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        <title>梧桐書院WEB連載</title>
        <link>http://special.gotoshoin.com/</link>
        <description></description>
        <language>ja</language>
        <copyright>Copyright 2010</copyright>
        <lastBuildDate>Thu, 18 Feb 2010 01:23:14 +0900</lastBuildDate>
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            <title>「大きく成長する人」「あまり成長しない人」を分けるメカニズム</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt">　前回に引き続いて、個人別のフィルターの「枠の大きさ」が個人間の認識の違いにどういう影響を与えるかについて、別の事例で説明したいと思います。<br />
　まずは前回のおさらいとして図１を見てみましょう。同じ大きさの象でも大きな枠のフィルターで見ると小さく見え、小さな枠のフィルターで見ると大きく見えるのでした。</p>
<br />
<p class="bodytxt"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="illust20100203-1.gif" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100203-1.gif" width="467" height="231" class="mt-image-none" style="" /></span></p>
<br />
<p class="bodytxt">　今回はこの話を別の事例で見てみましょう。<br />
　分野はどうあれその道の「プロ」と呼ばれる人に、自分の道を極めるための秘訣（ひけつ）を聞くと、当たり前の回答が返ってくることがよくあります。<br />
　例えば野球やサッカー等の球技で言えば「ボールをよく見ること」とか、ビジネスで言えば「お客様のことをよく考えること」とかです。言い換えれば、その道を極めた人ほど基本を忠実に守っているということです。<br />
　むしろ中途半端にできる「凡人」ほど、「そんなこと当たり前だし、とっくにわかってるよ。それよりも具体的なノウハウを教えてよ」などと基本を軽視してテクニックに走りがちです。<br />
　これは一体どういうメカニズムで起こっているのでしょうか。<br />
　ここで前回と同様、「基本能力」を象の大きさとして見てみます。この<B>「能力」は、「達人」も「凡人」もそれほど変わらない</B>のかもしれません。ではなぜ先の認識の違いが出るのか？<br />
　じつはこの<B>両名に決定的に違うのは「枠の大きさ」、つまり基本能力に対する重要性の認識</B>ではないかと思います。達人は「基本が重要である」という認識が凡人に比べてはるかに大きいのです。<br />
　その認識の違いはどういうふうに生まれてくるのでしょうか。図2を見てください。</p>
<br />
<p class="bodytxt"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="illust20100217-1.gif" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100217-1.gif" width="429" height="261" class="mt-image-none" style="" /></span></p>
<br />
<p class="bodytxt">　図2は、「枠」とその中で評価された「基本能力の大きさ」、そしてその「枠の高さ」と「基本能力の大きさ」の「ギャップ」を示しています。そして「ギャップ」は、自分はどれだけ理想的な状況から離れているか、という認識を示します。これは、何かを学ぼうとする人にとってみれば、成長の原動力になります。つまり、このギャップが大きければ大きいほど「自分はまだまだだ」と思うことになり、基本能力の重要性を再認識することになります。<br />
　したがって、<B>「枠」が大きい達人は生半可な能力では「自分はまだまだだ」と認識し、「枠」が小さい凡人は「もう大体できている」と認識する</B>ことになります。その道の達人ほど自らの能力の不十分さを強く認識しているので、冒頭の「当たり前の回答」になるというメカニズムなのです。</p>

