果的に負けて、手術せずに僕が死んでしまったとしてもしかたがない。ただし、負けた側の主張は一つの考え方として残っていく。</p>
<p class="bodytxt">多数の民衆が赤穂浪士を賞賛するなら、その国は仇討ちという名目の殺人が許される国になってしまう。みな政治が悪いのは政治家のせいだと言うが、その政治家を選ぶのも民衆。<br />学ばない人間に、優れた政治家を選べるとは思わない。だから僕たちは政治家を批判する前に、自分たちで学ばなければいけないのだ。</p>
<p class="bodytxt">先日テレビを見ていて、こんな話があった。<br />恐竜は隕石の落下が原因とみられる寒冷化の影響で絶滅したのだが、その中で唯一生き残った恐竜がいた。その恐竜とは羽毛を持つ恐竜、すなわち鳥である。</p>
<p class="bodytxt">これは僕が勝手に言っていることだが、鳥というのは生物の中でももっとも優れた生物ではないかと思う。ダチョウはものすごい速さで走るし、ペンギンはものすごい勢いで泳ぐ。そして多くの鳥は、他のほとんどの生物ができない「飛行」ということができる。つまり夏のオリンピックの「走る」「泳ぐ」「飛ぶ（跳ぶ）」、全部の種目でトップクラスの実力を持っているのだ。</p>
<p class="bodytxt">鳥がそれらの能力をなぜ伸ばしたのかというと、生存競争のためだ。ダーウィンの「変化するものだけが生き残る」という有名な言葉のとおり、何かの能力を進化させて、生き残ってきた。</p>
<p class="bodytxt">人類はどうだろう。人類が他の動物と比べて優れているのは、考えるまでもなく脳だ。脳を大きくすること、つまり学ぶことによって生き残ってきた。それが生存競争に勝つためにもっとも重要なことだった。だから人間は本能的に、学ぶことを「面白い」と思うようにできているのだ。</p>
<p class="bodytxt">「活字離れが進んでいる」とか、「本が売れない」などと聞くと、僕などは「こんなに面白いのに、なぜ本を買わないのだろうか」と心底ふしぎに思うものだ。</p>
<div class="impression">
<h3>今回の乱読から得たことなど</h3>
<p class="bodytxt">100年以上前から世の中は変わっていないことがわかった。<br />今後は忠臣蔵をひねくれた目で見てしまうことだろう。</p>
</div>
<p class="bodytxt"><strong>＜今回の本＞</strong>　<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480064702/">福沢諭吉・著／齋藤孝・訳『学問のすすめ　現代語訳』（ちくま新書）</a></p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/morita/12.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">森田正光の乱読日記</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 28 Aug 2009 00:00:20 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>価値観の違いを楽しむことが、乱読の醍醐味だ</title>
            <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image">
<p class="bodytxt"><img alt="morita00.jpg" src="http://special.gotoshoin.com/images/morita00.jpg" class="mt-image-none" style="" width="560" height="331" /></p>
</span>
<br />
<p class="bodytxt">読書は僕にとって最高の娯楽だ。</p>
<p class="bodytxt">電車の中ではもちろん、トイレでも、風呂の中でも、暇さえあれば本を読んでいる。トイレで読むときには、いつまでも読んでいたいので、早く用が済んでしまうと悔しく思う。風呂で読むとカバーがふやけて破れたりするが、最近は外して読むことを覚えた。<br />
活字中毒である。</p>
<p class="bodytxt">今までどれくらいの本を読んできただろうかと、改めて考えてみた。今住んでいる家にはざっと見て数百冊の本がある。もう捨てられてしまった本も多く、特に雑誌はほとんど捨てられたが、それも合わせると全部で数千冊はあるのではないかと思う。僕は買ったものを読まずに放っておくことはほとんどないので、それだけの本を読んできたことになる。</p>
<p class="bodytxt">「なぜ本を読むのか」と聞かれたら、僕は「面白いから」と答える。<br />
中には一見どうしようもないような本もある。しかしどんな本でも、読んでみるとそれなりに面白いのだ。なにしろ、本になるくらいの話なのだから。だからちょっとでも目についた本は片端から買って乱読することにしている。</p>
<p class="bodytxt">じつは若いころは、読む本が偏っていた。社会運動にかかわっていたこともあるので、自分の主張に合致するものだけ読み、敵対する意見が書かれている本はいっさい読もうとしなかった。自分と同じ意見を読むのは心地よい。だから人はすぐに偏っていく。</p>
<p class="bodytxt">それが変わったのが30代後半から40代にかけてのころだった。何の偏見も持たずにできるだけいろいろな本を読もうと思った。だから今あらためて自分の本棚を見てみると、昔の自分だったら絶対買わない本もある。世の中にはさまざまな価値観があることを認め、その価値観の違いを楽しめるようになった。もしかしたらこれが「大人になる」ということなのかもしれない。</p>
<p class="bodytxt">とはいえ、家に散乱している本をざっと見てみると、ひとつの傾向があることに気づく。<br />
まず、小説がない。理由をひとことで言うと、「読むのがかったるいから」だ。物語は映画とかテレビドラマで見るほうがずっと楽しいと思っている。小説を読まずに何が読書家だ、と思われるかもしれないが、読む気が起こらないのだからしようがない。<br />
多いのは経済の本や科学の本。とくに世の中の常識をひっくりかえすような、新しい見方を教えてくれる本が好きだ。</p>
<p class="bodytxt">この連載では、今まで僕が乱読してきた本の中から、特に気に入ったものを紹介していこうと思う。</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">森田正光の乱読日記</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 28 Aug 2009 00:00:00 +0900</pubDate>
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