<p class="bodytxt">　私たちが何かの<B>能力を向上させるためには「やることが2つある」</B>ことがおわかりでしょうか。1つは「象そのもの」を成長させること、つまり能力そのものを磨くのはもちろんですが、もう1つは「枠を大きくする」つまり視野を広くして<B>「自分の能力がいかに不足しているか」を自覚する</B>ことが同じくらいに重要なのです。<br />
　例えば英会話で言えば、単語や言い回しを一つ一つ覚えるのが「象そのもの」を成長させることですが、これに加えて、英会話の達人を見たり、あるいは実際に海外旅行に行ったり留学したりして本当に必要なレベルを思い知り、「自分はまだまだだ」という認識を持ってモチベーションを上げることが必要です。<br />
　およそその道の<B>「達人」は、能力そのものを磨いているのはもちろんですが、常に高いレベルを見ることによって視野を広げ、「到達すべきレベル」をそのつど高く設定しなおしているのです。「能力の向上」よりも「視野の拡大速度」のほうが大きいために、やればやるほど象が小さく見えてくる</B>というわけです。これを示したのが図3です。</p>
<br />
<p class="bodytxt"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="illust20100217-2.gif" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100217-2.gif" width="440" height="460" class="mt-image-none" style="" /></span></p>
<br />
<p class="bodytxt">　この図を見れば「基本能力の重要性」がその道を極めれば極めるほど高く見えてくるメカニズムが理解できると思います。<B>道を極めれば極めるほど、ゴールは近くに見えてくるのではなく、むしろ遠ざかっていく</B>のです。<br />
　「井の中の蛙（かわず）大海（たいかい）を知らず」ということわざがありますが、本文で述べている「枠」が、まさにここでいう「いけすの大きさ」ということになりますね。</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/hosoya/post-71.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">細谷功の象の鼻としっぽ</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 18 Feb 2010 01:23:14 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>認識の対立とフィルターの大小</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt">　今回は、個々人が持つフィルターの「枠の大きさ」が、個人間の認識の違いにどういう影響を与えるのかについて説明したいと思います。<br />　外資系企業で人材を採用したり評価したりするときの「永遠のテーマ」の一つに、<br />　<b>「『実務スキル（例えば経理や営業）がいま一歩でも英語（語学）ができる人』を採用・評価すべきか、あるいは『英語がいま一歩でも実務スキルに優れた人』を採用・評価すべきか」</b><br />　というものがあります。<br />　これらが「両方できる人」が当初の募集要望事項には入っているのですが、当然のことながらこういう「スーパー（ウー）マン」はめったにいないので、上記のような選択に迫られることになります。<br />　これはもちろん、その会社や当該業務固有の状況があるので「正解」といえるものはないわけですが、こういう場面に遭遇すると、人間の価値観がはっきりとあらわれます。<br />　実務に優（まさ）る「実務派」の人は英語力を軽視し、「あいつらは単なる『英語屋』じゃないか」、逆に語学堪能な「英語派」の人は「英語もできないくせに......」と考え、お互いを批判します。<br />　このメカニズムを各個人が持つ「フィルターの大きさ」という観点で説明してみましょう。</p>
<p class="bodytxt">　まずは図１を見てください。同じ大きさの象でも、大きな枠のフィルターで見ると小さく見え、小さな枠のフィルターで見ると大きく見えることがわかるでしょう。<br />　<b>「小さい枠」で見ている人は自分の枠が小さいことに気づいていない</b>ので、それが「画面いっぱい」に広がって見えます。</p><br /><br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="図1" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100203-1.gif" width="467" height="231" /></span><br /><br /><br />
<p class="bodytxt">　次にこの構図を使って、先の「英語か実務か」という永遠のテーマを見てみましょう。<br />　<b>「英語派」のAさんと「実務派」のBさんが、お互いの能力をどう判断するか</b>を表現したのが図２です。</p><br /><br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="図2" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100203-2.gif" width="535" height="333" /></span><br /><br /><br />
<p class="bodytxt">　まず図の上半分を説明しましょう。<br />　これは、英語はできる（「大きい象」で表現）が実務ができない（「小さい象」で表現）というAさんの実力を、異なる「フィルター」を持つAさんとBさんがどう見るかを示したものです。<br />　Aさんの自己評価ですが、<b>得意な英語力は大きな枠で見ても枠いっぱいに見えるので、「十分だ」と判断します。一方、苦手な実務は（必要性を低く見積もっている分）小さなフィルターで見るために、これも「十分だ」と判断してしまう</b>わけです。<br />　これに対して、実務を得意とするBさんに、「同じ2頭の象」はどう見えるでしょうか。まず英語が苦手なために「小さなフィルター」で見る大きな象（英語力）は、「判定不能」と判断してしまいます。<b>小さいフィルターでほんの一部分だけを見ているだけでは、それがいいのか悪いのかすら判断できないからです。</b><br />　反面で得意な実務については、フィルターが大きい分、Aさんが見る象よりもだいぶ小さく見えます。つまり、英語力は「判定不能」と判断し、実務力は「不十分」であると判断してしまうわけです。<br />　これとまったく逆に、Bさんの実力をAさんとBさんがそれぞれどう見るかを示したのが図2の下の図です。先ほどとは逆の構図になるのがおわかりでしょう。<br /><b>　見る側の得意領域の違いによって、一人の人間の能力がまったく異なって見え、結果として正反対の評価になってしまう</b>というわけです。</p>
<p class="bodytxt">　以上述べてきた「英語か実務か？」という構図は、いろいろな事例に見られます。<br />　例えば、<b>「『理』にすぐれた人がいいのか、『情』にすぐれた人がいいのか」</b>なども、「永遠のテーマ」といえる構図です。これも往々にして「理に勝っている人」は、人間関係で出世した人を揶揄（やゆ）し、「あいつは仕事もできないくせに、おべっかばかりで昇進した」などとばかにします。一方、「情に勝っている人」は、「理論派」の人たちのことを「正論ばっかり言っていて役に立たない」などと否定したりします。<br />　ほかにも、いわゆる<b>「理系」と「文系」がお互いを見る視線</b>も、同じ構図だったりするのではないでしょうか。</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/hosoya/post-65.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">細谷功の象の鼻としっぽ</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 03 Feb 2010 23:19:15 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt">　「各個人が持つ固有のフィルター」が及ぼすコミュニケーションへの影響について別の例を挙げてみます。<br />
　今回のタイトルの<B>「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」</B>という言葉は、前楽天監督の野村克也さんが好んで引用している言葉です。今回はこの言葉の意味をこれまで述べてきた「象の鼻としっぽ」とフィルターという観点での解釈を試みてみたいと思います。</p>

<p class="bodytxt">　私たちが過去の成功や失敗の原因を考えるときには、大きく2つの側面があるのではないかと思います。つまりそれは、「運」と「運以外」という2つの要因です。言い換えると、<B>原因が「自分以外」（の環境や他人）にあったのか、反対に「自分自身」（の考え方や方法論）にあったのかという2つの側面</B>です。ここでこれら2つの側面を見るときに、対象とする事象が成功だったのか、あるいは失敗だったのかによって、私たちは無意識のうちにフィルターを使い分けて見てしまいます。<br />
　これら２つの「フィルター」は、図１に示すように、一頭の像の上半身側（運）と下半身側（運以外）の片側しか見えないような2種類のフィルターです。</p>

<br /><br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="図1" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100122-1.gif" width="549" height="246" class="mt-image-none" style="" /></span>
<br /><br />

<p class="bodytxt">　具体的に言えば、自分が過去の成功したことを振り返る際にはその原因を「運以外」つまり自分自身に求め、失敗したことに対しては「運」つまり環境や他人のせいにしてしまいがちだということです。人間はとかく成功したことの原因は、「自分が努力したからだ」とか「自分のやり方が正しかったからだ」というふうに考えてしまう傾向にあります。逆に失敗したことに対しては、「相手が悪かったからだ」とか「○○さんが入らなければうまくいっていたのに」とか「ベストを尽くしたのに運が悪かっただけだ」などと思ってしまいがちです。<br />
　反面、おもしろいことに、「他人の」成功を見るときにはこれを「運」だと思い、失敗を見るときには「運以外」つまり本人が悪いのだと見てしまう傾向もあるのではないでしょうか。<br />
　つまり、<B>自分の成功や失敗の原因を考えるにあたっては、自分自身の見方と他人の見方（客観的な認識）とは真逆のものになっている</B>可能性が高く、これが自分と他人との認識のギャップ、言い換えれば「勘違い」ということができるでしょう。そしてこの<B>勘違いを生んでいるのが、自分の成功・失敗と他人の成功・失敗を認識のするときとでは異なってくる「フィルター」である</B>ということなのです。これを整理したものが図2です。</p>

<br /><br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="図2" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100122-2.gif" width="421" height="269" class="mt-image-none" style="" /></span>
<br /><br />

<p class="bodytxt">　冒頭で紹介した「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」ということばは、まさに、こうしたギャップを認識させて自分の勘違いを正してくれるものだと思います。<br />
　成功については「運」の要素が大きいのだから、自分のやり方が正しいなどと思わずに、「これは運のなせる業（わざ）だ」と思って精進を続けるべきであり、逆に失敗については「運のせいではなくてあくまでも自分自身に原因があったのだ」と自分を戒めるためのものではないかということです。</p>

<p class="bodytxt">　平家物語の冒頭で語られる有名な<B>「盛者必衰（しょうじゃひっすい）の理」</B>（成功した人間も、必ず衰えるときがくる）の原因の一つも、成功すると「成功の原因は自分たちのやり方がよかったからだ」と考えてこれに固執することによっていずれ失敗するという、<B>「盛者の勘違い」</B>からくるところも大きいのではないでしょうか。</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/hosoya/post-62.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">細谷功の象の鼻としっぽ</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 22 Jan 2010 18:46:47 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「自己中心フィルター」の働き</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt">　前回に続いて今回も<b>「各個人が持つ固有のフィルター」がコミュニケーションへ及ぼす影響</b>について別の観点から見てみましょう。まずは具体的な例を見てみましょう。皆さんは以下の発言を読んでどう思いますか？</p>

<hr>

<p class="bodytxt"><b>　「どのぐらいの年収であれば『生活に余裕ができる』と思いますか？」</b>という質問をさまざまな年収の人にぶつけると、次のような答えが返ってきました。</p>

<ul class="bodytxt">
<li><b>年収400万円のAさん</b>
「うちは平均年収以下だからとても余裕があるなんて状況じゃないですね。せめて600万ぐらいあれば余裕はできると思いますよ。」</li>
<li><b>年収600万円のBさん</b>
「いまは一応人並みの年収ってことなのかも知れないけど、余裕なんてとてもとても。まあ、800万とかあるのが『余裕がある』ってことになるんでしょうね」</li>
<li><b>年収1,000万円のBさん</b>
「きっと世間的には1,000万っていうのは『金持ち』ってことに見られているんでしょうね。でも実際の生活なんて全然ですよ。余裕があるレベルっていうのは、きっと1,500万とかもらっている人のことなんじゃないですか？」</li>
</ul>

<hr>

<p class="bodytxt">　皆それぞれの「理由」をつけていまの自分に余裕がないことと、もう少しあれば余裕ができることを訴えています。これらの発言から、「各人の理由」が本当の意味での理由になっていないことは明白でしょう。要するに皆、<b>「自分より少し上」であれば余裕ができるだろう</b>と思っているわけです。<br />
　これを「フィルター」で解釈するとどういうことになるでしょうか。<br />
　図１を見てください。</p>
<br /><br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="図1" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100108-1.gif" class="mt-image-none" style="" width="435" height="232" /></span>
<br /><br />
<p class="bodytxt">　これがA、B、Cさんが全員持っていると考えられる「フィルター」を模式的に示したものです。皆「自分自身の視点」を境目にしてその下側は、自分が恐らく経験したか容易に想像ができる世界であり、その上側は自分が経験したこともなく想像するしかない世界です。<br />
　ここでは全員例外なく、自分の上側と下側とでものの見方がまったく変わってしまっています。各々自分のレベル（年収に限らずいろいろな世界で）より下側はよく見えるが、その上側は未知の世界であって「その他」のような十把一絡（じっぱひとから）げの世界とみて、そこが「別世界」であるかのような無責任なものの見方をしてしまう（あるいは必要以上に楽観的あるいは悲観的に見てしまう）ということです。<br />
　つまり、<b>ある境界線の両側で180度ものの見方が変わり、それが人によって異なるために、その話題で複数の人たちが会話や議論をしても話が全くかみ合わない</b>可能性が高くなります。それが具体的には冒頭の発言のような形となって現れているということです。<br />
　この話をいつもの象の絵に置き換えてみましょう。図２を見てください。</p>
<br /><br />
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="図2" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20100108-2.gif" class="mt-image-none" style="" width="550" height="286" /></span>
<br /><br />
<p class="bodytxt">　AさんとBさんのフィルターはその「境界線の高さ」が異なるために、象のあるレベルの上下の見方がまったく異なって見えます。これは別のCさん、あるいはDさん、Eさんにとっても同じように一人ひとり違う境界線を持っている人たちが見ても、まったく同じ話になると考えられます。<br />
　別の場面でも同様のことが考えられます。例えば、階層化された組織の中での役職などの立場に適用してみましょう。役無しのいわゆる平社員の人からは「役職がつけば○○できるのに......」という言葉が聞かれ、役がついた主任・係長クラスの人は「課長ぐらいになれば......」となり、課長クラスの人になると「部長ぐらいにならないと......」といった具合に、<b>「現在の自分より少し上の役職になれば○○できるのに......」</b>といった考え方も冒頭の収入の話と全く同じと考えてよいでしょう。</p>

<p class="bodytxt">　さらに発展させるとここまで解説してきた一連の構図は、<b>「『おじさん』（おばさん）とはいくつからだと思いますか？」</b>という質問に対する答えでも同じ傾向が出るのではないかと思います。<br />
　子供のときは「ネクタイをしている人」がおじさんでしたが、大学生ぐらいになれば30代がおじさん、そして自分が30代になってみれば「自分がおじさん」だとはとても思えず（認めたくもなく）、その時点では40代後半とか50代の人が「おじさん」ということになるという、この不思議な現象も今回お話したような<b>「自己中心フィルター」のなせる業（わざ）</b>といえるのではないでしょうか。</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/hosoya/post-57.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">細谷功の象の鼻としっぽ</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 08 Jan 2010 11:54:20 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>ラストランナーシンドローム</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt">　前回はコップの水を例にとって、同じものの「ある半分」と「残りの半分」という別の部分を見ているというまったく違う「フィルター」を持った二者間のコミュニケーションギャップを見ました。<br />　今回は、「フィルターそのものの見え方がゆがんでいる」ことによる認識の違いを検証することで、これまで説明してきた「個人がもつフィルター」の性質を捉（とら）えていきたいと思います。</p>
<p class="bodytxt" align="center">＊　　　　　　＊　　　　　　＊</p>
<p class="bodytxt">　コウイチくんは、東京駅の新幹線切符売り場でいらだっていました。だれにかといえば、切符売り場で前に並んでいる年配の男性に対してです。売り場の職員になにやらいろいろな注文をつけて何度も何度も調べなおしてもらっていて、すでに3分以上も一人で窓口を「占拠」し、コウイチくんの後ろにも長蛇の列ができはじめています。実は今日は取引先と大事な約束があって、もうあと2分で出てしまう新幹線に乗らなければ間に合わないのです。<br />　「一体このおじさん、何を考えているんだろう？　約束に遅れたらどうしてくれるんだ！」と心の中だけでなく、もう口まででかかっています......。</p>
<p class="bodytxt" align="center">＊　　　　　　＊　　　　　　＊</p>
<p class="bodytxt">　この話、「象」の話とはどういう関係があるのでしょうか？<br />　図を見てください。</p>
<div class="bodytxt">
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="illust20091217.gif" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20091217.gif" width="550" height="205" /></span></div>
<p class="bodytxt">　この構図は、左がコウイチくん、右はその話を聞いている「第三者」とでもしておきましょう。つまり、直接的な会話の相手というよりは客観的な認識というイメージです。<br />　普通の人にはごく正常に見える「象」が、個人的思い込みにとらわれたコウイチくんには、とてもゆがんだ形に見えてしまっています。象の一部分を見ているというよりは、第三者にはまったく普通に見える象が、<b>ある思い込みをもった人には違ったものに見えてしまう</b>という構図です。これも個人のもつフィルターのなせるわざといえます。</p>
<p class="bodytxt">　では、ここではフィルターはどういう役割を果たしているのでしょうか。これは先述の通り、私たちが持つ「思い込み」の一つの例と言えます。<br /><b>　私たちは例外なくこうした「思い込み」というフィルターを持って物事を見ている</b>がゆえに、第三者とは違ったものの見方になってしまい、これがコミュニケーション上の障害にもなります。<br />　ここで例に挙げた話はどういう「思い込み」かと言えば、<b>「直近で起きたことが大きく見えて、それ以前に起きたことが小さく見えてしまう」</b>という思い込みです。<br />　確かにここでコウイチくんが遅刻してしまった場合、列の前の男性は直接の原因になるかも知れず、コウイチくんのいらだちは妥当なものといえるのかも知れません。でも、客観的にさかのぼって事実を確認してみると違うことが見えてきます。<br />　もともとこの日の朝コウイチくんは、目覚まし時計の音ではすぐには起きられず、15分ほど布団の中でぐずぐずしていました。また、最寄りの駅まで着いたときに、携帯電話を忘れてきたことに気づいて一度家に取りに帰ったりしていたのです。これらの原因で東京駅への到着が遅れ、前日に想定していた時刻から、すでに30分以上も到着が遅れていました。<br />　ところが、コウイチくんの頭の中からは、そんな話はすっかり消えてしまい、直近の現象、つまり切符売り場で自分の前に並んでいた男性に、すべての矛先が向かってしまったのです。</p>
<p class="bodytxt">　考えてみると、同様の構図は私たちの身の回りにたくさん転がっているのではないでしょうか。たとえば、遅刻の原因が「最後の人」のせいになってしまった今回の事例は、さまざまな「プロジェクト」の遅延の原因を探るときと構図は同じです。<br />　<b>プロジェクトの中では、期限に近い「下流工程」が原因として責められがちですが、実際には上流での仕様決定の遅れがその根本原因</b>であったります。でも、それはあまり目立たなかったりします。<br />　また、故障の原因やトラブルの原因など、およそ「○○の原因を探る」という場面では、一般的に広くあてはまる事象ではないでしょうか。</p>
<p class="bodytxt">　以上の話は<b>「（よくも悪くも）最終走者にスポットライトが当たる」という点で「ラストランナーシンドローム」とでも呼べる</b>、私たちが持っている思い込みによるフィルターの例でした。<br />　このフィルターは、過去の経緯を振り返る際に「最近のものだけが必要以上に大きく見えてしまう」という点で、モノがゆがんで見えるフィルターです（上図で言うと、象の頭側が過去でお尻の側が最近ということです）。<br />　皆さんの身の回りでも、同様の出来事がないかどうか確認してみてください。</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/hosoya/post-54.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">細谷功の象の鼻としっぽ</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 17 Dec 2009 11:00:13 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>同じものを正反対に認識してしまうメカニズム</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt">　前回は私たち各個人が持つ心のフィルターによって、同じものが異なって見え、そのことがコミュニケーションギャップを生むことを、カフェテリアに並んでいる二人の間の認識の相違という例でお話ししました。<br />　今回は、同じフィルタの例でもまさに「象の鼻としっぽ」のように、同じものを見たときにまったく正反対の認識をしてしまうメカニズムと、その具体例についてお話ししたいと思います。<br />　まずは図１を見てください。</p><br />
<p class="leadtxt">図1</p>
<div class="bodytxt" align="center">
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="図１" src="http://special.gotoshoin.com/images/hosoya1201-1.gif" width="550" height="214" /></span></div><br />
<p class="bodytxt">　基本的な構図は前回と同じですが、今回は左右の二人が持っているフィルターの種類が違います。左の人は左半分しか見えないフィルター、右の人は右半分しか見えないフィルターを持っています。これによって「同じ象」を見ているのに片方は「鼻」の側しか、もう片方は「しっぽ」の側しか見えなくなっています。<br />　これは私たちの日常に置き換えるとどういうことを意味しているのでしょうか？<br />　よく言われるたとえですが、<b>水が半分入ったコップを見たときに「半分しか入っていない」と思う人と「半分も入っている」と思う人</b>がいます。これも全く同じ構図です。<br />　図２にこれを説明します。</p><br />
<p class="leadtxt">図2</p>
<div class="bodytxt" align="center">
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="図２" src="http://special.gotoshoin.com/images/hosoya1201-2.jpg" width="560" height="144" /></span></div><br />
<p class="bodytxt">　片方は「下半分」だけのフィルターを持っているために、「ほとんど入っている」と見えるのに対してもう片方は「上半分」だけのフィルターを持っているために「ほとんど空だ」と見えるわけです。<br />　ここでの問題は、<b>見ている本人は「部分的にしか見ていない」ということに気づいていない</b>ことが多く、その人にとっては「見えている部分が世界のすべて」となっていることです（図２の両端の構図）。これも、もともとの「象の鼻としっぽ」の構図と比較して考えればわかりやすいでしょう。</p>
<p class="bodytxt">　では次にこの「コップの水」が、現実の社会でどんな現象を指しているのかを考えてみます。<br />　<b>私たちの身の回りの出来事は、すべて２つの側面を持っています。</b>例えば、「いいこと」と「悪いこと」、「機会」と「リスク」......といった具合に、お互いに相反する側面です（図３）。</p><br />
<p class="leadtxt">図3</p>
<div class="bodytxt" align="center">
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="図３" src="http://special.gotoshoin.com/images/hosoya1201-3.gif" width="463" height="130" /></span></div><br />
<p class="bodytxt">　ある悲観主義者のAさんが、自分の転職について楽観主義者のBさんに相談している場面を想定します。<br />　Aさんはその転職の持つリスクや悪い面ばかりを見ているために不安ばかりが先に立って、<br />　「人間関係になじめなかったらどうしよう」<br />　とか、<br />　「いま並みに趣味の時間が取れなくなったらどうしよう」<br />　などという不安を訴えますが、楽観主義者のBさんは、そもそもそんなネガティブなことを考えること自体を時間の無駄と思っていますので、すべてをいい方にとらえます。したがって、Aさんの悩みに対しては、<br />　「視野が広げられていいじゃないか」<br />　とか、<br />　「残業が増えてもその分仕事のスキルを上げていけばいいじゃないか」<br />　などという反応をしてしまいます。</p>
<p class="bodytxt">　ところがAさんは、Bさんのこうした反応にいらだちます。Bさんの反応は、Aさんにとっては「能天気」に思えるからです。<br />　悲観的な側面がすべてのAさんは、まずそういう不安な要素があることを共有したいと思っているので、<br />　「なぜ、Bさんは自分の言っていることがわからないんだろう？」<br />　と考えます。逆に、楽観的なことが世界のすべてであるBさんは、<br />　「なぜ、この人はそんなに『見なくていい』ことばかり強調するんだろう？」<br />　と考えます。ここに、コミュニケーションギャップが発生します。<br /><b>　Bさんがまずはじめにやるべきことは、Aさんの見ている世界を十分共有し、「いかに大変か」ということを理解してあげること</b>ではないでしょうか。<br />　その上で「こういういい面もある」という話に持っていかなければ、<b>このギャップは永久に埋めることはできない</b>でしょう。<br />　つまり、<b>「お互いに象の一部しか見ていないこと」の認識を共有することが、会話を成立させるためのスタートになる</b>といえます。</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/hosoya/post-48.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">細谷功の象の鼻としっぽ</category>
            
            
            <pubDate>Tue, 01 Dec 2009 18:20:09 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>同じものが違うものに見えてしまう「フィルター」</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt">　さちえさんの怒りは、どうしても収まりませんでした。<br />　ここは、アラサー仲間3人と2泊3日でやってきたリゾートホテルでのバイキング朝食レストラン。「事件」はそこで起きました。<br />　2皿目のベーコンエッグを平らげたさちえさん、今度は2皿目で魚を少し食べようと、ふたたび席を立って食事の並んでいるコーナーにもどりました。<br />「あったあった、しかもだれも並んでない」<br />　おいしそうなサーモンの切り身を取ってお皿にのせようとしたそのとき、左の方から、<br />「あら、割り込みはやめて欲しいわ。まったく最近の若い女性っていうのは礼儀を知らないわね」<br />　という年配女性からの一言があったのです。<br />「えっ!?」と驚いたさちえさん、よく見ればその女性の後ろには列ができていました。でも、さちえさんの取ろうとしていた料理の両脇まではガラガラで、その後ろから列ができていたのです。少しびっくりしたさちえさん、思わず「す、すみません」と言って去ろうとするとその女性からダメ押しの一言、「でもやっぱり返さずに行っちゃうのね。ルールも守らないでまったく図々しい」。<br />　席に帰っても、さちえさんはどうしても納得できませんでした。職場でだって自分はいつも、だらしないおじさんたちにルールを守らせるのが仕事。その私に向かって「ルールを守れ」だの「礼儀知らず」だのですって!?　「絶対に許せない」と思うと、さちえさんは腹立たしさで食欲もなくなっていました。</p>
<hr>

<p class="bodytxt">　読者の皆さんにも、たような経験があるのではないでしょうか？<br />　<b>自分ではまったく自然にしていることが、他人には大きな違和感を与えてしまう</b>......ここで起きた「事件」は、どういうメカニズムによるものだったのでしょうか？<br />　また、どんな「象の鼻としっぽ」現象が起こっていたのでしょうか？<br />　下の図を見てください。</p><br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">
<p class="bodytxt"><img class="mt-image-none" alt="図" src="http://special.gotoshoin.com/images/illust20091120.gif" width="560" height="310" /></p></span><br />
<p class="bodytxt">　これが、今回のさちえさんの怒りの原因ともなった、<b>二人の「フィルター」の差</b>です。物理的にはまったく同じに見えるテーブルの前の、目に見えない「列の線」が二人の間で異なっていたのです。<br />　暗黙のうちに「各料理は別の列で並ぶものだ」と思い込んでいたさちえさんと、「料理は取ろうが取るまいがカフェテリアのように一列に並ぶ」ことを当然と思っていた年配女性との違いをわかっていただけるでしょうか。<br />　実際バイキング料理では、「一体これどう並んでるの？」というとまどいを覚える場面が多いのではないでしょうか。そんなときに、ある思い込みに陥っていてそれに気づかないことによって、こういう「悲劇」が起きてしまったのです。</p>
<p class="bodytxt">　これをもう少し発展させて考えてみましょう。<br />　この例では、「料理テーブルとその列」という曲がりなりにも形に表しやすいものが対象でした。ところがこうした<b>思い違いは、目に見えないものにも十分起こりうる</b>、いや目に見えないもののほうが起こりやすいといってもよいでしょう。</p>
<p class="bodytxt">　仕事の手順で考えてみましょう。一つ一つの仕事が冒頭の例でいう「料理皿」で、「人の列」というのが、一連の仕事の流れと考えればよいでしょう。<br />　ある仕事の段取りを考えるに当たって、Aさんが当然のものとして考えている個々の手順や流れと、別のBさんが考える手順や流れは<b>違っていて当然</b>です。特に、別の部門の人や別の会社の人、あるいは異なる業界の人同士ともなれば、その違いは大きなものでしょう。<br />　例えば、「Xの次はY、Yの次はZ」とX→Y→Zを一連の流れの作業だと思っているAさんの前で、BさんがいきなりYの作業を始めたら、それがAさんの目にどう映るかというのは、先の例の「年配の女性」とまったく同じと考えてよいでしょう。<br />　こうしたときに、まさにさちえさんの経験したような状況が起こって、それがお互いのストレスになったり、時には言い争いになったりしてしまうというわけです。</p>
<p class="bodytxt">　今回は、同じ1頭の「象」が人によって、異なるフィルタによって、まったく異なるものに見える、あるいは象そのものは同じでもその「周囲の風景」が違って見えるために起こるコミュニケーションギャップの具体例について説明しました。<br />　このように、コミュニケーションギャップは、「鼻としっぽ」といったように、違う部分を見ていることから起こるだけでなく、同じもの（部分）を見ていたとしても起こるのです。それは、人間はだれでも「フィルター」を持っているからです。当然といえば、当然のことなのです。</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/hosoya/post-45.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">細谷功の象の鼻としっぽ</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 20 Nov 2009 14:31:15 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「立ち位置」と「フィルター」を意識せよ</title>
            <description><![CDATA[<p class="bodytxt">連載初回ではコミュニケーションギャップの3大要因の1つとして、複数の人が「1つの象の鼻としっぽ」を見ることを挙げました。引き続き今回は、実際に人間がものを見るときに、どういうメカニズムでこの「象の鼻としっぽ」を見るという状況が生じるかについて考えてみましょう。</p>
<p class="bodytxt">2人の異なる人が同一の象を見ているとします。当たり前ですが、観察対象になっている象はまったく同じものです。それにもかかわらず、2人の見ている象の部分が異なってしまうのはどういうことでしょうか。</p>
<div style="TEXT-ALIGN: center">
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="hosoya02_zu01.gif" src="http://special.gotoshoin.com/images/hosoya02_zu01.gif" width="400" height="226" /></span></div>
<p class="bodytxt">図1を見てください。これが「象の鼻としっぽ」が起きるメカニズムです。<b>対象物は1つなのに、見ている側の「立ち位置」と「フィルター」によってまったく違うものに見えてしまう</b>ということです。<br />これらはどこからくるかといえば、個人個人の異なる経験や、生まれつきの価値観、ものの考え方からきます。例えば「肯定的なことに目を向ける人」と「否定的なことに目を向ける人」とでは、同じものを見ても「立ち位置」と「フィルター」が異なっているために話がかみあわないのです。あるいは｢偏見｣も典型的な「フィルター」の例です（文字通り「色眼鏡」とも言いますね）。<br />こういった構造がコミュニケーションギャップの根本的原因であり、それが「象の鼻としっぽ」の意図するところです。</p>
<p class="bodytxt">ここまではどちらかというと、「見えてしかるべきものが見えない」あるいは｢事実がゆがんで見えてしまう｣という否定的な文脈で個々人の「立ち位置」や「フィルター」について述べてきましたが、逆に「見なくていいものを見ない」とか、<b>「本当に重要なものだけを選択的に見る」というような肯定的な意味でのフィルター</b>も各個人は持っています。</p>
<p class="bodytxt">特に後者については、例えば、膨大な候補の中から正解を選ぶような問題解決の状況において、「怪しそうな」選択肢のみを選ぶなど、「経験によってあたりをつける」といったプラスのことにも用いることができます。こうした使い方は、いわゆるその道を極めた達人やベテランによる「直観力」や「見識眼」ともいうことができます。<br />つまり、<b>「立ち位置」や「フィルター」は、肯定的にも否定的にもなりうる</b>ということです。</p>
<p class="bodytxt">もう1つのポイントは、肯定的か否定的かは時と場合によって異なるため、同じ「立ち位置」や「フィルター」を使ってもこれがプラスに働く場合もあればマイナスに働く場合もあり、これは本人も気づかない、あるいはコントロールできないということです。これが人生を難しくします。</p>
<p class="bodytxt">では、どうすればよいのか？　一番重要なことは、相手のフィルターを無理に変形させて自分のフィルターに合わせることではなく、<b>そもそも人間というものは、自分も相手も個人ごとに異なる「立ち位置」と「フィルター」を持って物事を見ているのだ、と強く意識すること</b>なのです。 </p>
<div style="TEXT-ALIGN: center">
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img class="mt-image-none" alt="hosoya02_zu02.gif" src="http://special.gotoshoin.com/images/hosoya02_zu02.gif" width="400" height="348" /></span></div>
<p class="bodytxt">図2を見てください。お互いに違う「立ち位置」や「フィルター」を用いて見ていることに気づいていないAさんとBさんは、ストレスを感じています。「なんで相手はこんなことがわからないんだろう？」というわけです。<br />でも、このメカニズムを理解しているCさんは、少なくともこの認識のギャップが起こっている理由を明確に理解しています（解決策までわかっているという意味ではありません）。<br />この「メカニズムを理解する」ことによってコミュニケーションギャップとうまく付き合っていこうというのが本連載の趣旨です。</p>
<p class="bodytxt">次回以降は具体的な例で様々な切り口からこの「立ち位置」と「フィルター」の違いを見ていきたいと思います。</p>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/hosoya/post-36.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">細谷功の象の鼻としっぽ</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 04 Nov 2009 19:06:09 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「象の鼻としっぽ」のココロ</title>
            <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="hosoya01_zu.jpg" src="http://special.gotoshoin.com/hosoya01_zu.jpg" class="mt-image-center" style="margin: 0pt auto 20px; text-align: center; display: block;" width="425" height="267" /></span>

<p class="bodytxt">　コミュニケーションギャップとはどこから来るのでしょうか？<br />
　私は大きく3つの原因から来ていると思っています。もちろん詳細に見ていけば、100人が100回体験するコミュニケーションギャップの原因は、100×100＝1万通りの原因があることでしょう。しかし、これらの原因も根本原因をさかのぼっていけば、根っこの部分にあるのはほとんどがこの3つで説明できるのではないかというのが私の持論です。<br />
　では、その3つを順番に一つずつ解説していきましょう。</p>

<p class="bodytxt">　まず1点目、人間は例外なく「自分勝手」だということ。ある意味、これは当たり前といってもよいでしょう。<br />
　<b>「他人の立場に立って」とか「相手の目線で」などというのは簡単ですが、これほど難しいことはありません。</b><br />
　物理的に相手の目線に立つなどということはもともと不可能ですし、ひとにはそれぞれ、それまでの人生経験や知識からくる固有のものの見方というものがあります。ところが私たちは往々にしてこれをすっかり忘れ、他人も自分と同じものの考え方をしていて当然と思い込んでしまうのです。あるいは、自分中心にものごとを考えていることの自覚が足りないために、他人とのものの見方のギャップが発生します。<br />
　<b>私たちは悲しいまでに、自分中心のものの見方しかできません。</b>これを強く認識していないことによって、コミュニケーションギャップが発生します。</p>

<p class="bodytxt">　続いて2番目の原因ですが、これには私が常に引用するアイルランドの劇作家のジョージバーナードショーの言葉に尽くされます。それは、<br />
<b>「コミュニケーションにおける最大の問題は、それが達成されたという幻想である」</b><br />
　というものです。つまりは、私たちのコミュニケーションはすべて「達成されていない」すなわち私たちが「伝えた」と思っていることはいっさい「伝わっていない」と思え、ということです。<br />
　そもそも私たちは、なぜコミュニケーションでストレスを感じるのか？<br />
　それは勝手に「自分の伝えたことは相手に伝わっている」と思い込んでいるからでしょう。「伝わっていると思っている」ことが伝わっていないとストレスになるのです。<br />
　そうではなくて、「伝わっていない」ということを前提にすれば、「何回も同じことを伝えても何にも伝わっていない！」とストレスに感じることも少なくなってくるでしょう。<br />
　伝わっていないのは「当たり前」のことですから、何とかして伝えようと、手を変え品を変えて伝え方に工夫を凝らすことでしょう。</p>

<p class="bodytxt">　そして3番目の原因が、「象の鼻としっぽを別々に見ているから」ということになります。お気づきの通り、これが本連載の主テーマである「象の鼻としっぽ」ということになります。これはもともと皆さんご存知のインドの昔話から引いています。<br />
　目かくしをした複数の人たちが、1頭の巨大な象の一部を必死に撫（な）ではじめます。象の鼻を触った人は、「象とは、そこそこの太さで自分の身長ほどの長さがあって形が自由に変形するもの」であると思い、かたやしっぽを触った人は「像とは細長いロープひものようなもの」という印象を持つに違いありません。この2人が「象について」語り合ったとしてもほとんど話が通用するわけはありません。<br />
　この話はだれにも理解できる「たとえ話」です。ところが実際は私たちの身の回りのコミュニケーションというのは多かれ少なかれ、すべてがこのメカニズムになっているのではないかと私は考えています。<br />
　つまり、<b>同じものを認識した上で何らかの議論をしているというより、もともと違うものを同じものだと認識しながらコミュニケーションをしていることが、ギャップのほとんどの根本原因である</b>ということです。</p>
　
<p class="bodytxt">　では具体的に、「1つの象の鼻としっぽ」を見ることによるコミュニケーションギャップというのはどういうものがあるのでしょうか？<br />
　次回からはそれをさまざまな場面と具体例で解説していきたいと思います。</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/zou_anime.gif"><img alt="zou_anime.gif" src="http://special.gotoshoin.com/zou_anime-thumb-120x87.gif" class="mt-image-right" style="margin: 0pt 0pt 20px 20px; float: right;" width="120" height="87" /></a></span>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/hosoya/post-28.html</link>
            <guid>http://special.gotoshoin.com/hosoya/post-28.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">細谷功の象の鼻としっぽ</category>
            
            
            <pubDate>Tue, 20 Oct 2009 00:00:01 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>コミュニケーション能力は汎用性の高い一生ものスキル</title>
            <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/hosoya_zou2.jpg"><img alt="hosoya_zou2.jpg" src="http://special.gotoshoin.com/assets_c/2009/09/hosoya_zou2-thumb-350x261.jpg" class="mt-image-center" style="margin: 0pt auto 20px; text-align: center; display: block;" width="350" height="261" /></a></span>
<p class="bodytxt">　今月より連載を始めます。細谷功です。</p>
<p class="bodytxt">　連載テーマとして、コミュニケーションギャップを取り上げます。<br />
　私たちの毎日はコミュニケーションの連続で成り立っています。仕事にしても日常生活にしても、これは例外がありません。山の中でひとり暮らしでもしていない限り、だれも避けて通ることはできないでしょうが、これほど難しいものはないというのも皆さん体験済みでしょう。気分がよくなるのも、悩みが増えるのも、多かれ少なかれこのコミュニケーションが原因になっているということを否定する人は少ないと思います。<br />
　また、企業の採用担当者の意見からも、アンケート結果からも、<font color="#000000"><b>採用条件として「コミュニケーション能力」は必ず上位に上がってくる項目のひとつです</b></font>。</p>
<p class="bodytxt">　これはビジネスのさまざまな場面での重要性が高いというのももちろんですが、スキルとしての汎用性が高いというのも、もうひとつの重要な要素として挙げられるでしょう。どんな職種でも業界でも、担当レベルでも管理職でも役員でも、とにかくあらゆる場面で役立つのがコミュニケーションスキルです。</p>
<p class="bodytxt">　「陳腐化しない」という特徴もあります。<font color="#000000"><b>一度身に付けてしまえば、一生もののスキル</b></font>だということも言えます。もちろん世代や時代によってコミュニケーションのスタイルは違うかも知れませんが、基本となる考え方には普遍性があるでしょう。</p>
<p class="bodytxt">　このコミュニケーションがうまくいかない原因として考えられるのが、伝え手と受け手の間に存在する何らかのギャップです。本連載は、このギャップのメカニズムをできるだけ客観的にわかりやすく説明することにより、少しでも円滑なコミュニケーションを図るにはどうすればよいかについて読者の皆さんと一緒に考えていくことを目的とします。</p>
<p class="bodytxt">　もちろん、生まれつきの才能や持って生まれた雰囲気でコミュニケーションのうまい下手が決まるという要素もあります。生来の性格でコミュニケーションが非常に上手で、日常会話でも合コンでも、あるいは仕事の商談でもプレゼンテーションでも、持って生まれた愛嬌（あいきょう）のようなもので抜群のコミュニケーション能力を発揮する人もいます。では<font color="#000000"><b>コミュニケーションが下手な人は一生直せないかと言えば、それは明らかにNoです</b></font>。</p>
<p class="bodytxt">　本稿で対象にするのは、「再現可能」な原因とその対策についてです。いわゆる属人的な原因や再現不可能な原因については、もともと究明が難しいこともありますが、万一原因がわかったとしても、それを読んだ読者の方々の今後の役に立たないからです。</p>
<p class="bodytxt">　タイトルの「象の鼻としっぽ」に込めた意味については、次回の第１回で解説します。</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://special.gotoshoin.com/zou_anime.gif"><img alt="zou_anime.gif" src="http://special.gotoshoin.com/zou_anime-thumb-120x87.gif" width="120" height="87" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></a></span>]]></description>
            <link>http://special.gotoshoin.com/hosoya/post-17.html</link>
            <guid>http://special.gotoshoin.com/hosoya/post-17.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">細谷功の象の鼻としっぽ</category>
            
            
            <pubDate>Sat, 26 Sep 2009 00:00:01 +0900</pubDate>
        </item>
        
    </channel>
</rss>

